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2020年10月2日(金)午後の4時、ひいろ坂散策コースを途中で抜けて、坂道を登り切るとポケットパークと云う休憩所の前に出る。ここが4つ目、最後の窯元散策コースの窯場坂散策コースの一番上になり、これから坂を下っていく。<br /><br />ポケットパークのすぐ下の右手にあるのが卯山窯(下の写真1)。元々この辺りから後に行く谷寛窯に掛けては長野地区にあった5つの登り窯の一つ、大窯があり、ここが一番下の火袋があったところ。1939年に丸卯製陶所(現在は卯山製陶)を創業した先代が購入した時には火袋の焚き口の上には大窯の銘が彫られていたそうだ。<br /><br />卯山製陶では当時はまだ珍しい重油窯を導入し、創立建築用レリーフや別注物プランターの製作を始め、さらに伝統的手法による傘立ての製作をされていたが、現当主になり美と用を生活にと、食器などの小物製品も展開されている。また、陶照明製品も造られている。現当主は大阪芸大で学ばれたそうで、若手クリエイタ―とのコラボなど、信楽に新しい風を吹き込んでおられ、坂道を上がった敷地内の建物の1階には個性的でユニークな信楽焼がたくさん並んでいる。<br /><br />卯山製陶を回り込んで焼物のペンギンのスリッパ入れが並ぶ窯場坂を南に進んでいくと右手に分かれる三差路のところに山文製陶所がある。朝ドラ「スカーレット」のヒロイン喜美子が働く丸熊陶業として使われた窯元(下の写真2)。明治26年創業で現在の五代目まで約120年の歴史を持つ。創業当時は明治時代の主製品である海鼠釉(なまこゆう)の火鉢製作が中心だったとのことだが、現在は花器、傘立て、睡蓮鉢、水鉢(メダカ鉢)、庭園テーブル、植木鉢、大皿、洗面鉢、壺などの大物陶器を中心に製作。<br /><br />山文製陶所の三差路を入り、風情ある坂道を登って行くと谷寛窯。古くは江戸後期の1806年生まれで、国文学者の佐々木弘綱に国学や和歌を学んだ谷井直方が、家業の信楽焼で海鼠釉を研究、完成させ信楽焼きの発展に貢献したのがルーツ。その後昭和に入り、四代目に当たる谷井眞方(しんぽう)が分家して谷寛製陶所(現在の谷寛窯)として設立した。現在は和食器、茶陶、花器などを製作している。ここも「スカーレット」の丸熊陶業の一部として使われた。<br /><br />敷地に入り右手にあるのが穴窯。上に書いたように元々はこの辺りまで登り窯が続いていた。2000年に現当主の三代目がその跡地に信楽焼の原点と云える穴窯を築炉したもので、炎舞燿窯と呼ばれる。約400束の赤松と雑木を使い、4・5日掛けて約1300℃前後で焼き上げることで、自然釉と呼ばれる灰被りの美しいビードロ釉や緋色、焦げが見所の作品が出来る。<br /><br />反対側には煉瓦造りの高い煙突を持つ建物。明治時代の師範学校の講堂を移築したもので、かつては大小屋と呼ばれ、作業場として活用されていたが、現在は一部がギャラリー陶ほうざんとして使われ、見学できる。ギャラリーでは現当主や信楽の若手作家の、主に普段使いのシンプルな器が展示販売されている。また、1966年に築炉された重油窯を再利用した重油窯ギャラリー(下の写真3)もあり、見所は多い。<br /><br />窯場坂に戻り少し進み、「陶房 準」の案内の可愛い人形が立つ三差路を再び右折ししばらく進むと緑に覆われた階段状の窯跡が見えてくる。1933年から30年間使われた11室の連房式登り窯、丸又窯の跡。年間5、6回窯焚きされ、火鉢や植木鉢、花瓶が造られていた。当時は素屋と呼ばれる屋根があった。2007年に経産省の近代化産業遺産に認定され、2011年には滋賀県の指定史跡になった。窯の前に並ぶ蛙が可愛い(下の写真4)。<br /><br />丸又窯跡からさらに進むと蔦に覆われた雰囲気あるレンガ色の建物が見えてくる。明治時代後期の登窯での火鉢製造に始まり、大正時代に築窯した山兼製陶所。現在はガス窯で花器を中心に製造。また陶人形をひとつひとつ手作りで造っており、初節句人形やオリジナル人形が人気。敷地内にある陶房 準に作品が展示されており、購入することが出来る(下の写真5)。また、陶房の向かいの工場の坂道を上がって行くと無料の休憩所「里山テラス」があり、信楽の町並みを一望できる。正面の山並みは「山の寝仏」と云われている。<br /><br />4時半になり、日暮れが近づいてきたので、まだいくつか窯元はあるのだが、窯場坂を一気に下る。道沿いには登り窯で火鉢などを焼くために使っていた立ちさやや黒酢用の黒い壺が並ぶ。カラフルな狸の置物もチャーミング。307号線の旧道に突き当たったところには窯場坂の案内板と信楽焼の窯元散歩道の案内が立つ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4748929591843694&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />これで観光終了と思ったのだが、もう一つ登り窯の案内を見つけたので、窯場坂の案内から200mほど西の坂道を上がったところにある宗陶苑に足を延ばす。江戸時代に築窯された11室ある日本最大規模の登り窯で現在も信楽焼を作り続けている唯一の窯元。茶陶を初め、食器類から狸などの庭置き製品までありとあらゆる品を手造りで製作している。信楽焼展示場のほか、茶陶中心の展示場や茶室も備えており、陶芸教室では手びねりなどの陶芸体験も楽しめる。ここも「スカーレット」の丸熊陶業の一部として使われた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4748949635175023&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />5時過ぎ、駐車場まで戻り、信楽を後にした。私の元の計画では、一通り窯元を歩いて回った後、気に入ったところを今度は車で訪ね、狸の置物など買おうと思ってたのだが、とてもとても・・・ 何も買う時間なかったし、寄れなかった窯元もあるし、滋賀県立陶芸の森も行ってみたいし、また行くしかないな。<br /><br /><br />以上で、信楽観光終了

滋賀 信楽 窯場坂散策コース(Kamaba Slope Walking Couse, Shigaraki, Shiga, JP)

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2020/10/02 - 2020/10/02

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旅行記グループ 信楽

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月2日(金)午後の4時、ひいろ坂散策コースを途中で抜けて、坂道を登り切るとポケットパークと云う休憩所の前に出る。ここが4つ目、最後の窯元散策コースの窯場坂散策コースの一番上になり、これから坂を下っていく。

ポケットパークのすぐ下の右手にあるのが卯山窯(下の写真1)。元々この辺りから後に行く谷寛窯に掛けては長野地区にあった5つの登り窯の一つ、大窯があり、ここが一番下の火袋があったところ。1939年に丸卯製陶所(現在は卯山製陶)を創業した先代が購入した時には火袋の焚き口の上には大窯の銘が彫られていたそうだ。

卯山製陶では当時はまだ珍しい重油窯を導入し、創立建築用レリーフや別注物プランターの製作を始め、さらに伝統的手法による傘立ての製作をされていたが、現当主になり美と用を生活にと、食器などの小物製品も展開されている。また、陶照明製品も造られている。現当主は大阪芸大で学ばれたそうで、若手クリエイタ―とのコラボなど、信楽に新しい風を吹き込んでおられ、坂道を上がった敷地内の建物の1階には個性的でユニークな信楽焼がたくさん並んでいる。

卯山製陶を回り込んで焼物のペンギンのスリッパ入れが並ぶ窯場坂を南に進んでいくと右手に分かれる三差路のところに山文製陶所がある。朝ドラ「スカーレット」のヒロイン喜美子が働く丸熊陶業として使われた窯元(下の写真2)。明治26年創業で現在の五代目まで約120年の歴史を持つ。創業当時は明治時代の主製品である海鼠釉(なまこゆう)の火鉢製作が中心だったとのことだが、現在は花器、傘立て、睡蓮鉢、水鉢(メダカ鉢)、庭園テーブル、植木鉢、大皿、洗面鉢、壺などの大物陶器を中心に製作。

山文製陶所の三差路を入り、風情ある坂道を登って行くと谷寛窯。古くは江戸後期の1806年生まれで、国文学者の佐々木弘綱に国学や和歌を学んだ谷井直方が、家業の信楽焼で海鼠釉を研究、完成させ信楽焼きの発展に貢献したのがルーツ。その後昭和に入り、四代目に当たる谷井眞方(しんぽう)が分家して谷寛製陶所(現在の谷寛窯)として設立した。現在は和食器、茶陶、花器などを製作している。ここも「スカーレット」の丸熊陶業の一部として使われた。

敷地に入り右手にあるのが穴窯。上に書いたように元々はこの辺りまで登り窯が続いていた。2000年に現当主の三代目がその跡地に信楽焼の原点と云える穴窯を築炉したもので、炎舞燿窯と呼ばれる。約400束の赤松と雑木を使い、4・5日掛けて約1300℃前後で焼き上げることで、自然釉と呼ばれる灰被りの美しいビードロ釉や緋色、焦げが見所の作品が出来る。

反対側には煉瓦造りの高い煙突を持つ建物。明治時代の師範学校の講堂を移築したもので、かつては大小屋と呼ばれ、作業場として活用されていたが、現在は一部がギャラリー陶ほうざんとして使われ、見学できる。ギャラリーでは現当主や信楽の若手作家の、主に普段使いのシンプルな器が展示販売されている。また、1966年に築炉された重油窯を再利用した重油窯ギャラリー(下の写真3)もあり、見所は多い。

窯場坂に戻り少し進み、「陶房 準」の案内の可愛い人形が立つ三差路を再び右折ししばらく進むと緑に覆われた階段状の窯跡が見えてくる。1933年から30年間使われた11室の連房式登り窯、丸又窯の跡。年間5、6回窯焚きされ、火鉢や植木鉢、花瓶が造られていた。当時は素屋と呼ばれる屋根があった。2007年に経産省の近代化産業遺産に認定され、2011年には滋賀県の指定史跡になった。窯の前に並ぶ蛙が可愛い(下の写真4)。

丸又窯跡からさらに進むと蔦に覆われた雰囲気あるレンガ色の建物が見えてくる。明治時代後期の登窯での火鉢製造に始まり、大正時代に築窯した山兼製陶所。現在はガス窯で花器を中心に製造。また陶人形をひとつひとつ手作りで造っており、初節句人形やオリジナル人形が人気。敷地内にある陶房 準に作品が展示されており、購入することが出来る(下の写真5)。また、陶房の向かいの工場の坂道を上がって行くと無料の休憩所「里山テラス」があり、信楽の町並みを一望できる。正面の山並みは「山の寝仏」と云われている。

4時半になり、日暮れが近づいてきたので、まだいくつか窯元はあるのだが、窯場坂を一気に下る。道沿いには登り窯で火鉢などを焼くために使っていた立ちさやや黒酢用の黒い壺が並ぶ。カラフルな狸の置物もチャーミング。307号線の旧道に突き当たったところには窯場坂の案内板と信楽焼の窯元散歩道の案内が立つ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4748929591843694&type=1&l=223fe1adec

これで観光終了と思ったのだが、もう一つ登り窯の案内を見つけたので、窯場坂の案内から200mほど西の坂道を上がったところにある宗陶苑に足を延ばす。江戸時代に築窯された11室ある日本最大規模の登り窯で現在も信楽焼を作り続けている唯一の窯元。茶陶を初め、食器類から狸などの庭置き製品までありとあらゆる品を手造りで製作している。信楽焼展示場のほか、茶陶中心の展示場や茶室も備えており、陶芸教室では手びねりなどの陶芸体験も楽しめる。ここも「スカーレット」の丸熊陶業の一部として使われた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4748949635175023&type=1&l=223fe1adec


5時過ぎ、駐車場まで戻り、信楽を後にした。私の元の計画では、一通り窯元を歩いて回った後、気に入ったところを今度は車で訪ね、狸の置物など買おうと思ってたのだが、とてもとても・・・ 何も買う時間なかったし、寄れなかった窯元もあるし、滋賀県立陶芸の森も行ってみたいし、また行くしかないな。


以上で、信楽観光終了

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  • 写真1 卯山窯

    写真1 卯山窯

  • 写真2 「スカーレット」ロケ風景

    写真2 「スカーレット」ロケ風景

  • 写真3 重油窯ギャラリー上部

    写真3 重油窯ギャラリー上部

  • 写真4 丸又窯跡前の蛙たち

    写真4 丸又窯跡前の蛙たち

  • 写真5 陶房 準

    写真5 陶房 準

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