2019/10/27 - 2019/11/07
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mirilinさん
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あはは・・・今回もやってしまいました歩き倒しの旅。
そろそろ年も年なんで、あくせくせず、のんびり滞在してゆったり観光しよう!と思っていたんです。当初の予定は。
だから、バルセロナに10泊もするという計画を立てたのに、いざ現地に行くと、なにか大きな目的地のそばには、必ずと言っていいほど、他にも見逃せないポイントがあるわけで、近くにいるのに見に行かないわけにいかない!とついついそちらにも足を向けたりするので、気が付けば北へ南へ東へ西へと、とにかく歩き倒してしまうという、旺盛な好奇心とたぐいまれな貧乏性のわたし。今年も相方から「歩きすぎだ」「欲張りだ」「苦行だ」と苦情が寄せられてしまいました。でも治りませんよ、私のあっちもこっちも行きたい病。
そんなわたしの訪れたあっちやこっち、今回も一挙放出しちゃいます。
まぁ、全編公開までには時間がかかるかと思いますが、よかったらお付き合いください。
ちなみに、今回のバルセロナ訪問の大きな目的は、アール・ヌーヴォー大好きな私ですから、もちろんスペインのアール・ヌーヴォー=モデルニズモ建築巡り。これまで、パリ、ブリュッセル、アントワープといろんな場所でアール・ヌーヴォーに浸ってきましたが、今回もバルセロナでモデルニズモを堪能してまいりました。
もちろんそれ以外にもいろいろ見てきましたので、今回は時系列ではなく、テーマ別にもまとめてみたいと思います。
その(9)は「ガウディ、モンタネール、プッチの三大巨匠ばかりがモデルニスモではない」とのその他の建築家の草葉の陰からのブーイングに応え、バルセロナの街に溢れる三大巨匠以外の素敵なモデルニスモ建築を一挙に紹介するその後編、アシャンブラ地区以外のモデルニスモたちです。
バルセロナは、美しい建物、ユニークな建物、摩訶不思議な建物などが次から次へと現れて、建築好きカメラ小僧のワンダーランド。い~ぱい素敵な建物紹介しますね~
その他のモデルニスモ建築の旅行記はこちらです。
(1)サグラダ・ファミリア&グエル公園
https://4travel.jp/travelogue/11568448
(2)カサ・ミラ&カサ・パトリョ
https://4travel.jp/travelogue/11622978
(3)カサ・ビセンス&グエル邸
https://4travel.jp/travelogue/11623386
(4)グエル別邸とその他のガウディ作品たち
https://4travel.jp/travelogue/11624946
(5)サン・パウ病院(モンタネール作)
https://4travel.jp/travelogue/11625773
(6)カタルーニャ音楽堂とその他のモンタネール作品たち
https://4travel.jp/travelogue/11626592
(7)カサ・アマトリェールとその他のプッチ作品たち
https://4travel.jp/travelogue/11627998
(8)モデルニスモ建築三大巨匠以外の作品たち 前編
https://4travel.jp/travelogue/11629209
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まずはこちら、「モヌメンタル闘牛場」です。
ははは、すみません。のっけからモデルニスモ建築ではないし、ここはアシャンブラ地区なので、今回の旅行記の対象外のものになっちゃいました。
でも、このような建物は他にはないし、25年前には、ここで実際の闘牛を見た思い出もあるので、掟破りで登場させました。お許しを。
サグラダファミリアにも行く地下鉄「L2」号線 モヌメンタル(Monumental)駅から徒歩3分と、行きやすいところにありますよ。モヌメンタル闘牛場 スタジアム・スポーツ観戦
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「モヌメンタル闘牛場」は、1914年に建てられた「ネオ・ムデハル様式」の闘牛場です。
当初は「ノウセンティズム様式」で「マヌエル・ジョアキン・ラスパル・イ・マヨール」の設計で建てられ、後に「イグナシ・マス・イ・モレル」と「ドメネク・スグラニェス」によって、「ネオ・ムデハル様式」に拡張されました。
「ノウセンティズム様式」ってなんじゃい?ですよね(笑)
19世紀のアールヌーヴォー建築は極度にバロックで過剰なものと見なされ、その反動のようにフォルムや装飾をよりシンプルにしたもので、独特の壮麗な風格を保ちながら、バランス、シンメトリー、シンプルさを追求したものが、「ノウセンティズム様式」だそうです。 -
この塔の上の卵のようなドームがとても特徴的です。まさに「ネオ・ムデハル様式」に拡張された部分ですね。
塔には一切装飾がありませんが、こちらは「ノウセンティズム様式」なのでしょうか。 -
この門は、「ネオ・ムデハル様式」ですね。
レンガ積み、階段状のくり抜きは、"The ムデハル" -
壁面の青と白のモザイクタイルが、青空に映えます。
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この入口のアーチは、モデルニスモに通じますよね。
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いろいろなデザインの可愛いモザイクがあちらこちらに描かれて、「生と死」をかけた血みどろの戦いをする場所とは、ちょっと不似合いな気もします。
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アラブ的なネオムデハル様式がとても目立ちます。
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カタルーニャ議会が闘牛を禁止する法律を可決し、2012年1月1日から闘牛が禁止になりましたが、ここはカタルーニャで闘牛が開催された最後の場所でした。
今は、「強者どもが夢の後」って感じですね…。 -
これは、25年前に実際に私がここで見た闘牛の写真です。
この時も、バルセロナでは今はここでしか闘牛はやっていないと聞いた気がします。
闘牛場は、規模の大きさや歴史があるところは1級闘牛場にカテゴリー分けされるのですが、ここ「モヌメンタル闘牛場」も1級闘牛場に指定されていました。1級闘牛場では、花形マタドールが登場する闘牛が行われるそうで、この時もたくさんの人が花形マタドールにサインを求めて群がっていたのを思い出します。(イケメンでしたよ)
観客席がガラガラに見えますが、写真に写っているのは日なた側の席。バルセロナの日差しは暑すぎるので、日陰側の席が人気なんです。この時も日陰側はそこそこ混んでいましたよ。値段も日陰側の方が高いんですって。 -
今は、「闘牛博物館」になっているので、内部に入ることができます。
私は朝一番で行ったので、開館前で残念ながら中には入れませんでしたが、話のタネにカルメンやドン・ホセになった気分で、内部の様子を見るのもいいかもしれません。闘牛場自体も見られますし、花形マタドールの衣装や当時のポスターなども展示しているみたいですよ。 -
ちなみにこちらは、闘牛場跡をショッピングモールにした「ラス・アレナス」。
ネオ・ムデハル様式で、1900年に建設された闘牛場跡ですが、2011年にショッピング・モールとしてオープンしたそうです。
「スペイン広場」のすぐ前にあり、エレベータで屋上に上がると
、「カタルーニャ美術館」まで続く「レイナ・マリア・クリスティナ通り」や「ジョアン・ミロ公園」など、バルセロナの町を360度眺めることができます。
ここで裏技を…外にある屋上への直通エレベータは行列ができていることが多いのですが、ショッピングモールに入って、エスカレーターで上がっていけば混雑なく屋上に行くことができます。アレナス モール ショッピングセンター
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で、その屋上からでなければ見ることができない蝶のオブジェが印象的なモデルニスモ建築が「カサ・ファジョル」です。
ファサード上部のトレンカディスで作られたカラフルな蝶が特徴的なため「カサ・デ・ラ・マリポーサ」(蝶の家)ともいわれています。
「ジョゼップ・グラナー・プラット」が1912年に手がけた作品です。
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「ラス・アレナス」ショッピングモールとこの「カサ・ファジョル」の間の道が細いので、家の前からでは建物の全貌は見えません。てか、肝心の蝶は全然見えません(笑)
それどころか、1階部分はいたって平凡なので、うっかりすると通り過ぎてしまいそうです。 -
もちろん、扉の細かい点は、お花をあしらったり、曲線を用いたりと、モデルニスモの路線上にはあります。
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さて、ところ変わって、「シウタデリャ公園」の北西部にある威風堂々としたこの凱旋門は、高さ30mのムデハル様式の建造物です。モデルニスモではありませんが、朱色のレンガ造りでとても美しい建造物なので登場してもらいました。
この凱旋門は、フランスの凱旋門のような軍事的な意味合いは全くなく、1888年にバルセロナで開催された万国博覧会のメインエントランスとして、建築家「ジョゼップ・ヴィラセカ・イ・カサノヴァス」によって設計されたモニュメントです。当初、フランスの「エッフェル」がバルセロナ当局に有名な塔を提案したそうですが、バルセロナはこの凱旋門を採用したそうです。一つ間違えば、バルセロナにエッフェル塔が建っていたかもなんですね(笑)
今も、当時の万博のメイン会場だった「シウタデリャ公園」への入口にデーンと建っています。バルセロナ凱旋門 建造物
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この街灯は、「パセジ・デ・グラシア」の街灯を作った「ペレ・ファルケス」が、1888年にバルセロナで開催した万国博覧会のために作った街灯とのことです。
凱旋門から万博のメイン会場だった「シウタデリャ公園」に続く遊歩道「リュイス・クンパニィス通り」に並んでいます。
優雅なデザインの鉄細工はアール・ヌーヴォーの香りがプンプンです。 -
「ペレ・ファルケス」作の街灯といえば、この街灯も彼の作らしいです。
この街灯は、なんと水道もついています。
ホテルの近くを歩いていたら、とても素敵だったので写真を撮っておいたのですが、あとで調べたら、彼の作品でした。 -
この蛇口まわりのデザインが素敵ですよね。
日本の街中の水道も、素敵なデザインにしてほしいな~ -
これは、モデルニスモ様式の薬局跡「ファーマシア・ビラドット」です。
パロマス博士によって1905年に「パロマス博士の薬局」としてオープンした薬局で、後にその名前を「ファーマシア・ビラドット」に変更しました。 全体の設計は「フェリックス・カルデラッハ・イ・アリヴェス」が担当しました。 -
正面の2つの大きな美しいモザイクのパネルは、「ジョゼップ・ブル」の作品です。ただ、オリジナルは「カルデラック」作のモデルニスモ様式のステンドグラスだったそうで、1934年にこのモザイク画に置き換えられたそうです。このモザイク画も美しいですが、ステンドグラスも見たかったなぁ。
モザイク画の両側には、木を模した飾りがあり、根っこまで表現してあります。 -
オリジナルの装飾は、このアイアンワークや、ランプなどの一部分だそうです。
このアイアンワークはモデルニスモというより完全なアール・ヌーヴォーで、パリの街角のような雰囲気です。 -
鉄細工で「FARMACIA」と書かれているのが見えますね。
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お花が可愛らしいです。
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お昼に前を通ったら、シャッターが開いてました。どうやら現在は、お花屋さんのようです。
そういえば、シャッターが下りている時もシャッターにお花の絵が書かれていましたが、この入口の飾りがお花屋さんにピッタリですね。(この飾りは、お花屋さんになってから付けたのかしら?)
地下鉄L1線「Urquinaona」駅から歩いて3分くらいの場所にあります。 -
私たちの滞在していたホテルのある「グランヴィア通り」にも、ゴージャスな建築物がいっぱいでした。でも、灯台元暗しというか、近所の道はただ「通り道」で、建築物に目を留めることもせず、ふと気づいたときには帰国日という有様。で、本当にホテルの近くにあるこの建物だけ写真に収めました。
この建物は、「エンリック・サニエ・イ・ヴィラヴェッキア」が1903年から手がけ、1905年に完成した「カサ・カミル・ミュレラ」です。 -
この建物は、石の透かし彫りで飾られた手すりと、メインの出窓を中心とした曲線を描いたファサードで、当時の典型的なファサードの要素を持っています。サニエは当時の彼の作品の特徴的な要素を取り入れています。木製の軒も、彼が他の作品でも多く使用していますが、特に石の細工刻をうまく使うのが彼の特徴です。
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さて、このどこぞの宮殿のような佇まいの建物は「カサ・ロカモラ」です。
バルセロナ観光のヘソのような「カタルーニャ広場」のすぐそばにあります。
1914年に「アントニ・ロカモラ・イ・プジョラヴァ」が「ジョアキム・バセゴダ・イ・アミゴ」と「ボナベントゥーラ」の兄弟に依頼し、1917年に完成したネオゴシック様式の建物です。
宮殿のように大きな建物のように見えますが、実は外観を統一することで、何軒もの家を合わせて一つの邸宅のように見えるようにしているそうです。 -
オレンジ色の屋根が青空に映えて、美しいですね~
この屋根、ホテルの部屋から見えていたので、毎日挨拶してました(笑) -
こちらの建物も、やはりカタルーニャ広場近くにある宮殿風の「カサ・ポンス・イ・パスクアル」です。「エンリック・サニエ・イ・ヴィラヴェッキア」により1891年に建てられました。
「アレクサンドル・M・ポンズ」の所有する家と「セバスティア・パスクアル」が所有する家の2つの独立した家を一体化してゴシック風の建物のように見せています。現在は、1984年に大改修が行われてしまったそうですが、ロビーの古い石造りの階段や彫刻、鉄製のライト、木製の暖炉などは今でも健在とのことです。 -
次は、カタルーニャ広場からランブラ通りを海に向かって進んでいきましょう。
ほどなく、「バルセロナ王立科学芸術アカデミー」が右手に現れます。
この建物は、かつてのイエズス会の学校の遺跡の上に、「ジョゼップ・ドメネク・イ・エスタパ」が建てた作品で、1894年に完成しました。
1764年に文学協会として設立されましたが、1887年に王立自然科学芸術アカデミーに改称したそうです。このアカデミアの図書室には、3世紀以上にわたる科学の発達に関する記録や著作、科学の歴史に関する資料など、10万冊を超える蔵書が収められているそうです。また1904年からは、ファブラ天文台との複合的な体制をとり天文学や地震、気象といった学問の分野における研究機関としての機能も果たしているそうです。正面の彫刻は、「マニェラ・ファクサ」による作品で、上部にあるドームと冠の形をしたドーム型の塔は、気象観測所と天文台です。
今は、1階に劇場もあります。Teatre Poliorama 劇場・ホール・ショー
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注目すべきはこの時計です。
なんとこの時計、1904年までバルセロナのオフィシャルな時間を指し示す時計として機能していたそうなのです。時計の下には、「Hora oficial」と記載がありますよね。
19世紀の終わり頃は、人々はそれぞれが時間の基準にする指針を持ち、信用できる時刻を示していると思われる時計…カテドラル教会の時計や、駅の時計など…を見ては、時間を合わせていましたが、街の発展につれて、街中で共通の時間を認識する必要が出てきました。そして遂に、1883年にバルセロナ市役所は、この時刻統一の問題を解決するために、このバルセロナのランブラス通りにある「王立科学芸術アカデミー」の時計を、共通時間とすることに決めたそうです。そして、翌年1884年にこの建物の塔に時計が取り付けられたという、由緒正しい時計なのです。 -
「王立科学芸術アカデミー」からさらに海に向かって進んでいくと、まるで城壁のような石の建物が現れます。「ベツレヘム教会」というカトリック教会らしいですが、ここの見学はせず、その角を右に曲がり「カメル通り」という細い道に入ります。
ベツレヘム教会 寺院・教会
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「カルメ通り」を進んだこのあたりは、ラバル地区。このラバル地区はバルセロナの中で1.2を争う治安の悪い地区と言われています。夜は決して一人で行ってはいけません。私は相方と昼間行きましたが、それでもちょっと雰囲気悪くて、奥に行く気はしませんでしたし、あまり長居もしたくない感じでした。
でも、そんな場所に、目を引くレリーフで飾られた建物「カサ・ラモン・ド・マルティ」があります。
この建物自体は、1861年に「ラモン・サンブロ・イ・バディア」によって建てられ、1階に「Batlle i Bausili ファブリックハウス」が設置されました。
そして、1870年に当時の所有者である「F.ミタンス・インディアノ」によって生地の店「エル・インディオ」が創設されました。店の名前の由来は、インディアンとカウボーイの戦いのニュースが当時の新聞を賑わせていたことにちなんでいるとか。西部劇の世界ですね!
その後1922年に「ヴィラロ・バルス・イ・ガルシア・サウメル」によってモデルニスモ様式の装飾になりましたが、戦争でファサードやロビーの装飾等は破壊されてしまいましたが、1950年代に修復されたそうです。お店は2014年に閉鎖され2016年に市の文化財となったそうです。 -
シャッターの落書きが酷くてちょっと残念ですが、この正面の装飾はなかなか凝っています。
木製の大きな看板と各入口アーチごとに小さな看板があり、アーチの間には、店名にちなんで(?)、インディアンの彫刻が飾られています。そして、2階以上の窓の間の壁はスグラッフィートで装飾されています。 -
インディアンの木彫りの下は、お花をあしらった十字架です。
四つの柱の真ん中二つはインディアンで、両端はまるで手鏡のような感じで、鏡部分にはスグラッフィートでお花が描かれています。 -
そして、一番目立っているのは、この角の装飾です。
ま、場所柄ところどころに傷みはありますが、クリーム色の壁に茶系の彫刻がシックですし、字体も綺麗ですよね。
サイドの壁は壁がないのですが、あたかも窓があるかのように、スグラッフィートで四角い枠が描かれています。 -
「カメル通り」には、目つきの悪い人が屯していたり、道端に座っていたりして、なかなかスリリングでしたが、こんなモザイクで飾られた店なんかもあります。
ま、この写真のお店も、「エル・インディオ」に行く途中にあったんですが、行きに通った時は、虚ろな目をしたおじさんが座り込んでいたので、カメラを向けることができなかったんですが、帰りにはいなかったので、慌ててシャッター切った成果です(笑) -
さて、ランブラ通りに戻りましょう。とすぐに、有名な「ボケリア市場」に着きます。いつも大勢の人でごった返している賑やかな市場です。
この「ボケリア市場」は、1217年に肉を売るための青空市場として「ボケリア広場」の辺りで始まりました。1470年12月以降は豚市場、1794年までには小麦市場として知られていましたが、公式には認められていませんでした。その後、主として肉屋と魚屋を含めた市場の計画が持ち上がり、1836年に正式に開業した市場です。
現在の市場は、サン・ジュゼップ修道院が1835年7月に焼き討ちにあい焼失した跡地にその5年後の1840年に、建築家「マス・ヴィラ」によりと建てられ、その後何度も変更されて1853年に完成したものです。ブケリア市場 市場
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入口のステンドグラスの屋根と鉄製の看板がとても綺麗です。
これは1913年に「アントニ・デ・ファルゲラ・イ・シヴィラ」により作られたものです。 -
体に悪そうな色合いのお菓子などもありますが(笑)、美味しそうな生ハムやフルーツ、生鮮食品などが所狭しと並んでいて、ブラブラある気がとても楽しい市場です。
もちろん建築物ウォッチャーとしては、売り場の装飾も見逃しませんよ!
このお菓子売り場の看板も可愛いですよね。 -
その場で食べられるBarのようなところもあります。市場内のお店とは思えないぐらいお洒落な雰囲気です。このお店もライトが可愛いですね~
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こちらもアール・ヌーヴォーの香りがプンプン。
お店で売っているものより、こちらが気になってしまう私は、やっぱおかしいかしら… -
でもやっぱり、美味しそうなものは気になります。
ヨーロッパの市場でいつも思うのですが、日本とは商品の並べ方が違いますよね。
スペインならではの生ハム屋さん、面白いディスプレイの貝屋さんと果物屋さん、そして美味しそうなお惣菜たちです。 -
体に悪そうなキャンディと、美味しかった生ハムの切落し&チーズ盛り合わせ。
生ハムもいろんな種類があって、何がいいのか分からず適当に買ったのですが、美味しかったですよ。 -
名残惜しい「ボケリア市場」に別れを告げ、さらに海に向かってランブラ通りを進むとほどなく、美しいモザイク画のあるお店があります。
ここは、1820年創業のパスタの製造・販売を行っていた「ジャウメ・フィゲラス」の店「旧カサ・フィゲラス」です。
1902年に、画家でありセットデザイナーでもある「アントニ・ロス・イ・グエル」に依頼し、モデルニスモ様式に店を改装しました。
1986年に有名なお菓子屋さん「エスクリバ」が、建物を取得、復元し、 現在はお菓子屋さんとして営業しています。
正面には「Antigua Casa Figueras」の表示とクジャクのステンド・グラスがありますね。 -
モザイクのグラデーションが美しく、錬鉄のカーブも独特です。
これらのモザイクは、「マリオ・マラリアーノ」により、トランカディスでつくられています。
ファサードは、彫刻のレリーフ、モザイク、鉛ガラス、錬鉄など、様々な装飾芸術が統合された素晴らしい例だと言われています。 -
お店の角には、現在のお店の名前「エスクリバ」の看板が、まるで昔からあったかのように調和しています。
元パスタ工場兼販売所を彷彿とさせる、収穫の小麦を抱えた力強い印象の女性のレリーフは、彫刻家「ランベルト・エスカレル・イ・ミラー」の作品です。 -
お店の中も、ちゃんとモデルニスモ様式を維持しているところなど、「エスクリバ」に感謝です。
お客さんがお菓子を物色中でしたので、中には入らず、入口から1枚だけ写真を撮らせていただきました。 -
「旧カサ・フィゲラス」の数軒先には、「エンリック・サニエ」の設計による「カサ・ドクトール・ジェノヴ」があります。
1911年完成のこの建物は、ジェノヴ博士の依頼により、1階が薬局、2階が研究室として作られましたが、間口が狭いことを逆手にとって、正面はネオゴシック様式のような尖ったアーチにしています。
この建物で一番印象的なのはブルーのモザイク画の美さです。まるで絵のように見えますが、あのサン・パウ病院やカタルーニャ音楽堂なども手がけた「リュイス・ブリュ」のモザイク画です。
また、元々は、ステンド・グラスや鉄製の看板があったそうですが、残念ながら現在はありません。いまは、1階がレストランになっていました。 -
そして、「カサ・ドクトール・ジェノヴ」のランブラ通りを挟んで向かいに、とてもユニークな「カサ・ブルーノクアドロス」があります。
ここは 現在は1階に銀行が入っているとのことですが、元は傘屋さんだったそうです。ま、壁面の傘の装飾を見れば一目瞭然ですね。地元では、この傘の飾りが目立つことから「傘の家」とも言われているそうです。
1883年に「凱旋門」等で有名な建築家の「ジュゼップ・ビラセカ・イ・カザノバス」が傘屋さんの改修を行ったそうです。
この奇抜な外観は、1888年の万国博覧会に向け、当時のバルセロナ市内にユニークな建物が増えていたという時代背景が影響しているそうですが、日本の版画の影響を受けた飾りもあり、ジャポニズムも影響していそうですね。 -
建物から中国の龍が飛び出し、傘屋さんの看板代わりになっています。
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そして、この、「カサ・ドクトール・ジェノヴ」のあるあたりのランブラ通りには、モザイクでミロの絵が描かれています。
建物ばかり見て歩いていると見落としますので、要注意ですよ。
私たちも1度目は気づかずに通り過ぎてしまいました。このあたりはランブラ通りのちょうど中心あたりで人通りも多いので、さらにわかりにくかったりします。 -
ランブラ通りは、海に向かってさらに伸びており、ガウディ作のグエル邸や、街灯などもありますが、それは別旅行記でたっぷり紹介していますので、このあたりで引き返すこととします。
リセウ劇場 建造物
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あ、有名なモデルニスモ建築の前には、こんなマークがありますよ。
足下要注意です。 -
さて、このシリーズ(←勝手にシリーズ化)のトリに登場するのは、私が10日間お世話になった「ホテルグランヴィア」です。
場所は「カタルーニャ広場」から北に5分弱で、「パセジ・デ・グラシア」と「グランヴィア通り」の交差点近くにあり、主な観光地には徒歩で行けるという最高の立地にあります。
正確には途中2泊3日でトレドに行ったので、8泊お世話になったのですが、トレドに行っている間、お部屋はそのままにしておいたので、荷物だけは10泊きっちりお泊りしてました。(笑)ホテル グランヴィア ホテル
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もう入口からアール・ヌーヴォー感たっぷりですよね。
立地も最高でしたが、この入口の写真を見て、数ある候補の中からここに泊まろうと決めちゃったくらいです。(笑) -
ここは2階のエレベーター前。どこかの美術館や博物館かみたいですよね。左にチラっと見えているところが、朝食やティータイムなどに利用するラウンジです。
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建てられたのは1870年、当時バルセロナ銀行のオーナーであったJosep Maria Serra氏と婦人のDorotea de Chopiteaが、バルセロナの中心街に自分たちの新しい家を建てることになり、Geroni Granellsに依頼したものだそうです。
その後、以前のパレスの雰囲気を壊さないように改装して、1935年にホテルとしてオープンしたそうです。 -
毎年秋にバルセロナ市が主催し、市内の古い建築からモデルニスモ、最新の現代建築まで普段は見られない160もの建築を市民に公開する「48H OPEN HOUSE BARCELONA」という企画にも参加しているようです。
この企画、日ごろ見られない邸宅の中も無料で見学できるそうで、2日限りとは言え素晴らしい企画ですよね。参加した~い!! -
コンパクトな1階レセプション前ホールです。壁全体が白いせいか、とても明るく清潔感があります。
booking.comで予約を入れておいたのですが、どうやら操作ミスで二重に予約を入れてしまっていたことがチェックイン時(深夜)に発覚。でも、にこやかに「That's OK」と笑顔で当日なのに無料キャンセルしてくれました。神対応に感謝!
客室などホテル自体については、口コミ書いてますので、気になる方はそちらをご覧くださいませ。 -
モデルニスモ建築を求めて歩き倒したバルセロナの街。
まだまだ見たいところがいっぱい残っています。
いつかまた絶対再訪して、体力の続く限り歩き倒したいと思います。
との決意表明をもって「またやってしまいました歩き倒しの旅 in バルセロナ」シリーズ全9篇は終了です。
バルセロナのマーク柄の可愛い石畳さん、待っててね~。また歩き倒してあげるよ~ マタネ!(゜-^*)/~
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