1968/03/09 - 1968/03/19
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yamada423さん
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平成29年4月14日(金)
NHK総合テレビの歴史秘話ヒストリアで熊本城を放映しています。
熊本大地震で被災された皆様には、いまだ幾多の苦難な生活を強いられている様子を朝から何度も視聴しました。
一日も早く復興が実現されることをお祈りいたします。
震災直後に何度も放映されたときの思いです。
「あの優美・剛健兼備の熊本城の瓦屋根のみならず難攻不落と言われた石垣が崩れ落ちる映像報道には残念至極としか言いようがありません。」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
熊本城の天守閣と石段 1968.3.14
Kumamoto Castle
CANON FT FL50mm f1.4 NEOPAN SS ASA100 O1-filter
電子化データ画像サイズ1840×1232
九州旅行写真集解説
この写真集は今からちょうど40年前の1968年、私が大学院の卒業論文の審査を終え、3月26日の卒業式までの間に14日かけて九州を一人旅したときの写真を電子データ化したものです。
当時は卒業旅行などという言葉はありませんでしたが、今思えばそのはしりでした。
工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かった各種カーレースに出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。
月額2万円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。返済はきちんと済ませました。
九州には交流していたフランスの理工系大学生の工業視察団案内の関連で2度訪れていましたので、再度一周してみたい願望とその魅力に惹かれ、季節的にもよかったので迷わず旅行先に選びました。
交通手段は往きが寝台特急富士(東京発18:00西鹿児島行き)で宮崎まで、帰りは特急が取れず、下関から神戸三ノ宮まで寝台急行、名神高速で名古屋、新幹線で東京でした。
九州内では鉄道、バス、連絡船など周遊券を使ったと思いますが、はっきりした記録はありません。(2011.1資料発見!)
宿泊は予約を一切せずに、その日の状況で宿泊地を決め宿を取りました。
比較的最近の海外旅行では写真を撮るだけではなく旅日記もつけるようにしていますが、当時の九州旅行では文章による記録がまったくなく、思い出しながらの記録になってしまいました。
あと何年かするとそれも不可能になってしまうと思い、今回のデータ作成の機会に要点のみ書き残すことにしました。
なお旅行の携行品は縦横30センチ、マチが最大15センチほどの手提げバッグ(東電株主配布品)一つに着替えとカメラを入れ、あとはスリック(SLICK)の三脚のみでした。
肝心のカメラは当時最新のキャノンの一眼レフCANON FT 50mm f1.4でした。
④桜島 噴煙を上げる荒々しい溶岩で覆われた桜島。地元の人にとっては一年中降り注ぐ火山灰が日常生活上の大きな悩みとのこと。
⑤佐多岬 指宿の先の山川町から船で大隈半島先端の佐多岬へ。本州最南端の岬で、海を隔てて薩摩半島先端の開聞岳(薩摩富士)が望める。西鹿児島駅から熊本へ。
⑥熊本城、阿蘇山 熊本城は姫路城のような優美さはないが質実剛健な男らしい印象。大きく反った天守閣の石垣が特徴。「熊本城石段1」はベストショット。
阿蘇の火口から吹き上げる噴煙は迫力満点で当時は火口の縁を一周できた。
撮影 CANON FT FL50mm f1.4, FL200mm f2.8 NEOPAN SS ASA100
編集・公開2010.10.4 yamada423
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2011年になって自宅の古本を整理していると「黒皮の手帳」が出てきました。表紙にYAWATA 1968と刻印があり研究室で使用していた溶接棒のメーカー(八幡溶接棒株式会社)からのいただき物です。
この九州旅行の行程と費用が記載されていましたので写真の説明文に追加します。
資料の写真は「1968九州一周卒業旅行③」の末尾に掲載しました。
九州一周卒業旅行シリーズ①③は下記のURLをご覧ください。
①http://4travel.jp/traveler/810766/album/10492397/
③http://4travel.jp/traveler/810766/album/10549371/
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 JR特急 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
1968年3月12日
鹿児島湾から見た桜島
鹿児島宿泊料(11日分) 1350円
櫻島フェリー往復 60円 -
桜島港
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第五櫻島丸
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桜島港周辺 国鉄桜島観光、西桜島村営バスなどの文字が読める。 -
桜島港フェリー岸壁
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桜島 林芙美子歌碑
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かりき 芙美子 -
イチオシ
桜島溶岩原
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桜島旧火口?
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桜島の噴煙
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桜島中岳(北岳、南岳?)
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いく筋もの侵食の跡が見られる山肌。
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さくらじま
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指宿駅
東北・北陸・佐渡観光の看板が見える。8泊9日 46000円(GW明け) -
指宿駅前の風景
タクシーの客は見るからに新婚さん。右は四つ目のセドリック
指宿宿泊料 1985円 -
1968年3月13日
佐多岬手前の大泊海岸 -
佐多岬灯台
200mm望遠レンズによる。
指宿摺ケ浜8:08→山川 バス30円
山川→佐多岬往復 フェリー400円+バス520円
山川→指宿 バス60円
指宿15:53快速→西鹿児島16:50 周遊券 -
佐多岬灯台
50mm標準レンズによる。 -
佐多岬の海岸
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佐多岬を詠んだ川田順の歌碑
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日本本土最南端・佐多岬での記念写真
あの頃は若かった・・ -
雄大で荒々しい佐多岬の海 FL200mm
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佐多岬灯台の上にはるか水平線が見える FL200mm
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イチオシ
遥か彼方に開聞岳がうっすらと見える
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西鹿児島駅前 その1
現在の鹿児島中央駅(かごしまちゅうおうえき)
九州新幹線の終着駅であり、JR九州の駅としては乗降客数が博多駅、小倉駅に次いで第3位である。2004年(平成16年)3月13日の九州新幹線鹿児島ルート部分開業に伴い、旧称の西鹿児島駅(にしかごしまえき。通称「西駅」)から改称された。
鹿児島宿泊料 2000円 -
西鹿児島駅前 その2
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西鹿児島駅前 その3
ここにもブルーバードが走っています。トヨタのコロナと並ぶ二大小型車でした。 -
西鹿児島駅前 その4
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西鹿児島駅前 その5
イタリアのカロツェリア(カー・デザイン・スタジオ)ピニン・ファリーナがデザインした日産ブルーバードがなつかしい。
この時代には小型車のシェアは日産ブルーバードとトヨタ・コロナで大半を占め、のちのカローラ、サニー、ファミリア、シビックなどの大衆車へとつながった。
ブルーバード2代目 410型(1963年-1967年)はピニンファリーナにデザインを委託。フローイングラインと呼ばれるエレガントな曲線を纏ったが、日本国内ではリアの「尻下がり」スタイルが不評であった事が仇となり、ブルーバードは販売台数でライバル車種のトヨタ・コロナの後塵を拝する結果に終わる。 -
西鹿児島駅前 その6
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西鹿児島駅前 その7
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西鹿児島駅前 その8
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1968年3月14日
西鹿児島7:40(かいもん)→熊本11:14
熊本城前の市電停留所
市電 40円
熊本城入場料 10円 -
熊本城天守閣と石段(横)
風化、変形した石に歴史の重みを感じる -
イチオシ
熊本城石段(縦) 表紙の写真です
O1(オーワン)フィルター(オレンジ色)により青空の白い雲を引き立てた。
モノクロ写真の面白さの一つです。
自己評価によるモノクロ写真の最高傑作。後に比べられるのはありません。
当時半切のパネルにしたものが、今でも部屋に飾ってあります。
感性は年齢を重ねるに従って磨かれるものではないような気がします。 -
熊本城の石垣の反りの機能美は比べるものがない天下一品の美しさである。
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40年前の熊本城の写真をあらためて見たとき、弱冠25歳の時撮影したことを思い、われながら感心します。自画自賛です。
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熊本城公園には梅が咲いていた。
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イチオシ
熊本城天守閣の美しい破風(ハフ)
2016年4月14日〜の熊本大地震でこの屋根瓦も鯱ほこも崩落してしまいました。
生きているうちに修復されることを願って止みません。 -
天守閣の屋根瓦の美しさに見とれてしまう。
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質実剛健と言われる熊本城にも随所にさりげない装飾が施されている。
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木部は黒一色の質素な外観だ
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最上層と下層では破風の装飾が異なる。
担当した棟梁の個性でしょうか。 -
この石垣の反りと土台のせり出しでは敵は容易には攻め込めないであろう。
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熊本城天守閣の威容
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熊本城の大小天守閣
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熊本城で見かけたガイドさん
名札には「大津亜紀代」さん(1968.3)
今どうしておられるでしょうか。どなたかご存知でしたら掲示板に消息を、またご本人にこの写真のことをお伝え下さい。特に九州地方の方お願いします。 -
「昭和24年5月30日 熊本御巡幸の際の記念樹」の横での記念撮影
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阿蘇の山並み
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イチオシ
阿蘇の外輪山の一部
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やわらかい感じの阿蘇の山肌
桜島とは対照的だ -
熊本から阿蘇まではこの急行列車で行きました。
熊本14:23(第2ひまわり)→阿蘇15:46 -
阿蘇の火山を見学する前日は手前の内牧温泉に宿をとりました。
内牧→阿蘇駅 バス 160円
阿蘇駅→阿蘇山 135円
内牧温泉宿泊料 2000円 -
阿蘇内輪山 中央が火口です。
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阿蘇の登山ケーブル・カーで山頂駅(火口東駅)まで一気に登ります。
ケーブル往復 400円
マウント・カー往復 200円 -
さらにこのバス(マウント・カー)で火口まで行きます。
ここは避難小屋で屋根も分厚く頑丈な造りになっています。 -
阿蘇の噴火口
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1968年当時は噴火口を一周できました
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火口から噴き上げる水蒸気
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火口の中まで入ってみたくなります
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ここからは火口の噴煙です。あまりの迫力にかえって怖さを忘れてしまいます。
2014年の御嶽山の噴火による大規模被害を考えると、この時は偶然にも無事でした。 -
イチオシ
噴煙2
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噴煙3
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噴煙4
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噴煙5
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噴煙6
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この当時はこれほど近くから見ることができましたが、現在はどうなのか知りません。
2011年になって霧島連山の新燃岳の大噴火が始まり、地元の皆様は大変な苦労をされていることを報道で知り心が痛みます。
阿蘇は昔からの観光資源ですが、自然の美しさ・迫力と人々の生活との複雑で難しい関係の両立は人の力の及ぶ範囲を超えているように感じます。 -
卒業旅行の相棒の一眼レフ・カメラCANON FT QL FL50mm f1.2
調べてみたところ1966年発売当時の価格は54,800円だそうです。
現在の価値では30万円、...或いはもっとするのかもしれません。
修士で入社した自動車会社の初任給が3万2千円でした。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- Le_Bouquetさん 2020/06/06 10:27:23
- ありがとうございます。
- 鹿児島の母方の祖父を訪ねて、夏休み、冬休み、春休みと度々訪ねていました。熊本から急行かいもん号に乗って西鹿児島駅(西駅と呼んでいました)。西駅前の風景:ナポリ通りが懐かしいです。機会があったら母にみせてあげたいと思います。西駅脇の露店の商店街の写真はお持ちではないですか?熊本に帰る度に見送りに来てくれた叔母さんが「白波」と「さつま揚げ」をお土産に買ってくれて、持たされたものです。
- yamada423さん からの返信 2020/06/06 14:43:59
- RE: 鹿児島の商店街の写真
- Le_Bouquetさん こんにちは
メッセージありがとうございます。
西鹿児島駅周辺の商店街の写真は撮っておらず、町並みはほとんど覚えておりません。ご希望に添えず残念です。
宿泊場所は列車やバスで移動に便利な駅周辺の旅館を、紺の地に旅館名を白く染め抜いた小旗を持った案内人と交渉して選んだ記憶があります。買い物は絵葉書とキーホルダー、飲料以外の普通の店には縁がなかったですね。
ただ、昔の町並みに関心をもたれた方の指摘で昔の店のことを知ったことがあります。
旅行記を公開直後の写真を見た長崎県内の方からメールで教えてもらいました。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/21/54/39/src_21543921.jpg?1485998864
写真掲載旅行記 https://4travel.jp/travelogue/10549371
左に見える「浜かつ」は昭和37年に長崎市鍛冶屋町に創業した「とんかつ浜勝」が昭和39年3月に設立した株式会社「浜かつ」の1号店(本社)と思われます。
現在も、その後に開店した長崎ちゃんぽんのチェーン店「リンガーハット」、「浜勝 とんかつ」としてGoogle地図上で確認できます。場所は国宝「崇福禅寺(第一峰門)」の近くです。
株式会社リンガーハット<沿革>
https://www.ringerhut.co.jp/corporate/history/
持株会社となった現在の東京本社は大崎にあるが、長崎県長崎市鍛治屋町に本店を置く。まさにここが浜勝・リンガーハットの発祥の地のようです。
会社に写真を付けてメールしたところ、会長が懐かしがられていたと返信がありました。
yamada423
> 鹿児島の母方の祖父を訪ねて、夏休み、冬休み、春休みと度々訪ねていました。熊本から急行かいもん号に乗って西鹿児島駅(西駅と呼んでいました)。西駅前の風景:ナポリ通りが懐かしいです。機会があったら母にみせてあげたいと思います。西駅脇の露店の商店街の写真はお持ちではないですか?熊本に帰る度に見送りに来てくれた叔母さんが「白波」と「さつま揚げ」をお土産に買ってくれて、持たされたものです。
- Le_Bouquetさん からの返信 2020/06/06 18:14:56
- 丁寧なお返事 ありがとうございます。
- 八代から西鹿児島まで単線の記憶があり、八代、出水、川内で離合待ちをした覚えがあります。また、「かいもん号」では車内販売があり、ネクターを買ってもらっていまして、列車の名前の「かいもん」を熊本弁でゆうところの買い物:かいもんからきていると勝手に思っていた小学生でした。思い出深いこと、ありがとうございました。
-
- ko777さん 2016/04/30 10:46:19
- 旅行記ありがとうございます。
- yamada423 様
いつも拝見させていただいております。
今回の1968年の旅行記を拝見させていただきましたが、涙が出てきました。
私は、熊本に住んでおります。(出身は阿蘇ですが)
私達の誇りの熊本城が、無残な姿に今なっております。
しかし、今回の旅行記を見てやっぱり昔から凄いお城だと改めて実感しました。
本当にありがとうございました。
今後も頑張っていきます。
また、楽しい旅行記を楽しみにしております。
ko777
- yamada423さん からの返信 2016/05/04 11:56:47
- 熊本城
- ko777 様
コメントいただき、気付くのが遅れて失礼しました。
この度の熊本地震での被害にこころよりお見舞い申し上げます。
昔の旅行記に書いたとおり、思い出深い熊本城の無残な姿をテレビ映像で見せられ、言葉を失いました。
一昨日も家族で九州の大雨の天気予報を見ながら、「なぜ瓦が落ちてしまった熊本城にブルーシートが掛けられないのだろう」と心配しましたが、あの大きさでは無理と納得しました。
お城だけでなく、街の復興をこころより願っていますが、お体には無理をされないようご自愛ください。
yamada423山田洋二
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