2014/08/14 - 2014/08/15
113位(同エリア762件中)
毛利慎太朗さん
- 毛利慎太朗さんTOP
- 旅行記121冊
- クチコミ327件
- Q&A回答4件
- 180,582アクセス
- フォロワー107人
この旅行記のスケジュール
2014/08/14
-
電車での移動
一ノ関7:25(東北本線)盛岡9:00
-
電車での移動
盛岡9:10(IGR・青い森鉄道)八戸10:59
2014/08/15
-
電車での移動
陸奥湊9:30(八戸線)本八戸9:37
-
ドトールコーヒーショップ 八戸駅店
-
電車での移動
八戸14:16(はやぶさ22)盛岡14:44
-
電車での移動
盛岡15:07(やまびこ52)一ノ関15:46
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
今からかれこれ6年前の旅行記録です。
(旅行日は平成26年8月14日・木曜~15日・金曜)
元遊郭の「新むつ旅館」に泊まるのが目的で、そのついでに根城などを見学したりしました。
ちなみに宿泊代金は当時7140円(税込)でした。
記憶や作りは曖昧であることをご了承の上、ご覧いただけると幸いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
-
写真の始まりは平成26年(2014)8月14日(木)、11時10分ころの八戸駅。
ここまでは東北本線・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道を乗り継いできました。
これから根城を見学するので、八戸駅~中心街線(日赤病院経由)に”根城(博物館前)”バス停まで乗ります。
運用の車両は八戸市営バス塗装のキュービック(いすゞ)の「八戸200か498」
国際興業からの移籍組で、今年の7月に花巻で見たバスと同じような形式です。
傾斜のかかった窓が特徴的。 -
「ISUZU」ロゴの下には車体メーカー「IK COACH」のロゴが。
1986年に設立されたいすゞと川崎重工の合弁会社。
1995年に「いすゞバス製造」となり、2004年に日野との合弁会社「ジェイ・バス」となりました。 -
まず、八戸の歴史を知るために「八戸市博物館」を見学。
特別展「八戸と9人の藩主」がやっていました。
殿様の肖像画や書状、御姫様の嫁入り道具などが展示されていましたが、詳しい内容はとーんと忘れてしまいました。
ただ解説員の方の話が印象に残っていて「初代・二代藩主は盛岡藩のスパイによって毒殺された疑いがあるが、香典や歳暮などのやりとりをやっていたので、少なくともその可能性は低い、3代藩主は盛岡藩からの養子なので、わだかまりはなくなった」とおっしゃっていた。
常設展では縄文遺跡や、根城や八戸城関連、寛延2年(1749)の猪飢渇(いのししけがち)、日本初のエコロジストといわれる安藤昌益などの展示がありました。
猪飢渇とは、山から吹きおろす寒風(やませ)により米が穫れにくかった八戸藩の領民は、副収入として森林を焼いて大豆を栽培するということをやっていたわけです。
数年たつと養分が足りなくなって、別の畑を作るわけですが、元の畑はそのまま放置され、葛やワラビなどが生い茂ります。
その根っこにはデンプンが豊富に含まれているのでそれを目当てに野生の猪が繁殖、ついでにほかの作物の畑も荒らして回るので八戸藩は大変な飢饉に見舞われました。
被害の規模は石高2万石のうち、1万5000石、死者は3000人にも及びました。
そんななかで、武士が支配する世を批判し、四民平等を唱え、全員が農業に携わるべきだと提言したのが城下の町医者・安藤昌益というわけです。八戸市博物館 美術館・博物館
-
博物館の前には、八戸氏(根城南部氏)の四代当主「南部師行公」の銅像がありました。
根城南部氏は南部氏の初代・光行公の三男、実長公を先祖とし、甲斐国波木井(現・山梨県南巨摩郡身延町)一帯を治めていました。
その頃は地名より「波木井氏」と呼ばれていました。
元弘3年(1333)甲斐より代官として赴き、その翌年に支配の根本となる城、即ち「根城」をつくったのが何を隠そう師行公なのであります。
時を同じくして「大光寺合戦」で北条残党を駆逐し、八戸氏の勢力を拡大させました。
人となりとしては、たとえ後醍醐天皇の治世に瑕疵があろうと忠義をまげてはならないという信念の方で、「みちのくの楠木正成公」といっても過言ないのではないでしょうか。 -
さて「根城の広場」へと向かいましょう。
入り口の門は八戸城東門を移築したもので、元々根城の門であったとされます。
平成5年(1993)八戸市有形文化財に指定されました。 -
「中館」という曲輪を横切る堀を撮ってみました。
「城」というと「石垣」を想像してしまいますが、たまにこういう中世の城郭も味わい深いものです。
地下1メートルほど掘ると水が湧くので、城があった当時(建武元年・1334~寛永4年・1627)は水堀の可能性もあります。 -
「中館」より「本丸」を望む。
小高い丘の上にあるんですね、これも「城」らしい光景です。 -
建造物は平成6年(1994)に再建されたものです。
東門をくぐって見えるのが「納屋」、米や味噌などの保管庫でした。
中世の城郭なのに、なぜだか縄文人が出てきそうな雰囲気の掘立小屋です。 -
馬屋は3か所あったとされます。
写真は「上馬屋」に展示されている馬の人形で、本物ではないにせよ精巧につくられています。
殿様が乗るだけあって、栗毛の駿馬といったところ。 -
来客用の「中馬屋」の裏には「大イチョウ」
樹齢は不明ですが、優に500年は越えていると思えます。
高さ24メートル、幹回り9メートルを誇ります。 -
次に「野鍛冶場」を見学します。
こわれた「鉄銭」や「銅銭」を溶かして刀の原料を造りました。
「ふいご」(木箱のような風を送る装置)なんていうのは、高祖父(昭和20年代に逝去)が鍛冶屋の真似をしていたので、よく祖父の話に出てくるもんですが、実際に見たのはこの時が初ですね。 -
それで刀の原料は本丸南の「鍛冶工房」で加工されます。
-
銅銭、炭などが保管され、こちらにも”ふいご”と炉がありました。
炉のある位置は90センチほど地下にあります。 -
さあて、「根城の広場」のメイン建物である「主殿」を見学します。
こちらは儀礼用の建物で、殿様は常御殿、家族は奥御殿で寝起きしていました。八戸市史跡根城の広場 名所・史跡
-
「広間」は儀式を行う一番格式の高い部屋となっています。
右奥の烏帽子をかぶった方(見えずらいですが)が、18代当主・八戸政栄(まさよし)公です。
盲目の身でありながら、三戸南部家当主・南部信直公に天正18年(1590)の小田原参陣を促して、家名を保ちました。
正月の年男任命の儀式を再現しております。
その当時の年男は重要行事を取り仕切る方をそう呼びました。
実は小学5年生のとき、歴史図鑑にこの場面が載っていて、よく眺めていたものでした。
ですので、9年越しに夢を実現したものです。 -
「祈祷ノ間」は東善寺住職が当主の家内安全を祈る場所でした。
東善寺は現・八戸市博物館の西にあった南部氏の祈祷を行った真言宗のお寺で、寛永4年(1627)に八戸氏が遠野(岩手県)へ領地替えの際、お寺も移転しました。(明治期に廃寺) -
14時前に「根城の広場」を後にし、根城(博物館前)停留所よりバスに乗り込みます。
乗り込んだ車両は南部バスの「八戸200か63」、2000年式・いすゞエルガミオKK-LR系のワンステップバス(低床)。
なお、南部バスは2017年3月1日付で岩手県北自動車(みちのりホールディングス傘下)へ事業譲渡、同社南部支社となった。 -
八日町バス停で市営バス・岬台団地行きに乗り換えます。
乗車車両は自社発注のいすゞ・キュービック(1994年式)
まさか自分の生まれ年の車両と出逢うとは? -
「新丁」バス停で降りて、5~6分で「新むつ旅館」に到着しました。
まず、客室については写真の本館と、裏手の新館からなり、本館の客室は20畳間、14畳間、6畳間の3部屋があります。
(新館の客室数は不明だが、浴室と食堂はそちらにあります)
次に、旅館の概要についてですが、明治30年(1897)に遊郭「新陸奥楼」として創業。
位置する小中野一帯に遊郭は33軒あったとされます。
昭和32年(1957)売春防止法制定を機に旅館へ転業。
ここから見ると1階軒に「組子細工」が施され、芸がこまかいといいますか。新むつ旅館 宿・ホテル
-
国の登録有形文化財には平成18年(2006)に指定されています。
(第02‐0052号) -
玄関をあがった先が、かつての帳場なのですが、今はロビーのような空間になっていました。
-
ここで一番気になるのが「おかめ」です。
遊女と関係があるらしく、「おかめ」のモデルになった「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」が芸事の神様という事と関係しているように思う。
天岩戸で舞を披露した神様として識られております。 -
その下には大村崑氏のサインが、これはチェック。
昭和20年代くらいの方にはミゼットのコマーシャルでお馴染み、父世代(昭和33年)は「オロナミンC」のホロー看板でお馴染み。
三木のり平氏と同じく「ずれ落ちたロイド眼鏡」が特徴的です。 -
見上げると「天窓」になっています。
北海道のにしん番屋っぽいですね。 -
この旅館の第一の特徴というのが「Y字階段と渡り廊下」
写真がだいぶブレブレで申し訳ないですが、黒光りしてこりゃ年季がはいっていますね~ -
渡り廊下を2階から見ると、こうなります。
手すりが木の特徴を生かした造りで、遊び心を感じます。
イボイボ感がなかなかですね~ -
ここはと思って20畳間を予約しました。
なにせほかの部屋と値段が変わらなかったのでね。
まず客室「北→南」の眺めはこんな感じです。 -
床の間の引き出しにも草花が描かれていています。
一般家庭なら襖絵はありますが、ここまでこだわっているとは驚きです。
客の目を飽きさせませんね。 -
次に「南→北」の眺め。
衣紋掛けに和服が飾ってあり、雰囲気充分。 -
床の間の恵比寿さんも福笑い。
-
釘隠しは、このように折り鶴状のものが南にあり。
-
客室中央の仕切りに、飛び立つ鶴のものがありました。
他の客室には「梅の花」があるそうです。 -
また客室には「煙管」なんてものが。
-
そうすると、煙管に火は入っていないにも関わらず、こんな真似をしてみたくなります。
-
2階の軒はこんな感じです。
屋根は錆びて如何にも哀愁を感じざるを得ませんが、骨組みは堅牢で、細かい。 -
客室からは八戸線の高架が見え、キハ40系が警笛を鳴らしながら通過していく姿はなんと風情のあるものでした。
鉄道ファンの心をくすぐります。 -
20畳間向かいのトイレはリフォームされていて快適。
本棚もあり、ついついゆっくり過ごしてしまいそうです。 -
客室の写真を撮り終えると、旅館内を探索。
玄関から見て裏手、本館と新館の境付近にある階段は狭くて急こう配です。
遊女がなじみ客と玄関でばったり鉢合わせ、なんてことがないよう配慮されているんだとか。 -
急こう配なので、「非常口」の表示もご覧のありさま。
-
17時すぎにお風呂に入り、疲れを癒します。
こちらもリニューアルされていてええ湯じゃのう~極楽、極楽。 -
夕食の一例はこんな感じです。
さすが青森、帆立がつきます。
右の小鉢は「夕顔の煮物」、食べなれているものが出るとホッとしますね~
家のよりトロっと煮えていました。
これに、串揚げやほやの酢の物が付きました。 -
汁椀は「鱈のお吸い」でした。
塩加減は絶妙なり。 -
明けて8月15日(金)
帳場に伺うと、明治30~35年(1897~1902)の「大福帳」を拝見いたしました。
博物館に展示されるくらい価値のあるものです。
客の住所、年齢、職業、肌の色などが事細かく記載されております。
案外、ビールを注文する客も多く、遊郭は「日本酒でしっぽり」というイメージだったのでびっくり仰天といいますか。 -
朝食の一例はこんな感じです。
紅じゃけが予想以上に美味しかったです。 -
食後に桃を頂きました。
甘くておいしゅうございました、旬のものはいいな~ -
宿を9時まえに精算し、陸奥湊駅に向かいます。
中心街へ用事があったので普通ならバスを使いますが、手持ちの「北海道・東日本パス」の有効活用と、八戸線のキハ40系に乗ってみたかったので鉄道利用です。
駅舎の外にKIOSKがある珍しい駅でしたが、2017年9月をもって閉店してしまいました。 -
9:30 陸奥湊
↓3両編成
9:37 本八戸
八戸方はキハ48‐557
八戸線でのキハ48運用は2016年改正まであった。 -
車両銘鈑も確認。
昭和56年(1981)富士重工とある。 -
乗車したのは中間のキハ40‐538(盛岡赤鬼色)
昭和57年(1982)・新潟鐵工所製。
https://4travel.jp/travelogue/11627316
↑これによるとCパターンとなる。
しかし、Cパターンは珍しいので、ポイントは高い。 -
本八戸駅周辺は昭和52年(1977)高架化されました。
非電化路線で高架駅ってのはなかなか珍しいんでない。
ちなみに、昭和46年(1971)までこちらが「八戸駅」で、東北本線の駅は「尻内(しりうち)」を名乗っていました。 -
そこから500メートルほど歩き、「フルーツショップ&パーラー おだわら」でメロンパフェを食べました。
メロンの甘さはそこそこでしたが、アイスのシャリシャリが果物の甘みを邪魔しないことに気が付き、2年後再訪するとは夢にも思いませんでした。フルーツショップ&パーラー おだわら グルメ・レストラン
-
店を出ると雨足が強くなってきました。
その隣地には南部会館という集会施設があるのですが、その入り口になんと立派な門が鎮座しています。
「八戸城 角御殿表門」
寛政9年(1797)に棟上げされた、銅板葺きの門。
昭和56年(1981)に県重宝に指定。 -
雨で門の装飾が見づらかったので近づいてみることに。
乳金具の優美さと屋根を支える肘木の頼もしさが印象的ですね。 -
その後は「新むつ旅館」の女将さんから勧められた「八戸ポータルミュージアム はっち」に行ってみることに。
中心街の活性化を目的として作られた文化観光施設で、1階には「カネイリミュージアムショップ」や展示スペース、観光案内、レストランなどがありましたが、八戸の郷土玩具「八幡馬」のモニュメントがありました。
櫛引八幡宮の例祭で売られていた馬の玩具を起源とし、農閑期の副業として広まりました。
伝統工芸士・大久保直次郎氏の手彫りによる作品。八戸ポータルミュージアムはっち 美術館・博物館
-
1つ、1つをアップで。
なかなか精巧にできていて綺麗、統一感あるデザイン!
八幡馬の毛は昔、本物の馬毛を使っておりましたが、虫が湧くので現在はシュロのような素材を使っています。 -
素木の八幡馬はなかなか珍しい。
シンプルでこれもいいですね。 -
そのあとは三春屋(百貨店)で職場のお土産を買ったり。
お昼はその5階にある「らーめんふぁくとりー のすけ」でみそのすけ(たまご入り・800円)を注文。
スープを一口、濃い味噌味で期待が持てます。らーめんふぁくとりー のすけ グルメ・レストラン
-
めんも太目でスープと絡んで美味。
いや~満足、満足。らーめんふぁくとりー のすけ グルメ・レストラン
-
そのあとは自分へのお土産と八幡馬を買ったりして、12時25分頃のバスで八戸駅へ戻ることに。
乗ったのは、南部バス「八戸200か673」
型番を調べると「キュービック」らしいが、今までのと若干違う。
因みに中心街から八戸駅までの運賃は300円でした。
(現在は320円) -
駅に着くと「ドトールコーヒー」で一休憩。
頼んだのは期間限定の「ルイボスティー ~甘夏ハニー~」で、結構甘だるかった。
雨脚が強かったので、なんと盛岡方面の在来線が運休!
仕方がないので、一ノ関まで新幹線で帰ることにしました。
普通なら盛岡まで新幹線の切符を買えばよいのですが、当時携帯電話をもっておらず、盛岡~一ノ関の運行情報もつかめなかったので心配になって一ノ関まで買ってしまいました。
北東パスの無駄遣いになるが、翌朝7時にまた出かける予定があって、体もくたくただったから止むを得ずといったところか。
旅行記はここまで、ご覧くださいましてありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (3)
-
- ラムロールちゃんさん 2021/02/12 15:31:08
- いつかは行きたい場所です
- 毛利慎太朗様
こんにちは
私の過去の旅行記にたくさんご投票いただきまして、ありがとうございました☆
今、2014年の八戸の旅行記にお邪魔しているのですが、なんでこの旅行記に気づかなかったのでしょう!
私の泊まりたいと思っている、新むつ旅館ではありませんか。
やはり良いですね、ここ…。
旅館自体が観光スポットのようです。
去年 青森へ行った時は、中央から西側だったので、八戸までは足が伸ばせず、行けずじまいになりました。
旅行記で見せていただけて、眼福です。
ラムロール
- 毛利慎太朗さん からの返信 2021/02/12 18:42:49
- Re: いつかは行きたい場所です
- ラムロールさま、いつもご覧頂きありがとうございます。
そうでしたか、温泉以外に古い旅館建築にも興味がございましたか。
この旅館は『日本ボロ宿紀行』というサイトで紹介され、八戸なら近いし、いってみようかと思い立って2014年の春先に旅を企画し、お盆に実行したところです。
↓サイトのリンク張っておきます。
http://boroyado.doorblog.jp/
そのときは楽天トラベルが使えた(今はつかえないみたいですが)ので、それで予約して、旧館の部屋が3つとも空いていたので、折角なので20畳の部屋に泊まってみたわけです。
泊まったとき、緊張というか、も~ワクワクしすぎて、ピンぼけばっかの写真ばかりですが、数をとってこうして旅行記をあげれることには、当時の自分に感謝です。
さて、昔の旅館といえば、釘隠し、手摺、欄間、軒とかの彫刻、襖絵や掛け軸ひとつとっても皆丁寧なつくりで、遊郭の建築物だと特にそれが顕著なところでしょうね。
最後にラムロールさまの旅行記では最近スリランカと『太宰さん』(青森)の旅行記を拝見いたしました。
アルヴィハーラと金木の項目で『地獄絵』が登場してついワクワク。
アルヴィハーラの鬼は横浜中華街の獅子みたいな感じで、エキゾチックでありながら、なんかデシャブに浸ってみたり。
金木のやつはなんかは、ヤンキーのねぇちゃんの素っぴんみたいで、こちらが現実味があって怖かったりと。(なんちゅう例え...)
ともあれ、スリランカの旅は列車が出てきて鉄道ファンの私にも楽しめる内容で、ワデやらココナッツを使ったお弁当などの車内販売があり、一昔前の汽車旅を思い起こして懐かしい気分に浸ることができました。
PS.こちらのサイトレトロな食堂や喫茶店、旅館を紹介していて、面白いですよ。
http://wk4868.livedoor.blog/archives/cat_12077.html
PSのPS.いったことないですが、先日の『よろづや』(長野・登録有形文化財)の火災は残念でした。
木造三階建て建築も、今となっては貴重ですね。
こんなことがあってもいいように記録は重要ですね。
- ラムロールちゃんさん からの返信 2021/02/13 19:42:59
- RE: Re: いつかは行きたい場所です
- こんばんは☆
返信ありがとうございます(^^♪
『日本ボロ宿紀行』、私も好きなサイトです。
私好みのお宿が目白押しで、行きたいところだらけなんですよね。
横浜中華街の獅子(笑)
っていうか、ヤンキーのねぇちゃんの素っぴんって(≧▽≦)
声出して笑いました!!
私は、毛利さんのような知識は全然ありませんし、細かいところも全く見られてないんですが、いろいろな鉄道に乗るのは好きで、北インドのカルカシムラー鉄道は、わざわざ乗りに行きましたし、海外でもできる限り乗ろうとしています。
バスよりも、味があって良いんですよね。
教えていただいたサイト、レトロ関連、面白いですね。
また行きたいところが増えるじゃないですかー!
早速ブックマークです☆
PS.『よろづや』の火災、私も行ったことはありませんが、えーっ!と思っていました。
貴重なものがどんどん失われていきますね…(/_;)
ラムロール
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
新むつ旅館
3.14
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
八戸(青森) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 青森
3
60