2019/10/27 - 2019/11/07
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bunkichiさん
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アールヌーヴォー建築の魅力に取り憑かれ、パリ、ブリュッセルとさまよってきた爺さんですが、まだ足腰が動くうちにと選んだ先が今回のスペイン・バルセロナです。
バルセロナは、スペインのなかでいち早く産業革命を達成し発展を遂げ、また第一次世界大戦にスペインが不参加であったことから他のヨーロッパ諸国より長くアールヌーヴォーが1930年頃まで続きました。
その結果、より自由な表現、あらゆる様式が容認される「なんでもあり」のアールヌーヴォー(モデルニスモ)建築が多く建ちならんでいます。
今行かないのなら一体いつ行くのだとボチボチ余命期間が気になりだした爺様としては、行かないとの選択肢はなく、"ビックリ仰天の世界"に突撃するのでありました。
前旅行記では、ガウディ円熟期の建築物(カサ・ミラまで)を記しましたが、本旅行記は、いよいよガウディの名を世界に轟かせた「サグラダ・ファミリア」を筆頭にその他諸々のバルセロナのモデルニスモ建築にちょびっとだけ突撃します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ついにやって来ました「サグラダ・ファミリア/Sagrada Familia」へ。
アールヌーヴォー(モデルニスモ)建設好きならば、なんだかんだ言っても、ここを外すわけにはいきません。サグラダ ファミリア 現代・近代建築
-
ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表されてますが、少し前までは、自分が生きている間に完成した姿を拝むことは絶対無理!と思っていました。
だが、まだまだ油断禁物です。
工事中まっ最中の「サクラダ・ファミリア」を目の前にして、『頑張れよー!』とクレーンにエールを送ります。 -
さて、「サグラダ・ファミリア」建築のこれまでの歴史をザックリふり返りますと
初代建築家ビリャールがサン・ホセ教会より設計を引き受け、工事着工したのが1882年でした。
翌年にビリャールが辞め、当時無名のガウディが引き継ぎ、模型と紐と錘を用いた実験道具を使い、進めたものの、1926年(昭和元年)にガウディが亡くなった時には、まだ地下聖堂と生誕のファサードなど全体の4分の1未満だったそうです。 -
1936年からはスペイン内乱が勃発。ガウディの残した設計図、模型のほとんどが破壊されてしまい長らく中断してしまいました。
1951年になって、ようやく壊された模型の修復が始まり、ガウディの構想を推測しながら少しずつ建設が進みました。
ところが、「サグラダ・ファミリア」は贖罪教会(資金調達は信者の喜捨)なので、信者の寄付金頼みでは工事資金が足らり停滞せざるをえません。
だから『この先200年はかかるじゃないの?』と思われて仕方なかったわけです。 -
それが2013年に『2026年完成予定』と発表され時は、むしろ一体何が起こったのか逆にビックリしたくらいです。
その時は『工事技術が進歩したせいかなぁ』と漠然に思っていたのですが、工期を早めたは、ご覧のようにワンサカ押し寄せる観光客の拝観料(と寄付金)で工事資金が潤沢になった事が、一番の理由です。
今、その拝観料はネット予約【入場料+オーディオガイド+塔のエレベーター】で32 Euroとなかなか高額な金額です。
これも一刻も早く完成のお姿を拝見するには致し方ないのか複雑です。サグラダ ファミリア 現代・近代建築
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資金が豊富になり、最新建築技術も導入され、ばんばん建設が進んでいるようです。
ただ当所は、ヨーロッパの教会建築の伝統的な工法の【組積造】で建築を進めていたのですが、今は【鉄筋コンクリート(RC)造】が導入されてます。
ガウディが今の現場をみたらどう思うのか気になるところです。 -
バルセロナの観光地では、すっかりお馴染みになった手荷物検査を受け、いよいよ「サグラダ・ファミリア」に入場しました。
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こちらは教会東側の「生誕のファサード」です。
教会の中で、地下礼拝堂に次ぎ、最も初期の時代に建設されたものです。
3つの門(左門:「希望の門」、中央門:「慈愛の門」、右門:「信仰の門」)と4本の鐘塔からなり、イエス・キリストの誕生から最初の説教を行うまでが彫刻で表されて、まさに【立体聖書】です。 -
ファサード上層部にあるのは「生命の木」で、杉は【永遠の命】の象徴、留まる鳩は【神のもとに集まる信者】を 表現しているとか。
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中央門:「慈愛の門」はイエスを象徴し、
キリストが聖母マリアに冠を授ける場面の【聖母マリアの載冠】をはじめ、【受胎告知】、【キリストの降誕】、【祝福をする天使】、【東方の三博士】や【羊飼い達】など多くの像が彫られています。 -
ファザードの正面には、イエスの誕生を喜び、
ハープ、ファゴット。シター、バイオリン、ドゥルサイナ、タンバリンを演奏する6体の天使像と歌う9人の子供たちの像が据えられています。
これら15体の像は、日本人彫刻家の外尾悦郎氏が16年間かけて彫ったものです。 -
外尾氏が彫った15体の天使像の最初の一体がこの「ハープを奏でる天使像」です。
ハープに弦をつけるか否かということで当時の建築主任と意見が分かれたそうですが、『見る人が彫刻の世界にすっと引き込まれた瞬間に、心の繊細な共鳴箱がポーンと鳴り、その時天使の指先にあるはずのない弦が見える。それを作品の完成にしたい』との考え方から敢えてつけなかったそうです。 -
ちなみに大窓の上にフルーツ群(びわ、サクランボ、すもも、柿、etc)の彫刻も外尾氏が手がけた彫刻です。
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右門:「信仰の門」は、母マリアを象徴し、
母マリア、イエスの洗礼、父ヨセフの大工仕事を手伝うイエスなどが彫られています。
このキリストの誕生を告げる「ラッパを吹く天使」のお腹に『ガウディの顔が浮き出ている』と巷では囁かれています。 -
イチオシ
左門:「希望の門」は、父ヨセフを象徴し、
ローマ兵による幼児虐殺、聖家族のエジプトへの逃避、父ヨセフの大工道具などが彫られています。
赤ちゃんを殺そうとする兵士に、母親がすがりつく「幼児虐殺」の像は鬼気迫るものを感じます。 -
「聖ヨセフの柱」と「マリアの柱]にはそれぞれ亀の彫刻があります。
こちらは聖ヨセフの柱を支えている海亀でヒレががあります。(マリアの柱は陸亀)
【変わらざるもの】を単に象徴するだけではなく、「生誕のファサード」を構造的に補強し、「生誕のファサード」に降りかかった雨水を亀の口から吐き出される仕組となってます。
恐るべしガウディ!ですね。 -
こちらは、教会西側の「受難のファサード」です。
東側とは全く異なり、1986年よりカタルーニャ出身の彫刻家スビラックスが、最後の晩餐からキリストの磔刑、キリストの昇天までの場面を現代彫刻によって製作されました。
(本来のガウディがスケッチした有機的な外形は角張ったデザインに変更されてしまいましたが・・・・・・) -
上層には、磔で死んだキリストと足元には死を意味する頭蓋骨が置かれた「キリストの磔」を
中層には、十字架を背負わされ歩くキリストに、汗を拭うようにとヴェロニカが差し出した布にキリストの顔の跡が残ったという場面、「ネガのレリーフ」の彫像が据えられています。
「ネガのレリーフ」のヴェロニカ背後のローマ兵に、カサ・ミラの煙突を模した仮面をかぶせ、兵の左に立つ福音者は、ガウディを表していると云われてます。 -
下層には、「ユダの接吻」の後ろには、合計16個の数字が描かれたパネルがあります。
縦、横、斜めに4つの数字を足すと全て「33」となるようになっていますが、それはイエスの死んだ年齢を表しているとか。 -
この門の背後、2本の塔を結ぶ橋の上には、「金色に輝く昇天するキリスト」が鎮座してます。
下からは小さく見えますが、重量2トンの巨大な像です。 -
聖堂内部に入ってみました。
(「栄光のファサード」側から聖堂の中央方向) -
『なんじゃこりゃぁあ!!』と叫ばずにはいられない【ビックリ仰天の世界】が待ち構えていました。
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ガウディは、内部空間を巨大な森にしたいと願っていたそうです。
天井を支えるヴォールトは幹の「節目」にあたる部分から上に向かって枝別れし、シュロの葉の形をした細工が天井に施されています。 -
まさに木の葉が生い茂っている森の木々を見上げている光景です。
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イチオシ
身廊と翼廊が交差する天井中央からの光は、まるで星降る夜空のようです。(昭和の歌謡曲♪)
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窓からの自然光と散光器からの光をうまく組み合わせ、暖かみのある空間を創りあげています。
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中央天井からは「天蓋」が下げられています。
「天蓋」は小麦とブドウで飾られ、十字架に磔にされたキリストが下がっています。 -
聖堂内の左右の壁面はステンドグラスで埋め尽くされています。
こちらは、「生誕のファサード」側の柱とステンドグラスです。
青と緑といった寒色系で構成されています。
バルセロナの画家でありガラス職人の「ジュアン・ビラ・イ・グラウ」が全て手がけたそうです。 -
他の教会のように宗教画を用いず、曲線と直線を中心とした抽象的なフォルムだけでデザインされています。
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こちらは、「受難のファサード」側の柱とステンドグラスです。
赤、オレンジといったと暖色形で構成されています。 -
自然光がステンドグラスを通して、より神秘的な世界を演出していました。
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各ファサード上には、中央のキリスト像を見守るように像が置かれてました。
「生誕のファサード」側の「ヨセフ像」 -
「受難のファサード」側の「マリア像」
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そして、「栄光のファサード」の上には、竜殺しで有名なカタルーニャ地方の守護聖人、「聖ゲオルギオス(サン・ジョルディ)」の彫像がチョコンと鎮座しています。
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「受難のファザード」側の塔に上ってみました。
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高さ65mからのバルセロナ市内の光景です。
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2つの塔の間から空を眺めてみました。
塔が天に昇っているというより、引張られているような光景です。 -
塔の先端が、まるで鶏冠のように見えてしまうのは私だけでしょうか。
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窓の隙間から下を覗くと
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外尾氏が手がけたフルーツの彫刻が、よく見えます。
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まだまだ工事中なので、お楽しみはまだ先のようです。
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帰りのエレベータはないので、螺旋階段をグルグルひたすら下ります。
「サグラダ・ファミリア]完成時には、膝が弱ってて無理かも.....。
(T◇T) -
さて、ライトアップしたお姿も拝見しようと出かけてみました。
闇から浮きあがった姿は、一段とデカく感じます。 -
イチオシ
2026年に完成した時には、自分には想像できない様々な仕掛けが組み込まれた、大聖堂が誕生するに違いありません。
またご対面できることを楽しみにします。 -
取り急ぎモンタネール、ガウディの世界遺産を中心にバルセロナ市内をさまよってみました。
でも、まだまだバルセロナ市内のモデルニスモ建築のほんの一部を見たに過ぎません。
だいたいモデルニスモ建築の三大巨匠の一人、ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク/Josep Puig i Cadafalch(1867-1956)が残っている事に気づき、「アマトリェー邸/Casa Amatller」(1898-1900)に突撃します。カサ アマトリェール 現代・近代建築
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「アマトリェー邸」は、1851年建築の既存建物を改装したものです。
隣の「カサ・パトリョ」のファサードは戦闘的で血生ぐさい感じなのに対して、こちらのファサードは、ホンノリ甘い雰囲気を醸し出しています。
持ち主は、1797年創業のスペイン最古のチョコレート会社経営のアントニ・アマトリェール(Antonio Amatller)氏で、1階にはチョコレートショップがあります。 -
外壁には多くの細かい装飾をつけています。
これらを見ているだけで飽きません。 -
こちらではお馴染みの「ドラゴンと戦うサン・ジョルディ」の彫刻がありました。
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1階の入口には、なにやらハートマークのドア(守衛室の扉)。
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天井には、美しいステンドグラスが・・・・・・。
あちらこちらから『かわいぃ♪』との声が聞こえてきそうな光景です -
ここの見学は、スタッフのお姉さんが先導し、30分または1時間おきに少人数ツアーで行われます。
床保護のためなのか靴にビニールの保護カバーを装着させられます。
(中腰での装着は辛く、日本のスリッパ文化のありがたさを感じました。) -
アマトリェール氏の2階でダイニングルームです。
ムデハール様式の装飾が施され、ステンドグラスがとても綺麗なのですが、この写真では分かりにくいですね。 -
こちらは アマトリェール氏のお嬢さまの部屋です。
花びら形のステンドグラスが乙女チックです。 -
柱頭のレリーフも乙女心をくすぐるような作風です。
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こちらはお嬢さま寝室の天井。
花びら、花びら、花びら.....。 -
アマトリェール氏の個室で、コレクションが展示されていましたが、ハデな電灯の方が気になりました。
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アマトリェール氏の書斎です。
天井、ステンドグラス、床.....全てオシャレです。
(^◇^ ;) ほぇ~ -
ドアノブだってオッシャレー♪
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見学している時は、富裕層特有のキンピカ趣味の家かなと思いましたが、あらためて見直すと、ステンドグラスのデザイン諸々から、むしろ『かわいぃ♪』が一杯の邸宅であることに気がつきました。
アマトリェール氏はアルフォンス・ミュシャのパトロンをして、商品パッケージに絵を使ってたぐらいですからセンスが違いますね。
失礼しました。<(_ _)>ペコリ -
トンガリ屋根のお城のような「ラス・プンシャス集合住宅/Casa de les Punxes」(1905)です。
「アマトリェー邸」の改装を行ったプッチが、手がけました。
Terrades姉妹から所有する3つの物件を統合したいとの依頼を受け、建設したものです。カサ デ ラス プンシャス 現代・近代建築
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円錐形の尖塔がならび、一見ゴシック様式を彷彿とさせる外観ですが、
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バルコニーの繰り返し続く【石の花装飾】、ステンドグラスの入った窓のデザインは、アールヌーヴォー(モデルニスモ)そのものです。
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改修工事も完了し、内部も学出来ますが、今回はパスしました。
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ほど近くには、「クアドロ男爵邸/Palau del Baro de Quadras」(1904-1906)があります。
こちらもプッチが改装を手がけました。バロン デ クアドラス宮殿 (カサ アジア) 博物館・美術館・ギャラリー
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ディアグナル通り(Avenida Diagonal)側の外観は彫刻、彫刻.....彫刻が続く外壁で覆われています。
(^◇^ ;) ほぇ~ -
入口の上には王冠をつけた奇っ怪なカーゴイルが並び、両脇には「カサ・アマトリェール」でも見た、「ドラゴンと戦うサン・ジョルディの彫刻」(左:サン・ジョルディ、右:ドラゴン)が彫られています。
作者は、「カサ・アマトリェール」と同じ、「エウセビ・アルナウ(Eusebi Arnau i Mascort)」だそうです。 -
入口のドアは、ガラスの上に花の彫刻で覆われています。
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恐る恐る入ると、受付におばさまがいました。
おばさま曰く、『見学は水曜日だけ。でもここからの写真撮影はOK』と。 -
お言葉に従い、ステキなデザインの電灯、内側からの入口ドアやら
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そして、ちょびっとだけ拝めた室内を撮り、「またいつの日か来るぞー!」心の中で誓って去りました。
実はこの「クアドロ男爵邸」、ルセリョ通り(Carrer del Rossello)側から見ると、全く違う外観が拝めますので、私のように忘れないで下さい。 -
この他にも表と裏で全く表情が違う建物として、「カサ・コマラット/Casa Comalat」(1909-11)があります。
ガウディの影響を強く受けたサルバドールヴァレリ(Salvador Valeri i Pupurull)が設計しました。 -
ディアグナル通り(Avenida Diagonal)側の表側のファサードは、石造の格調高い雰囲気が漂っています。
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2階バルコニーの装飾も(カサ・パトリョ」の影響を感じつつも)風格を感じさせる ゴッツい造りです。
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一方裏側にまわると、本当にこれが同じ建物なのかと疑ってしまう外観でした。
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裏側のファサードは一言で言えば、【自由奔放】なデザインです。
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上階から下の階まで、ゆるい曲線形状に華やかな色彩の装飾が施されています。
個人的には、こちら側の方が好みです。 -
2階バルコニーの装飾も同様に、ゆるく華麗に変化してました。
内部はすごくハデなのですが、残念ながら一般公開をしてません。 -
他にも印象的な建物としては、
ジョセップ・グラネリ/Josep Graner i Praが手がけた、何でもない普通の建物に巨大な蝶をのせた「蝶の家/Casa Fajol」(1912)やら
(鮮やかなトレンカディス陶器で蝶が覆われいます) -
イグナシ・マス・イ・モレル/Ignasi Mas i Morellが手がけた、ムデハール様式が基調の「モヌメンタル闘牛場/Plaza de Toros Monumental」(1916)がありました。
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でもバルセロナのモデルニスモ建築はまだまだ沢山あります。
老体に鞭を打って突撃してもその大部分は非公開。
今回の目的先のひとつであったモンタネールの「カサ・リェオ・モレラ(Casa Lleo i Morera)」も公開しているはずが、修復が長引いて見学出来ませんでした。
なんとかチャンスを見つけて再チャレンジできたらいいな.....。
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