2020/11/13 - 2020/11/14
32位(同エリア366件中)
まつじゅんさん
- まつじゅんさんTOP
- 旅行記675冊
- クチコミ1121件
- Q&A回答61件
- 886,870アクセス
- フォロワー160人
新しい旅のカタチを求めながら、夫婦二人で今まで宿泊を考えなかった近場の場所を、月2回位のペースで廻っています。
今回は、家から1時間かからない距離にあり、ふらっと日帰り位しか考えられなかった有馬温泉に行ってきました。
有馬温泉は大阪・神戸から近いという事もあり、価格設定は高めに思います。
私も大阪時代に職場の慰安旅行で宿泊して以来で、30数年振りになりますが、当時の記憶が殆どなく、初めて訪れたような感じでした。
ただ、奥様が一昨年、小、中、高の同級生の方々数人で、宿泊していますので、有馬の案内は奥様主導で
大型旅館から公共の宿まで、たくさんの宿がある有馬温泉ですが、料理の評判が高い「四季の彩 旅籠」を予約しました。
料理人との直接会話を楽しむ対面料理を特徴とされている宿ですが、コロナ対策で色々変わってはいましたが、評判通りの美味しい料理と金泉、銀泉どちらも楽しめた宿でした。
有馬まで近すぎるので、1日目は新名神川西ICから中国道で、神戸三田ICから丹波篠山を目指しました。
良く考えれば初めて訪れた丹波篠山、こじんまりとした、どことなく倉吉に似た雰囲気の城下町を歩き、ホッとした時間を過ごしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
丹波篠山といえば♪デカンショ節♪ですね。
市役所の前に踊っている方々の銅像があり、100年記念という事ですがいつから100年としているのか分かりませんが、不思議な民謡だという事は解りました。
全国に知られる民謡デカンショ節ですが、沢山の歌詞があり、統一しようと1998年「デカンショ節100年記念事業実行委員会」が、数多くある歌詞の中から代表的な10選を作ったそうです。
沢山ある歌詞って言うのが、不思議さの象徴的な部分ですね。
篠山(みつ節)~館山~旧制一高~全国寮~篠山と、循環しながら形成されたデカンショ節は、替え歌等も入れると200とも300とも言われており、デカンショ祭でも歌われる歌詞はさまざまで、決まったものはなかったそうです。
2015年、文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれました。 -
駐車場に車を預け、先ずは篠山城跡に向かいます。
-
1609年、徳川家康の命で松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じたものです。
大坂夏、冬の陣を終え、天下統一に向け踏み出した家康ですが、西国諸大名を抑える目的で山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築いたと言われています。
豊臣家恩顧の大名たちの莫大な財力を消耗させるため、丹波以西、山陰・山陽・四国・紀伊の15国、20候の外様大名に扶役を命じ、藤堂高虎が縄張を担当し、普請総奉行を池田輝政が務め、天下普請により6か月で完成させたとの事です。 -
篠山城の大書院は、篠山城築城と同時に建てられましたが、1944年1月6日の夜焼失してしまいました。
その後、篠山市民の熱い願いと寄付によって、2000年3月に再建されました。
大書院の特徴は、木造住宅建築としては非常に規模が大きく、現存する同様の建物の中では京都二条城の二の丸御殿遠侍に匹敵する建物のようです。
二条城の御殿は、将軍が上洛した際の宿所となる第一級の建物ですので、大書院は一大名の書院としては破格の規模と、古式の建築様式を備えたものだという事ですね。 -
大書院の復元には、古絵図、古写真、発掘踏査等の総合的な学術調査の成果に基づいて設計、建築が行われたようです。
復元建物は、平屋建て妻側が正面となっています。
床面積は739.33㎡、棟高は12.88mの入母屋造 、杮葺きで総工費は約12億円との事です。 -
当時、岩盤を掘り抜くのに2年かかったという本丸の井戸も残っています。
-
内部には襖絵等に囲まれた8つの部屋があり、その周囲に広縁、その外側に落縁が一段低く設けられています。
かなり精巧な細工がなされているようです。
往事の雰囲気を再現するため、江戸時代初期の狩野派絵師が描いた 屏風絵等を障壁画として使用されています。 -
戦国の末期、丹波一円を支配していた波多野秀治の拠城の八上城が、織田信長の丹波攻略戦の主将 明智光秀の大軍に包囲されて抗戦1年半で落城し、人質になった光秀の母が磔殺されたという伝説があります。
この件が、本能寺の変への伏線ではないか、との説もあるようですね。 -
篠山城には天守閣はありません。
城の完成を急いだこと、実戦向きの城としたため築かれなかったようです。
二の丸には、大書院に代表される御殿が建てられ、築城から5年後の大坂冬の陣、その翌年の大坂夏の陣では、松平康重が篠山城から大坂城攻撃に出陣し、篠山城は家康の狙い通りの役割を果たし、江戸幕府が安定すると、篠山城は西日本の諸大名の押さえの城として位置づけられ、江戸時代を通して、幕府が信頼した譜代大名の4家が、藩主として納めてきた歴史があります。
この篠山城二の丸御殿跡は、古絵図の部屋割りを御影石で区切り、平面表示されています。 -
城跡内にある青山神社です。
1882年創建で、もともと篠山城の本丸に青山家代々の御霊を祀る霊神社があったようですが、丹波篠山藩が廃止された際に、春日神社に移されたという事情もあり、篠山旧藩士で青山家の旧恩を追慕敬仰する人達により、遠祖の青山忠俊公の霊を旧城址に鎮祭した神社です。
青山忠俊公は、大阪夏の陣で徳川秀忠公を支え、徳川家光公が幼少期の養育役にも抜擢された名君のようですが、篠山とは直接の縁がなかっただけでなく、実際に篠山の地で藩主として青山家中興の祖と慕われた青山忠裕公を1930年に合祀されたようです。 -
篠山城跡を中心とした、街歩きの地図です。
こじんまりとした街なので、2時間もあれば十分廻る事が出来ました。 -
大正12年建築の、旧篠山町役場を保存利用した観光拠点、大正ロマン館です。
大正ロマネスクを感じる雰囲気で、特産品売り場やレストランがありました。 -
歩兵第70連隊の兵舎にならったレンガの腰台、屋上の火の見櫓等、大正モダニズムの面影感じさせる洋風造りの建物です。
大正11年11月の完成後、12年4月から平成4年3月まで約70年間を篠山町役場として使用され、平成5年6月3日からは、重要建築物として保存再利用されています。 -
篠山城の本丸にあった、青山家代々の御霊を祀る霊神社を、丹波篠山藩の廃止の際に移した春日神社です。
876年に藤原基経、藤原時平父子により、藤原氏の氏神である奈良の春日大社より分祀し、当時は笹山と呼ばれた篠山城のある小山に勧請し、祀り氏神としたのが起源とされています。
1609年篠山城築城の際に現在の地に遷された、由緒ある神社のようです。 -
能楽殿を持ち、春の春日能と秋の祭礼の京都八坂の祇園祭を模したといわれる4基の神輿、華麗な飾り付けを施された9基の山鉾巡行が有名で、情緒ある旧城下町を舞台に風情ある行事らしいですが、今年は全て中止になったようです。
-
丹波篠山歴史美術館です。
旧篠山裁判所で、篠山藩庁の建物を使用して1870年に発足し、1890年に地方裁判所になりました。
当時、木造建築の裁判所としては我が国最古級で、重要建造物として1982年3月20日に、町文化財として指定されました。
中央に玄関車寄を置いて、全面左右に法廷を配したE字型で、外観及び旧法廷を曳家工法で建物の向きを90度回転させた上で従来の姿を残し、美術館として内部を改装し、1982年4月に開館したようです。 -
街歩きの途中、こちらで黒豆商品を購入。
丹波の黒豆って美味しいですよね。 -
重要伝統的検図物保存地区に指定されている、武家屋敷群を見学します。
2004年12月に指定され、選定理由は「篠山城跡を核とし、武家地や町人地の町割りを残すなど、近世の城下町の基本的構造を良く残すと共に、近世から近代にかけて建てられた武家屋敷や商家及び寺院など、城下町の要素を全体として良く残し、その歴史的風致を良く今日に伝え、我が国にとって価値が高い。」という事のようです。
どんなところかなと思っていましたが、維持管理の問題が浮き彫りとなっていて、大変なんだろうなという印象です。 -
この地区は、丹波篠山城の西側一帯にある旧武家屋敷地区(御徒士町)にありますが、御徒士と言う小禄武士の屋敷なので、小さな屋敷が多く、実際見学できる家は一軒しかなく、あくまで城見物の「おまけ的存在」なのかなと思います。
-
全国的な「街つくり」の問題点ですが、住民の高齢化や後継者不在が挙げられます。
住民の方にとって、景観保持は賛成だが、伝統的建造物を未来に渡って管理し続けることが出来るのか、不安だらけではないではないでしょうか。 -
倉吉の実家も街並み保存区域に入っているので、外観のちょっとした改修にも、凄く手間のかかる手続きを要します。
一寸ですが補助を貰っても、余分な工事にお金がかかり、住んでいる人にとっては面倒なことが多くあり、行政は観光推進の立場から指定を目指して取り組みを進めますが、住民は恐らく本当の大変さを知らないまま、指定のレースに乗ってしまうんでしょうね。
この家の持ち主の方も、修理するのにも凄くお金がかかるし、省エネ住宅への建て替えもままならない状況に追いやられると思います。 -
この地区で、唯一見学できる武家屋敷、安間家史料館です。
結局、地区全体を行政や三セクが所有し、維持管理を行いつつ観光資源として廻す事をしないと、田舎町では住民、行政とも共倒れとなってしまうように思います。
京都、倉敷のように、観光業者とタッグを組んでwin-winの関係で発展させる事しか道は無いんでしょうね。 -
今夜の夕食に期待しているので、ランチは軽く混む前に、こちらで頂く事にしました。
ボタン鍋やトロロ芋など、丹波篠山の郷土料理を提供してくれるお店、大手新丁です。 -
ボタン鍋はしっかり過ぎるので、夕食に備え軽めにという事で、私は、そばとろ。
温かいお蕎麦に、とろろが載っています。 -
奥様は、むぎとろ大手御膳。
むぎとろ、ローストビーフ、山の芋磯部揚げです。
美味しかったです。
それでは有馬温泉に向け出発です。
本日これまで。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- たらよろさん 2020/12/05 21:42:59
- 丹波篠山の魅力
- こんばんは、まつじゅんさん
デカンショ街道を経て、
丹波篠山へ。
私もあの昔話のような城下町の雰囲気☆
大好きです~。
これからの季節は、牡丹鍋ですよねー
先日、牡丹鍋食べにいきたいなって話してたんですよ。
篠山の町なみを見ていたら、ますますいきたくなってきた~(笑)
たらよろ
- まつじゅんさん からの返信 2020/12/09 11:38:23
- Re: 丹波篠山の魅力
- たらよろ様
いつも拙い忘備録へのご訪問、ありがとうございます。
私も良く考えると、丹波篠山は30数年振りの訪問となりました。
お昼を頂いたお店はボタン鍋で有名のようでしたが、私としては牛、豚、鶏という家畜肉以外には、一寸拒否反応があるので余り食した事は無いのですが、美味しいのでしょうね。食わず嫌いを解消してみようかなと思った旅でした。
matujyunn
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
まつじゅんさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
25