2012/09/26 - 2012/10/01
6位(同エリア7件中)
まさとしさん
9/21 東京(1900)~NZ90~ 機内
9/22 ~オークランド(900/1030)~ナンディ(1330) GATE 8
9/23 ナンディ GATE 8
9/24 ナンディ(500)~FJ231~タラワ(800) Fema Logde
9/25 タラワ Fema Logde
9/26 タラワ(1145)~ON005~ナウル(1300) Od-n Aiwo Hotel
9/27 ナウル Od-n Aiwo Hotel
9/28 ナウル(島一周) Od-n Aiwo Hotel
9/29 ナウル Od-n Aiwo Hotel
9/30 ナウル Od-n Aiwo Hotel
10/1 ナウル(815)~ON003~ナンディ(1115) Downtown BP
10/2 ナンディ(630)~スバ(700/920)~フナフティ(1140)Vailuatai Lodge
10/3 フナフティ Vailuatai Lodge
10/4 フナフティ(1225)~スバ(1445) TRAVEL INN
10/5 スバ~ナンディ Chang Motel
10/6 ナンディ(820)~IE709~ホニアラ(1020) Bulaia Backpackers
10/7 ホニアラ(戦争の記憶) Rock Heven Inn
10/8 ホニアラ Rock Heven Inn
10/9 ホニアラ(1200)~ポートビラ(1355) City Motel
10/10 ポートビラ(700)~タンナ(800) TREE TOP LODGE
10/11 タンナ TREE TOP LODGE
10/12 タンナ(1620)~ポートビラ(1700) City Lodge
10/13 ポートビラ(1330)~FJ260~ナンディ(1630) Sea Breeze Hotel
10/14 ナンディ(1445)~オークランド(1845) Traveller's International
10/15 オークランド(940)~東京(1650)
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心配なのはこれから向かうナウルはビザが必要だということ。公式情報としては事前にビザを取得しないといけないらしい。しかしビザは持っていない。日本にナウルの大使館があるわけもなく、ナウルビザを取得する方法はオーストラリアの領事館で取得するしかない。しかしオーストラリアに立ち寄っている時間などないのが普通だ。商用で行く人たちはナウルの入管に入国する旨を伝える電子メールを送り、返事をプリントすればビザの代わりになるような話も聞くがこの返信メールが戻ってこないようでこの方法は評判が悪い。なので先人たちの情報としては強行突入しかないとのこと。それに習って僕もビザなしで強行することにした。
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キリバス空港の簡素なチェックインカウンターで手続き。
第一関門がナウルへの便の搭乗手続きだが、チェックインの際ナウルのビザはあるのか聞かれドキッとした。でも僕はナウルからの出国用の航空券を見せて「ナウルで到着ビザがとれるから大丈夫だ」と適当なことを言ったら問題なく搭乗券が発券された。飛行機に乗ってしまえばこちらのものだ。乗る飛行機はブリスベン行きなのでキリバスに戻される心配はないし、ブリスベンに行かされることはもっとあり得ない。ナウルが面倒をみてくれるだろう。 -
一週間に一本のナウル経由ブリスベン行き。ちゃんと飛んでくるのか心配したが定刻通りに飛来してきた。
搭乗するのはナウル国籍のアワーエアという会社だ。しかしそのような機体は存在しないのか到着したのはオーストラリアのノーフォークエアの機体だ。B737-300と少し旧式の機体だ。一応ノーフォークエアに貸してもらったアワーエアという表示が機体に表示されている。
キリバスの出国税は20豪ドル(1600円)。最近航空券に含まれていることが多いので現金で徴収されるのは久々だ。タラワ空港にはエックス線の検査をする機械はないようで検査はすべて手作業だ。この国でテロの心配はないのだろうが盲点ではある。 -
11時45分発のナウル経由ブリスベン行き。搭乗口で待つ乗客は5人くらいしかいなかったのでナウルまでガラガラかと思っていた。
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いざ搭乗。
しかし到着した便は月に一度のマジュロ(マーシャル諸島)からの便だった。タラワで降りる乗客はほとんどいないなかったが、機内はほぼ満席だ。乗務員はナウル人のようで機内誌もアワーエアのものが置かれていた。タラワからナウルに向け離陸。 -
さらばキリバス・タラワ環礁。
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ナウルに着陸。ナウル空港のターミナルは南太平洋のローカルな空港にしては近代的で2階建てだ。かつて世界有数の富裕国だった名残だろうか。
ナウルはリン鉱石で栄え、ナウル人は働くことを忘れて生活し続けていた。労働はすべて周辺国からの出稼ぎ労働者によって支えられていた。今の中東の産油国に酷似している。しかしリン鉱石は20世紀末とうとう枯渇してしまった。それによって財政難になり労働者は去り、この国は働けない人たちだけが取り残された。天然資源で生計を立てている国が資源の枯渇によってどのような運命をたどるか。この国がいい見本になるような気がする。破綻したナウルは周辺国が支えようとはしているが、一度働くことをやめた人たちを元に戻すのは容易いことではない。でもこの国は周辺国同様南国らしく、危機感もなく気楽でのんびりしているようだ。
さてビザなしの強行入国だが、入国審査ではビザがないということでパスポートを預かられ、今日の4時に空港の前にある入管にくるように言われた。その際ビザ発給代が100豪ドル(8000円)必要とのこと。とりあえずもめることなくナウルに入国できた。
ナウルはバチカン、モナコに次いで世界で3番目に小さい国だ。そしてナウルには首都がない。島全体が首都であり、各地区に商業施設が分散しているためだ。一応政府機関の施設が入る建物がヤレン地区にあり、「首都はヤレン」とされることがある。市庁舎や金融機関などはアイウォ地区にあり、ここに僕が泊まろうとしているホテルがある。アイウォ地区に出ようと思ったが、公共の交通機関らしきものはない。 -
空港に迎えに来ていた地元の人の車にヒッチハイクさせてもらうことになった。飛行機が到着している時間帯は滑走路を横断する道路が閉鎖されていて滑走路の端を迂回しなくてはならず、歩くと結構大変だ。
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ちょうど乗ってきた飛行機がブリスベンに向け離陸するようで滑走路を横断する道路が閉鎖され足止めをくらう。
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屋根付きトラックがヒッチハイクさせてもらった車。
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離陸待ち。
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ナウルでは最安のアイウォ地区にあるアドゥン・アイウォホテルで車をおろしてもらった。ナウルにはホテルが二つしかなく、ここともう一つのメネンホテルしかない。メネンホテルはここより不便で値段も高いということで必然的に選択枠はここしかない。値段は高く1泊80豪ドル(6400円)だ。次のフライトまで5泊することになる。結構な出費になるが、覚悟の上だ。しかしホテルの設備はエアコンはあるもののシャワーは水のみ。
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何とも貧相だ。今まで6000円以上出して水シャワーだった宿はオランダ領アンティルのアルバ島以来だ。しかしアルバはもっと立派な建物だった。
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とりあえずここで次のフライトを待つことになる。
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ホテルの裏はこの国の産業を支えたリン鉱石の積出港の廃墟。
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周辺にも廃墟のような工場が多い。
午後4時に入管へパスポートを取りに向かった。すると銀行に行って振り込みはしてきたのかときかれ、そんな話は聞いてないと現金を渡そうとしたが受け取ってもらえず振り込み用紙を渡されアイウォのシビックセンターにある銀行に行くように言われた。たまたま手続きに来ていた中国人に銀行まで車で連れて行ってもらい助かった。また銀行は営業時間が4時までだったがすでに4時半を過ぎていたのに融通を利かせてくれ手続きを済ますことができた。 -
時間はたっぷりあるので明日でもよかったのだが、面倒な手続きが一瞬で終わりパスポートを受け取ることができた。ナウルでは中国人が多く、親近感が持て助かる。
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とりあえず中華のぶっかけ飯。4豪ドル(320円)
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国で一番にぎやかなアイウォ地区だが寂れた雰囲気だ。
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日が暮れると何もできなくなるのは周辺の国と同じだ。ホテルからはリンの採掘で栄えた名残である積出港が眺められ、廃墟が夕日に染まり美しい。
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【9月27日(木)】
ホテルのすぐ裏にある海岸沿いのカンティレバーと呼ばれる施設がある。貨物船にリン鉱石を積載するために使われる延長ブリッジだ。無機質で巨大な金属の建造物が並んでいる。二カ所あり南側は使われておらず廃墟になっていて産業遺産の趣だ。 -
工場の廃墟。
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北側は今でもかろうじて使われているようだが、かなり老朽化が進んでいる。
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向こうに見えるのは廃墟。
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港の一角にはかつてリン鉱石の運搬に使われていたトロッコの機関車が保存されていた。しかし風雨にさらされ保存状態はよくない。
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今日は天気も良さそうなのでナウルの島を徒歩で一周してみることにした。時計回りでアイウォ地区から北へ向かって歩き出した。一周4時間ほどで回れるらしい。
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途中かつてフィリピンやキリバスなどからの出稼ぎ労働者の住居が立ち並ぶ地区を通過した。今では出稼ぎ労働者は姿を消したが移住してきた中国人が住んでいたりする。
ナウルではレストランや商店はすべて中国人が経営している。値段はどこも同じような感じで地元民もテイクアウトで買っていく。なのでどこも比較的繁盛している。もはやナウル料理というものは存在しないようだ。 -
そのまま歩いて北上。青い海とココナツが立ち並ぶ海岸線が延々と続く。しかし時折野良犬に取り囲まれることがあるので棒で常に追い払う態勢が必要だ。教会。
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教会の前にはこの島に宣教師が初めて上陸したという記念碑が建っている。
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島の北端にこの国で一番大きいスーパーマーケットがある。ここまで比較的交通量が多く、ヒッチハイクもしやすいがここから先の島の反対側へ行く道はめっきり交通量が減る。
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ナウルの子供たち
しばらく歩いていると雲行きが怪しくなってきた。午後まで天気が持つかと思っていたが、すぐに雨が降りそうな気配だ。 -
ちょうど日本軍の塹壕跡を発見したところで来た道を戻ることにした。
雨がパラついてきたがなかなか車が通らない。雨宿りできる場所はすぐに見つからないので少し焦ったが、何とか北端のスーパーまで行くという車に乗せてもらうことができた。スーパーで再度別の車を拾いホテルまで戻ることができた。途中で結構雨に降られたがホテルがある島の西側はしばらくもっていた。しかし午後はずっと雨で外に出る気になれなくなった。
昼食はホテルの中華で焼きそば。ナウルでは鉱山資源に頼り商業漁業を放棄してしまった。なので鉱山が枯渇したあとも大規模な漁業は再開できていない状態だ。なので周辺国のように魚が安く手に入らず値段は豚や牛、鶏肉と同じような値段だ。でも特別高いと感じることもなくキリバスより安い印象だ。 -
夕方天気が回復してきたので貯水池がある内陸部のブアダ地区に行くことにした。津波が来たらこの先の高台に逃げろとの標識。
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途中リン鉱石の工場が半分廃墟だが一応稼働しているようだ。
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使われなくなった建物は屋根が抜け落ちている。
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ブアダ地区の貯水池。周辺は緑が豊かだ。
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ブアダ地区へ行く途中、鉱石の採掘現場があった。
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海岸沿いからみた稼働している工場。
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その後、島の南にあるメネンホテルへ行ってみた。ナウルにはマイクロバスや大型バスも見かけ、手を挙げれば停まってくれる。バスでもお金を払う必要はない。なのでナウルでは交通費が全くかからないのであまりお金が減らない。ホテルが高いことをのぞけば食費以外お金を使うことがない。
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マイクロバスに乗せてもらい、島の南東にあるメネンホテルにやってきた。周辺の環境は良さそうだが辺鄙な場所で一応通りを挟んだ向かいに中国人の商店兼レストランがあるが、それ以外の場所に外出するのは大変そうだ。
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ホテルは一応最高級ホテルらしく豪華な雰囲気で欧米人の客が多く目につく。値段は95A$とそんなに高くはない。しかし建物をよく見ると老朽化は激しく、そんなにいいホテルという感じはしない。
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夕食は昨日も行った滑走路の横の中華料理に行ってみた。昨日食べに行ったとき今度来た時はメニューにない刺身(Raw fish)を食べさせてやるとマスターにいわれたので言葉に甘えることにした。
わさびと醤油はあるらしい。刺身はキリバスで食べようとしたが品切れで食べずじまいで心残りだった。でもナウルでチャンスが巡ってきた。 -
注文したらマスターは車で近くの市場までマグロを買い出しに行ってしまった。どうやら店にはマグロは置いていないようで特注のようだ。しばらくしてマスターが戻ってきた。そしてその場でさばいてくれた。
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値段は10豪ドル(800円)。キリバスと同じ値段で量はかなり多い。ナウル滞在は長いのでまた来てもいいだろう。
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日が暮れると空港滑走路は地元の人の憩いの場となる。
飛行機は月曜と水曜にしか飛んでこないので普段はこのように解放されている。 -
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【9月28日(金)】
朝は昨日と同じ店で肉まんだ。中国人が肉まんを売っていて1個70セントと安く、朝食は量的にこれくらいがちょうどいい。 -
さてこれから昨日の島一周の続きだ。今日は徒歩は避け、ほとんどヒッチハイクで出回ろうと思う。少なくとも昨日雨に降られた島の北のアナバルまでは寄り道をせずに向かいたい。
ホテルの前で手を挙げたら島の北のアナバル付近に住んでいるという人の車をゲット。しかしこの車はフロントガラスがなく、かなりのポンコツだ。他の国だとボロくても盗難の心配があるからガラスはちゃんとついているのが普通だが、治安のいいナウルではこんな車でも普通に走っているからすごい。フロントガラスがないので雨が降ってきたら運転は中止するらしい。 -
今日は天気が安定してそうだ。
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海岸沿いを走行するトラック。
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車のおじさんは自分の家の近くということで詳しいのか、すべてのバンカー(塹壕)に案内してくれた。
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さらに自分の家を通り過ぎて大砲の残骸がある場所まで案内してくれた。
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岩の上の塹壕。
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最終的にリン鉱石の刺々しい海岸が広がるアニバレ海岸まで乗せていってくれた。
車を使うと島の一周もあっという間だ。ここまでくると昨日の夕方、南回りで訪問したメネンホテルはすぐそこだ。 -
ジョギングする欧米人の姿も。
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アニバレ海岸の塹壕。
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アニバレ海岸にはナマコがたくさんいる。
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アニバレ海岸の港は日本の援助で作られたらしいが船の姿はない。
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メネンホテル付近からバイクをヒッチしてアイウォ地区へ戻ってきた。あまり歩かなかったので昼前にはホテルに戻ってきてしまった。今日は天気は安定しているようだ。
昼食はホテルの食堂でワンタン麺を食べることにした。ナウルのワンタン麺は肉汁たっぷりのスープが使われうまい。パクチー入っていて値段は5ドル(400円)。 -
宿泊しているアイウォホテルの裏に砂浜がある。やることがなくなったらここですごそう。
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夕方、トロッコの積み出し施設の廃墟を見学しに向かった。
稼働している工場の丘の上にあり、今はトラックで運搬されているためトロッコの施設は廃屋となっている。 -
レールはそのまま残っており、レールの横は底が抜けていて運ばれてきたリン鉱石を下に落として工場までベルトコンベアで運ばれるようになっていたようだ。
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トロッコは島の中央部の貯蔵施設までつながっていたが、現在はトラックの運送に切り替わり、レールは残っていないようだ。
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積出港の廃墟。
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【9月29日(土)】
いよいよやることがなくなって来たので朝起きるのが遅くなる。実際時差3時間の修正が全くできておらず、未だ8時に起きると日本で5時に起きている感覚だ。
天気がいいのだが、暑すぎてむやみに外へ出る気にもなれない。
とりあえず近くの肉まん屋に朝ご飯を食べることにした。
肉まんは70セント(56円)。コーヒーは80セント(64円) -
土曜日の今日、シビックセンターの前を通ったらフリーマーケットが行われていた。
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昼過ぎまで部屋でだらだらしていたがこれではいけないと思い、洗濯をしたあと空港ターミナルの横の中華料理屋に行ってみた。空港横の中華は建物がナウルで一番立派な中華料理屋だ。
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この建物が中華料理屋。
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しかし昼過ぎで閉まっていたが中に入れてもらえた。とりあえずワンタン麺(6ドル/480円)を食べることにした。値段はほかの店より若干高いがエアコンが効いているので納得。
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ナウルで本来行くつもりがなかった島の中央部の現在の貯蔵施設に行くことにした。
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ヒッチハイクを重ね、現在の集積場がある島の中央部にきた。一帯はリン鉱石。標高はそれほどでもないので見晴らしはよくない。
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ここが現在の採掘貯蔵施設。
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かつてはここからトロッコでリン鉱石を搬出していたのだが、今はトラックで運ばれている。かつてのトロッコのレールははがされてしまったが、一部では残っている。
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またトロッコの車両も線路が敷かれていた道路沿いに無造作に放置されていた。
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トロッコの残骸と採掘所。
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線路は複線だったらしく線路の路盤に敷き詰めトラックが往来しているが、今ではそれほど搬出量は多くないようだ。
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これのなにやら車両の残骸か。
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工場と月 -
滑走路から見たココナツ林を背にした夕焼け。
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夜は滑走路の横の中華へ刺身を食べに行くことにした。
夕食の刺身。のりスープもつけることにした。 -
地元の人は刺身をご飯にのせ、塩をふって食べていた。
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【9月30日(日)】
ナウル最終日。さすがにやることがなくなってきた。今日は日曜日で店を閉めるところも多い。いつもの肉まん屋は日曜もやっているらしい行ってみた。 -
近くの教会では日曜礼拝が行われていて正装をしたナウル人が集まっていた。
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ホテルの下にある中華屋の赤ちゃん(10ヶ月)。 ホテルのレストランは営業している商店は全滅。交通量も少ないように感じる。仕事できている欧米人はホテルからでないのかいつもより多く見かける。
【10月1日(月)】
ナウル滞在6日目の朝。いよいよこの島を離れる日がやってきた。
8時15分の便なので6時にホテルを出ることにしたが、フロントには誰もいない。支払いは昨日済ませてあるので黙って出発することにした。ヒッチハイクで乗せてもらった車は空港ターミナルの横の中華料理屋の親父だったので遠回りしてもらう必要がなくてよかった。 -
朝焼けに染まる空港ターミナル。
チェックインをすませたあと空港横の中華料理で飲茶を食べることにした。この島は広東出身が多いので食事も広東系だ。 -
7時にブリスベンから飛行機が飛来してきた。
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機体はこの前と同じノーフォークエア。どうやらブリスベンからナウルまでは週1便でナンディとタラワへそれぞれ隔週運行というスケジュールになっているようだ。機体はこの一機しかないのだろう。それにしても不便きわまりない。
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搭乗口は母国へ帰る中国人がたくさんいてずいぶん騒がしい。3時間のフライトでフィジーのナンディに向け離陸、機内食はマッシュドポテトのビーフソース。
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やがてナンディーに着陸態勢。珊瑚礁の小島があちこちに見下ろせる。
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11時過ぎにフィジーのナンディに到着。
フィジーには1週間ぶりに戻ってきたことになる。飛行機が週1便の身動きがとれない孤島から戻ってくるとホッとする。
とはいえホッとできるのは今夜だけで明日からまた孤島へと旅立つことになる。
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