2019/10/27 - 2019/11/07
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mirilinさん
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あはは・・・今回もやってしまいました歩き倒しの旅。
そろそろ年も年なんで、あくせくせず、のんびり滞在してゆったり観光しよう!と思っていたんです。当初の予定は。
だから、バルセロナに10泊もするという計画を立てたのに、いざ現地に行くと、なにか大きな目的地のそばには、必ずと言っていいほど、他にも見逃せないポイントがあるわけで、近くにいるのに見に行かないわけにいかない!とついついそちらにも足を向けたりするので、気が付けば北へ南へ東へ西へと、とにかく歩き倒してしまうという、旺盛な好奇心とたぐいまれな貧乏性のわたし。今年も相方から「歩きすぎだ」「欲張りだ」「苦行だ」と苦情が寄せられてしまいました。でも治りませんよ、私のあっちもこっちも行きたい病。
そんなわたしの訪れたあっちやこっち、今回も一挙放出しちゃいます。
まぁ、全編公開までには時間がかかるかと思いますが、よかったらお付き合いください。
ちなみに、今回のバルセロナ訪問の大きな目的は、アール・ヌーヴォー大好きな私ですから、もちろんスペインのアール・ヌーヴォー=モデルニズモ建築巡り。これまで、パリ、ブリュッセル、アントワープといろんな場所でアール・ヌーヴォーに浸ってきましたが、今回もバルセロナでモデルニズモを堪能してまいりました。
もちろんそれ以外にもいろいろ見てきましたので、今回は時系列ではなく、テーマ別にもまとめてみたいと思います。
その(8)は「ガウディ、モンタネール、プッチの三大巨匠ばかりがモデルニスモではない」とのその他の建築家の草葉の陰からのブーイングに応え、バルセロナの街に溢れる三大巨匠以外の素敵なモデルニスモ建築を一挙に紹介したいと思います。と写真を貼っていたら100枚超えちゃったので、前編と後編に分ますね。
前編は、「ディアゴナル大通り」、「グラシア通り」、「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」など、洗練された雰囲気のアシャンブラ地区界隈の建築物たちです。
バルセロナは、美しい建物、ユニークな建物、摩訶不思議な建物などが次から次へと現れて、建築好きカメラ小僧のワンダーランド。い~ぱい素敵な建物紹介しますね~
その他のモデルニスモ建築の旅行記はこちらです。
(1)サグラダ・ファミリア&グエル公園
https://4travel.jp/travelogue/11568448
(2)カサ・ミラ&カサ・パトリョ
https://4travel.jp/travelogue/11622978
(3)カサ・ビセンス&グエル邸
https://4travel.jp/travelogue/11623386
(4)グエル別邸とその他のガウディ作品たち
https://4travel.jp/travelogue/11624946
(5)サン・パウ病院(モンタネール作)
https://4travel.jp/travelogue/11625773
(6)カタルーニャ音楽堂とその他のモンタネール作品たち
https://4travel.jp/travelogue/11626592
(7)カサ・アマトリェールとその他のプッチ作品たち
https://4travel.jp/travelogue/11627998
(9)モデルニスモ建築三大巨匠以外の作品たち 【後編】
https://4travel.jp/travelogue/11629670
お時間あったら、あわせてご覧いただけると嬉しいです。
m(_ _)m
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
バルセロナの銀座通りともいえる「グラシア通り」を「グランヴィア通り」側から「ディアゴナル大通り」に向かい歩き出すと、まもなく左側の角にひときわ存在感を放ち登場するのがこちら。
これは「ラ・ユニオン・イ・エル・フェニックス社」という保険会社が入っている建物で、1927年から31年にかけて「エウセビ・ボナ・イ・プッチ」により建設されました。アシャンブラ地区に住むブルジョアたちがグラシア通りの記念碑的なものとしたいとの思いから、このような形になったそうです。
モデルニスモという感じではありませんが、存在感のあるフランス風の美しい建物です。
ひときわ高く突き出したクーポラのてっぺんには、炎で死んだ後に灰の中から生まれ変わったという不死鳥フェニックスに座った少年の彫像があります。 -
そしてその後すぐに、変わった形の屋根の建物が目に飛び込んできます。
-
これは「カサ・マラグリダ」
1905年から1908年に「ジョアキム・コディナ・イ・マタリ」によって建てられた集合住宅です。 -
周りの建物とは一線を隔すドーム型の瓦屋根とその上の王冠のような飾りは、グラシア通りの豪華な建物が並ぶ中でも、とても目を引きます。
「グラシア通り」を通ったことのある人なら、「あーこの建物あったね!」ときっと思い出すはず。 -
屋根ばかりに目が行きがちですが、2階の華麗なな出窓のデザインや、各階で形の違う窓の鉄柵など、なかなか素敵なんです。
2階バルコニーを支える部分の鳥や植物の彫刻も、とても繊細です。 -
いくら番地表示とはいえ、こんな綺麗な彫刻の間に青いプレート貼っちゃうのは、さぞかし気が引けたでしょうね。
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現在は1階は店舗で、2階以上はオフィスになっているそうです。
この優雅なフォルムのファサードは、三大巨匠の建物にも引けを取らないと思います。 -
そして次の角にある建物も、なかなか目に付きます。
これは、「エクイティ・ポイント・セントリック」というホステルが入っているそうで、建物自体はモデルニスモ建築ですが、建築家はわかりませんでした。
外観はゴージャスですが、中は2階建てベットが並んでいるような安ホテルのようで、ちょっとビックリです。 -
窓まわりのモザイクが綺麗だな~と見ていたら、なにやら人影…
というか、人影のボードが置かれているようです。これは最近のものだと思いますが、面白いですね。 -
建物正面最上階バルコニーのデザインと彫刻が、とても印象的です。
ちなみに、この建物の正面には、私の大好きなモンタネールが賞を取った「カサ・リェオ・イ・モレラ」が建っていますが、今回は、有名建築家以外の建物なんでスルーです。
「カサ・リェオ・イ・モレラ」が気になる方は、こちらの旅行記をどうぞ
https://4travel.jp/travelogue/11626592 -
そしてこちらは、マクドナルドなんですが、めちゃめちゃ素敵な建物に入っています。
残念ながら、どなたの作品なのか今のところ不明なのですが、グラシア通りの並木道を挟んだ向かい側は、世界遺産のガウディ作「カサ・バトリョ」とプッチ作「カサ・アマトリエール」ですから、贅沢な眺めを楽しみながら、ハンバーガーをかじれます(笑) -
「グラシア通り」は、観光客が行き交う大通り。パリで言えばシャンゼリゼ、日本で言えば銀座通りにあたる、ちょっとハイクラスな雰囲気のある通りです。
かつては「イエスの道」という名前だったようですが、当時の中心部である城壁内のゴシック地区とグラシア地区を結ぶ通りとして1827年に道幅24メートルに拡張されました。そして、1854年に城壁が解体され、庭付き一戸建てが並ぶ通りとなったのですが、1888年のバルセロナ万博後に、これらの家は1階にショップがある4階建ての建物に変えられ、ブルジョアたちが有名建築家を招きお洒落な住宅を建てたり改修したりして、この界隈に集まってきたそうです。
そして、今もその名残の美しい建物がずらりと並んでいるこの「グラシア通り」は、モデルニスモ建築好きには大興奮の道なのです。 -
出窓の下にも、こんなに可愛い彫刻が施されているので、頭上注意ですよ。
-
こちらは、「グラシア通り」に並ぶベンチ付きの美しい街灯です。「グラシア通り」に32基あるそうです。
馬鹿な私、ベンチ部分を撮し忘れていますが、白いトレンカディスが施された石造りのベンチがこの下に付いています。その美しい曲線と、ベンチにトレンカディス(粉砕タイル)を使用していることなどから、ガウディ作だというデマ(誤り?)情報もありますが、違いますよ!
1906年に建築家「ペラ・ファルケス・イ・ウルピィ」の設計で作られたものです。でも、ベンチのトレンカディスは、ガウディが使用していたところと同じタイル工場のものだそうなので、間違っても仕方ないのかも… -
街灯のてんぺんには、コウモリと王冠、そしてその下にバルセロナの旗のマークがあります。
コウモリは、アラゴン王・バルセロナ伯、そしてバレンシア王国を築いた歴史上重要人物であるジャウマ1世の幸運のシンボルだったそうです。コウモリの下の王冠は、アラゴン王国を表しているそうですよ。
そういえば、ガウディ作品にもあちらこちらにコウモリが登場していました。風見鶏ならぬ風見コウモリとか…日本人には不気味なコウモリですが、カタルーニャの人には幸運のシンボルだったんですね! -
さてこちらは、グラシア通り74番地にある「カサ・ジョアン・コーマ」で、「エンリック・サニエ・イ・ヴィラヴェッキア」の作品です。
1904年、サニエは1882年に建てられた建物の大改修を依頼され、大きな出窓とバルコニーの手すりを追加し、ファサード全体に石の板を使用して、ファサードと曲線を描くコーニスにモデルニスモ的な外観を与えました。
1907年に改修は終了しましたが、これにより、1908年に市議会が主催した年次建築コンペで特別賞を受賞したそうです。あのガウディ、モンタネール、プッチの三大巨匠も受賞した賞です。 -
私は、この扉がお気に入りです。可愛いですよね~
ちなみにこのあたりは、高級ブランドが並んでいて、ここの1階はブルガリ、両隣はシャネルとディオールの店舗です。私には無縁ですが… -
さて次はグラシア通りの終点(起点)と交差する「ディアゴナル大通り」に移動します。
これは、「サルバドール・バレリ・イ・ププルル」が1909年から1911年に設計・建設した「カサ・コマラット」です。
「ディアゴナル大通り」と「コルセガ通り」の両方に面して建っているのですが、ファサードが表と裏で全く違う雰囲気になっていることで有名な建物です。
ならば、ファサード全体の写真を撮らねばと頑張ったのですが、家の前には街路樹が茂り、全体を写真に収めるのは至難の業。建物巡りは冬がいいかもしれませんね。 -
ということで、接近して見上げる感じの写真となりました。
この「ディアゴナル大通り」側はエレガントで品の良い感じのデザインになっています。
とはいえ、ガウディのカサ・バトリョにインスピレーションを得たと言うだけあって、1階の窓はカサ・バトリョによく似ていますね。 -
この建物で一番目立つのが、なんといってもこの変わった最上部。ここは一体何なんでしょうか?カサ・ミラの屋上からも見えていました。
楕円形の開口部の周りには、まるでネックレスと花冠のような、とても綺麗なお花の彫刻が有ります。美しい女性の彫刻も見えますね。
屋根は、緑の釉薬をかけたセラミックで覆われていて、白い石造りに良く映えます。 -
このバルコニーのコーベル(軒送り)に施された彫刻は、際立って美しいです。
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1階の窓の上の彫刻も、番地表示も可愛らしいですね。
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イチオシ
この美しいドア周りの装飾をボーっと眺めていたら、背後から「キレイネ」と声をかけられました。
見ると品のいい地元のご婦人。日本にいたことがあるとのことで、日本語で声をかけてくれたのです。地元の自慢の建物だとおっしゃっていました。
ちょっとお話して別れたのですが、すぐにそのご婦人が戻って来られて「カバンからは絶対手を離さないでね」とギュッとカバンを持つ真似までしてアドバイスしてくれました。とても嬉しかったですが、わざわざ注意するために戻ってきてくれるほど、バルセロナは治安が悪いんですね。(;゜0゜)
このあたりは比較的治安もいい地区のはずなんですが、「治安がいい」のレベルが日本とは違うってことかもしれません。 -
この「カサ・コマラット」は表と裏が同じ建物とは思えないような全く異なるデザインだとのことでしたが、実際裏の「コルセガ通り」側に回ってみると、想像以上に違うテイストなので、何度も番地表示を確かめてしまいました。
相方と「これ?」「いや、まさか」「でも多分これ…」「だよね…」と何度も確認し合ったりして(笑) -
「コルセガ通り」側のファサードは、壁全体が美しいモザイクで飾られ、ファサード自体は曲線を描くという、とても華やかな雰囲気です。特に1階部分の窓は、ガウディ作の「カサ・バトリョ」を彷彿とさせ、よりアール・ヌーヴォー的な印象を受けます。
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これまで見てきた邸宅は、2階部分のみ出窓になっている形が多かったと思うのですが、この邸宅は、2階以上が全部出窓になっています。
建物中央に縦に伸びるモザイクもなかなか斬新です。 -
窓は、美しいステンドグラスになっているようですね。各窓についているロールアップの日除けも、建設当時の1900年初頭では斬新だったんじゃないでしょうか。
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イチオシ
モザイクで華やかに飾られたペディメント部分には、なぜか覗き穴のような楕円の穴があいています。
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出窓の下も、しっかり綺麗なモザイクで飾られています。
この建物のモザイク装飾は全てセラミックで、「ルイス・モレノ」によるものです。
彼は内部の装飾の一部も担当しているそうで、その内部装飾は、それはそれは美しいそうなのですが、残念ながら現在普通に使われている建物なので、見学はできません。
内部の装飾に興味のある方は、こちらのHPで見ることができます。
https://sites.google.com/site/barcelonamodernista/casa-comalat -
アール・ヌーヴォー好きにはたまらないフォルムの扉周りのデザイン。
石の部分は石の色を変えることで、モザイクのようにしてますね。 -
このアイアンワークといい、それを囲む石の曲線といい、アール・ヌーヴォーしてますわ~。
ちなみに、この美しいグラデーションになっている石は人工石だそうです。 -
イチオシ
この旅行記の表紙にもしていますが、私的には完璧なアール・ヌーヴォーで、お気に入りの一枚です。
惜しむらくは、現在現役で活躍している建物なので、1階の窓部分には、売出し物件のチラシがビッシリと貼られちゃっています。どうやら不動産屋さんのようでした(笑)
表側(ディアゴナル大通り側)の純白の石壁に、豪華で緻密な彫刻が施されたファサードと同じ建物とは思えないですよね…。どういう思想の下こんなに雰囲気を変えたのか、聞いてみたいです。 -
「ディアゴナール大通り」には、オベリスクも建っています。
オベリスクってヨーロッパにはいたるところにありますよね。パリは有名ですが、リスボンにもありましたし…。
さて、次はこのオベリスクのある広場を横切り、「グラシア通り」の一本先の道、「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」にあるモデルニスモ建築を見に行きます。 -
「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」の起点(終点)には、こんなおちゃめな銅像があります。題して「キリンのマハ」。
カタルーニャ出身の彫刻家「ジョセ・グラニエ」による彫刻(1972年)で、ゴヤの「裸のマハ」のパロディです。 -
「ディアゴナル大通り」を背に「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」を「カタルーニャ広場」方向に歩いて行きます。
するとほどなく左手118番地に、壁にたくさんの天使の絵が書かれた家が目に入ります。
これは「マヌエル・コマス・イ・トス」が1899年に手がけた「カサ・マルファ」です。 -
3フロア分の大きな絵はスグラッフィートで書かれていて、とてもインパクトがあります。
ただ、色使いがパステルカラーなので、優しい印象です。 -
なんと、偶然扉が開いていて、入口に住人らしき人が立っていたので、「中を見ることはできますか?」と聞いたところ、「ここで見るだけならいいわよ」とのことだったので、覗かせていただきました。あ、写真を撮っていいかも聞きましたよ!この2センテンスは、旅の必須英語ですよね。これだけはサラサラと言えるのです。えっへん!( ^ ≧^)
にしても、床も、天井も、壁も綺麗ですよね~ -
ライトもとてもおしゃれなデザインですし、なにげにドアノブも、めちゃめちゃ可愛かったのです。
てことは…この辺りのモデルニスモ風の建物は、ちょいと中を見たらこんな感じなのでしょうか?見せて欲しいな~ -
こちらは、地下鉄「パセジ・デ・グラシア駅」の出口の前にある大きな建物で、家のコーナー部分の2階には左右対照の出窓があります。
この建物は、壁一面の植物柄のスグラッフィートと錬鉄の手摺がとても綺麗です。 -
この手摺、ものすごく繊細なデザインですよね。壁のスグラッフィートのデザインとお揃いです。決して布団なんて干してはいけせんよ!
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コーナー部分の出窓には、スグラッフィートと同じデザインのステンドグラスがあしらわれています。
部屋の壁に色が写っていますね。部屋の中から見たら、さぞや綺麗なんだろうなぁ。。。 -
次の建物は、「カサ・ジュンコサ」です。
これは、「エヴァリスト・ジュンコサ」が、ランブラ・デ・カタルーニャの敷地を購入し、1907年に「サルバドール・ビニャルズ・イ・サバテ」に建設を依頼したものですが、完成は1908年です。
この作品は、「サルバドール・ビニャルズ」が通常の折衷的な作風から離れて、著しくモデルニスモ的な要素を取り入れて作ったとのことですが、波打つ屋根のライン、バルコニー、そして美しい彫刻いっぱいの出窓など、完璧にモデルニスモしてますね。 -
えと…この正面に写っている建物は味も素っ気もないですよね。「ジョゼップ・ドメネク・イ・エスタパ 」が1909年に手がけた「カサ・アスンシオン・ベローゾ」という家なんですが、122番地に建てた家と酷似していたことから改装を重ね、建築当時の面影が薄れてしまったそうです。
なんでこうしちゃうかな…って感じですね。ま、4階ぐらいまでは昔の名残がありますが…。
で、その横にちょこっと写っている 上に滑車がついている建物が「カサ・ドメネク・イ・エスタパ 」で、同じく「ジョセップ・ドメニク・イ・エスタパ」が1909年に自身の家族の為に建てた建物だそうです。正面は片側のみガラスの出窓があります。結構凝った作りになっていたのですが、この時はひたすら「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」を進んでいたので、横切る「バレンシア通り」の家まで写真を撮る余裕がなく、残念ながらこの1枚しか写っていません。
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そして、「カサ・アスンシオン・ベローゾ」のお向かい、「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」と「バレンシア通り」の角地に建つのが、「カサ・ボナベントゥーラ・ポレス」。「ボナベントゥーラ・ポレス・イ・ヴィヴォ」が1892年に建てた自宅です。
建物の角の円筒形のガラス張りの出窓や、三角形の珍しい出窓など、とても目立ちます。 -
出窓にはステンドグラスもあるようですが、いたるところに蝶のモチーフが散りばめられているのが気になります。蝶々好きだったんでしょうか?
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各フロアーの窓の手すりも蝶々
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出窓のガラスの下にも蝶々。なにげに、出窓を支えるコーベル(軒送り)も蝶々が並んでいるようです。
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さらにどんどんカタルーニャ広場に向かって歩いていくと、石造りの家の並ぶ中、木製の出窓が目を引く家「カサ・ドロルス・カルム」があります。
この家は1879年に建設されたものを、1903年に「ジョセップ・デウ・イ・ブスケツ」が改装したのですが、最も特徴的な出窓や彫刻、スグラッフィートなどのファサードは、「ジュゼップ・ビラセカ・イ・カザモバス」が担当したものです。 -
この建物は木製の出窓の存在感が、半端ありません。
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ハート型や、犬の彫刻もあります。犬って珍しいですよね?モデルニスモ建築には、ドラゴンとか、サン・ジョルディとか、バラとかが多ですから…
ステンドグラスも綺麗そうです。 -
イチオシ
そして、壁のスグラッフィートの装飾も、ピンクの濃淡でお花が描かれていて、とても可愛いのです。
窓の上の白いお花の彫刻もキュートです。 -
ちょっとカメラのアングル間違えちゃったかもですが、出窓の下に描かれた絵と、入口の上に施された純白のお花の彫刻です。
とにかく可愛い家でした。 -
「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」の建物の最後は、カタルーニャ広場方向に向かって右手にある建物です。
1階には私も愛用しているスニーカーの「ニューバランス」のお店が入っていますが(笑)、これは「カサ・マヌエル・ファルガス」です。
1904年に建てられたこの建物は、「ミケル・A・ファルガス博士」が「エンリック・サニエ・イ・ヴィラヴェッキア」に依頼したもので、彼の他の作品に比べ、おとなしめのファサードになっているそうです。
中央の4フロアーを貫く出窓を中心に、左右対称に作られており、出窓に施された彫刻や、手すりのデザイン等も繊細で品よく仕上げられています。 -
ファサードのプレートには、「ラモン・トリアス・イ・ファルガスは、この家で生まれ、住み、亡くなりました。 彼は経済学者であり、政治家であり、議会議員、上院議員、バルセロナ市議会議員、カタルーニャ政府の顧問を務めました」と書かれています。カタルーニャの誇る偉人だったようですね。
ま、このプレートよりニューバランスのマークの方が今は目立ってるんですけどね。
ちなみに、私は父が転勤族だったので、あちらこちらに住んだため、生まれた家で死ぬなんて想像できませんわ。 -
誰です?疲れ果てて座り込んでいる私だという人は!!
これは、「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」の終点(起点)にある「考える牛」です。反対側にある「キリンのマハ」と同じ彫刻家「ジョセ・グラニエ」による彫刻(1972年)で、言うまでもなくロダンの「考える人」のパロディです。
「キリンのマハ」と「考える牛」を見たということは、「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」を歩き倒したということです。
\\( ⌒▽⌒ )// バンザーイ
「ディアゴナル大通り」、「グラシア通り」、「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」などのアシャンブラ地区は、とにもかくにも、豪華なモデルニスモ建築の宝庫です。なので、浮かれ過ぎて見逃した家、写真のない家などがいっぱい。
またじっくり腰を据えて見学したい地区でした。 -
ちなみに、この「考える牛」のすぐそばには、緑の庇が目印のタパスが美味しい「シウタット・コンタル(Ciutat Comtal)」がありますので、見学のあとは是非タパスでエネルギーを充電してくださいね。混んでるけど(笑)
シウダッド コンダル 地元の料理
-
相方がお腹の調子がイマイチだというので、私一人でこのあと行ってみました。
女性一人で行っても、全然大丈夫ですよ~
本当に美味しいので、絶対オススメです。
あれ?モデルニスモ建築に特化した旅行記のはずでしたが、最後はこんなものになってしまいました。 f(^_^; スンマセン
仕切りなおして…次は、「モデルニスモ三大巨匠以外の作品たち【後編】」、アシャンブラ地区以外の建物たちです。
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