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2020年10月2日(金)午後の3時半過ぎ、2時間半ちょっと前にろくろ坂散策をスタートしたところにある新宮神社に戻って来る。スタート時には、ろくろ坂の途中でお昼を食べる積もりで神社参拝は後回しにしていたので、改めて参拝する。<br /><br />この神社は奈良時代の715年の創建。信楽町の長野、神山、江田、小川地区の氏神として尊び崇られ、新宮大明神と呼ばれた。近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等に篤く信仰され、代々当社に境内神領などの寄進があった。鎌倉幕府滅亡後の南北朝の戦いの兵火で1336年に焼失して再建された。<br /><br />現在の本殿は、江戸時代に入って1663年に大風の為大破していたのを再建したもの。明治になり村社となり、大正に入って神饌幣帛料供進神社に指定された、1915年(大正4年)には、長野字西出と宇川東の2箇所に山神社として大山津見神を祀られていたのを、当社に合祀。1924年(大正13年)に「郷社」に昇格。現在は紫香楽一乃宮として篤く崇敬されいる。<br /><br />毎年7月終わりに、陶器づくりにはもちろん、生活や文化に欠かせない火への感謝と、火に関わる安全を願って、江戸時代より前から行われているしがらき火まつりでは、奉納される約700本の松明が新宮神社から、信楽陶芸村から見えた愛宕山にある愛宕・秋葉・陶器神社まで運ばれる。朝ドラ「スカーレット」ではしがらき火まつりのロケがここ新宮神社で行われた。<br /><br />信楽駅からまっすぐ続く道が旧国道に突き当たった先、東南東向きに建つ立派な石造りの鳥居を挟んでいる狛犬はなんと信楽焼。さすが、信楽と感心する。また、鳥居の横に建つ柿は神鈴柿と呼ばれる御神霊木で樹齢300年とのこと。さらに写真に写ってないが、その隣には昭和天皇御製の歌碑もある。刻まれている歌は、信楽焼の狸を有名にした「幼なとき集めしからに懐かしもしがらき焼の狸をみれば」と云う歌。1980年に還暦を迎えられた町内の有志が建立されたもので、京都の八坂神社で宮司を務められた故鈴木日出年氏の筆になるもの。<br /><br />鳥居から玉砂利の参道を進むと、左手に信楽陶器記念モニュメントがある。信楽陶器工業協同組合の青年部会が「先人への感謝の想いを大切にし、後世の信楽焼人にこの想いを伝える」ために2010年に建てたもの。正面は長石と云う陶土や釉薬の元になる石をそのままで約1250℃で焼成したもので、周りのタイルは信楽で取れた陶土を用い、それぞれの窯元がそれぞれの色合いを施釉・焼成したもの。<br /><br />階段を数段上がって境内に入ると左手に手水舎(表紙の写真)や由緒の碑(下の写真)が並ぶ。境内中央の奥には能舞台様式の神楽殿(舞殿)がある。この前にも信楽焼の狛犬がある。そして、その奥が拝殿と本殿。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り、外壁は柱のみの吹き放し。奥の本殿が1663年に再建されたもので、流造銅板葺き、正面1間唐破風向拝付き。神門(中門)は切妻、銅板葺き、一間一戸。<br /><br />神楽殿の右手に陶器製の太鼓とニワトリ。戦時中に神馬像が金属として徴収されてしまい、戦後中国故事に倣い平和を願うものとして置かれたもの。その奥には多羅葉伝説碑。多羅葉の木(たらようのき)は現在の葉書の語源になった木。葉の裏を尖ったもので書くと字が書けることから、紙の代わりに用いられていた。境内に植えられている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4740588342677819&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />ひいろ壺坂散策に続く

滋賀 信楽 新宮神社(Shingu Shrine, Shigaraki, Shiga, JP)

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2020/10/02 - 2020/10/02

233位(同エリア243件中)

旅行記グループ 信楽

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月2日(金)午後の3時半過ぎ、2時間半ちょっと前にろくろ坂散策をスタートしたところにある新宮神社に戻って来る。スタート時には、ろくろ坂の途中でお昼を食べる積もりで神社参拝は後回しにしていたので、改めて参拝する。

この神社は奈良時代の715年の創建。信楽町の長野、神山、江田、小川地区の氏神として尊び崇られ、新宮大明神と呼ばれた。近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等に篤く信仰され、代々当社に境内神領などの寄進があった。鎌倉幕府滅亡後の南北朝の戦いの兵火で1336年に焼失して再建された。

現在の本殿は、江戸時代に入って1663年に大風の為大破していたのを再建したもの。明治になり村社となり、大正に入って神饌幣帛料供進神社に指定された、1915年(大正4年)には、長野字西出と宇川東の2箇所に山神社として大山津見神を祀られていたのを、当社に合祀。1924年(大正13年)に「郷社」に昇格。現在は紫香楽一乃宮として篤く崇敬されいる。

毎年7月終わりに、陶器づくりにはもちろん、生活や文化に欠かせない火への感謝と、火に関わる安全を願って、江戸時代より前から行われているしがらき火まつりでは、奉納される約700本の松明が新宮神社から、信楽陶芸村から見えた愛宕山にある愛宕・秋葉・陶器神社まで運ばれる。朝ドラ「スカーレット」ではしがらき火まつりのロケがここ新宮神社で行われた。

信楽駅からまっすぐ続く道が旧国道に突き当たった先、東南東向きに建つ立派な石造りの鳥居を挟んでいる狛犬はなんと信楽焼。さすが、信楽と感心する。また、鳥居の横に建つ柿は神鈴柿と呼ばれる御神霊木で樹齢300年とのこと。さらに写真に写ってないが、その隣には昭和天皇御製の歌碑もある。刻まれている歌は、信楽焼の狸を有名にした「幼なとき集めしからに懐かしもしがらき焼の狸をみれば」と云う歌。1980年に還暦を迎えられた町内の有志が建立されたもので、京都の八坂神社で宮司を務められた故鈴木日出年氏の筆になるもの。

鳥居から玉砂利の参道を進むと、左手に信楽陶器記念モニュメントがある。信楽陶器工業協同組合の青年部会が「先人への感謝の想いを大切にし、後世の信楽焼人にこの想いを伝える」ために2010年に建てたもの。正面は長石と云う陶土や釉薬の元になる石をそのままで約1250℃で焼成したもので、周りのタイルは信楽で取れた陶土を用い、それぞれの窯元がそれぞれの色合いを施釉・焼成したもの。

階段を数段上がって境内に入ると左手に手水舎(表紙の写真)や由緒の碑(下の写真)が並ぶ。境内中央の奥には能舞台様式の神楽殿(舞殿)がある。この前にも信楽焼の狛犬がある。そして、その奥が拝殿と本殿。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り、外壁は柱のみの吹き放し。奥の本殿が1663年に再建されたもので、流造銅板葺き、正面1間唐破風向拝付き。神門(中門)は切妻、銅板葺き、一間一戸。

神楽殿の右手に陶器製の太鼓とニワトリ。戦時中に神馬像が金属として徴収されてしまい、戦後中国故事に倣い平和を願うものとして置かれたもの。その奥には多羅葉伝説碑。多羅葉の木(たらようのき)は現在の葉書の語源になった木。葉の裏を尖ったもので書くと字が書けることから、紙の代わりに用いられていた。境内に植えられている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4740588342677819&type=1&l=223fe1adec


ひいろ壺坂散策に続く

  • 新宮神社由緒の碑

    新宮神社由緒の碑

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