2020/08/22 - 2020/08/23
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myopiaさん
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今回も東北地方近場の旅。
岩手県はずいぶん昔に平泉にちょっと立ち寄った程度。
残った青春18きっぷの消化もかねて、のんびり在来線で遠野、盛岡、平泉を巡ることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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岩手旅行2日目。
今日は少し早起きして盛岡を散策。
先ずは盛岡城へ向かいました。盛岡城跡公園(岩手公園) 名所・史跡
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盛岡城は櫻山神社を除くと建築物はほぼ失われていますが、よく整備された公園としてのんびり散歩するにはちょうどいい感じ。
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天然の堀として利用されていたであろう中津川の堤防にはところどころにベンチが設置してありゆっくり川の景色を楽しむこともできます。
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岩手銀行旧本店
盛岡城の周りには古い建築物等も残っていて、ぶらぶら散策するのも楽しい。岩手銀行赤レンガ館 名所・史跡
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紺屋町番屋
大正期に作られた消防団の詰め所。
さすがに老朽化が進み現在は使用されていない様子です。紺屋町番屋 名所・史跡
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石割桜
盛岡地方裁判所の敷地内にあります。
巨石の割れ目から生えている桜の木。
なるほど面白い。石割桜 花見
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マリオス
電車の乗車時刻まで少し時間があったので寄ってみました。
盛岡駅からマリオスまでは高架橋で接続されていて迷うことなくスムーズに移動できます。東口の賑わいに比べ西口は無機質なビルと駐車場だけで殺風景。マリオス展望室 名所・史跡
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マリオスの最上階が展望室として開放されています。
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当日は曇り空で展望室からは残念ながら山々を一望というわけにはいきませんでしたが、盛岡の街並みや北上川とその支流を望むことができました。
さてそろそろ時間。平泉へ向かうことにします。 -
平泉駅に到着。
先ずは昼食。平泉駅 駅
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駅前芭蕉館
平泉駅を出るとすぐ目の前にあります。
日曜日の昼11時半ごろ訪問するとすぐに案内されましたが、12時を過ぎるころには満席になり予約のない方は断られていました。
わんこ蕎麦を頂こうとメニューの写真を見ると12椀乗ったプレートの2段重ね。
いくら1椀の量が少ないとはいえ24椀は多すぎかと少し迷いましたが挑戦してみることにしました。駅前芭蕉館 グルメ・レストラン
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平泉の給仕のつかないわんこ蕎麦は「盛り出し式わんこそば」といって区別されているようですが、こちらの方が気楽は気楽。いろいろな薬味を試しながらのんびりいただきます。
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わんこ蕎麦をいただいたのは初めてですが、蕎麦は二八でやや柔らか目、蕎麦つゆは薄味で出雲の割子蕎麦のつゆに近い感じ。割子蕎麦のように蕎麦をつゆにつけるというより一緒にすするといった食べ方なのかな。
量は24椀で普通のざる蕎麦2枚分ぐらいで少し胃に持たれますが食べられない量ではない感じ。
初めてのわんこそばを堪能できました。 -
さてお腹も膨れたところで平泉観光。
電動自転車を借りて平泉を一回りすることにします。 -
無量光院跡
無量光院跡の案内板の後ろにはただ小さな池があるのみ。無量光院跡 名所・史跡
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かつては宇治の平等院を模した大伽藍があったとは思えない。
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池の周りを散策すると礎石跡らしい石がいくつか並んでいます。
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遺跡というにはあまりにも痕跡が残ってなく、そこが返って時の流れの無常を感じさせてくれます。
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柳之御所遺跡
奥州藤原氏の政庁跡。
鎌倉幕府との戦に敗れた4代泰衡自ら火を放って消滅したとのこと。柳之御所遺跡 名所・史跡
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今は草原に発掘された遺構と案内板がぽつぽつと立っているのみですが、その広大な敷地を見るだけでもかつての奥州藤原氏の威勢が伝わってきます。
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柳之御所遺跡案内
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高館(義経堂)
かつて義経が居住していた館があり衣川で敗れた義経終焉の地とされているようですが、今は義経を祀る小さなお堂と資料館があるのみで観光という意味ではそれほど見ごたえがあるとは言えないかもしれません。高館(義経堂) 名所・史跡
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ただ高台からは芭蕉の時代からそれほどは変わっていないであろうのどかな風景を眼下に望むことができます。
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まさにこの地で「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句が詠まれたことが理解できるような気がしました。
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芭蕉句碑
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中尊寺
駐車場から急な石段を登り杉に挟まれた参道が数百メートル続き、参道に沿ってお堂が並んでいます。中尊寺 寺・神社・教会
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寺伝では西暦850年の開山ということですが、今の中尊寺が造営されたのは奥州藤原氏初代清衡の時代。
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最盛期には寺塔40余宇、禅坊300余宇を擁したとのことですが、奥州藤原氏が滅び、また西暦1337年には大火によりほとんどの堂宇が焼失し造営時のまま残るのは金色堂ぐらいなのだそうです。
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実はあまり創建当時の面影は残ってないのかもしれませんが、気分は十分味わえます。
また讃衡蔵という宝物殿に収められている紺紙金字一切経等の素晴らしい文化財の数々からは奥州藤原氏4代の隆盛が伝わります。 -
中尊寺金色堂
中尊寺の参道を奥まで進むと金色堂があります。
残念ながら無粋なコンクリートの建物(覆堂というそうです)に囲まれ外から見ることはできませんが、覆堂の内部へ入ると美しい建物が目の前に現れます。中尊寺 寺・神社・教会
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金泊で覆われた堂の迫力もですが細く施された蒔絵や螺鈿細工も素晴らしい。
撮影が禁止なので目に焼き付けようとじっくり観察してみましたが、細部まで作り込まれた美しさに脳の処理が追い付かない感じ。
金色堂は奥州藤原氏の廟堂でもあり初代清衡、基衡、秀衡の遺体と源頼朝により誅殺された泰衡の首級が今でも安置されているとのこと。
訪問時も僧侶が堂前で読経されていらっしゃいました。 -
経蔵
金色堂と同じ有料区間にある紺紙金字一切経が収められていた経蔵や旧覆堂も古色蒼然として見ごたえがあります。 -
経蔵案内
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旧覆堂
昭和38年に現在の覆堂ができるまで、このお堂が金色堂を守っていました。 -
旧覆堂案内
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平泉文化遺産センター
中尊寺から毛越寺へと向かう途中にあったので寄ってみました。平泉文化遺産センター 美術館・博物館
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規模はそれほど大きくはないですが、平泉の歴史がわかりやすく展示してありました。
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毛越寺
毛越寺 寺・神社・教会
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毛越寺は奥州藤原氏2代基衡が造営した寺院でかつては中尊寺を凌ぐ規模だったということですが、今ある建物は本堂の外はいくつかの小さな堂のみ。
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庭園の中心をなす大泉が池の北側にはところどころ発掘された伽藍跡に案内板が立っています。
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遣水
毎年新緑の頃に「 曲水の宴」が開催されるとのこと。 -
広々とした池の周りをのんびり散策しながら伽藍跡や復元された遣水を見ているだけですが、周りの景色を含めゆったりとした気分になります。
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さて平泉観光もこれで終わり。
平泉は2度目ですがのどかな風景の中にかつて栄華を誇った奥州藤原氏の遺跡が点在する景色はまさに「兵どもが夢の跡」。
柳之御所等建築物の復元の計画があるようなのでこういった景色が楽しめるのも今のうちかもしれません。
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