2019/05/25 - 2019/05/25
149位(同エリア271件中)
赤い彗星さん
廃墟や鉱山跡好きということで、いつか行くリストに生野銀山跡も勿論入っていました。但し鉱山跡は、基本的に山深く、交通の便が悪い場所ばかりなので、なかなか行くチャンスに恵まれない場所でもあります。
今回、神戸の従妹が車で連れて行ってくれるということで、訪問する機会が訪れました。暑いぐらいでしたが、天気にも恵まれて観光日和の中、地下探検に出発です。
- 旅行の満足度
- 4.0
PR
-
生野銀山のレストハウスに銀の延べ棒と銀鉱石が展示されていました。
-
約30kgの銀。説明版にあるグラム53円で計算すると、約16万円也。
-
生野銀山には、GINZAN BOYSなるユニットが存在するようです。
リアルな意味での地下アイドルという設定。 -
900円を払って、生野銀山に入場です。入口の門は、関所のようにも見えます。門前は、団体観光客の記念撮影スポットとなっているようです。
生野鉱物館 名所・史跡
-
天気が良くて空気もキレイで、気持ちのいい日に観光する事が出来ました。
-
春先から、秋にかけて紅葉するノムラモミジという品種。
ノムラは、葉の色を現わす濃紫から来ているそうです。 -
GINZAN BOYSは、ここから始まるようです。
こちらは会員No.1: 次郎羅茂(じろうらも)さん。イタリア系フェイスとの説明だが、あくまで日本人? -
鉱山跡を見学する前に、入口と坑道の間に建っている鉱山資料館で、生野銀山に関する基礎知識を学ぶことが出来ます。
-
先頭車両が、ミニブルドーザーになっているトロッコです。
鉱物を持ち上げて、後ろの貨車に積んでいたようですね。 -
坑道入口右手には、坑道出口と不動の滝が見えています。
見学した後は、ここから出てくるんですね。 -
坑内に入場すると、一気に寒気が襲ってきます。
当日の気温は30℃。坑内は、年間を通して13℃ということで、あっという間にクールダウン。というより寒いぐらいです。 -
坑道内は空気が滞留するため、人工的に空気を送り込んでいました。
唐簑と呼ばれる機器のハンドルを回すことで、内部の羽板を回転させて、風を発生させることが出来るようです。手動扇風機みたいな機械かな。
この方は、会員No.3の風太郎だそうです。No.2は、気付かずにスルー。 -
坑道内に染み出る地下水を汲み上げる仕事に従事している、No.5の潮です。
-
黙々と坑道を掘り進む、No.6の栄作。
-
生野銀山は、奈良時代から平安時代になったばかりの大同2年に銀が出たと伝わっています。その後、室町時代(1542年)に但馬守護職の山名祐豊が銀山を開山し、銀の産出が本格的に始まりました。銀の産出は、江戸時代にピークを迎えましたが、昭和48年に閉山するまで銀を産出し続けました。
-
スラッシャーは、掘り出された鉱物を集めるために使用されていたようです。担当は、No.8のコ・シバ。
-
トロッコを運転するNo.9の駆(かける)。
-
竪穴を開けるためのオフセットストーパーと呼ばれるドリルを掲げる、No.10の翔。
-
深い深い竪穴。下から撮った写真。
-
背中に背負って、人力で火薬を運んでいたんですね。
当然と云えば当然ですが、体力だけでなく、精神もごっそり削られそうな仕事です...
後姿の彼は、No.11のK(ケイ)。 -
生野銀山の鉱脈には、金も含まれていたんですね。
どれどれ,,,ど、どこかよく分からない...
白い部分の金色の部分が、全て金なんだろうか? -
坑道内は、約1Kmの観光コースになっています。
気温が低いので不快感はそれほどではないですが、至る所から水が染み出ていて、かなりの湿気です。 -
年季を感じる雷管が2本。こちらに火薬を詰めて、発破していたんですね。
-
ダイナマイトを装填し、電気発破で岩盤を崩していたと説明版に書かれています。発破士の彼は、No.14のちえお。
-
鉱員の服装説明版。鉱山の粉塵は、体を蝕む原因になるので、粉塵マスクも本格的な仕様です。
-
大地の割れ目のようですが、こちらも掘り進められた跡なんですね。
-
鉱石調査用の長抗仕様の削岩機。調査員は、No.17の紘一。
-
太閤水と名付けられた地下水。豊臣秀吉が、まだ羽柴秀吉と名乗っていた頃、生野銀山の水で茶を点てたという逸話から、名付けられたそうです。
-
地下水脈が滝になっています。かなりの水量ですね。
-
エレベーターを巻き揚げるための、巻揚室。
設置されているメモリは、横穴の坑道番号。セットすると、その坑道に降りていく造りだったんでしょうね。 -
全体的に薄暗い鉱山内で、この坑道だけ奥までライトアップされていて、ちょっと雰囲気の違う場所でした。
-
人員輸送用のトロッコ列車。
-
ずっと先まで続く、無機質な地下通路。
-
近代ゾーンの先は、江戸時代の鉱山の様子が再現されています。
こちらは、No.23のひさしとNo.24のあやこ。 -
掘り出された鉱石を小さく砕くのは、女性の仕事だったようですね。
No.25のかなめちゃんAとNo.26のかなめちゃんB。 -
坑道内で食事中のNo.27のへいくろうとNo.28のよしろう。
-
真っ暗な坑道内で鉱石を背負いながら、菜種油の燈一つで進んでいく、No.29の巌とNo.30の雅子。
-
山の測量をする振がね師。明かりで、距離を測っているんだろうか?
-
負子が運んできた鉱石を役人が記帳して、きちんと管理していたようです。
-
銀山内を走っていたトロッコ用の線路です。
坑内から、出口に向かって一直線に敷設されています。 -
坑道出口の上には、開山初期の滝間歩という坑道跡が残されています。
-
先程見かけた坑道出口から出てきました。
この出口は、江戸時代の坑口を模したもので、出口上部の化粧木は鳥居を現わしているようです。 -
生野銀山の坑道入口横の階段を登って、坑道外コースを散策してみます。
坑道外コースには、ほとんど観光客がいませんでした。 -
金香瀬番所の門。この奥には、江戸時代の坑道に出入りするための坑口が、多数残っています。
-
大きな岩の上に松が生えています。巨大な盆栽みたい。
-
生命力溢れる新緑のみずみずしさが大好き。
季節的には、4月~5月辺りに旅行するのが、一番気持ちがいいです。 -
慶寿の堀切という名の、江戸時代の露天掘り跡です。
露頭と呼ばれる鉱脈が地表に現れた個所を見つけて、地中に掘り進んだ場所です。地殻がずれた断層のような場所になっています。 -
金香瀬旧露頭群跡という名の露天掘りの跡です。
岩石の間の通路みたいになっていますが、真っ直ぐ鉱脈が通っていた場所を掘り進んだ跡なんですね。 -
日差しの強い中、うずくまっているバンビを発見。
せめて日陰に移してあげたいですが、人の匂いが付くと、母鹿が警戒して育児放棄する可能性があるので、下手に触る事が出来ません。 -
バンビの方から、よちよちと近づいてきて、頭だけ陰に入りました。
一人で心細い上、暑かったのかもしれません。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
朝来・生野(兵庫) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 兵庫訪問
0
50