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2020年9月15日(火)のお昼過ぎ、縣(あがた)神社から宇治川を渡り右岸に進む。まずは平等院の南側を東に歩き、平等院の表参道から続く道との合流を過ぎた信号で、宇治川方向に曲がると、左右に茶屋や旅館が並ぶ趣のある石畳の小道の先に赤い欄干の橋が見える。喜撰橋は明治45年(1912年)に架けられた宇治川左岸と中の島を結ぶ橋。中の島は宇治川の中州である塔の島と橘島の総称。<br /><br />宇治川は琵琶湖から流れ出る唯一の川である淀川の一部。一般的には京都府に入る辺りから大山崎で桂川、木津川と合流するまでの約25㎞を示す。上流部は瀬田川、三川合流以降は淀川と呼ばれる。古来、東南あるいは南方面からの京都進攻に対する格好の防衛線となっており、特に平安末期の源義仲と源範頼、源義経との戦いと鎌倉中期の後鳥羽上皇の承久の乱の戦いとが有名。下流の話だが、豊臣秀吉が大規模な治水工事を行い現在の流れに改修するまでは今は無くなった巨椋池に流れ込んでいた。<br /><br />中の島には現在は宇治川の両岸から3本の橋が架けられているが、喜撰橋が最初に架けられた。明治40年(1907年)頃に1756年の大洪水で倒壊水没していた浮島十三重石塔が川底から発見され塔の島に再建され、これを新たな観光名所にするための整備事業の一環として架けられた。今も橋を渡ったところに建つこの高さ15mの石塔は、鎌倉時代後期の1286年に奈良・西大寺の僧叡尊が魚の霊を供養するために造立したもので、現存する石塔としては日本最大かつ最古で、国の重文になっている。この塔が建っていることから島の名前は塔の島と名付けられたようだ。<br /><br />架橋当初の喜撰橋は欄干もない素朴な木造橋だったが、1953年の大洪水で流出後、数次の改修が施され、1968年にコンクリート橋となった。さらに、1984年の宇治川河川改修にともない、現在の姿となった。朱塗りの反り橋に擬宝珠や桁隠しを備えたその姿は、宇治ならではの歴史性と品格にふさわしい、情緒あふれる景観をかもし出している。橋名は、おそらく平安時代の六歌仙の一人である、喜撰法師に由来している。喜撰法師の「わが庵は都の辰巳しかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり」の一首は、小倉百人一首に選歌されて宇治の名を広く世に知らしめ、宇治茶の銘柄名としても喜撰の名が用いられるようになった。<br /><br />喜撰橋のたもとは宇治川鵜飼い舟の船着き場で、普通ならこの時期は観光客で賑わっているのだが、今年は閑散(下の写真1)。例年なら7月から9月の間に行われるのだが、今年(2020年)はコロナ禍で全面中止となってしまった。塔の島と橘島の間に架かる中の橋の手前に鵜飼いの鵜の檻があるが、今年はのんびりしてる。<br /><br />ちなみに鵜飼いで使われる鵜はカワウ(川鵜)でなく、ウミウ(海鵜)。基本的には河川や湖沼に暮らすのがカワウで、海に面した断崖や岩場のある海岸周辺に暮らすのがウミウなのだが、必ずしもそうでない場合も多く、素人には見分けは困難。宇治川の鵜飼いではここで卵から羽化したものはみんなウッティーと呼ばれ(下の写真2)、忽那汐里さん主演のNHKドラマ「鵜飼いに恋した夏」のモデルとも云われる女性鵜匠の澤木万理子さんと共に結構有名。私たちも5年ほど前に澤木さんのお話を聞いて、鵜飼いを見たことがある。<br /><br />中の橋を渡り橘島へ進む。橘島の名前は源氏物語第11帖の「花散里」で光源氏の詠んだ歌「橘の香をなつかしみほととぎす 花散る里をたづねてぞとふ」に因むものと思われる。この2つの島は1949年に左岸のよりみち公園と共に宇治公園として整備され、堤防沿いは桜の名所として知られ、4月上旬には宇治川桜まつりが開かれる。1960年からは宇治川花火大会も開かれ、多い時には22万人が訪れた京都府下最大の花火大会となっていたが、2014年に台風による増水で中止となり、その後も開催されることなく、2017年、見物客の安全対策に目途が立たないことを理由に正式に廃止された。うちも家族で2004年には見に行ったことがあるし、家の近くの木津川堤防から見ることも出来たので、残念・・・<br /><br />橘島から朝霧橋で右岸に渡る。中の島と両岸を結ぶ3本の橋で一番新しく1972年に完成した長さ74mの橋で、唯一右岸とを結ぶ。朱色の欄干と緑色の橋桁が色鮮やかな橋で、橋からの眺めも絶景。この日は快晴で、宇治川の流れもまた美しい。橋の名前は源氏物語第39帖「夕霧」に登場する夕霧に因んだものと思われるが、宇治十帖の話でもないので、真偽は不明。下流に宇治橋が見えるが、橘島と左岸を結ぶ橘橋も見える。1950年に架けられた橋。朝霧橋の東詰の北側には源氏物語宇治十帖モニュメントが建つ。匂宮が浮舟を抱いて小舟で漕ぎ出す有名な場面をモチーフにしている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4585904328146222&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />宇治川右岸探索に続く

京都 宇治 宇治公園(Uji Park. Uji, Kyoto, JP)

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2020/09/15 - 2020/09/15

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旅行記グループ 宇治

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年9月15日(火)のお昼過ぎ、縣(あがた)神社から宇治川を渡り右岸に進む。まずは平等院の南側を東に歩き、平等院の表参道から続く道との合流を過ぎた信号で、宇治川方向に曲がると、左右に茶屋や旅館が並ぶ趣のある石畳の小道の先に赤い欄干の橋が見える。喜撰橋は明治45年(1912年)に架けられた宇治川左岸と中の島を結ぶ橋。中の島は宇治川の中州である塔の島と橘島の総称。

宇治川は琵琶湖から流れ出る唯一の川である淀川の一部。一般的には京都府に入る辺りから大山崎で桂川、木津川と合流するまでの約25㎞を示す。上流部は瀬田川、三川合流以降は淀川と呼ばれる。古来、東南あるいは南方面からの京都進攻に対する格好の防衛線となっており、特に平安末期の源義仲と源範頼、源義経との戦いと鎌倉中期の後鳥羽上皇の承久の乱の戦いとが有名。下流の話だが、豊臣秀吉が大規模な治水工事を行い現在の流れに改修するまでは今は無くなった巨椋池に流れ込んでいた。

中の島には現在は宇治川の両岸から3本の橋が架けられているが、喜撰橋が最初に架けられた。明治40年(1907年)頃に1756年の大洪水で倒壊水没していた浮島十三重石塔が川底から発見され塔の島に再建され、これを新たな観光名所にするための整備事業の一環として架けられた。今も橋を渡ったところに建つこの高さ15mの石塔は、鎌倉時代後期の1286年に奈良・西大寺の僧叡尊が魚の霊を供養するために造立したもので、現存する石塔としては日本最大かつ最古で、国の重文になっている。この塔が建っていることから島の名前は塔の島と名付けられたようだ。

架橋当初の喜撰橋は欄干もない素朴な木造橋だったが、1953年の大洪水で流出後、数次の改修が施され、1968年にコンクリート橋となった。さらに、1984年の宇治川河川改修にともない、現在の姿となった。朱塗りの反り橋に擬宝珠や桁隠しを備えたその姿は、宇治ならではの歴史性と品格にふさわしい、情緒あふれる景観をかもし出している。橋名は、おそらく平安時代の六歌仙の一人である、喜撰法師に由来している。喜撰法師の「わが庵は都の辰巳しかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり」の一首は、小倉百人一首に選歌されて宇治の名を広く世に知らしめ、宇治茶の銘柄名としても喜撰の名が用いられるようになった。

喜撰橋のたもとは宇治川鵜飼い舟の船着き場で、普通ならこの時期は観光客で賑わっているのだが、今年は閑散(下の写真1)。例年なら7月から9月の間に行われるのだが、今年(2020年)はコロナ禍で全面中止となってしまった。塔の島と橘島の間に架かる中の橋の手前に鵜飼いの鵜の檻があるが、今年はのんびりしてる。

ちなみに鵜飼いで使われる鵜はカワウ(川鵜)でなく、ウミウ(海鵜)。基本的には河川や湖沼に暮らすのがカワウで、海に面した断崖や岩場のある海岸周辺に暮らすのがウミウなのだが、必ずしもそうでない場合も多く、素人には見分けは困難。宇治川の鵜飼いではここで卵から羽化したものはみんなウッティーと呼ばれ(下の写真2)、忽那汐里さん主演のNHKドラマ「鵜飼いに恋した夏」のモデルとも云われる女性鵜匠の澤木万理子さんと共に結構有名。私たちも5年ほど前に澤木さんのお話を聞いて、鵜飼いを見たことがある。

中の橋を渡り橘島へ進む。橘島の名前は源氏物語第11帖の「花散里」で光源氏の詠んだ歌「橘の香をなつかしみほととぎす 花散る里をたづねてぞとふ」に因むものと思われる。この2つの島は1949年に左岸のよりみち公園と共に宇治公園として整備され、堤防沿いは桜の名所として知られ、4月上旬には宇治川桜まつりが開かれる。1960年からは宇治川花火大会も開かれ、多い時には22万人が訪れた京都府下最大の花火大会となっていたが、2014年に台風による増水で中止となり、その後も開催されることなく、2017年、見物客の安全対策に目途が立たないことを理由に正式に廃止された。うちも家族で2004年には見に行ったことがあるし、家の近くの木津川堤防から見ることも出来たので、残念・・・

橘島から朝霧橋で右岸に渡る。中の島と両岸を結ぶ3本の橋で一番新しく1972年に完成した長さ74mの橋で、唯一右岸とを結ぶ。朱色の欄干と緑色の橋桁が色鮮やかな橋で、橋からの眺めも絶景。この日は快晴で、宇治川の流れもまた美しい。橋の名前は源氏物語第39帖「夕霧」に登場する夕霧に因んだものと思われるが、宇治十帖の話でもないので、真偽は不明。下流に宇治橋が見えるが、橘島と左岸を結ぶ橘橋も見える。1950年に架けられた橋。朝霧橋の東詰の北側には源氏物語宇治十帖モニュメントが建つ。匂宮が浮舟を抱いて小舟で漕ぎ出す有名な場面をモチーフにしている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4585904328146222&type=1&l=223fe1adec


宇治川右岸探索に続く

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  • 写真1 宇治川鵜飼い舟

    写真1 宇治川鵜飼い舟

  • 写真2 ウミウのウッティー

    写真2 ウミウのウッティー

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