2020/09/15 - 2020/09/15
1057位(同エリア1502件中)
ちふゆさん
2020年9月15日(火)のお昼過ぎ、宇治橋西詰の南側に建つ大きな石造りの鳥居を潜って南に向かう。この鳥居はこれから向かう縣(もしくは県;あがた)神社の一の鳥居。鳥居を抜ける道は滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線で、宇治川から瀬田川沿いを走り琵琶湖の出口、瀬田、南郷に通じており、車では何度か走ったことがあるが、歩くのは初めて。これまでここに来た時には、いつももう1本宇治川寄りの平等院表参道に向かってた。
縣神社は450mほど南にあるが、この間はあがた通りとも呼ばれ、宇治橋通りほどではないが、お茶の直売店や飲食店が並ぶ。そうした店(下の写真1、2)を見ながら数分歩くと左手に小さな神社がある。これが橋姫神社で、水神である瀬織津姫を祀っており、646年に宇治橋が架けられた際に、上流の櫻谷と呼ばれた地に祀られたのが始まりと云う。その後橋の中ほどに張り出して造営された三の間から宇治橋西詰に移されたが、1870年(明治3年)の洪水で流され、1906年(明治39年)に現在の場所に再建された。水運の神である住吉明神と並んで祀られている。
どこで買えるのか分からないが、閉まっている社務所に橋姫ちゃんグッツの案内がある(下の写真3)。この橋姫ちゃんにはこんな話がある。昔々、男に捨てられた京の都の公卿の娘が貴船神社へ7日間籠り、恨みを捧げたところ、「姿を変えて37日間、宇治川に浸かれ」との神託を受ける。娘は顔に朱を差し長い髪を5つに分けて角を作り、体に丹(たん;硫化水銀からなる赤色の鉱物)を塗って逆さの鉄輪を頭に乗せ、その鉄輪の足に火を燃やした姿で宇治川に浸り続けた。そして彼女は鬼女となり、自分を捨てた男やその女を次々と八つ裂きにしたそうだ。と云うことから縁切りの神様として有名になり、縁切り祈念にお参りする人が多いらしい。ああ、怖・・・
なお、「橋姫」は源氏物語第45帖のタイトルにもなっており、この巻から源氏物語最後の物語、宇治十帖が始まる。宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役となるのは光源氏の子供である薫と孫の匂宮。薫が宇治で隠居生活を送る父の腹違いの弟(叔父)の八の宮を訪ね、八の宮の二人の娘たちがひっそりと暮らしている所を垣間見、心焦がれたところから、宇治での悲恋が始まる。薫が八の宮に宛てて読んだ和歌、「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞ濡れぬる(宇治川のほとりに暮らす姫君の気持ちを思い、浅瀬を漕ぐ舟の雫に濡れるように、私は涙で袖を濡らしている)」からタイトルの橋姫が付けられた。11年ほど前に田辺聖子さんの新源氏物語を読んだが、さっぱ覚えてない・・・
この通りにもお茶の老舗の直売店が並ぶ。松坂翠松堂は1764年創業? 入江本店(丸宗)は1781年創業。松阪屋嘉八は1843年創業。いや、そうそうたるもんだね。写真はないが、他にも何軒かあるようだ。
あがた通りの南の突き当り、府道が左折で続く角に縣神社がある。この日行こうとした目的地の最初のもの。この神社は創建、変遷の詳細は不明だが、古くは古墳時代の大和政権下で、この地域の地主神として信仰を集めていた。
平安時代中期の1052年に関白藤原頼道によって平等院が建立されると、その裏鬼門を守る総鎮守社となり藤原氏の繁栄を祈誓した。宇治川右岸の宇治神社と宇治上神社の前身である宇治離宮明神も平等院の鎮守社で、これらの神社はほぼ一直線(南西から北東)に並んでいる。平等院が天台宗に属しており、平等院の総鎮守だった縣神社は滋賀大津の三井寺(園城寺)円満院の管理下にあったが、明治時代の神仏分離令により、独立した神社になった。
神社の名前の縣は県とも書くが、これは大和政権が管轄する行政区のことで、この地は政治と祭祀に重要な位置を占めていたところで、その守護神として祀られていたことから付けられたと云う説が有力。ちなみにここは栗隈県(くりくまあがた)だったらしいが、一部宇治県と書いている資料もある。
この他、この神社の祭神である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の別名である吾田津姫(あがたつひめ)から付けられたと云う説もある。木花開耶姫命は山の神である大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘で、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妃となり、火照命(ほでりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、火明命(ほのあかりのみこと)を産んだ。火の神と云われる女神で、富士山を始めとする全国の浅間神社はこの女神を祀っている。古事記、日本書紀の記紀神話に登場する女神の中の一神。家運隆盛と商売繁盛、一事一願成就、良縁、結婚、子授け、安産の守護神として信仰されている。
この神社は毎年6月5日から翌6日に行われる「暗闇の奇祭」とも呼ばれる縣祭で有名。この祭りは江戸時代に始まったと云われるが、現在のように梵天が渡御する形となり、盛大なものとなったのは近代以降のこと。午後11時頃、宇治神社の御旅所から、明かりが消された中を、梵天という依代を乗せた御輿と雌獅子・雄獅子の各御輿が男集に担がれ、縣神社まで渡御する。梵天は神が乗るものとされ、1600枚もの奉書紙を短冊状に切って束ねた御幣を青竹に挟みこんだ2mほどの球形で、重さは50kgある。縣神社では、神霊が梵天に移され、再び御旅所へ向かう。その後、梵天は縣神社に戻る遷幸祭が行われる。「響け!ユーフォニアム」にもこの祭りは登場している。
あがた通りに面して鳥居があるが、あがた通りの突き当りを平等院の方に曲がったところにある鳥居の方が、表参道となる。この鳥居の正面に建つのが1936年に建てられた拝殿。正面扉の上の彫刻は龍の頭部と胴部の一部が欠けているが、残る胴部と脚部の彫刻には躍動感がある。拝殿背後の本殿は、一間社流造、檜皮葺、千鳥唐破風で、江戸時代に再建されたもの。
お参りを終えて、境内右手の社務所(授与所)で、家運隆盛の御守を1個500円で購入(下の写真4)。反対側、境内左手には脇の鳥居の横に梵天奉安所と梵天のモニュメントが並ぶ。その隣には天満社(下の写真5)。さらにその隣に東位稲荷大明神。表参道を挟んである祖霊社は神社ゆかりの功労者をご祭神としてお祀りしている。
かって境内は縣の森と呼ばれ、巨木がうっそうと繁っていた。現在は樹齢500年以上と推定される椋の大木が残るのみ。この木は高さ26m、幹周り4.4mあり、1981年に宇治市の名木100選に選ばれている。写真を撮っていないが、椋の木と正面の鳥居との間にある手水舎の井戸は縣井と云われ、平安時代以来の歌枕で後鳥羽院や妙光寺内大臣家中納言の歌に詠まれている。
正面の鳥居に向かって右側にあるのは大幣殿(たいへいでん)。毎年6月8日に行われる大幣神事に使用する大幣が収められている。大幣神事は、別邸を平等院に改めた藤原頼通が、宇治で政務を取る際に、厄祓い、五穀豊穣、疫病退散を祈願したことが起源と云われ、伝承900年の古代日本の貴族的、民族的色の濃い神事で、宇治市の無形民俗文化財に指定されている。収めてある大幣を担ぎ、あがた通り、宇治橋通り、本町通りと移動し、縣神社に戻り、その後大幣をいっせいに引っ張ってあがた通りを走り抜け、この大幣に集まった厄と共に宇治川に投げ入れ、疫病を祓い宇治の街の静謐を願う。
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宇治公園から宇治川右岸に進むが続く
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