2020/07/29 - 2020/08/01
124位(同エリア285件中)
悠遊人(ゆうゆうじん)さん
- 悠遊人(ゆうゆうじん)さんTOP
- 旅行記357冊
- クチコミ7件
- Q&A回答23件
- 438,406アクセス
- フォロワー34人
(写真は朝鮮王朝から贈られた三具足/万松院)
江戸鎖国の折り、一部だけ外国との貿易が認められていた地域があった。長崎・平戸(対蘭)、松前(対アイヌ/露)、薩摩(対琉球/中国)そして対馬(対朝鮮)である。
朝鮮からは朝鮮通信使と称した使節団が漢城から江戸まで、1607年から1811年にわたり12度、4-5百名でやってきた。その江戸までの案内を担ったのが対馬藩である。主たる目的は徳川将軍の交代期に国書の交換をするためであったが、文化交流も大変盛んであった。それは対馬、壱岐、下関、鞆などを船で渡り、大阪から陸路東海道を江戸まで、ほぼ半年をかけての訪問であった。(一部は東照宮まで)
その残滓を求め今回対馬・壱岐にやってきた。今まで北は利尻・礼文、西/南は与那国、波照間、そして隠岐、小笠原など40ほどの有人離島を訪ねてきたが、私にとって対馬・壱岐が最後の大型訪問となります。
・防人の盾に護られフェリー旅
・防人の詩が聴こえる岬城
・和田都美に青葉若葉の磯神社
これらの島はなによりも縄文時代から続く大陸との交易舞台でもあったわけで、壱岐には2世紀弥生の集落が原の辻遺跡として発掘・復元されているし、6-7世紀の円形、前方後円墳なども数十基残っているほど古代遺跡の宝庫でもある。かの「魏志倭人伝」に記述がある。
また15世紀には蒙古や明の勢力に備え、防人が防備にあたっていたところでもある。東方から派遣された若者が孤独や寂しさに耐え、日本を護っていたのだ。それが今はなんということか、竹島や尖閣や北方四島はいったい誰が護るというのか? 浮かれボケてる場合ではないぞ。侵略者とは戦うしかないのだ。
残念だったのは、コロナ騒動で対馬厳原港祭り(毎年8月第一土日で開催される朝鮮通信使の行列を再現する祭り)が中止になったこと。
韓国人には会わなかった。また厳原港を見下ろす眺めのいい高台には温泉足湯があり、韓国資本の豪華なホテルが建てられているが、彼らは税制面で優遇され、これらの施設を優先利用するため、地元にメリットはほとんどない。もっと日本人には対馬を訪れてもらいたい。だって沖縄同様、いつまで日本の領土であるか解らないからだ。
*次回は壱岐へ
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船 バイク ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
大宰府天満宮 楼門
まず大宰府の天満宮にごあいさつ。この奥が本殿で菅原道真公の墓所の上に造られたもの。 -
大宰府天満宮2
天満宮に向かい右側に「東風吹かば・・・」で知られる「飛梅」がある。
裏手鬼門は宝満宮竈門神社、天界稲荷社が守っている
-
稲荷社への途中石碑がある。「野見宿禰」とは菅原道真の遠い先祖にあたる。彼は出雲出身で相撲の神様と称される男だ。時の天皇に、殉死者に代わり埴輪を薦め、土師氏となった。詳しい説明は省き、対馬に向かおう。
-
博多港から
時速80Kmのジェットフォイルなら、壱岐島経由約2時間で対馬/厳原港だ。ここは博多港、で今何時? 虹。なにかいいことがあるのだろうか? -
烏帽子岳から浅茅湾展望
翌日からいつものとおり原付バイクで島めぐり、天気のいい日は浅茅湾の入り組んだ島々が見渡せるところだが、あいにく多湿のため眺めはイマイチ。島は昨日まで大変な大雨でどこが崩れているかわからない。ここから北にツシマヤマネコにいる「対馬野生生物保護センター」や木坂海神神社(対馬一宮)などがあるのだが、今回はパス。上対馬豊玉町から中部、南島中心にまわることにする。それにしてもなんと入江の多いことよ。
・フィーヨルドどれが岬でどれが島 -
和田都美神社
豊玉姫命と「海彦山彦」で知られる火々出見尊を祭る海宮。 鳥居がずっと海まで続き、大潮時には2m沈む。なお対馬には大小合わせて数百の神社があるという。仏教などの外来宗教の入ってくる以前の話だ。 -
西の漕手
浅茅湾(西海岸)から東海岸まで160mほどしかなく、小さな船は陸を運んだようだ。この陸路を通すやり方は石垣島や丹後半島でもみられること。 -
姫神山砲台跡
対馬には31か所もの砲台跡があるが、ここが一番保存状態がよさそうである。なお、悪路につき車は入れない -
姫神山砲台跡2
いずれも対中,対露を意識したもの この頃日本は大陸を向いていたのだ。 -
万関瀬戸
実は対馬は上下島は繋がっていた。ここは日ロ戦争(バルチック艦隊)に備え、旧日本海軍が掘った細長い瀬戸である。水雷艇などを東西に通したようだ。ただこれで島が南北に二つに別れてしまったことになる。 -
鮎もどし自然公園
ここは下島内山あたり、珍しい花崗岩地帯の清流、瀬川。 地元では鮎などの川魚には興味はないらしいが、ウナギは採っている。 -
下島南端 豆酸崎(つつざき)
山頂と海中に灯台があり、山麓に粘板岩層が見られた。島には硯(若田硯)の産地があるそうで、かの紫式部が源氏物語の執筆時に愛用したのだとか。 -
椎根の石屋根(西海岸)
対馬でしか見られない珍しい高床式建物、屋根を石で葺いている。この島の地層は頁岩や粘板岩(薄く剥がれる性質)が多く、風の強さに重さで耐えたのだろう -
西海岸 小茂田で
近くには元寇(文永の役)古戦場や矢立山古墳がある。文永の役では宗助国が80余騎で2万の蒙古大軍と戦った(結果戦死)。 -
万松院
対馬藩宗家の墓所、朝鮮王朝より奉納された三具足がある -
万松院2
36代続いた名家/宗氏の墓所、19代からの墓がある。対馬藩は2万石ほどの小大名だったが、朝鮮(外国)貿易を担ったため、10万石級の待遇だったようだ。 -
厳原 金石城跡 櫓門
山上には清水山城址石垣が残っている -
厳原、武家屋敷
-
雨森芳洲の墓
「朝鮮通信使」を語るうえで芳洲は欠かせない存在だろう。彼は木下順庵門下で新井白石とは同期だった。その能力を請われ、対馬藩宗家に使え、朝鮮との交渉にあたる外交官として活躍することになる。国書の偽造など興味津々で、TVドラマ化しても面白いと思うが。 -
国分寺
朝鮮通信使の宿舎になった国分寺跡、今はこの四柱門しか残っていない。 -
お船江跡
対馬藩の御用船を係留した船溜まり -
対馬厳原から壱岐・博多へのフェリー
わたしへの見送り? いえ、自衛隊隊員とその家族が移動になったようで、大変なお見送りである。 -
厳原港
前方に見える高台一等地のホテルはすべて韓国資本であり、韓国人客で占められる。こうやって日本の土地は少しづつ、確実に奪われていく。が、一般の日本人はほとんど気付いていない。
今回対馬は3泊だけの訪問だったので、北端の比田勝や海人神社には寄れなかった。またコロナ禍や徴用工の問題で、韓国人と会うことは一切なかったし、ツシマヤマネコに出会うこともなかった。
※次は壱岐に向かう。一支国博物館から取材の許可も下りた。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
対馬(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
23