1967/11/03 - 1968/10/10
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yamada423さん
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9:50時点で176回のアクセスがあり、私の旅行記(ブログ)の6月のアクセス回数順で1位となりました。(14日 254回)
組織的な閲覧が要因と考えられますが、関係者からのコメントがあれば参考になりますので、掲示板等へお願いします。
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1968年10月10日(昭和43年)
16機編隊飛行
マグダネルF-4CファントムⅡ戦闘機
現在であればドローン編隊が珍しくありませんが、50年以上も前によくぞやったと感心します。
参考:百里基地航空祭のファントム
https://www.youtube.com/watch?v=NDuqm-ydPeE
令和3年度 入間航空祭の中止について
平素から、航空自衛隊入間基地へのご理解誠にありがとうございます。
令和3年度の入間航空祭は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、「中止」と致します。
「今年こそは航空祭を!」という皆様の強い思いを大変感じておりますが、入間基地所属隊員も同じ思いであります。再び入間航空祭でお会いできる日を隊員一同願っております。
令和3年7月30日 航空自衛隊入間基地
https://www.mod.go.jp/asdf/iruma/airshow/index.html
令和2年に続き今年も入間航空際が中止となるのは残念ですが、コロナ感染者の減少傾向が見え始めたので、来年の開催を期待します。
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。
モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
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昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.28 入間基地航空祭
1967年11月3日(昭和42年)および1968年10月10日(昭和43年)
今から50年以上前の1960年(昭和35年)ごろ、今の航空自衛隊入間基地は米軍管理下でジョンソン基地と呼ばれており、毎年5月の第3土曜日の三軍記念日には基地内が一般公開され見学ができた。学校の帰りにカバンを自宅の最寄り駅である南大塚駅に預け、隣の入間川駅(現狭山市駅)から歩いて20分ほどのジョンソン基地まで見学に行った。
現在の航空祭のような盛りだくさんのイベントではないが、航空機の展示のほかに格納庫内での緊急脱出装置の実演、住宅エリアの集会場で見たローラースケートなどが印象に残っている。
1963年(昭和38年)に基地の一部が日本に返還され、飛行場地区の管理運用が米軍から航空自衛隊に変更となった。(基地の正式名称も入間基地となったのかどうかは不明)
今回の写真は1967年11月と1968年10月の入間基地航空祭をまとめたもので航空機の展示、飛行展示のほかにモデルの撮影会なども含まれる。
駐機場に展示された機種名は説明ボードがあるのでわかるが、飛行展示は案内放送があったとしても記録することはなかった。
最近の航空際で特に関心の高いブルーインパルスの曲技飛行は当時もあった。飛行を終えて戻ってくる飛行士を1人ずつ乗せたオープンカーは本田技研狭山工場で生産していたスポーツカーS600で、社員としては誇らしかった。基地面積の約90%を占める狭山市の支援の一環と思う。
今回編集していて気づいた16機の編隊飛行は覚えていないが、戦争中の米軍機による爆撃を目撃した人には衝撃的だったのではないか。
当時の航空際はそれほど人気のイベントではなく、見学者の人数も現在よりはるかに少ない感じだった。そのためかどうかわからないがモデルの撮影会なども行われた。
撮影
CANON FT FL50mm F1.4、FL28mm F3.5、FL200mm F3.5
NEOPAN SS(FUJI FILM) ASA=ISO 100
ネガフィルムをGT-F740でスキャンした画像の大きさ 約3000×2000
参考ウェブサイト<入間基地>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%96%93%E5%9F%BA%E5%9C%B0
<米軍三軍統合記念日 1965 横田基地>
https://apphg.web.fc2.com/yokota65/yokota65.html
ブルーインパルス60年の歴史
https://www.monoshop.co.jp/user_data/bi-denimshrit.php
●1960(昭和35)年3月4日、浜松北基地第1 航空団第1飛行隊所属のF-86F戦闘機5機による「フライバイチーム」として、第1回公式展示飛行を実施。
●1960年4月12日、空幕長命令によりアクロバットチーム「空中ブルーインパルス60年の歴史機動研究班」正式発足。
スタイリッシュ& ハイクオリティな “ 青 ” のこだわり !!
●1960年5月21日、ジョンソン基地(現入間)で開催された米3軍記念日で、初めて展示飛行を一般に披露するとともに発煙装置を初めて使用。
●1960年8月1日、「特別飛行研究班」に改称。前後して愛称「ブルーインパルス」を採用。
●1961(昭和36)年10月22日、浜松基地開庁3周年記念日の展示飛行で初めてカラースモークを使用。
●1964(昭和39)年10月10日、東京オリンピック開会式において国立競技場上空に5色のスモークで五輪マークを描く。
以下上記ウェブサイト参照
最近の入間基地航空祭
入間航空祭2017 Aviation Festival in Iruma Air Base/Japan Air Self Defence Force
https://4travel.jp/travelogue/11299271
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/29/92/src_11299271.jpg?updated_at=1573093370
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/51/24/69/src_51246932.jpg?1509883365
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
<略歴>
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日
ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。
投稿 2020.10.16 10:00
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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1967年11月3日
入間基地航空祭
ブルーインパルス 機体番号424
FL200mm F3.5 O1フィルター
NEOPAN SS ASA 100 -
機体番号414
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機体番号426
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機体番号428
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救助のデモンストレーション
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海上自衛隊 救難ヘリ
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ブルーインパルス BLUE IMPULSE
FL200mm F3.5 O1フィルター
NEOPAN SS ASA 100 -
ブルーインパルス
胴体が細く見えるのは側面が光って空の明るさと同化してしまったため。 -
曲技飛行を終えて着陸したブルーインパルス
FL200mm F3.5 -
ブルーインパルスの隊員を迎えに行くS600の列
先導車両の後部にFOLLOW MEと書かれている。 -
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S600で隊員を乗せたホンダの社員
狭山警察署の仮No.が付いている。 -
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地対空ミサイル
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FL28mm F3.5
NEOPAN SS -
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モデルの撮影会 1967.11.3
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男性モデルではありませんね。
青年yamada423
当時はまだカジュアルウェアは一般的ではなかったです。
1970年の大阪万博がカジュアルウェアの元年といわれています。 -
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T-1A 初鷹(練習機)
戦後初の国産ジェット機「T-1」(初鷹)初飛行から
50年周年 記念ページ
https://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/T-1/T1.html -
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1968年10月10日(昭和43年)
アメリカ軍の航空機
LTVF-8 クルセダー 戦闘機 -
ダグラスA-4
スカイホーク攻撃機 -
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マグダネル F-4C
ファントムⅡ戦闘機
F-4 ファントムII(McDonnel F-4 Phantom II)は、アメリカ合衆国のマクドネル・エアクラフト社(その後マクドネル・ダグラス社を経て、現在のボーイング社)が開発した艦上戦闘機である。アメリカ海軍をはじめ、多くの国の軍隊で採用された。愛称はファントムII(Phantom II)。
航空自衛隊主要装備 F-4EJ(改)
https://www.mod.go.jp/asdf/equipment/sentouki/F-4/index.html
F-4EJは、米空軍のF-4Eを改造した戦闘機で、日本での運用には不必要な装備を取り除き、データ・リンクを載せて要撃戦闘機タイプにしたものです。昭和56年度に生産は完了、その後、航空自衛隊の防空能力の向上・近代化の一環として、F-4EJの改修に着手しました。(F-4EJ(改))。そして、56年度から6年間、試改修・実用試験を行い、量産改修されました。 改修の主な内容は、レーダー、FCS(火器管制)システムの近代化、航法、通信能力の向上、搭載ミサイルの近代化、爆撃機能の向上などです。 -
ファントムⅡ
概要
1966年(昭和41年)に第2次F-XによりF-86Fの後継機種としてF-4Eを日本向けに改修したF-4EJを選定した。導入時の際の2機はマクドネル社セントルイス工場製の輸入、続く12機分は部品で輸入し三菱重工業でのノックダウン生産、それ以降を同社によるライセンス生産と決定した。加えて、1974年(昭和49年)よりRF-4Eを14機輸入しており、1981年(昭和56年)の生産終了までに日本が調達したF-4の総数は154機となる。また、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一となる。F-15Jが導入されるまで主力戦闘機として防空任務を担当した。
航空自衛隊:戦闘機F-4EJ/EJ改 2021年には全機退役する空自の歴史を支えた名機 F-4ファントムⅡ
https://motor-fan.jp/article/10014961 -
ファントムⅡのノーズ
参考
百里基地航空祭=退役間近のF4ファントムに注目
https://www.youtube.com/watch?v=NDuqm-ydPeE
現在の航空自衛隊主力戦闘機F-15Jイーグル(百里基地航空祭 2013)
https://www.youtube.com/watch?v=Ufn2SSGgUEw -
ダッソー「ミラージュ」F1戦闘機(実大模型)
フランスのダッソー社は、現在では戦闘機よりも三次元コンピューター設計システムCATIAがよく知られています。
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CATIA(キャティア)とは、ダッソー・システムズが開発したハイエンド3次元CADソフトシリーズである。名称はComputer graphics Aided Three dimensional Interactive Applicationの頭文字である。 Wikipedia -
ミラージュ
55年前(1965)の学生フランス工業視察団でダッソー社を訪問したときの記憶はよく覚えている。
https://4travel.jp/travelogue/10753546
<旅日記>1965年3月31日(水)
四時にマルセル・ダッソー社へ見学に出かけた。
見学したのはミラージュ戦闘機、ミステール輸送機(ジェット)などの最終組立であるが、ほとんど完成しているものを組み立てていつので内容はほとんど分からないが興味深いものであった。
ミラージュ?はマッハ2.2の速度を持つという。
工場の外で完成したミラージュ?のエンジンテストを行っていたが、その爆音はものすごいもので、思わず耳に手をあてるほどである。
またミラージュと思われる一機が空港上空でテスト飛行をやって見せており、そのスピードと迫力はまさに弾丸のごときすばらしさである。
工場見学を急いで終え、ボルドーのHOTEL DE VILLE(市役所)のレセプションに行った。シャンデリアの輝く見事な部屋で、今まで飲んだこともなかったほどうまい酒(ブドウ酒)をごちそうになった。
CHATEAU de Caussade(この夜のワインに一つ)
今日のボルドーは夏を思わせる太陽の強さと暑さで、これはボルドーでもきろくてきな(80年来)のものだそうである。おかげでサンテミリオンヘ行った時にはマロニエの葉が非常に美しく、スモモの花も満開であった。
Le Chateau de Caussadeボルドーの東40KmのTrelissacの北に位置する
http://www.ville-trelissac.fr/decouvrir/monuments/chateau-de-caussade.html
Chateau de Caussade関連写真集
http://www.google.co.jp/search?q=Le+ch%C3%A2teau+de+Caussade&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=76U2UdG5CYj-lAWWzYHYDw&sqi=2&ved=0CDoQsAQ&biw=1161&bih=636 -
ミラージュ
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輸送機
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ソ連アエロフロート ЯК-40
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小型ヘリコプター
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ソ連アエロフロートの二枚ローターのヘリコプター
CCCP :ソヴィエト社会主義共和国 -
ソ連アエロフロートの二枚ローターのヘリコプター
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アトランティック ブレゲー1150
ブレゲー アトランティック(Breguet Atlantic)は、フランスのブレゲー社によって開発された対潜哨戒機
要目
アトランティック1乗員:12名
全長:31.75 m
全幅:36.30 m
全高:11.33 m
翼面積:120.34 m2
空虚重量:25,000 kg
最大離陸重量:44,500 kg
エンジン:ロールス・ロイス タイン RTy.20 Mk 21 ターボプロップエンジン(4,549 kW) × 2
最大速度:658 km/h(最適高度)
巡航速度:556 km/h(高度7,500 m)
哨戒速度:315 km/h(最適高度)
航続距離:9,000 km
実用上昇限度:10,000 m
兵装:爆弾、機雷、誘導魚雷、エグゾセ対艦ミサイルなど最大3,500 kg
Wikipedia -
ブレゲー Br.1150 アトランティック 航空機ガイド
https://flyteam.jp/aircraft/breguet/br1150-atlantic -
双発セスナ
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ここからは飛行展示
機種の説明はありません(できません) -
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16機編隊が音もなくやって来た。
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次第に近づいてくる。
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見事に揃った編隊
実はこの編隊を見たことを覚えていなかった。
今回の編集過程で写真を見つけて、あまりの見事さに感動した。 -
飛び去る16機編隊
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参考
ブルーインパルス 入間基地航空祭2016 / Iruma Air Show 2016 in Japan - Blue Impulse (Aerobatics)
https://www.youtube.com/watch?v=ZKebEyrlzOk -
撮影に使用した一眼レフカメラ
CANON FT FL50mm F1.4
発売年月 1966年(昭和41年)3月
発売時価格 66,800円(FL58mm F1.2付き)
54,800円 (FL50mm F1.4 II付き)
* 外装を黒塗装処理したブラックは1,000円高。
ペリックスの発売後1年にして発売された、通常のクイック・リターンミラーを使用した絞り込みTTL測光機構搭載の35mm一眼レフカメラ。
ファインダーを構成するコンデンサーレンズを斜め45度に切断し、その断面の視野率で12%に相当する部分に蒸着を施してハーフミラー化、入射光をその面で反射させて、測光素子へと導く方式であった。
測光の操作は、ファインダー内に位置する定点に露出計の指針を合わせるゼロメソッド式で、測光素子までが焦点面と等価距離におかれているところから、ペリックスと同様の焦点面測光の特性を備えていた。
アクセサリーシューに装着して、マイナスEV3.5(23秒、F1.4)まで測れる低照度測光用のキヤノンブースターが、付属品として用意されていた。
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望遠レンズ
CANON FL200mm F3.5
発売年月 1966年(昭和41年)5月
発売時価格 29,500円
レンズ構成(群) 5
レンズ構成(枚) 7
絞り羽根枚数 8
最小絞り 22
最短撮影距離(m) 2.5
最大撮影倍率(倍) 0.095
フィルター径(mm) 58
最大径x長さ(mm)x(mm) 68 x 152.5
質 量(g) 680
出典:https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html
-
広角レンズ
CANON FL28mm F3.5
発売年月 1966年(昭和41年)12月
発売時価格 23,900円
レンズ構成(群) 7
レンズ構成(枚) 7
絞り羽根枚数 6
最小絞り 16
最短撮影距離(m) 0.4
最大撮影倍率(倍) 0.09
フィルター径(mm) 58
最大径x長さ(mm)x(mm) 65 x 40
質 量(g) 240
出典:https://global.canon/ja/c-museum/product/fl95.html -
おまけ
ブルーインパルス飛行展示(曲技飛行)2017年11月3日
CANON EOS40D EF-S55/250
P-mode
f/19
1/2000sec
ISO-1600
露出補正 -0.5
焦点距離 135mm
測光モード パターン(中央重点平均測光)
ホワイトバランス 太陽光
入間航空祭2017 Aviation Festival in Iruma Air Base/Japan Air Self Defence Force
https://4travel.jp/travelogue/11299271
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