2014/08/13 - 2014/08/16
9365位(同エリア17017件中)
Kodamariさん
- KodamariさんTOP
- 旅行記87冊
- クチコミ37件
- Q&A回答0件
- 114,983アクセス
- フォロワー22人
この旅行記のスケジュール
2014/08/13
-
モンパルナスのクレープリーで伝統的なガレット
-
ギマールのメトロの入り口ウォッチは滞在中ずっと。
2014/08/14
-
電車での移動
ブリュッセル日帰り フラワーカーペット見物
2014/08/15
-
カルナヴァレの見学後、近くのカフェでガレットランチ。
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
こんな時だから、ミュシャ がらみのちょっと昔の旅を振り返り。
私、世紀末芸術は好きなのに、パリは(なんやかやリピートはしていますが)敢えては行かない街です。この時も別の旅先を考えていたのですが、1900年のパリ万博を中心としたエキジビジョンがあるという情報を得て、急遽旅先を変更。数少ない行くべき理由のひとつである、美味しいお店が軒並み閉まってしまうバカンスシーズンのパリですが、それを補って余りある展示!行くしかない!
会場では、ミュシャ作の、幻のパビリオンの内装やガレなどの芸術品も堪能。会場自体も万博レガシーなので、世紀末芸術好きには大満足。その他、ミュシャ好き必修のカルナヴァレにも行き、ギマールのアレのバリエーションを探してみたり…なんか色々やっています。
注)この旅行記は振り返りなので、訪れた順より対象物優先でまとめています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「パリ 1900」展が開催されているのはプティ・パレ。
これも万博会場でした。
ルーヴルやオルセーでもあるまいし…と思っていましたが、開場前にはそこそこの行列ができていました。プティ パレ (パリ市立美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
-
「パリ 1900年」展のバナー。パリにとっての世紀末はロートレックか。
贔屓目に見てもロートレックはあの時代の主流ではないけど(唯一無二ではあるけれど)。やっぱりアイコンはフランス人じゃないと!って事なのね。プティ パレ (パリ市立美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
-
最初の部屋に展示されていた細長い複数のパネル。ひと目でミュシャとわかるこれは万博パビリオン(ボスニア・ヘルツェゴビナ館)の内装で、レイアウトのスケッチや会場のぼんやりした写真はミュシャ好きの中では知られていますが、オリジナルは散逸したと思われていたもの。
しれっと出てくるなんて!
期間限定のパビリオンの内装パネルなので、塗りは薄く、劣化も手伝って、木目が透けてしまっています。 -
これはミュシャが描いた「人類館」。
1889年の万博のシンボルだったエッフェル塔は、この頃には展望台としての人気が下火になっており、いずれ解体される事になっていました。ミュシャはその基礎を利用し、人類の叡智をテーマとしたパビリオンを提案しました。フリーメイソンの会員だったミュシャらしい発想です。
エッフェル塔はその後、軍用通信塔として存続が決まり、今ではパリの象徴となっています。
正直、コレはミュシャ好きからしてもかなりアレ度が高いと言わざるを得ません。
もしもうっかり実現してしまっていたら、パリは世界一の観光地ではなかったかも。 -
軍用通信塔になったことで、トンデモ建築に生まれ変わることを免れたエッフェル塔さんがこちら。
定期的にキラキラ光って観光客を楽しませています。エッフェル塔 建造物
-
こちらはアール・ヌーヴォーを代表する宝飾デザイナーの一人、フーケの宝飾店の内装デザイン画。これもミュシャ。
これ後で出ま~す!プティ パレ (パリ市立美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
-
ミュシャデザインのテーブル。
彼のデザイン資料集から勝手に作ったものかも。 -
ラ・ナチュール。
万博のオーストリア館の室内装飾で、頭の大きな石のところにはもともと電球がつけられていました。所謂ルームランプ的なものです。
現存するものは5体と言われていて、色々なバリエーションがあります。(堺にも1体あります。)銀色の肌のものの実物は初めてみました。 -
イチオシ
ラリックやガレ、フーケなど、アール・ヌーヴォーの工芸品が数多展示される中で一特に気に入ったのはこの蝉のかんざし。
羽の透けた感じ、パールの蕾など、たまりません!
ガストン・ショパールというあまり有名ではないアーティストの作品ですが、調べてみると、ジャポニズムに相当のめり込んだと思われる絵画が残っていたりして、だからこそ日本人の琴線に触れる作品になったのかも知れません。 -
ミュシャ出世のきっかけとなった、女優サラ・ベルナールのコーナー。
彼女の舞台の広告ポスターで、ミュシャはパリの人々を虜にしました。「ジスモンダ」「ロミオとジュリエット」「椿姫」「メディア」などのミュシャによるポスターとともに展示されているサラの胸像のひとつは全盛期のもの。 -
そしてもう一つは最晩年のもの。
サラ自身は、老いた自分を晒す事を良しとしなかったそうなので、讃えるためとはいえこうやって展示されるのは不本意かもしれません。 -
会場のプティ・パレは、アール・ヌーヴォーの時代のものなので、手すりもこんな感じ。こーゆーのがレガシーっていうのよね。
プティ パレ (パリ市立美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
-
マニュエル・オラツィ(イタリア人)のポスターも、ミュシャ(チェコ人)様式炸裂。
その物量から、当時のパリは、ロートレックなどのフランス人によるものよりも国外からもたらされたストリームが主流であったことは想像に難くない。
そんなアール・ヌーヴォーは、好景気の後押しもあり、やがてヨーロッパを席巻し、それぞれの国の文化に取り込まれ、変容してゆくのだけれど、フランスでその熱が冷めるのは早く、無かったかのように廃れてしまいます。なのに世紀末芸術はフランス人がリードしたかのように印象づけられているのだから。ずるいわ~。 -
イチオシ
パリのアール・ヌーヴォーといえば!のギマール作品であるメトロ入り口。ただでさえ繊細な曲線の上、ガラスと鉄なので脆いし、アール・ヌーヴォーは前述の如く一夜の夢。中心部の多くのそれは撤去されてしまいましたが、その後、観光整備でレプリカが多く作られました。
街外れにあるポルト ・ドフィーヌ駅の入り口は、残り少ないオリジナルのうち最も状態が良いもの。
エッフェル塔といいこれといい、パリが一度は否定した世紀末建築が、パリのイメージとして世界中に知られているのは皮肉な話です。 -
ポルト・ドフィーヌのものはわざわざ見に行きましたが、ギマールのメトロの入り口は街歩きの際にオートマチックにチェック。
前述の通り、見かける多くはレプリカですが、それを含めてコの字型の柵はバリエーションが豊富。
多くは面白みのない壁だったりプレーンな柵ですが、たまにカブトガニのようなモチーフの「当たり」の柵があります。 -
これが当たりの柵。
ザ・曲線美。 -
ここも世紀末芸術フリークとしては外せない、カルナヴァレ博物館。この少し後から始まった修復休館が長らく続いています。
カルナヴァレ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
パリの歴史をざっくり紹介している博物館ですが、19世紀末から近代にかけての市民の生活にまつわる展示が充実しています。
この時は「パリ 1900」展に貸し出されていた、シャ・ノワールの看板とスタンランのポスターは、カルナヴァレに常設されています。カルナヴァレ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
この時の訪問は改装前なので、今後どうなるか分かりませんが、この時は私の最大のお目当ては、地上階の端の、小さなお手洗いの先にひっそりとありました。
順路から外れているので、館内図をきっちり見ないとこんなゴージャスな展示があるなんて気付かないだろうと思いますが、20世紀初頭にあった、フーケ宝飾店が移設されています。
内装はミュシャによるもの。フーケは、ミュシャがデザインし、サラ・ベルナールが舞台で身につけた、それはそれは美しい蛇のバングル(堺にあります)を制作したことでも知られています。
このファサードもゴージャスなのですが、狭い廊下に面していて全景が撮れません。カルナヴァレ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
宝飾店のカウンター。
天井から床まで、ミュシャ・ワールド! -
何ここ、天国ですか~??
-
イチオシ
「パリ 1900」展に展示されていた内装のスケッチはこれ!
曲線のフレームやドレスの裾のようなマントルピースがエモ過ぎ。
場所が悪いからか、殆ど人が訪れません。
大好きな時代にタイムスリップしたかのような至福の時を過ごしました。 -
カルナヴァレのコレクションには藤田嗣治の小品も。
人物じゃなくても、遠くからでも藤田と分かる色とタッチ。彼のアトリエがあった辺りは今もこんな雰囲気です。 -
アール・ヌーヴォーではありませんが、在りし日のノートル・ダム大聖堂。
(ファサードは無事だったようなので、こちらからの見た目は変わらないですが、敷地に廻らせたフェンスの外から眺めるだけになっているようですね。)
常に入場待ちの人で溢れていて、大人になってからは1回しか入ったことがない気がします。いつでも行けるから、と思っていたのに…。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
-
お昼はほぼガレットでした。
これはバカンス期間で閑散としたモンパルナスで入った、おじいちゃんがやっているこぢんまりとしたクレープリーのもの。
どこから来たの?と聞かれ、日本からと答えると「日本人は好きなんだ」と言って、自家製というシードルをおまけしてくれました。
超下戸で、シードルでさえ顔が赤くなっちゃうから昼は飲めないのだけど、気持ちが嬉しかったので、少し無理をしていただきました。酵母の香りが糠っぽく、素朴な旨味に、自家製らしさを感じました。エッフェル塔 建造物
-
別の日のランチのガレット、こちらはマレ地区のシャレオツなカフェで。
コンサバなフランス人なら受け入れなそうな露骨にイタリアンなヴィジュアル。味もそれなりで、今考えると「映え」黎明期の徒花だったかなと。
これより10年くらい前のパリはまだ、英語でのコミュニケーションを拒否するお店が結構多かったし、他の西欧文化との融合なんて考えられなかった(アフリカや中東からの移民や、アジアの文化を受け入れることとは意味合いが違ったのでしょう、悪い意味で)。けれどこの旅では、観光業以外の若いフランス人とも英語で話したし、誠実に素朴な英語を混ぜて説明してくれる店員さんが多かったし、若者が集まる店だとこんなメニューも普通にあったりして、パリも変わってきているなあと感じました。
ちなみに、この旅の間で一番悪い意味でパリらしさを感じたのは、皮肉にも日本人ギャルソンの対応でした。
その時は現地でたまたまご一緒した方が老舗カフェに行きたいと言うので訪れました。明らかにお互い日本人と分かっているのに仏語で応対するので、察して仏語でオーダーしたのですが、ご一緒した方がこの手合いの面倒臭さに無頓着で、日本語で話しかけてしまいました。結果、案の定「ニホンゴワカリマセーン」とばかりに薄笑いで無視!サービス業に携わりながらこういう事するのが、生粋のパリジャンじゃなくてパリかぶれの日本人って所がね…。 -
実は旅の間に、ブリュッセル日帰りをしています。朝イチのタリスでの朝ごはん。
フラワーカーペットの見物がメインでしたが、ブリュッセルにも世紀末建築はあります。
これはまた別の話にした方が良さそうです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ちょっと昔の旅
0
27