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武甲山と河口湖の富士山   1969年3月<br />Mt.Buko &amp; Mt.Fuji  from Lake Kawaguchiko<br /> ───────────────────────────<br />はじめに<br />私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。<br />アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)<br />https://4travel.jp/travelogue/10583150<br />最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。<br />大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)<br />また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。<br /><br />モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。<br />しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。<br />平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。<br />現代用語:終活(笑い)<br />   ───────────────────────────<br />昭和の記録公開について<br />令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。<br />1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。<br />写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)<br />公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。<br />もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。<br />ここまではシリーズ共通の前文とする。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br />───────────────────────────<br />シリーズ昭和の記録No.30 秩父、河口湖、狭山湖、平林寺<br /><br />シリーズ昭和の記録の最終は最後の段階となり、いくつかの項目を複数まとめて編集した。その2<br /><br />1. 正丸峠  1968.12 <br />2. 冬の平林寺 1968.12<br />3. 平林寺撮影会 1969.2.15<br />4. 河口湖、富士山、狭山湖 1969.3<br />5. 狭山湖の桜<br />6. 三峰山、秩父 1969.4.19<br /><br />撮影<br />CANON FT FL50mm F1.4<br />NEOPAN SS(FUJI FILM) ASA=ISO 100<br />ネガフィルムをGT-F740でスキャンした画像の大きさ 約3000×2100<br /> ───────────────────────────<br />編集者自己紹介(シリーズ共通)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !<br />シニア写真愛好家のyamada423です。<br />一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。<br /><br /><略歴>  <br />大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。<br />写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。<br />月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。<br />1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。<br />自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職<br />4トラベル会員登録 2010年5月21日<br /><br />ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。<br />http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/<br /><br />おねがい<br />50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。<br /><br />投稿 2020.10.22  9:30<br />

シリーズ昭和の記録No.30 秩父、河口湖、狭山湖、平林寺

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1968/12/01 - 1969/04/19

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yamada423

yamada423さん

武甲山と河口湖の富士山   1969年3月
Mt.Buko & Mt.Fuji from Lake Kawaguchiko
 ───────────────────────────
はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。

モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
   ───────────────────────────
昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
───────────────────────────
シリーズ昭和の記録No.30 秩父、河口湖、狭山湖、平林寺

シリーズ昭和の記録の最終は最後の段階となり、いくつかの項目を複数まとめて編集した。その2

1. 正丸峠  1968.12
2. 冬の平林寺 1968.12
3. 平林寺撮影会 1969.2.15
4. 河口湖、富士山、狭山湖 1969.3
5. 狭山湖の桜
6. 三峰山、秩父 1969.4.19

撮影
CANON FT FL50mm F1.4
NEOPAN SS(FUJI FILM) ASA=ISO 100
ネガフィルムをGT-F740でスキャンした画像の大きさ 約3000×2100
 ───────────────────────────
編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。

<略歴>  
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日

ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/

おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。

投稿 2020.10.22 9:30

  • 1. 正丸峠 1968.12<br />正丸峠から望む武甲山(山頂および北側斜面の大規模採掘前の山容)<br /><br />明治期より漆喰やセメントの原料として石灰岩が採掘され、特に戦後の復興のためのセメント需要に対応して大規模な採掘が行われてきた。<br />山頂までも爆破されて標高が大きく変化し、1900年(明治33年)の測量で1,336mであったものが2002年(平成14年)の測量で1,304mとなった。<br /><br />北側斜面の採掘により山容(外観)が大きく変わり、間近に見ると採掘跡が階段状になり、植林された木々が育っているのがわかる。<br /><br />武甲山 2020年2月28日(金)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/65/25/91/src_65259137.jpg?1583403354<br />昔から石灰岩の採石場で、北の斜面はかなり削られてしまいました。<br />石灰岩はセメントの原料となり戦後の国土の復興に寄与した歴史があります。<br />写真掲載旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11605167<br />

    1. 正丸峠 1968.12
    正丸峠から望む武甲山(山頂および北側斜面の大規模採掘前の山容)

    明治期より漆喰やセメントの原料として石灰岩が採掘され、特に戦後の復興のためのセメント需要に対応して大規模な採掘が行われてきた。
    山頂までも爆破されて標高が大きく変化し、1900年(明治33年)の測量で1,336mであったものが2002年(平成14年)の測量で1,304mとなった。

    北側斜面の採掘により山容(外観)が大きく変わり、間近に見ると採掘跡が階段状になり、植林された木々が育っているのがわかる。

    武甲山 2020年2月28日(金)
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/65/25/91/src_65259137.jpg?1583403354
    昔から石灰岩の採石場で、北の斜面はかなり削られてしまいました。
    石灰岩はセメントの原料となり戦後の国土の復興に寄与した歴史があります。
    写真掲載旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11605167

  • 「武甲山頂 海抜1336m」の標識は倒れかけていた。 1961年夏

    「武甲山頂 海抜1336m」の標識は倒れかけていた。 1961年夏

  • 横瀬村根古屋からの武甲登山道の途中にあった大杉

    横瀬村根古屋からの武甲登山道の途中にあった大杉

  • 銀色に輝くススキの穂

    銀色に輝くススキの穂

  • 陽だまりハイキング

    陽だまりハイキング

  • 秩父の山並み

    秩父の山並み

  • ホンダの軽乗用車N360T

    ホンダの軽乗用車N360T

  • 2. 冬の平林寺 1968.12<br />

    2. 冬の平林寺 1968.12

  • 平林寺の山門  凌雲閣<br /><br />築350年の風格を湛える平林寺のシンボルです。江戸時代前期、平林寺が岩槻から移転された際に、現在の地に移築されました。<br /> 県指定有形文化財(建造物)<br /><br />野火止平林寺公式サイト<br />http://www.heirinji.or.jp/about/<br />http://www.heirinji.or.jp/about/keidai.html

    平林寺の山門  凌雲閣

    築350年の風格を湛える平林寺のシンボルです。江戸時代前期、平林寺が岩槻から移転された際に、現在の地に移築されました。
    県指定有形文化財(建造物)

    野火止平林寺公式サイト
    http://www.heirinji.or.jp/about/
    http://www.heirinji.or.jp/about/keidai.html

  • 戴渓堂(たいけいどう)<br /><br />日本に書法・篆刻を伝えた独立性易(どくりゅうしょうえき)禅師を祀ります。独立禅師は、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師と共に第4代将軍徳川家綱謁見のため、長崎から江戸に随行。その際、当時の老中松平信綱は独立禅師を厚遇しました。<br />http://www.heirinji.or.jp/about/keidai.html

    戴渓堂(たいけいどう)

    日本に書法・篆刻を伝えた独立性易(どくりゅうしょうえき)禅師を祀ります。独立禅師は、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師と共に第4代将軍徳川家綱謁見のため、長崎から江戸に随行。その際、当時の老中松平信綱は独立禅師を厚遇しました。
    http://www.heirinji.or.jp/about/keidai.html

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 中門(なかもん)<br /><br />総門をそのまま小さくしたような造り。山門、仏殿、中門の4棟は総門から一直線上に配されています。<br /> 県指定有形文化財(建造物)。<br /> 非公開、通年閉門。<br />

    中門(なかもん)

    総門をそのまま小さくしたような造り。山門、仏殿、中門の4棟は総門から一直線上に配されています。
    県指定有形文化財(建造物)。
    非公開、通年閉門。

  • 本堂<br /><br />本尊の釈迦如来坐像をはじめ、達磨大師坐像等が祀られています。現本堂は、江戸末期の火災で庫裡と共に焼失した旧堂に近い形で、明治期に再建されたものです。<br /> 非公開。<br />

    本堂

    本尊の釈迦如来坐像をはじめ、達磨大師坐像等が祀られています。現本堂は、江戸末期の火災で庫裡と共に焼失した旧堂に近い形で、明治期に再建されたものです。
    非公開。

  • 鐘楼の鐘

    鐘楼の鐘

  • 放生池

    放生池

  • 平林寺境内林の松林

    平林寺境内林の松林

  • 平林寺境内林の雑木林

    平林寺境内林の雑木林

  • 雑木林

    雑木林

  • 雑木林

    雑木林

  • 雑木林のススキ

    雑木林のススキ

  • 3. 平林寺撮影会 1969.2.15<br />

    3. 平林寺撮影会 1969.2.15

  • 4. 河口湖、富士山、狭山湖 1969.3<br /><br />五合目から上は雪に覆われた富士山<br />ほとんど雲がない真っ青な空を背景に山肌が細部まで見える。<br /><br />天気がよい日を選んで川越から国道16号で八王子、開通した直後の中央自動車道で河口湖まで行った。<br /><br />中央自動車道 年表 Wikipedia<br />1967年(昭和42年) 12月2日 : 調布IC - 八王子IC工事完了<br />                              12月15日 : 調布IC - 八王子IC開通<br />1968年(昭和43年) 12月20日 : 八王子IC - 相模湖IC開通<br />1969年(昭和44年) 3月17日 : 相模湖IC - 河口湖IC開通

    4. 河口湖、富士山、狭山湖 1969.3

    五合目から上は雪に覆われた富士山
    ほとんど雲がない真っ青な空を背景に山肌が細部まで見える。

    天気がよい日を選んで川越から国道16号で八王子、開通した直後の中央自動車道で河口湖まで行った。

    中央自動車道 年表 Wikipedia
    1967年(昭和42年) 12月2日 : 調布IC - 八王子IC工事完了
    12月15日 : 調布IC - 八王子IC開通
    1968年(昭和43年) 12月20日 : 八王子IC - 相模湖IC開通
    1969年(昭和44年) 3月17日 : 相模湖IC - 河口湖IC開通

  • 手前の町並みは富士吉田市と思われるがはっきりした記録がない。

    手前の町並みは富士吉田市と思われるがはっきりした記録がない。

  • 河口湖から望む富士山  表紙写真(下)の元画像

    河口湖から望む富士山  表紙写真(下)の元画像

  • N360Tと富士山

    N360Tと富士山

  • 車名はペイントで追記したものです。

    車名はペイントで追記したものです。

  • 中央自動車道のバス停で撮りました。

    中央自動車道のバス停で撮りました。

  • 開通直後の中央自動車道<br /><br />1969年(昭和44年) 3月17日 : 相模湖IC ー 河口湖IC開通

    開通直後の中央自動車道

    1969年(昭和44年) 3月17日 : 相模湖IC ー 河口湖IC開通

  • 5.狭山湖の桜    1969年3月末     

    5.狭山湖の桜 1969年3月末   

  • 狭山湖(山口貯水池)<br /><br />狭山湖は10年ほど前は私のサイクリングコースの途中の休憩所の一つでした。<br />小手指二丁目から狭山湖、多摩湖一周して同じコースを戻る27キロのコースで、休憩を入れて2時間のコースです。<br />当時の様子をまとめたブログの一部<br />小さな旅 狭山湖・多摩湖の輪道の春 2011<br />https://4travel.jp/travelogue/10548934<br />狭山湖の入り日と富士と三日月 (45分間の入り日ショー)<br />https://4travel.jp/travelogue/10523299<br />狭山湖・多摩湖の秋景色<br />https://4travel.jp/travelogue/10518807<br />

    狭山湖(山口貯水池)

    狭山湖は10年ほど前は私のサイクリングコースの途中の休憩所の一つでした。
    小手指二丁目から狭山湖、多摩湖一周して同じコースを戻る27キロのコースで、休憩を入れて2時間のコースです。
    当時の様子をまとめたブログの一部
    小さな旅 狭山湖・多摩湖の輪道の春 2011
    https://4travel.jp/travelogue/10548934
    狭山湖の入り日と富士と三日月 (45分間の入り日ショー)
    https://4travel.jp/travelogue/10523299
    狭山湖・多摩湖の秋景色
    https://4travel.jp/travelogue/10518807

  • 花見

    花見

  • 狭山湖堰堤(えんてい)

    狭山湖堰堤(えんてい)

  • 6. 三峰山、秩父 1969.4.19<br /><br />残雪が残る秩父湖周辺へのドライブ

    6. 三峰山、秩父 1969.4.19

    残雪が残る秩父湖周辺へのドライブ

  • 桜が満開でした。

    桜が満開でした。

  • 二瀬ダム<br />秩父湖から流れ出る荒川に設けられたダム<br />https://www.pref.saitama.lg.jp/a1001/doboku-sansaku/futasedam.html

    二瀬ダム
    秩父湖から流れ出る荒川に設けられたダム
    https://www.pref.saitama.lg.jp/a1001/doboku-sansaku/futasedam.html

  • 秩父湖

    秩父湖

  • N360T

    N360T

  • 白バイ隊

    白バイ隊

  • パッチワークのように変化の富んだ山並み

    パッチワークのように変化の富んだ山並み

  • 三峰観光有料道路ゲート   13:50

    三峰観光有料道路ゲート   13:50

  • 西側から見た武甲山と思うが、確信はない。<br /><br />Googlemapsで調べたがこのヴューは見つからなかった。

    西側から見た武甲山と思うが、確信はない。

    Googlemapsで調べたがこのヴューは見つからなかった。

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