2005/04/21 - 2005/05/05
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jijidarumaさん
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<「狼の泉」の異名が付いた古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
2005年春“北ドイツ周遊の旅”
2005年4月21日(木)?5月5日(木)15日間
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。また、1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンのS御夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡るという盛りだくさんの旅。
写真はSchloss Hotel Wolfsbrunnen古城ホテル ヴォルフスブルンネン城
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
バート・ゾーデン・アレンドルフから凡そ14km、カッセルとアイゼナハの中間に位置するEschwegeエシュヴェーゲには1386年に建てられた、テューリンガー様式の城(今は地方長官事務所)や、1660年築の木組みの旧市庁舎が見られ、Werraヴェラ川沿いの水辺は、レンガ色の木組みの家々が並び、小さなヴェニスと呼んでいるそうだ。小さな町はあっという間に見てしまう。
32℃にもなった気温、日差しも強く、良く焼けた一日になった。
写真は使い尽くしてボロボロになったドイツの古城ホテルの本(1992年6月20日発行:第1版) -
イチオシ
今日のSchloss Wolfsbrunnen古城ホテル ヴォルフスブルネン城はエシュヴェーゲからヴェラ川沿いに数km走ると、緑の丘の中腹に見えてくる。此処はHessenヘッセン州の北部になり、旧東独国境にも近い。
写真は2005.05.02.Schloss Hotel Wolfsbrunnen古城ホテル ヴォルフスブルンネン城(左)、Eschwegeシュヴェーゲ(右上)、ヴェラ川の眺望(右下) -
標識に沿って登っていくと石の門があり、門をくぐって、森の道を更に進んで行くと、マロニエの木々が白い花を咲かせて、400mほどの並木道をつくっている。その先に石作りの美しく、立派な城が在りました。城の中庭には城のシンボルであるWolfsbrunnen狼の泉があって、狼の口から水が流れ落ちている。
堂々たる城の正面入口は真っ赤な扉だ。重い扉を開けると大きな暖炉が客を迎えてくれる。入口前の駐車場には車が3台ぐらい、プレシーズンもあってか、今夜もお客さんは少なそうだ。この城は中世の山城ではなく、貴族の館風である。
写真はドイツの古城ホテルの本にある古城ホテル ヴォルフスブルンネン城 -
Kasselカッセルの大企業の社長が娘の結婚プレゼント!!!に、1904~07年に建てた城だそうだ。
王が王妃や愛妾に城を贈る事はよく聞く話だが、大企業の社長とはいえ、驚いた話だ。
第二次大戦後はユダヤ人の孤児収容所、ルールの鉱山労働者の保養所、独大企業Preussagプロイサーグへの賃貸等を経て、1988年からホテルに生まれ変わった。
ドイツで中学生までいた長女夫婦も、2000年12月の新婚旅行で、此処に宿泊した事があり、その事を聞いていたから、我々も是非宿泊したいと思っていた古城ホテルです。
17:00にチェックイン。予約は3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室は正面左手の塔の下、張り出した丸窓のある大きな部屋です。
ピンク系でトーンが統一され、天蓋つきのベッドがあり、その素敵な部屋からの眺望は、前面の森、丘の下の田園風景、走ってきた道路の先に見えるヴェラ川一帯の山河と、とても素晴らしいものだ。
写真はドイツの古城ホテルの本にある古城ホテル ヴォルフスブルンネン城 -
イチオシ
<夕食:「Restaurant-L’orchideeレストラン・ロルキデ」で>
19:00~21:00
Spiegelsaalシュピーゲルザール(鏡の間)にある、このエレガントなレストランには大きな暖炉があり、その側の席に通されました。
なんと!この広い広間に我々一組です。
この季節のレストランは恐縮なほど、借りきり状態です。後から来たドイツ人ご夫婦も躊躇して、別の「Ritterschaenkeリッターシェンケ(騎士の酒場)」の方に行ってしまう。
車が3台ですから、こんなものでしょうが、豪華なシャンデリアの輝きが鏡で一層明るさをまし、舞台が大きすぎて、いささか申し訳ないような気持ちになる。
“ドライシェリーとグラスワインでリースリングの白を頼み、代わり映えしませんが、メニューのトップにある、春の旬の味シュパーゲル料理を注文しました。
太いシュパーゲルに豚肉のメダリオン、塩茹でのジャガイモ、オランダ風ソースです。スープ、デザート、コーヒーを含めた二時間の食事はオーソドックスな料理で、充分に満足したものでした。
今夕の最高の客!?に向けて、シェフも料理に力が入ったことでしょう!!! (夕食代Euro 54.5では安すぎたかな!!)
写真は2005.05.02.Schloss Wolfsbrunnen:「Restaurant-L’orchideeレストラン・ロルキデ」シュロッス ホテル ウォルフスブルネン ホテル
-
ダイヤモンド社『ドイツの古城ホテルとレストラン』(1992年6月に発行)では、このヴォルフスブルネン城はフランクフルト近郊のSchlosshotel Kronberg古城ホテル クロンベルグ城に、ほぼ同じ高位の評点を得ている。
13年も経て、経営上の問題か?本に紹介された人達は見当たらず、レセプションの女性も3年前にホテルに採用されたそうだ。
当時から、新婚さん、ホテル内の会議に出席するビジネスマンが主な客層で、シーズンによる予約の難しさはないと書かれているが、静かな滞在を欲するならば、ここは一番のホテルと思う。メルヘン・ゲーテ街道の町々を訪ねるにも、ここをベースにするのが良さそうである。明日は十数人の団体客が入り、お祝いの宴があると、レセプションの彼女は嬉しそうに言っていた。
写真は2005.05.02.Schloss Wolfsbrunnen:「Restaurant-L’orchideeレストラン・ロルキデ」(左上の写真)
2005.05.03.Schloss Hotel Wolfsbrunnen古城ホテル ヴォルフスブルンネン城の正面入り口(右上)、朝食を食べたRitterschaenkeリッターシェンケ(騎士の酒場)」(右下)、城内中庭・・左手に「狼の泉」がある(左下) -
昨年の旅で行ったオーストリア、“ヴァッハウ渓谷の珠玉”と言われる小さな町、Duernsteinデュルンシュタイン。
ドナウ川に張り出したように立つ、20年ぶりのSchlosshotel Duernstein古城ホテル デュルンシュタインで味わった一夜、『王様のように眠り、貴族のように食事し』を今夜も一寸!味わえたようだ。
写真は城主Alexander von Keudellアレクザンドル・フォン・キュデル(1861~1939年) -
城の中庭には城のシンボルであるWolfsbrunnen狼の泉があって、狼の口から水が流れ落ちている。
写真は狼の泉 -
さて、15年も経った現在(2020年)、古城ホテル ヴォルフスブルネン城のHPをあらためて見ると、新資本が入り、ホテル経営も変わったようで、新しく、さらに豪華な古城ホテルになっていました。
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写真はボロボロになったドイツの古城ホテルの本(1992年6月20日発行:第1版)・古城ホテルのリストと配置図 -
<Meinhard :Hotel Schloss Wolfsbrunnen
古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
D-37276 Meinhard-Schwebda bei Eschwege 、Am Berg 1
https://www.wolfsbrunnen.de/
4星・全65室、1泊した3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室はEuro 115でした。
ヴォルフスブルネン城はエシュヴェーゲから北東4km、海抜211mに立っている。そこはシュウェーブダ地区の北北東約800mに位置し、ヘッセン州Werra-Meissner-Kreisヴェラ・マイスナー郡のDachsbergダックスベルクのふもとにあるマインハルトの森林地帯にあります。
写真はボロボロになったドイツの古城ホテルの本(1992年6月20日発行:第1版)・説明 -
この城はドイツ帝国皇帝の侍従長であるAlexander von Keudellアレクザンドル・フォン・キュデル(1861~1939年)が1904年から07年にかけてネオ・ルネサンス様式で建てた近代的な城です。
1886年6月、アレクザンドルは25歳の時、21歳のLouise Henschelルイーズ・ヘンシェル(1865~1951年)と結婚した。彼は1904年から1907年までかけてヴォルフスブルネン城を建て、妻に贈ったと云う。実際はこの結婚を祝って、妻の父から建設資金が出たのだが。
ルイーズの父Carl Anton Oscar Henschelカール・アントン・オスカー・ヘンシェルは、カッセルの機械メーカーの社主であり、カッセル商工会議所の会頭であった大実業家でした。
写真はボロボロになったドイツの古城ホテルの本(1992年6月20日発行:第1版)・説明 -
1939年に夫アレクザンドルが死去したあとも、ルイーズ未亡人は家族と共にこの城の一角に住んでいたそうです。
1943年から45年にかけてドイツ国防軍の病院だった。
1980年から85年までアシュラム・サンヤシン(ヒンドゥー教のお坊さん)が所有者だった。
1988年以降は古城ホテルとなっている。
写真はボロボロになったドイツの古城ホテルの本(1992年6月20日発行:第1版)・説明
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(2020年7月22日訳・編集・追記)
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