2008/09/13 - 2008/09/13
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blumentalさん
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観光5日目、ベルギーからオランダに戻ってまずはデン・ハーグを観た後、次はデルフトの観光です。アムステルダムやデン・ハーグのような都会ではなく、こんな街の方がオランダの街歩きを楽しむのに相応しい場所だと思いました。ついでに、風車が見たくなってライデンにも寄りました。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
9月08日(月) 11:05関空~16:20アムステルダム着(アムステルダム泊)
9月09日(火) アムステルダム(アントワープ泊)
9月10日(水) アントワープ、ブリュッセル(アントワープ泊)
9月11日(木) ゲント、ブルージュ、オステンド(アントワープ泊)
9月12日(金) ルクセンブルク、ナミュール(アントワープ泊)
9月13日(土) デン・ハーグ、
★ デルフト、ライデン(アムステルダム泊)
9月14日(日) アムステルダム、15:20アムステルダム発~(機内泊)
9月15日(月) 9:30関空着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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デン・ハーグの観光後、デン・ハーグ中央駅14:51発のSprinterで15:07デルフトに到着しました。駅舎はオランダらしい赤煉瓦の造りです。
まずは駅前のスタションス広場Stationspleinを渡って東に移動。 -
狭い路地を東に抜けると運河沿いのアウデ・デルフト通りOude Delftにでました。
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運河に架かる橋から北には旧教会Oude Kerkの塔が見えました。
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運河沿いに北に進んでいると。。。
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音楽隊のパレードに出くわしました。
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パレードは相当の人数で賑やか。見物人も多数。
今日は何か特別な日だったのかわかりませんが、思いがけずこのような催しに出会うとすごく得した気分になります。 -
旧教会に到着。高さ75mあるこの尖塔、地盤沈下のため垂直方向から2m傾いているそうです。
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教会の創設は1246年、おそらくデルフト最古の教会。尖塔は1325-50年の建造です。
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教会のチケットは新教会との共通チケットになっていました。
教会身廊。内陣には祭壇らしきものはありません。16世紀にプロテスタント改革派によって教会内部の装飾は破壊され、内陣にはオランダ海軍総督ピエット・ピーターソン・ハイン(1577-1629)の墓碑があります。 -
側廊(翼廊だったか?)のステンドグラス。
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パイプオルガン。ピカピカしているので新しいのかと思ったら、1857年製。
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ヨハネス・フェルメールの墓碑がありました。彼がこの教会の下に眠っているのは確かでしょうが、果たしてこの場所かどうかは怪しいですね。彼が亡くなった時(1675年)はフェルメール家にはお金がなく、墓石なんか作ることはできなかったはず。
この墓碑はすごく新しいと思ったら、何と昨年(2007年1月)設置されたものでした。 -
旧教会の南東側から。
次は教会の東側の運河沿いのヒッポリトゥスブールト通りHippolytusbuurtを南に向かいます。 -
少し歩くと運河の東側に市庁舎Stadhuisがあります。何か異なる2種の建物がドッキングした感じです。写真は南西側から。
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市庁舎の南側です。
1618-20年ヘンドリック・デ・カイゼルがルネサンス様式で建設。後ろの塔は1300年頃の建築で牢獄として使われていました。 -
市庁舎の東側はマルクト広場Marktです。広場の東側にはゴシック様式の新教会Nieuwe Kerkがそびえています。創建は1351年、塔は1496年に完成(1872年、現在の姿に改修)。
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塔の高さは109m。オランダではユトレヒトのドム塔(112m)に次いで2番目の高さですが、こちらの方がずっと格好よくそびえているって感じがします。色も4色揃って美しいですね。
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教会の前に立つ像はフーゴー・グロティウス(1583-1645)。国際法の父はこの教会に眠っていらっしゃいます。
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教会の身廊。
プロテスタントの教会なんで祭壇画などありませんが、壁や柱が清楚に感じられます。天井は木製でしょうか。 -
こちらは入り口側。
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パイプオルガン(1839年製造)。
この教会には代々オラニエ・ナッサウ家(歴代オランダ王室)の人々が葬られています。 -
内陣にはオラニエ公ウィレム1世(オランダ独立国家の初代君主)の霊廟があります。
スペイン軍への反乱を起こした彼は、1584年スペイン軍の刺客によってデルフトで暗殺されました。オラニエ・ナッサウ家の人々は代々ブレダにある教会に埋葬されていましたが、当時ブレダはスペイン軍に支配されていたため、殺された町にあった新教会に埋葬されました。以後、オラニエ家代々の墓はここに。 -
ウィレム1世は、先ほどデン・ハーグのプレイン広場でもお会いしましたね。この霊廟は市庁舎と同様ヘンドリック・デ・カイゼルの作です(1623年作)。
それにしても、この像がチョコレート製に見えて仕方ありません(昨日までベルギーの店先でチョコばかり眺めていたせいでしょうか)。 -
新教会の南側です。結構奥行きがあります。
これから教会の東側にある運河沿いのオーストエインデ通りOosteindeを南東に向かいます。 -
運河沿いに500mほど歩いたでしょうか。振り返ると北西の方向に新教会の尖塔。
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オーストエインデ通りの突き当りには東門Oostpoortがあります。
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イチオシ
東門は、デルフト旧市街の東端に位置します。
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デルフトもかつては外壁で囲まれた街だったようで、他の門は19世紀に壊され、東門は現存する唯一の門です(15世紀の建造)。
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単に門というだけでなく両側の塔も形いいですね。重量感ある煉瓦造りです。
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東門を抜けると白い跳ね橋があります。
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橋の南側からの風景。結構、人が行き来していますね。
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イチオシ
東門に戻り運河沿いを西にデルフト駅に向かいます。駅と旧教会と東門で正三角形になる位置関係です。
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デルフト駅に戻ってきました。明日は帰国日、風車のひとつくらいは見て帰ろうと思い、ライデンに寄ることにしました。
17:24デルフト発のICでライデンに17:45到着。 -
ライデン駅です。先ほどのデルフト駅とは全く雰囲気が違います。
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駅前から南に伸びるスタションス通りStationswegを進みます。大学の街だけあって学生が多いです。
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すぐに運河。橋の東側にはデ・ファルク風車Molen De Valk。
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周りは公園で、市民の憩いの場になっているようです。今18:00ですが、今日は土曜日、結構な人がいました。噴水があるのは池ではなくて運河の一部です。
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イチオシ
デ・ファルクは、1743年に建てられた塔式風車で、1964年までは実際に稼働していたようです。今は博物館です。
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今度は逆側、南西方向に伸びる1eビネンフェストグラハト通り1e Binnenvestgrachtを進みます。民族学博物館の横を通り過ぎると。。。
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モルス門Morspoortがあります(1611年建造)。
中世にいくつかあったライデンの市門も、今はこれを含め2つしか残っていません。モルス門はライデンの町の西端に位置しています。 -
さらに通りを南に行くとレンブラント橋があります。
橋の東側、ガルゲーワーテル運河Galgewaterの風景です。左手にはたくさんの帆船、右手の水上には小屋(家?)が並んでいます。 -
運河の北側でひときわ目につくのはこの建物。階段状破風の屋根に加え、鎧戸も綺麗ですね。こんなのをオランダ的と思ってしまいます。1612年建築の大工工房Stadstimmerwerfだそうです。
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橋の東側からボートが。橋の上からカメラを構えると、一斉に手を振ってくれました。
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イチオシ
今渡ったのがこのレンブラント橋Rembrandtbrugです。白い跳ね橋です。西側には黒いデ・プット風車。
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運河南側のレンブラント公園から眺めています。跳ね橋と風車を並べて撮れるフォトスポットですが、薄暗いのが残念。
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レンブラント橋は1817年に解体されましたが、1983年に跳ね橋として復元されました。現在は、船が通る時に橋の中央が上がる事はないそうです。
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デ・プット風車Molen de Put。元は13世紀の最も古い型の木製風車でしたが、これはレプリカですから動きません。
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運河の南側にあるレンブラント公園Rembrandtplein。公園中央にはレンブラントを見る少年像。
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レンブラント公園の東側には「レンブラントの生家」があります。といっても現在はアパートとなっており、一般の人が生活しています。
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「レンブラント・ファン・レインは1606年7月15日にここで誕生」。彼は1631年にアムステルダムに移り住むまでの25年間、ここで暮らしました。
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運河沿いのガルゲワーテル通りを東に移動。対岸の風景、帆船が並んでいます。
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橋の所で右折、ラペンブルク通りRapenburgを南へ。こちらにも運河が広がります。向こうに見える尖塔はライデン大学本部Academiegebouwです。
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通りに面してシーボルトハウスSieboldhuisがあります。今18:30、閉まっていて当然ですね。
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シーボルト旧邸宅、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは1832-38年にここに住んでいました。
ドイツ人の彼は1823-28年までオランダ人と偽って日本に滞在。ドイツ訛りのオランダ語をオランダの山地出身だからと言って騙していました。オランダに山がないことを当時の日本人は誰も知らなかったようです。 -
ラペンブルク通りを右折し、グルーンハーゼングラハト通りGroenhazengrachtを西に進むと運河に面してライデン大学の校門があります。ここは大学の北東の角にあたります。
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校舎なのか宿舎なのかかわかないままキャンパスをうろうろ。
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オランダで最も古い歴史をもつライデン大学Universiteit Leiden、1575年ウィレム1世によって創設。グロティウスもシーボルトも通っていました。
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広いキャンパスのド真ん中、運河が南北に流れ、学生たちはボートを楽しんでいました。
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こんな大学うらやましい。
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さて、ライデンの1時間の街歩きを終えて駅に戻ってきました。
19:00ライデン発のICでアムステルダムに向かいます。途中、車窓から見えた飛行機。あーあ、明日は帰国かと思いつつ、19:36アムステルダム中央駅着。
(再びアムステルダム)https://4travel.jp/travelogue/11645680
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