2001/09/01 - 2001/09/10
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2001年8月より私はベルギーのブリュッセルに転勤になっていましたが、この年の9月にクアラルンプールに赴任中の家内がベルギーまでやってきました。
アントワープ、ゲント、ブルージュ、ディナン、ナミュールと列車で移動してそれぞれの街を楽しんできました。
この旅行記は私の住むブリュッセルの街歩きの旅行記のPART3です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ランチを終え、徒歩で証券取引所へ。
19世紀の初頭、ナポレオンの命で設立された建物です。
その後19世紀に中頃に改築されています。
ロダンの彫刻があります。
2000年ユーロ統合により、このブリュッセル証券取引所は、アムステルダム証券取引所やパリ証券取引所との経営統合により、ユーロネクストが設立されました。よってこの建物に訪れた時(2001年9月)は、ユーロネクスト・ブリュッセルでした。
私も赴任時に仕事で数度訪れたことがあります。
今はユーロネクストは移転しているようで、この建物は様々な展示会場として使われているようです。 -
証券取引所の地下には遺構が残されています。
ナポレオン時代の物でしょうか? -
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家内を連れて街中をプラプラします。
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グランプラスにやってきました。
日本からお客様が見えたら必ずお連れする場所です。
ブリュッセル中心部にある広場です。
市庁舎、王の家、ギルドハウスに囲まれた広場で、縦約110m×横約70mの石畳の広場です。 -
グランプラスの中の大きな建物の一つ。
これは王の家。
元々は12世紀に建てられた木造のパン市場でした。
フランス語では「la Maison du Roi」=王の家
と言われていますが、
オランダ語では「broodhuis」=パン屋
と言われています。
この地が侯爵領であったブラバント公国の時代、この建物に行政組織が置かれ、石造りの建物になりました。
後にカール5世がゴシック様式で建て直しています。ここにも登場するカール5世はローマ皇帝でスペイン国王でもあったわけで、16世紀にどれだけ多くの権力を持っていたかがココでも判ります。
建設を命じたカール5世がスペイン国王であったため王の家と言われていますが、実際にカール5世がココに住むことはありませんでした。
今の建物は19世紀にネオゴシック様式で再建されたものです。
今、中はブリュッセル市博物館です。 -
グランプラスで王の家の反対側にある大きな建物は市庁舎です。
15世紀半ばに建てられました。
尖塔の高さは96m。
尖塔の最上部にある金色の像は大天使聖ミカエルです。
中はガイドツアー(フランス語とオランダ語)のタイミングが合えば入ることができますがこの時は入れず。
私は少し前に入ったことがあります。
「マクシミリエンヌの間」のタペストリーは見応えがあります。
この時は -
この広場グランプラスを
コクトーは「豊穣なる劇場」
ヴィク トル・ユゴーは「世界で最も豪華な広場」
表現したようですね。 -
多くのギルドハウスが並んでいます。
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堂々たる王の家ですね。
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個性的なギルドハウスが並んでいます。
建物の上に馬の像がある建物が中央にある「黄金の木」と言われる建物で、
17世紀にビール製造業者のギルドハウスでした。
今はこの地下が「ビール博物館」として公開されています。 -
そのビール博物館に入ってみました。
細い階段を降りて行くと、そこはビール醸造所。
大きな発酵用の桶が並んでいます。
ビール醸造過程が映像で流れています。
試飲もしました。 -
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ギルドハウスの外観を見ているだけで飽きません。
一階はお店やレストランになっています。
家内は雑貨屋さんを巡っています。 -
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ココはグランプラスに面したチョコレート博物館です。
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中に入ると甘い香りで一杯でした。
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思わず買っちゃいますよね~
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王の家のブリュッセル市博物館に入ってみました。
中は撮影禁止でした。
巨大なタペストリー、13世紀と17世紀のブリュッセル中心部の模型(これ面白かったです)、古い陶磁器、タペストリーの歴史などが展示されていました。
ココには小便小僧の本物がありました。
実際に屋外に設置されているのはレプリカのようです。
起源は、ブリュッセルを爆破しようとした反政府軍の爆弾の導火線に小便をかけて消した少年の英雄説が有力なようですが、実際には判らないそうです。
ちなみに少年の名前はジュリアン。
これは小便小僧のたくさんの衣装です。
ブリュッセル市に贈り物として小便小僧の衣装が贈られることが多く、今では1000着以上あるとのこと。
そのすべてがここブリュッセル市博物館にあります。 -
グランプラスに面した星に家の一階にあったセルクラースの像。
この像に触れる人々が幸福になると言うので、ピッカピカです。
セルクラースは1388年に暗殺された町の英雄。 -
大道芸人と遊ぶ家内。
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小便小僧にやってきました。
小さな路地にありますが、ココには多くの見物人が集まっています。 -
世界的に有名だから来るけど、どうってことないですよね。
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ギャラリー・サンティベール
1846年に出来たヨーロッパ最古のショッピングアーケードです。
私はココが好きで、赴任中にたまーに一人でコーヒーを飲みに訪れました。
今回も家内と二人でコーヒーブレイク。 -
パリの彼方此方にあるパサージュのように、規模の小さなガラス屋根のアーケードも素敵ですが、このように規模の大きなガラス屋根のアーケードも素敵ですね。
ミラノのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを思い出します。
古き良きパサージュは共に18世紀から19世紀にかけて造られたようです。
お洒落な時代ですね。
レトロな雰囲気がたまらなく美しく感慨深いものがあります。 -
小便小僧の女性版
なんだかな~? -
トラムに乗って自宅近くに戻って、近所のレストランで夕飯。
ココは私が一人で数回訪れたことがあるお店。
煮込み料理とグラタンが御自慢のレストランでした。
この時はまだ店主やスタッフと顔見知りになっていたわけではありませんでしたが、1年経ってブリュッセルを離れる頃にはすっかり仲良くなっていました。
ご高齢で数年前にお店は手放してしまったようですが、今でもこのお店の奥様とはクリスマスカードのやり取りをしています。 -
夕食後に自宅に戻って所用を済ませ、着替えて出発。
-
家内に夜のブリュッセルを見せるためです。
これは夜の王宮。
王宮の屋根にベルギー国旗が掲揚されています。
これは、国王がベルギー国内におられるということを表しています。 -
夜のミカエル教会。
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夜のグランプラスは昼とは全く違った顔を見せます。
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夜の「王の家」
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この日の夜もグランプラスはイベント中。
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賑わいを見せるグランプラスです。
週末の夜はいつ来ても何らかしらのイベントが行われています。
コロナ禍、今は一切中止なんだろうな~ -
グランプラスの広場ではロックコンサートが開催されていました。
Rolling Stonesのコピーバンドでした。
僕らもビール片手にストーンズの70年代のヒット曲「Satisfaction」を歌いました。
この後、スタンドを2軒梯子して、ビールを飲んで私の家に帰りました。 -
翌朝、私達夫婦が早朝ランニングを終えて私の家に戻る時に、お隣のご夫婦にバッタリお会いしました。
家内を紹介がてらご挨拶は済ませていたのですが、
改めて「朝食を一緒にいかがですか?」
とお誘いを受け、シャワーを浴びた後、お邪魔して朝食をご馳走になりました。
作家で劇団員でいらっしゃるご主人と、弁護士で大学の講師も務める奥様のご夫婦と話が弾み、長時間の朝食になりました。
それにしても朝食のご自宅へのご招待は人生初でした。
その後、私は一度もありません。
家内はこの数年後、アメリカで何度か経験があるそうです。
色々ベルギーのことを教えて頂きました。
鶏のグラタン、ベルギーワッフルと卵とサラダの朝食をご馳走になり、私の家に戻って着替えてベルギー市内散策にスタート。
トラムに乗って最高裁判所にやってきました。
1866年から1883年にかけて建てらた最高裁判所です。
27の法廷と245の部屋があります。
デカっ! -
階段に身長168㎝の家内がいます。
柱の大きさが判ります。 -
最高裁判所の前にはポラール広場があります。
ココからの見晴らしは素晴らしかったです。
で、ココは広場の絞首刑台があった所です。 -
サル・クール寺院が見えます。
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昨夕訪れたアトミウムが遠くに見えます。
1958年のブリュッセル万博の際に造られたモニュメントです。 -
さあ夫婦でブリュッセルの街をプラプラします。
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ジュ・ドゥ・バル広場の骨董市へ。
毎日ここでは市が開かれます。 -
数カ月後、ココで二眼レフのRolleiflexを購入しました。
今でもこのクラシックカメラを大事に所有しています。
ブローニーの素晴らしさをたまに楽しんでいます。 -
楽器博物館にやってきました。
1人200ベルギーフラン×2枚 -
ブリュッセルに赴任してからここは訪れたことはありませんでした。
楽器好きの私達夫婦はメッチャ楽しかったです。 -
楽器博物館の建物はアールヌヴォー建築でも有名な建物です。
博物館内は撮影禁止でした。
19世紀のクラヴィコード、チェンバロ、ハープシコードが展示されていました。
博物館を出ようとしたら、ミニコンサートが開催されました。
フルートとピアノのコンサートでした。
ヘンデルの歌劇「セルセ」
ゴセックのガヴォット
バッヘルベルのカノン
グルックの精霊の踊り
が演奏されたとアルバムに記されていました。
記録によると、演奏者2名、観客7名と言う贅沢なミニコンサートだったようです。
あまり覚えてないけど、、、 -
朝出かけるのが遅れたのと、楽器博物館でミニコンサートなど、思った以上に楽しんでしまったため、他の午前中の予定をやめて、ショッピングセンターのフードコートで昼食です。
ここならササッと食べれます。 -
フードコートですが、ムール貝をバケツで戴きます。
本格ベルギー料理ですね。
フォークを使わず貝殻で挟んで食べるのがベルギー流です。 -
午後はベルギー郊外にあるガースベーク城とワーテルローを巡る半日バスツアーに申し込んでいました。
昼食後、トラムに乗って集合場所(ブリュッセル南駅)に向かいます。 -
予定通り、14時にバスは出発。
席は指定席で、私たちは右側の一番前でした。
参加者は私達2人を入れて総勢7名
勿論日本人は私達だけ。と言うかアジア人は私達だけです。
まずはブリュッセルの西約20kmの所にあるガースベーク城に向かいます。 -
バスに乗って約30分でガースベーク城に着きました。
女性ガイドさんの説明を受けながら進みます。
判りやすい英語を話してくれます。 -
水と緑が綺麗な中を進みます。
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茶色のレンガ造りのガースベーク城が目の前に現われました。
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この辺りがブラバント公国だった1240年頃に建てられたお城です。
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オランダの南部とベルギーの北部が領土であった小国、ブラバント公国の紋章です。
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13世紀に建てられた中世のお城でしたが、16世紀には廃墟の上に、レンガの城を構築してホルン家一族が住みました。
19世紀末には名門貴族であったアルコナーティ・ヴィスコンティ侯爵が疑似中世の外観に改築した建物が今残っているようです。 -
ブラバント公国が公式に成立したのは12世紀後半。
600年後の1795年、フランスに敗れブラバンド公国は消滅しますが、小国であるが故の苦労が絶えなかった国のようです。 -
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お城の中を拝見することができました。
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19世紀の城の内部の様子がそのまま残されています。
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硝子の右側はブラバント公国の紋章ですね。
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階段には見事なタペストリー。
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中世の窓越しに見るお城の庭園。
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中世に想いを馳せます。
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見事な庭園ですね。
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ガースベーク城は高台にあるため、お城から田園風景を見渡すことができます。
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お城から見える田園風景です。
画家ブリューゲルはこの辺りでよく絵を描いていたようです。
名作「穀物の収穫」はこの近くで描かれたとのことです。 -
ガースベーク城を出てバスはワーテルローに向かいました。
約40分で到着。
ガースベーグ城と違い、こちらは多くの観光客が訪れています。
世界史を少しでもかじったことがある人は誰でもしっているワーテルローの戦い。
1815年6月、ナポレオンがイギリス・プロイセン連合軍、そしてプロイセンにこてぱんに負けた戦争ですよね。
これで英仏の200年戦争も終わりを告げました。
ココはその古戦場跡です。 -
有名なライオンの丘を登ってみます。
高さ40mの人工の丘です。 -
階段は226段です。
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丘の頂上には、1826年にできた黒いライオン像があります。
ライオン像はフランスを向いていますが、オランダ・ベルギーの指揮官だったオラニエ王子の名誉の負傷を記念したものだそうです。
この時の戦争で使われた武器を溶かして造られたライオン像。 -
ライオンの丘からの景色です。
この辺り一帯が戦場だったのでしょう。 -
両軍で14万人が参加し、5万人が亡くなった戦いでした。
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素敵な田園風景が広がっています。
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ワーテルローをあとにしてバスはブリュッセル南駅に着いてツアーはおしまい。
約4時間の英語ツアーでした。 -
トラムに乗ってイロ・サクレ地区にやってきました。
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世界中の観光客が集まる狭いエリアのため、スリが多いとか、ボったくるお店が多いとか何かと評判の悪いエリアですが、楽しい賑やかなエリアでもあります。
人でごった返す通路の横にテーブルが並び、皆さん飲食を楽しんでいます。 -
私は会社の後輩に教えてもらったお店に家内を連れて行きました。
ココならボラれることもありません。 -
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Halloweenと言うビアパブにやってきました。
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このお店はショーパブではありませんが、スタッフの中に魔女がいます。
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こんな感じ。
怖っ!
魔女は話しません。
私たちの席にベルギービールを運んできました。 -
この日は家内のベルギー最後の夜なので、三軒目に移動。
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ココでもビール。
遅くなったので、タクシーで私の家まで帰りました。 -
翌朝、私の家で朝食を済ませ、出勤前に家内をブリュッセル駅まで送って行きました。
空港行の列車です。
家内はアムステルダム経由で今の赴任地であるクアラルンプールに帰って行きました。
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