2020/11/15 - 2020/11/15
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たびたびさん
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三日目の今日もレンタカーの旅の続き。足を延ばして、大内宿から田島の市街ほか南会津を回ります。
ところで、一日目、二日目で会津が南東北のへそだったことに言及しましたが、会津の領地(藩地)は実はかなり変動しています。芦名氏が支配していた頃は80万石くらい。蒲生氏郷が入った時は40万石で、その後加増等で90万石。上杉景勝は、米沢領30万石や佐渡も含めて120万石。関ヶ原の戦いの後の蒲生秀行は60万石です。まあこの辺りまではなんとか納得感があるのですが、子がないことで改易された蒲生家の後の加藤家は40万石。保科正之が入ったのはとうとう23万石しかありません。蒲生氏郷の時代を基準とすると、二本松藩や福島藩が分離されたのは分かるんですが、加藤家の時代の40万石との差でも大きいのであんまり釈然としないんですよね。ちなみに、今回訪ねた南会津は南山御蔵入領という幕府の直轄領。面積としては会津地方の半分を占めるのに5万石ほどの領地なんですが、これももしかしたらその差の一部なのかもしれません。
以上、少しごちゃごちゃしましたが、いずれにしても会津若松を中心とする会津と田島を中心とする南会津は別の世界ということ。そこに気付かされたのがちょっとした収穫だったと思います。
そして、今日の旅の最後。会津若松に戻ってから訪れた會津藩校日新館と祈りの里会津村は、なんというか途方もない施設。ちょっとあっけにとられるようなところがありましたが、ふと、もしかしたらこうした事業を通じて会津戦争の歴史を乗り越えたり、その傷がそれなりに癒されたのではないかという考えに至ると、なんだか静かな感動が湧いてきました。会津観光の定番としてあまり認知されてはいないと思いますが、意外に会津観光のもうひとつのメモリアルな場所だったような気がします。
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東山温泉を出発して南会津に向かう前に、会津若松市街のマイナースポットをいくつか。
ちょっとごちゃごちゃした路地を入って。
恵倫寺は、天正18年(1590年)に会津城主となった蒲生氏郷が父、蒲生賢秀の菩提を弔うために創建した寺。 -
ただ、会津戦争で伽藍は焼失したため、
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本堂は大正時代、山門も平成10年に再建されたもののようです。
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それでも、元城主ゆかりの寺。しっかり威厳のある雰囲気は残しているように感じました。境内に詳しい縁起の説明版があります。
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こちらの建福寺は、会津藩初代藩主保科正之ゆかりの寺。正之が城主として移封してきた際、従ってきた信州高遠の保科家菩提寺、建福興国禅寺の鉄舟禅師が正之の養祖父、保科正直、養父保科正の位牌を持して開山した寺。ただ、門からして粗末だし、今ではちょっと荒れた感じ。
一方で、境内の古木のシダレザクラが有名。季節じゃないのでよく分かりませんが、美しい花を咲かせるようです。 -
最後、三つ目の善龍寺も、保科正之ゆかりの寺。保科家の元祖、筑前守正則の霊を守る保科家の菩提所です。見どころのひとつが山門。寛政9年(1797年)の建立で、竜宮造りという特徴あるスタイル。しかし、白い漆喰とか痛みは少ないし、そんなに古い感じはしませんね。
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あとは、奈与竹の碑と西郷頼母夫妻の墓というのも見どころなんですよね。
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奈与竹の碑は、善龍寺の本堂隣り奥。
戦の足手まといにならないようにと一族で自決した家老西郷頼母の妻千重子。彼女の詠んだ「なよたけの風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」の辞世の句から奈与竹の碑。碑には戊辰戦争で亡くなった233名の会津藩の婦人の名も刻まれていて、飯盛山の会津藩殉難烈婦の碑とともに、戊辰戦争のもうひとつの悲劇を今に伝えています。 -
さらに先のこちらは、西郷頼母 夫妻の墓 (二十一人の墓)。戊辰戦争の際、西郷邸において一族で自決した西郷頼母の家族、婦女子の墓。ちょっと墓の位置は乱れていて分かりにくくなっていますが、一帯に固まってある墓石がそうなのでしょう。ご冥福を祈りたいと思います。
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ここから国道121号線を南下して大内宿を目指しますが、
途中、いきなり現れる谷に臨んだ巨大なホテルは、芦ノ牧温泉の大川荘。なかなかの景観ですね。 -
ここで、大川ダムにも寄ってみます。阿賀川を遡って。
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しばらく行くと若郷湖公園。
大川ダム、若郷湖のすぐそばに整備された児童遊具も備えた公園です。きれいによく整備されてはいるのですが、ただ、そこからは大川ダムも若郷湖も見えにくいので、なんかここにある意味があんまり感じられないなあ。離れている方が安全なのかもしれませんが、ちょっともったいないような気もします。 -
で、これが大川ダム。
ダムの型式は、重力式コンクリートダムとロックフィルダムが複合したコンバインダム。ダムの高さは75.0m。それなりに大きな規模ですが、ダムの上を走る道路が広いし開けた場所にあるので、そこまでの威圧感はないかな。むしろダムに比べるとダム湖の方が立派で見ごたえありでしょう。 -
イチオシ
で、これが大川ダムのダム湖。しかし、なぜか名前は大川湖ではなくて若郷湖。紛らわしいですよね。ここまで来る途中の川沿いの崖と紅葉の取り合わせも見事でしたが、大川ダムの周辺も見晴らしがよくてやっぱりこちらが上ですよね。青い湖面が美しいし、奥の方まで続いていて、とっても広々。ダムの上からとダムの管理事務所の方からと眺めましたが、管理事務所からの方が視界は広いと思います。
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国道121号線から分かれて、どんどん山の方へ。
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大内宿に到着です。
一度来たことはあるのですが、何年前のことだったかなあ。まあ、そんな何度も来るようなところではないと思うんですが、妹との旅であればここも外せないですよね。 -
はいはい。
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このかやぶき屋根がきれいに並んだ眺めの美しさは、たぶん日本一でしょうね。
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イチオシ
かやの刈込が完璧。少しの狂いもないですからね。
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通りの両側にはさらさらと小川が流れて、これも街の清潔さが保たれる所以かと思います。
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中ほどに建つ鳥居は、高倉神社の参道入り口。ここは後で訪ねます。
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さらに奥に進んで。
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イチオシ
これが一番奥の浅沼食堂。今日はここでそばを食べる予定にしていますが、まだ開いてないので取りあえず、場所をチェックしただけです。
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通りを振り返るとこんな感じ。まだ、人影はまばらです。
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ここから、例の見晴らし台に上ります。
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子安観音を過ぎて、少し先。
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イチオシ
ポスターとかでもお馴染みの風景ですよね。
大内宿に来たら、これは見ておかないとやっぱり話しになりません。
ただ、観光スポットってポスターで見るのと実際に見た印象は違うというのがよくあることなんですが、ここはその差があんまりない。こんなにないのも逆に少ないかもしれませんね。 -
見晴らし台からの帰りの正法寺。さっきの石段じゃない方のルートを降りてくると途中にある寺です。
創建は室町時代後期の天正3年(1575年)の古刹ですが、今は無住かな。銀杏の色づいた黄色の葉っぱが境内を覆っていました。会津戦争の際は、新政府軍の兵糧役場兼救護所として使われたということです。 -
ここから通りのお店を少し丁寧に回ってみます。
奥の方から順番に回りますよ~
叶屋本家は、どうでしょう。もしかしたら大内宿一番の人気店かな。 -
お漬物を中心に販売していて、
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イチオシ
何種類もの漬物の試食の大盤振る舞いがすごいですね。そして、この漬物がめちゃめちゃうまい。これを食べてしまうと誰しも買いたくなるでしょう。お店イチオシの昆布でとろとろに粘りのある漬物を買いましたが、妹は大満足で、私も鼻が高かったです。
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ほか、座敷の売り場の方では蔓の籠なんかもけっこう充実しています。
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山形屋は、大内宿町並み展示館のはす向かい。
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そばのお店でもありますが、軒先には醤油煎餅がずらり。割煎にんにく、割煎ソースとかちょっとおんなじような煎餅が並んでいますが、お得な「ぬれかりソフト」がお勧め。歯ごたえもサクサクして、醤油味がいい。何でもない煎餅かと思いましたが、マジでうまいです。
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松葉屋は、食堂というより会津塗のお店ですね。
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日常で使うようなリーズナブルな食器類が多いです。品数も豊富だし、やっぱり専門店ぽいところがいいかな。会津塗はいいものはキリがないし、ちょこっと試しに買ってみるなら、こういうところかなと思います。
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通りの奥に構える大内宿町並み展示館。
大内宿の中では唯一の資料館で、大内宿本陣跡の場所に当時の本陣を復元したもの。入ると大きな土間と囲炉裏の板間があって、食器や生活用具の類が展示されています。 -
味処みなとやは、
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しんごろうというご飯を半殺しにした五平餅みたいなのが名物で、それをいただきました。味噌がたっぷり塗られて、なるほど香ばしく焼いてあるのは、五平餅と一緒ですね。ただ、まあるい形なのでご飯の部分がもう少しちゃんと味わえるのかな。ただ、その分、ちょっと素朴。意外にインパクトは弱いような気がします。
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そば処こめやでは、栃餅をいただきました。
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イチオシ
お皿に乗った二つの栃餅はけっこう大きくて食べ応えあり。そして、どろんとした餡子もさらさらッと掛けたきなこもどっちもいい。ちょっと高めかなと思いましたが、これを食べない手はないでしょう。こめやの栃餅。大内宿では必ず食べたいひと品だと思います。
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大内宿 山本屋は、くるみそばというのが名物のようですが、
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そばは浅沼食堂を予定しているので、
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いただいたのはじゅうねん味噌の焼だんご。
会津若松や喜多方でもおいしい味噌田楽があって、ここでも味噌の味わいにもう少しパンチがあるのを期待したんですが、まあそこそこかな。お餅に少し甘みが付けてあるのがむしろマイナスになっているような気もします。 -
さて、時間が来たので改めて浅沼食堂へ。今回、大内宿のねぎのそばをどこで食べるかかなり迷っていたのですが、ネットでいろいろ調べて評判のよいこちらにしたんですよね。
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玄関から上がって、大広間へ。
こういうところは、この悠々とした空間もごちそうですよね。 -
サッシの窓越しに大内宿の通りを眺めるロケーション。これもいいじゃないですか。
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やっぱり、結果は大正解でしたよね。
そばの出汁は少し甘めだけど、すっきりしていて、素直なおいしさ。ねぎがまっすぐなのも食べやすいと思います。
ちなみに、前回来た時には、別の人気店で「曲がったねぎにそばを引っ掛けて」みたいなことを言われましたが、うまくできずにかえってフラストレーションがたまりました。ここでは、単純。なあんだという感じです。 -
では、もう少し続けます。
茶房やまだ屋は、大内宿の表通りからだと「山田屋」ですね。軒先には、ハチミツや小豆のお菓子やとち餅など。そういう意味だとここもお土産物のお店のひとつなんですが、ちょっとこだわりがある系のものが多いように感じました。 -
玉木屋は、本郷焼のお店です。お客さんはあんまりいないですね。
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松本屋は、蕎麦がメインではあるのですが、表通りに向かっては縁側にいろんな商品を置いたお土産屋さんの構えです。天然ハチミツをメインにしていますが、七味トウガラシやあかべこ、天神さんの置物まで。ほのぼの系のお土産です。
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では、ここから高倉神社に向かいます。大内宿の街並からは少し離れた場所なんですよね。
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ちなみに、この神社は、平氏を討てという以仁王の令旨で知られる以仁王を祀る神社。
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こんもりした山の上にあって、杉木立の中に続く石段の参道を上っていきます。
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本殿もまあまあ立派。傷んだ感じもないですね。帰りにふと気が付きましたが、離れたところから本殿を拝むと真後ろに大きな杉の木が一本。本殿を後ろで支えているかのような大木で、ちょっと絵になっているなと思います。わかりますか?
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また、メインストリートに戻ってきて。
分家えびす屋は、お菓子類だけじゃなくて、 -
なんだかんだと品揃えが多いお土産物屋さん。その分、活気がありますよね。
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ちょっとよさげなお椀があって、雰囲気でお土産に買ってみましたが、
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ただ、持って帰って改めて見直すとやっぱりチープな感じは否めない。まあ、あくまでお土産物のレベルかなと思います。
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脇本陣富屋は、服や帽子なんかも置いていて、センスの良さをウリにしている感じです。
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南仙院は、ソフトクリームが気になりますね。
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400円とちょっと高めでしたが、いやいや、これはなかなかのソフトクリームですよ~。ミルクの濃厚なおいしさはちょっとインパクトあり。目立たないお店ですが、かなりお勧めです。
さて、大内宿はこんなところでしょうか。 -
大内宿の駐車場に戻って。前後しましたが、その敷地の一角にある大内宿観光協会。入口の近くのトイレと同じ建物です。
ただ、駐車場の奥の方に車を停めると入口の方には帰ってこないでそのまま大内宿に向かうことになるので、この観光案内所には気付かない人も多いかも。私も最後にトイレに行かなかったら、見逃していたと思います。 -
大内宿から会津田島祇園会館に向かいます。塔のへつりもありますけど、それはそこまでのものではないので、今回はパスですね。
ただ、目についた倉村まんじゅうは、塔のへつりの近く。国道121号線の下郷町物産館の通りを挟んだはす向かいです。駐車場もしっかりあるし、白い漆喰のいい感じのお店なんですが、なぜか声を掛けても返事がない。 -
仕方なく、下郷町物産館の方を訪ねてみると、
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ここのお菓子がいくつか置いてありました。
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蕎麦饅頭をいただきましたが、すっきりと甘い餡子がけっこう印象的。これは老舗の味かなと思います。
ちなみに、下郷町物産館は道の駅ではないですが、駐車場も広いし、この辺りではそれに準じる位置づけかな。 -
笹屋皆川製菓 (倉村まんじゅう)の蕎麦饅頭以外だと、大内宿でもありましたがじゅうねん味噌とかこんなところがお勧めです。
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南会津の中心、田島の市街にやってきました。会津若松から大内宿や塔のへつりまでは来ても、なかなかここまで足を延ばす観光客は少ないかもしれませんね。
で、一番の目当てがこの会津田島祇園会館。
800年の伝統を誇る国指定重要無形民俗文化財「会津田島祇園祭」を紹介する施設なんですよね。 -
奥の有料ゾーンに入ると、
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いきなり花嫁姿の女性が供え物を持って練り歩く「七行器(ななほかい)行列」の人形展示。
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この行列が、会津田島祇園祭の華。だけど、まあ、花嫁さんを主役に持って来るってかなり変わっています。
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メインステージには子供歌舞伎を演じる巨大な神輿も。
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豪華な彫り物に
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ゆったりした舞台の付いた見事な神輿ですよね。
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ただ、やっぱり祭りの圧巻は、何といっても花嫁姿で参加する大勢の女性たち。
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その花嫁衣装や
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花嫁姿の女性たちのスナップ写真は、見ているとこちらにも楽しさが伝わってくるような。変わっているけど、なんとも平和で嬉しさが溢れる祭りかなと思います。
コロナじゃなかったら本物の方を見たかったところなんですが、今はここまでしか無理ですよね。 -
イチオシ
続いては、比較的近くの旧南会津郡役所。明治18年に建てられた擬洋風建築で、現在地には昭和45年に移築されました。赤い屋根に薄い青は、正直ちょっと違和感がなくはないですが、まあこれも美的センスのひとつなのかな。
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内部は歩くとギシギシ音が出ますが、創建当時の郡長室はさすがに立派。
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赤いカーテンの窓から光が入ってくる中で、
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当時ぴかぴかの建物に、ちょっとふんぞり返っていたお歴々の様子を想像したりしました。
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と、一室に「南山御蔵入騒動」という農民一揆の紙芝居的な展示がありましたが、ここまで詳しく伝えるのはどういうことなんでしょうね。大きな事件ではあったのでしょうが、どういう受け止めをしたらいいんでしょうか。一般的に幕府の直轄領ではあまり騒動はなかったはずなんですが、それだけ自然条件が厳しい地域だったということもあるのかもしれません。
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最後に二階の大広間も確認しておしまいです。
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奥会津博物館は、会津田島の市街地からは少し離れた場所。ちょっと不便かもしれません。
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奥会津というか南会津というかは、同じ会津でも会津若松を中心とする会津藩領とは違って、こちらは南山御蔵入という幕府の直轄領だったんですね。
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文化や気風なんかも違うのかどうか分かりませんが、歴史的にははっきりとした違いがあることを知って少し驚きました。
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先ほどちょっと触れましたが、直轄領は概して年貢の負担が軽かったりしておっとりとした気風になることが多いようですが、どうだったんでしょうね。まあ、そこまでの情報はありませんでしたが、この型紙とかも含めてそれなりの産業基盤があったことも想像に難くない。
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ちょっと新鮮な感じを受けました。
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地図で見ても、会津と南会津。同じくらいですよね。
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豪商の存在に
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これは雅楽みたいな衣装ですけど、やっぱりそれなりですからね。
ということで、南会津はこれで終了。 -
会津若松に向けて、ひたすら帰ります。
ただ、来る時も気になっていた牛乳屋食堂。会津若松から大内宿に向けて行く道の中間あたりにあるんですが、知る人ぞ知るのすごい人気のお店です。とても入れないだろうと思いながらもちょこっと寄ってみましたが、確かに、たくさんの人が行列待ち。本当にすごいです。 -
一方で、向かいの売店ではソフトクリームがあって、
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それをいただいてみました。人気店に恥じないオーソドックスだけど手堅い味わい。なんかお店のポリシーが少し想像できたように思います。
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ところで、急いで帰ってきたのは、会津若松の郊外にある二つの施設にどうしても行きたかったから。
まずは、會津藩校日新館。
こちらは、会津藩の藩校だった日新館を完全復元した施設ですが、駐車場から -
門へ上がる石段のところからいきなり素晴らしいスケール感。地元の精力を注ぎこんだ本格的な施設であることがこの瞬間から分かりますね。
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石段をふうふう言いながら上がり切って南門、
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イチオシ
さらにこの厳めしい
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戟門を抜けると
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回廊に囲まれた広場。その正面は孔子を祀る大成殿です。
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脇に玄関があって、
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そこから内部へ。
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畳の大広間に
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歴代藩主の紹介とか。
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そして、大成殿では孔子像です。
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改めて、外に出て奥に向かうと、弓道場、
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武道場に水練場まで。
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これらすべてが当時の姿で、今でもそのまま使えそうな感じじゃないですか。会津の精神を未来に残そうという強い思いを感じました。
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続いては、祈りの里 会津村。会津慈母大観音と六万坪の大庭園が織りなす、これもちょっと空前絶後の施設ですね。二条城の門を模したという門をくぐって
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中に入ると、左手には高さ57mの大観音像。
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下から見上げると本当にはるかな高さですが、
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ここまでの大きさなのにむしろ不思議なくらいバランスとかに乱れたところがない。とにかく、ひたすらに美しいですねえ。
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そこから大庭園の方にゆっくりと下って行きますが、石垣のドウダンツツジが真っ赤。
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庭園に降りると赤い橋を渡って芝生の広場へ。
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奥に建つのは本堂と呼ばれる建物です。
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中は、入口すぐにちょっとした仏間ですね。
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イチオシ
そして、圧巻はそこから振り返っての眺め。仏画で山越阿弥陀というのがありますが、まさにあの場面を思い浮かべる姿。
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このスケール感と圧倒的な美しさは中途半端な思いでは実現できないもの。やっぱり、これも会津の心なのかなあ。ただただ唖然とするしかない眺めです。
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帰りはまた山の上の入口に戻っていくのですが、途中途中にはこの三重塔や
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磐梯山をバックにした観音像のショットなんかも拝めて、飽きることがない。
まったく、予想もしていない素晴らしい施設でした。
會津藩校日新館も祈りの里 会津村も、ちょっとやそっとの気持ちではできるはずのない施設。やっぱり、その背景には会津戦争を戦った会津の人々の熱い思いがなければ、こうはならなかったように思います。白虎隊を始めとする会津戦争の悲劇は広く知られたことですが、例えば、会津戦争の後、会津藩側の戦死者は反逆者として弔うことすら許されず、路上に放置されて無残な姿をさらしたといった今では考えられない事実はどうでしょう。想像以上の屈辱が会津の人々の心に長く深い傷となっていたのではないかと思います。ただ、そのことを乗り越えたがゆえに、また、だからこそこうした素晴らしい施設となって結実したのかも。ふとそんな考えに至ったら、静かな感動が湧いてきました。
これで会津若松のいい締めになったように思います。 -
後は、市街中心部に帰ります。
で、その途中。どら焼のどらやは、会津若松市街の北。バイパス沿いのお店です。ネットでもかなりの高評価だったので、寄ってみました。 -
これは餡子に生クリームを添えたタイプのどら焼きですね。そうするとどら焼きって、かなりおいしくなるんですが、ただ、ここのどら焼きは、それをまた一つ突き抜けているかな。かなりおいしい。皮のふっくら感も餡子のつやのある甘さも。。ちょっと完璧に近い。なにげにすごいどら焼きに出会ったような気がしました。
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これは、またその少し先の大塚山古墳。大塚山の山頂にある全長114mの前方後円墳。福島県内2番目の大きさで国の史跡ともなっています。
大通りからこの山全体は見えるんですけどねえ。しかし、ピンポイントでその古墳に辿りつこうとするとすると道がはっきりしない。行ったり来たりしながら結局、その道を見つけることができませんでした。看板みたいなのもないし、ちょっとやっかいです。 -
レンタカーを返す前に、晩飯です。
料理旅館 田事は、会津若松の郷土料理のコースをいただきました。 -
玄関から奥に入って。
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囲炉裏端の黒漆塗りのテーブルの部屋の通されたところでまずはちょっといい気分。
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そこに順番にお料理が運ばれてきます。にしんとかの小皿から始まって、
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イチオシ
例のこづゆやシラスのわっぱ飯。
さすが人気店。じんわりうまさが染みてきて、会津に来ている幸せを感じます。なにげにじゃが芋バター焼き甘味噌なんかも極上のうまさですよね。一番軽いコースにしたのですが、まあこれでも十分。
なお、一番豪華なコースだと事前の予約が必要です。 -
会津若松から、このまま喜多方に移動して。
今夜の宿は、ガーデンホテル喜多方。 -
明日は、旅の最後。喜多方を回って、四日間の旅は終了です。
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この旅行記へのコメント (2)
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