
2020/12/18 - 2020/12/20
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xiaomaiさん
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12月19日に台北市士林区最古の道教寺院である神農宮の祭(神農宮建廟280週年慶典遶境)があった。主祭神である神農大帝をお載せした鮮花車だけでなく、近隣や台湾南部の廟の神輿などが街を練り歩いた。この祭を見たほか、いくつかの道教寺院も訪ね、さらに士林夜市に久しぶりに足を踏み入れ、士林を再認識した。
「士子如林」
清朝の頃、士林、特に芝山巖のあたりは挙人や秀才などの科挙合格者を多く出したため、学問を修める人が林を形成する如くいるという意味で、「士林」と呼ばれるようになった。
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MRT士林駅1番出口を出て直進すると、舊街文創市集があり、その入り口に神農宮建廟280週年の祭典を記念する臨時の門楼が立てられた。
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神農宮入り口の記念門楼
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台北市士林の三大道教寺院の一つである神農宮。1700年代初期に福建省漳州出身者が資金を出し合って建てた福徳祠が前身で、1741年の大水害で崩壊後、現在地に移り、芝蘭廟と改称した。その後、1812年に修築する際、主祭神を神農大帝に変更し、神農宮となった。
神農宮 寺院・教会
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1981年に三級古蹟に指定されるも、彫刻にペンキを塗ったり、柱を大理石製のものに変更したなどの理由で、1985年に指定取り消しとなった。その後、原状回復に努め、2015年に再度古蹟指定を受けた。
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入口左側にある虎の彫り物
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右側の龍の彫り物
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士林で多くの人の信仰を集める道教寺院。
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台湾ではあまり見られない三角錐の香。
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神農大帝は普段は2階に祀られているが、今回の祭のために1階に移され、そのついでに2階は修復がなされている。
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角を持つ神農大帝は農業と医薬の神で、中国古代の三皇五帝の一尊。裸足で腰に葉を巻き、手に稲穂または薬草を持つ。これは人々に農耕を教えた時の様子を表している。赤い神体の像は農耕の神、黒い神体の像は薬草(医療)の神であることをそれぞれ特に表している。黒いお顔をされている像は、人々に提供する前に薬草を自身で試し中毒でそうなったことが表されている。
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神農大帝のほか、福徳正神、天上聖母、關聖帝君など、多くの神が祀られている。
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士林駅のすぐ近くにあるワンタン店で夕食。
老虎醤 温州大餛飩 地元の料理
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ワンタンは店内で作られている。
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注文したイカのワンタン。スープは非常にあっさりしたタイプ。もう少し塩気があってもよいと感じたけれど、健康のためにはこの程度の方がいい。小菜は大根の酢漬け。
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食後、再度神農宮を訪れた。
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翌日行われる遶境の際に、訪れた廟でスタンプをこの旗に押してもらう。
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廟のお祭では芸能人や楽団が呼ばれることが多い。
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この日は、二胡、古箏、笛などの中国伝統楽器の楽団。途中でプレゼントコーナーがあり、未就学児童がプレゼントをもらった。その時、司会がその子に何かみんなに言いたいことはあるかと尋ねると、「聖誕節快楽(メリークリスマス)」と言った。何もなかったかのように、男の子は舞台をおり、音楽会は続けられた。子供は無辜である。
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翌日(12月19日)、朝神農宮へ行ってみると、既に台湾各地の廟からお祝いにやってきた団体が儀式をしていて、とても賑やかだった。
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神農宮の神明鮮花車
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祭の演奏隊である士林舊街北管隊
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神農宮の千里眼将軍と順風耳将軍
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報馬仔と呼ばれる、行列の先頭に立つ役目を担う人。途中立ち寄る廟に来たことを報告する大役を務める。背中にかけているのは平安餅。これを食べると、平安に過ごせると言われている。
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9時になり、儀式が始まった。最前列中央に台北市長。
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台湾の各級政府首長は政務をこなす以外にも、祭に出席して挨拶をしなければならない。台北市長の多忙さは誰もが知るところだけれど、フレンドリーさを示すためにはやむを得ない。
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順風耳将軍
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千里眼将軍
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哨角隊
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路關牌隊
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武器隊
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神輿
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涼傘
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1つ目に立ち寄る慈諴宮。士林夜市の中にある。1796年に現在地とは異なるところ(現在、新光病院があるあたり)に「天后宮」として建てられたが、1859年に漳州出身者と泉州出身者との間で争いが起こり、その結果、天后宮は火災により焼失してしまった(媽祖像は救い出され、今もこの廟に祀られている)。1864年に現在地に移り再建され、「芝蘭宮」と改称し、1875年に拡大建築が行われ、現在の「慈諴宮」となった。
士林慈誠宮 寺院・教会
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主祭神は天上聖母で、士林漳州人の媽祖信仰の中心地となっている。日本時代には臺北辨務署士林支署の事務所、八芝蘭公学校分教場、士林信用組合の事務所として使用されていた時期もあった。
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中国から呼んだ2つの派の建築グループを競わせながら建造した。
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主祭神である天上聖母のほか、太上老君、中壇元帥、關聖帝君、觀音菩薩、玄天上帝、開漳聖王など、実に多くの神明をお祀りしている。
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慈諴宮の媽祖像は、千里眼将軍、順風耳将軍とともに泥を固めて造られたもので、黒いお顔をされていたが、1998年に修理をした際、黒いのは長年、香の煙に燻された結果で、本来は金粉が施されたお顔をなさっていることが判明した。そこで、その修復に努め、台湾では数少ない金色のお顔をされた媽祖像となっている。
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今回の祭に参加した慈諴宮の頭燈頭牌。
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目立った服装している報馬仔
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大頭鼓亭
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鮮花轎
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神輿
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雨に備え、頭部にビニールをかけられた神将
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湳雅溪底金獅團
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ねっ転がる獅子
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前部担当者だけでなく、後部も同様。
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再度立ち上がり、元気に舞う。
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台中から駆けつけてくださった台中鳳聲女子樂團
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この方々はこれを生き甲斐にされているのだと思う。
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先頭でバトンを回し、笛を吹き鳴らしていた人は体の動きがキビキビしていた。今後も長く披露していただきたい。日本も中年や熟年がもっと頑張ってもいいと思わされる。
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湳雅溪底金龍團の龍が廟から出てきたところ。
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神輿などが到着するたびに爆竹が鳴らされる。
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鮮花轎
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神農大帝神明鮮花車
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鮮花車に乗られた神農大帝
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行列の最後を見送った後、慈諴宮の斜向かいにあるこちらの店で昼食。
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席に座って、大南路に面した厨房を眺める。
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迷うことなく注文したのは......
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ここの看板料理である魚の揚げたものと魯肉飯。十分おいしいけれど、以前、コメントで紹介した台北101近くの店の方がさらにおいしいように感じた
https://4travel.jp/os_shisetsu_tips/14207727 -
一行が去った後、一面に広がった爆竹の燃えカスなどをすぐに清掃。
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次の立ち寄り廟(士林街福徳宮)へ行くも、既に一行が過ぎ去った後で、すぐに3カ所目の立ち寄り廟へ向かった。
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ところが、この景佑宮も爆竹のカスを掃除中。
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結局、参加者が昼食をとるための休憩場へ向かうことにした。画像は士林新街。新街というのは舊街に対してつけられた名称で、100年以上の歴史を持つため、新しさはない。外国人が多く住む天母などが士林区にあるため、このエリアはオシャレだと思われがちだけれど、士林自体は古い地域で、言うなれば下町。
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士林駅の近くにある士林小学校。八芝蘭公学校分教場が慈諴宮に置かれていたのが、のちに独立して現在の士林小学校となった。「since 1895」とあり、日本の統治が始まった年が創立年となっている。
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士林駅の北側に広がる舊街文創市集が昼の休憩地。神将も並んで休憩。
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友情に篤い七爺と八爺は背中合わせで休憩。
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慈諴宮の媽祖をお載せした神輿。この女性は数分に渡り祈られていた。
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龍の彫り物が美しい。
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千里眼、順風耳の両将軍が媽祖をお守りしている。
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内部におられる媽祖
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こちらも慈諴宮の神輿。
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急な雨に備え、ビニールが被せられている。
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内部の媽祖
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同じ千里眼や順風耳であっても、各廟によって作りも色合いも異なる。
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何台のトラックが停められていたのかわからない。
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頭旗
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全行程を共に歩くこともできたのだけれど、士林駅から2つ目の明徳までMRTで行ってコーヒー休憩。ここ数年、台湾で店舗数が増えてきている Louisa Coffee(2007年1号店オープン)。
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士林区を流れる磺溪。源流は陽明山にあり、外雙溪に合流し、最後は基隆河となる。
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北管の音が聞こえてきたから、その方向へ進んでいくと、報馬仔がいた。丸い黒縁メガネと付け髭がトレードマーク。
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そのまま中山北路六段を一緒に北上。やがて、左手に日本人学校が現れる(向かいにアメリカンスクール)。
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ウキウキな感じの報馬仔。
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1947年創建の天母三玉宮。前を通ったことは何度もあるけれど、内部に入ったのは初めて。
天母三玉宮 史跡・遺跡
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神農宮と同様に五穀先帝を主祭神とする。
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紙製のお札が入ったお守りをいただいた。
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太鼓や銅鑼などを叩いていて一行を迎えていたのは、熟練した方々ばかり。
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神将が街の中を進む。
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七爺と八爺
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一行はその後、洒落た天母の街の中を抜けていった。自分はバスに乗って5つ目で下車し、芝山巌聖佑宮へ。 ここも一行が立ち寄る廟。
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芝山巌聖佑宮は300年以上の歴史を有する、石を神として仰ぐ廟。規模は大きくはないが、信徒の参詣は絶えないようだ。特に旧暦8月15日は石頭公の千秋(生誕日)で、多くの人が祝いに訪れるそうだ。
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聖佑宮の横に芝山巌への歩道がある。一行を待たず、芝山巌に登った。
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芝山巌は自然に恵まれ、栗鼠などの小動物に出会える。また、元々海底が隆起したのがこの芝山巌であるため、有孔虫、海胆、貝類の化石も見られる。
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1752年創建の芝山巖惠濟宮
芝山巖惠濟宮 寺院・教会
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芝山巖惠濟宮は観音菩薩、開漳聖王、文昌帝君などを祀っている。
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唐の武将であった陳元光は、福建漳州地方を開拓した人物で、「開漳聖王」として、台湾に移民してきた漳州出身者の守り神とされ、広く信仰されている。
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廟の前には広場がある。
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そこから台北市士林区を眺めることができる。
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祭の音楽が聞こえてきたから、階段を下りた。
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とても長い階段。
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門楼と獅子
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臨時に設けられた惠濟宮の祭壇
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報馬仔。左足は1日中裸足で大変だっただろう。たまに小雨が降ったけれど、すぐ止む雨でよかった。
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大頭鼓亭や花車の長い列
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路線バスが追い越しを試みたけれど、結局道路の広さが不十分でダメだった。警察官が来て交通整理をすべきだった。
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慈諴宮の鮮花轎
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惠濟宮の門楼の右側にオブジェの山羊がたくさん。
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見ているだけで、笑顔になってくる。
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嫌なことでも笑ってしまおう。
世界が1日も早くコロナウイルスから解放されて、マスクをせずに大声で笑えるようになりますように。 -
龍神は色違いで4尊。
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腕をブンブン振って歩いていた順風耳将軍
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それに対し、おとなしめに歩かれていた千里眼将軍
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哨角隊
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路關牌隊
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神輿を迎えるために大量の爆竹を鳴らす。
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風下に立つととんでもないことになる。
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雲林県にある西螺福興宮のご一行
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惠濟宮に神様にご挨拶
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雲林県にある西螺福興宮の方々は数百人規模で参加された。夜中にバスを十数台連ねてお越しになり、祭終了後、すぐにバスで戻られるとのことだった。この方々が信仰される媽祖「太平媽」のご加護が必ずやあるだろう。
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爆竹
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惠濟宮のご一行が本拠地にご帰還。
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実に多くの人がお出迎え。
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旗を載せたトラックの数々。
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土地公を中心に、招財童子と進宝童子(おじさんみたいな顔をしているけれど子供)
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進宝童子はコミカルによく動いていた。
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演奏の皆さんも朝早く夜までお疲れ様。惠濟宮の方に普段感じていた疑問点を質問したら、とても丁寧に回答してくださった。
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もう一度惠濟宮へ行ってみた。
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街明かりが灯り始めていた。
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行天宮や龍山寺のようにいつ行っても多くの信者が祈りを捧げている賑やかなところもよいけれど、惠濟宮のように幽静感のある廟の方が好きだ。
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神輿に乗られていた芝山巖惠濟宮の媽祖さまもご老人に抱えられ、お戻りになった。その時、ご老人がお一人で「進啊、進啊」と叫ばれていた。これは神様が廟内にお入りになる時の掛け声だ。咄嗟のことで思いつかなかったけれど、そこにいた自分も同じように叫ぶべきだった。
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山を下りると、トリの神農宮のご一行。神農大帝神明鮮花車が通り過ぎると、清掃撤収をされていた。
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元々、神農宮までお供をしようと思っていたけれど、自宅の近くまで乗換せずに帰れるバスの停留所があったから、この日はバスを待って帰宅した。
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3日目、この旗を持って神農宮へ。
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前日の祭が無事に済んだことを感謝。
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そして、指定された廟へ行ったことを記念し、台湾の交通カードであるEasy Cardをいただいた。今回の祭の記念版で、販売されていない。
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さらに、醤油のセットもいただいた。
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その後、夕食をとりに士林夜市へ。まず訪れたのは忠誠号牡蠣オムレツ店。「忠誠」というのは初代オーナー(現オーナーの実父)の名前で、創業し既に50年の歴史を有する。
日本のガイドブックなどに「牡蠣オムレツ」という記載がよく見られるのでそれを採用しているが、オムレツとはまったく異なるもの。この店は「カキ炒め」と称しているが、この2つ下の画像を見ていただければわかるように、カキ炒めでもないように感じる。忠誠號蚵仔煎 (士林店) アジア料理
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店内の様子。この店のオーナーは、過去に失敗もしたけれど、媽祖様のご加護と人の縁で商売を大きくされたらしく、現在は慈諴宮の委員もされている。
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卵牡蠣オムレツ。わざわざ「鶏蛋(卵)」をいう字を被せていることからわかるように、良質の卵を使っていて、卵の味がとてもするおいしさ。牡蠣は嘉義から取り寄せているそうだ。かけられているソースは現オーナーが試行錯誤して完成させたもので、親子二代に渡り作り上げた美食だ。
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基隆てんぷら。台湾で「てんぷら」というと、さつま揚げのことを指す。薄めに作られていて、こちらもおいしかった。この店では、イカのとろみスープや臭豆腐なども提供されている。
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その後、もう1カ所。慈諴宮の前にある「阿輝麺線」。
阿輝麺線 アジア料理
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イカのを注文。ここはテーブルなどはなく、購入者は立って食べたり、廟の石階段に座って食べたりしていた。
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40歳前後と思われる店主。初対面なのに、東京オリンピックのこと、父子関係のことなど、色々話した。この店主、人間味があって好きだな。また食べに行こう。
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帰宅前にもう一度慈諴宮にお参り。
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祭が無事に終わったことを感謝するとともに、これからも健康に暮らし、台湾の人々に幾ばくかの貢献ができるよう、お祈りした。
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帰る途中見かけた麦芽糖を絡めたさつまいもの屋台。
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家に帰ってから食べようかと思ったんだけど、温かかったから、その場で完食してしまった。おいしかった。
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仕事でよく来る士林区。そこを神様のご一行と歩いた。歴史ある道教寺院をゆっくり見学することもできた。夜市ではおいしいものを食べたり、人との交流を通し心の温かさを感じたりした。以前から身近に感じている士林なのに、まだまだ知らないことばかり。仕事だけして帰るのではなく、もう少しこの街を知る努力をしないといけないと感じた。
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