2018/06/02 - 2018/06/02
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frau.himmelさん
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みなさま、このコロナ禍の中、いかがお過ごしですか。
私の住む関東地方は「緊急事態宣言」が延長され、続けての不自由な生活を余儀なくさせられそうです。
そんな中90歳を過ぎた田舎の叔母から手作りマスクが届きました。
「もう目も不自由になりミシンの目が曲がってしまったけど・・・。」と言って。嬉しくて涙が出そうになりました。
さて、旅行記の方は、2年前の6月に遡ります。
あの頃は世界中がこんな強力なウイルスに冒されるなんて思ってもいませんでした。
ベルリンに到着した全員70歳超えのシニア3人組、シャルロッテンブルク宮殿にやってまいりました。
これでもかこれでもかと言うほどの豪華絢爛な宮殿の部屋に驚き、おびただしい数の陶磁器に圧倒され・・・。
老化したシニアの頭には何が難しいかって、フリードリヒとかヴィルヘルムとかゾフィーとか、同じような名前が何度も出てまいりますので、それを理解するのがもう大変。文中、間違っているところもあるかと思いますが、ご指摘くださればうれしいです。
またまたダラダラとまとまりのない旅行記になってしまいました。宮殿の写真撮影料3ユーロ(5ユーロ?)を払っていますので、元を取らなければね、なんて。
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ツォーロギッシャー駅からM45番バスに乗ってシャルロッテンブルク宮殿にやってきました。
宮殿前のあの豪華な街灯は、宮廷建築家カール・フリードリヒ・シンケル(1781-1841)が設計した「シンケルの街灯」と呼ばれるものですね。
前に勉強したことがありました。 -
シャルロッテンブルク宮殿入り口。
門の上にはボルゲーゼ剣闘士と呼ばれる古代ローマの兵士の像が。
(Berg Heilさんの旅日記で調べました。)
ザルツブルクのミラベル宮殿にも同じような剣闘士像がありますね。 -
中に入ると、初代プロイセン王フリードリヒ1世(1657-1713)の騎馬像があります。
このシャルロッテンブルク宮殿は彼の2番目の妻、ゾフィー・シャルロッテ(1668~1705)への夏の離宮として造られたものだそうです。 -
プロイセン王国はホーエンツォレルン家が統治した王国です。
前回カイザー・ヴィルヘルム記念教会でも感じましたが、ホーエンツォレルン家ってどうしてフリードリヒとかヴィルヘルムとか同じような名前ばかりなのでしょう。
それでなくても老化した頭は、こんがらかってしまいます。
ここの主フリードリヒ1世を中心に、少し整理してから宮殿に入りますね。 -
見にくいですが、どこからかお借りした系譜です。
フリードリヒ1世(①)の父親は大選帝侯と呼ばれるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1620-1688)。←②
フリードリヒ1世とゾフィー・シャルロッテの息子が2代目プロイセン王でフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1688-1740)。←③
そしてその息子が、サンスーシー宮殿でフルートを吹いていた3代目プロイセン王フリードリヒ2世(1712-1786)、あのフリードリヒ大王なのですね。←④
つまりフリードリヒ1世の孫がフリードリヒ大王てことですね。
よく覚えておこう。
ちなみに、カイザーヴィルヘルム教会の初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、フリードリヒ大王の更に数代後になるのです。
判ったようなわからなかったような・・・。 -
フリードリヒ1世騎馬像台座。
フィリードリヒ1世についてウィキペディアにはこうあります。
「猫背フリッツ」とあだ名される風采の上がらない小男で、フランス王ルイ14世にあこがれるような虚栄心の強い浪費家だったが、妻の影響もあって学芸を振興させ、プロイセンの王となった。 」(wikiより) -
美しいブルーの丸屋根の上には、ローマ神話の運命の女神フォルトゥーナの像が黄金に輝いています。
さて入場料を払って見学します。
写真撮影料は別途支払いました。3ユーロか5ユーロだったような・・・。 -
入り口でイヤホンガイドを借りて説明を聴きながら周ります。
まず、赤のダマスク織の豪華な部屋はメクレンブルクの間です。
フリードリヒ1世の3番目の妃、ゾフィー・ルイーゼ(1680-1705)はメクレンブルク家の出なので、この名が付けられたようです。
壁に飾られた祖先画に威圧されます。 -
部屋に置かれていた重厚な象嵌細工の机
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次の部屋もメクレンブルクの間、寝室です。
天井の絵が美しい。
部屋ごとにこういった説明書があり、イヤホンガイドで番号を選んで日本語で説明を聞きます。 -
暖炉の上の豪華な紋章の飾りを、5人の天使が支えています。
部屋には東洋の磁器が飾られています。 -
この肖像画の女性が、フリードリヒ1世の3番目の妻ゾフィー・ルイーゼ王妃なのでしょうか。
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豪華な家具と陶磁器。
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この部屋は謁見室?
重厚なオーク材が使われています。
壁には大判の肖像画が掲げられています。
フリードリヒ1世の肖像画。 -
ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファー(1668-1705)。
フリードリヒ1世の2番目の妻で、彼はこの妻のためにシャルロッテンブルク宮殿を建てました。
シャルロッテは後のイギリス王ジョージ1世の妹です。 -
暖炉の上に飾られている肖像画は、フリードリヒ1世とシャルロッテの息子でフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の妻、ゾフィー・ドロテア・フォン・ハノーファー(1687-1757)。
イギリス王ジョージ1世の子女です。
二人は従兄妹同士の結婚なのですね。 -
義母シャルロッテもハノーファー家の出。
シャルロッテはドロテアの叔母になりますが、二人が結婚した時はシャルロッテは亡くなっていました。 -
この部屋で一番の見ものはこの仲よし子よしの3人の王。
プロイセン王フリードリヒ1世(中央)、ザクセン選帝侯(ポーランド王)アウグスト2世(アウグスト強王:左)、デンマーク王フレデリク四世(右)の3人が、領地問題で1709年に会談した際の肖像画。 -
次は目も醒めるような煌びやかなガラスの間。
グリーン色のダマスク織と同サイズの鏡を交互に並べた大変面白い壁です。
ここがゾフィー・シャルロッテの寝室です。 -
天使たちが舞っている黄金の漆喰の天井もなんと豪華・・・。
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豪華なシャンデリア、豪華な家具、壁とおそろいの緑のダマスク織のスツール・・・。
それにシャルロッテが好んで収集した磁器。
余りの豪華さに口アングリ・・・。 -
こちらは、繊細なゴブラン織のタペストリーで飾られた部屋。
ゾフィー・シャルロッテのリビングルームです。
ギリシャ神話(ローマ神話?)のプシュケとアモールの物語がモチーフなのだとか。 -
お城の中心オーバーザール(大広間)。
大きな円窓が並んだ明るい広間。
ここから美しい庭園の風景を眺めることができます。 -
オーバーザールのシャンデリア
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この広間にも暖炉の上に高価な陶磁器が並んでいます。
また肖像画がいくつもありますが、暖炉の上の2つの肖像画はどなたでしょう?
調べてみますね。 -
左側は、フリードリヒ1世の父フリードリヒ・ヴィルヘルム(1620-1688)。
大選帝侯と呼ばれています。 -
そしてこちらはフリードリヒ1世の母、ルイーゼ・ヘンリエッテ・フォン・ナッサウ=オランニエン(1627-1667)。
たぶん。 -
ゾフィー・シャルロッテの肖像画。
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この部屋にもコブランのタペストリー。
その下には見えるのはシノワズリの白いチェンバロ。
シャルロッテは、子供のころよりチェンバロの教育を受けており、見事に弾きこなしたそうです。
シノワズリとは中国趣味の様式のことを言うそうです。
この時代、ヨーロッパの王侯貴族の間で流行しました。 -
金箔の植物模様の天井。
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棚の上にも中国の壺が。
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ゾフィーシャルロッテのゲストルームです。
ここにも大判のタペストリー。
神話の絵か風俗的なもの? -
当時のプロイセン王国の財力って凄かったのですね。
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次の部屋は夫のフリードリヒ1世のゲストルーム。
この部屋でフリードリヒ1世は重要な訪問客と会いました。
ここにも何枚も豪華なタペストリーが飾られていますね。
シャルロッテの部屋と負けず劣らずの豪華さです。 -
しかしシャルロッテのタペストリーと違うのは、あちらは女性的なモチーフのものが多かったけど、こちらはさすがに戦いものや歴史もの、英雄のものの図柄のタペストリーが多いようです。
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それにしても、この天井はひときわ華やか~~!
芸術と科学を象徴している天井だそうですが、よく見れば、四隅に置かれた天使と女神たちが楽器を演奏したり、定規や工具などを手に持ったりしています。 -
フリードリヒ1世は、才女と言われた妻シャルロッテの影響もあり、芸術や学芸の振興に努めたそうです。
虚栄心の強かったフリードリヒ1世、客をこの部屋に招いては悦に入ってたのかもしれません。 -
そして部屋の隅にはさりげなく高価な壺。
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緋色のダマスク織に金糸で織られた豪華な壁紙の部屋。
ここもフリードリヒ1世の部屋。
あら、あそこで係員さんが写真を撮っている私の方を見ています。(矢印)
ちゃんと撮影料払っていますよ~。 -
壁には黄金の燭台。
それにしても赤いダマスク織の金箔の細工、手が込んでいますね~。 -
豪華なシャンデリア。
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ゾフィー・シャルロッテの肖像画。
では次の部屋に・・。 -
次もフリードリヒ1世の部屋。こちらはグリーンの壁です。
この肖像画は、息子フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の妻ゾフィー・ドロテア。若いころの写真です。 -
フィリードリヒ1世の肖像画。
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緑の部屋の天井も手が込んでいます、素晴らしい!
今までいくつかの部屋を見ましたが一つとして同じ天井がないことに驚きです。
この天井は春夏秋冬の四季を表しているそうです。
上左端、赤いマントの老人の姿は冬を表しているのですって。冬枯れってことですね(笑)。
私たち3人とも冬!
下は花咲く春でしょうか。 -
次の部屋はフリードリヒ1世の寝室。
今まで豪華な部屋ばかりを見てきましたので、ベッドが質素に思えますが、実はこれは天蓋付きなのです。 -
この部屋の調度品も目を奪われます。
中国模様が描かれた(シノワズリ)漆塗りの豪華なキャビネット。 -
豪華ですね~~。
語彙の少ない私は豪華としか言葉が出てこない。
庶民の私はこれ一つでおいくらくらいするのかしら?と考えます。
答えはでませんけど。
これも中国模様。 -
当時は磁器は中国や日本から輸入したそうですから、この中には伊万里や柿右衛門も入っているかもしれません。
もしかしてあの赤い色は・・? -
陶磁器
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そして、隣の部屋に入って思わず「わぁ~っ!」と声なき声を上げました。
もの凄い数の陶磁器が壁と言わず柱と言わずに部屋の中にひしめいています。
何でも総数2700個以上あるとか。 -
しかも壁に鏡をはめ込んで、さらに何倍にも多く見せるように工夫がしてあります。
もう圧巻!
当時のヨーロッパの王侯貴族の間では、高価で珍しい東洋の陶磁器を収集するのが流行していたそうです。
そしてそれらを部屋に飾り、優越感に浸っていたようです。 -
シャルロッテも膨大な陶磁器をコレクションして、部屋を豪華に飾っていました。
ミュンヘンのレジデンツにも豪華な陶器コレクションがありました。
あちらは、ヴィッテルスバッハ家が収集したもの、こちらはホーエンツォレルン家が収集したものとの違いはありますが。
その時調べたことがありました。
ここに飾られている夥しい数の陶磁器は中国や日本から輸入されたもの。 -
しかし日本は江戸時代鎖国政策が取られていましたね。
いわば「水際作戦」ですね。
しかし中国とオランダだけは貿易が許可されていました。
長崎の出島を経由してオランダの東インド会社は、ヨーロッパに数多くの日本の陶磁器を輸出していました。それらはヨーロッパの王侯貴族を魅了し、伊万里や柿右衛門は一大センセーションを巻き起こしたのでした。 -
残念なことにこれらのコレクションは1943年の空襲で大被害を受けましたが、現在は当時を忠実に復元されたようです。
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前面は実際の陶磁器、バックに見えるのは鏡に映ったコレクション。
この陶磁器の間はシャルロッテの計画で造られたようですが、完成を待たずして亡くなりました。
シャルロッテが完成を見ていたら、そうそう、これこれ!と満足したか、それとも、ゴチャゴチャし過ぎ!って不満を漏らしたか・・・?(笑)
シニア3人ともに圧倒された凄い陶磁器の間でした。 -
さて、次の部屋は?
この部屋も他の部屋に負けず劣らず絢爛豪華さ。
薄いブルーの部屋、柱と言わず天井と言わず、天使が乱舞しています。 -
こちらでは、王冠の装飾を天使たちが重そうに支えています。
王冠の上にはプロイセンの黒い鷲が。
柱の金色の天使の浮彫も素晴らしい。 -
この部屋の天井にも目がくらみます。
当時のプロイセン王国の財力がいかほどのものであったか・・。 -
えっ、パイプオルガン?
この豪華な部屋はなんと礼拝堂だったのです。 -
確かに・・・。
イエスキリストの十字架と説教壇。 -
この礼拝堂ではコンサートなども行われているようです。
-
ちょっと落ち着いた部屋に出てきました。
ここにも磁器が。
ここはフリードリヒ大王(フリードリヒ1世の孫)のコレクションで中国ギャラリーという名前が付いています。
以前はもっと多くの磁器があったそうですが、いまはスッキリ。
きっとサンスーシー宮殿の方に移してしまったのですね(笑)。 -
さて、次なる部屋には、
まずゾフィー・シャルロッテの肖像画。
この絵はプロイセンの宮廷画家だったフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴァイデマンによって描かれました。
ゾフィー・シャルロッテは才女として知られています。
フランス語が巧みで、哲学や芸術にも長けており、彼女のサロンは当時一流の学者や芸術家が集まりました。 -
両親の影響で子供のころよりチェンバロを弾きこなすなど、音楽の才能にも恵まれていました。
ゾフィー・シャルロッテのチェンバロです。
この部屋で音楽サロンなども開かれたようです。 -
壁の絵は、イタリアの作曲家、アルカンジェロ・コレッリ(1668-1750)。
コレッリもゾフィー・シャルロッテのサロンに出入りしていました。
後に彼女に捧げたチェンバロの曲を作っています。 -
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)哲学者であり科学者。この人を忘れてはいけません。
ライプニッツはシャルロッテの師であり友人であり、彼との交流によりますます知的好奇心を高めていきました。
ゾフィーシャルロッテが1705年に亡くなった後、ライプニッツはゾフィー・シャルロッテについて、こう書き留めています。
「王妃ゾフィー・シャルロッテは信じ難い程の学識を持ち、深遠なる物事に関しても正しい結論を下す事ができた。そして並外れた知識欲を持っていた。私達は様々なテーマについて、有意義な対話をする事ができた。」(ネットより拝借) -
そのことは夫フリードリヒ1世にも大きな影響を与え、彼は科学と芸術の振興に務めました。
1700年にはベルリン学術協会を創立して会長にライプニッツを迎え入れています。
次の部屋へ・・・。
先に入った人が上を眺めています。 -
理由はこれ。
ゴールドで塗られた眩いばかりの豪華な天井を見上げていたのです。
もうため息しかでません。 -
そしてさらに、黄金のキャビネット。
これもシノワズリ(中国模様) -
この肖像画はもしかしたらフリードリヒ1世の3番目の妻、ゾフィー・ルイーゼ・メクレンブルク=シュヴェリーンではないでしょうか。
大変美しい女性でした。
ゾフィー・シャルロッテが1705年に亡くなり、その3年後にフリードリヒ1世と結婚しました。
しかし宮中に馴染めず、夫フリードリヒ1世からも顧みられず、幸せな結婚生活ではなかったようです。
精神に異常をきたしてメクレンブルク家へ戻ります。 -
同じ赤いダマスク織の次の部屋はシャルロッテの化粧室(ドレッシングルーム)です。
この部屋でシャルロッテはお化粧をし、髪を整え、ドレスに着替えました。
当時のドレスは大変重かったので、必ず数人の侍女の助けが必要でした。 -
そんなお着替えを、ご先祖さまの肖像画が見守る中でやっていたのですね。
-
そしてちょっと不気味な天使の顔、その扉の向こうには・・・。
-
またもや赤いダマスク織の壁はシャルロッテの寝室でした。
壁にはロココ調っぽい絵画や当時の歴史画などがびっしり。
まるで美術館のようです。 -
天井も淡いピンク色、美しい~・・・。
もう、「豪華豪華!」って言うのが疲れました。 -
この部屋はシャルロッテの書斎みたいなもの。
壁には彼女の肖像画、シャルロッテの隣の凛々しい少年は息子のフリードリヒ・ヴィルヘルム?
ではありませんね。
彼は太って丸い顔をしていましたから(笑)。
シャルロッテはここで書きものなどをしていたそうです。 -
ここは階段室。
オーディオガイドの説明はここでおしまいのようです。
なお部屋の順番はかなりいい加減です。
ダラダラと同じような写真を何枚もアップしましたが、せっかく撮影料大枚3ユーロを払ったのですから、無駄にはしません(笑)。 -
階段下の浮彫模様がここもすてきですね。
まあ旅行記は私のアルバムみたいなもの。 -
上階へは進入禁止。
よかった~、これで2階まで見たら倒れてしまいます。 -
なんて言いながら、まだダラダラと写真を続けています。
美しいと思って撮った場面ですから、没にするのは悲しい。 -
最後に・・・。
気持ちよさそうに眠っているこの子はどこにいたのでしょう?
どの部屋で撮ったものか覚えていませんし、ネットでも探せませんでした。
ゴットフリード・シャドーの作?
これでもかこれでもかと言うほどの豪華絢爛な宮殿の部屋を見て、おびただしい数の陶磁器に圧倒され・・・。
最初は感激して見学していましたが、後の方はちょっと食傷気味。
その中でこの愛くるしい子供の寝顔にほっと救われました。 -
ちょっとだけ庭園の方に出てみます。
フリードリヒ1世が憧れていたヴェルサイユ宮殿を真似て造ったという広い庭園。
広すぎて回るのはもう無理! -
写真がみにくいですが、これがシャルロッテンブルク宮殿の全体図。
宮殿の長さは端から端まで500mもあるそうです。
右側(新翼)は、孫のフリードリヒ大王の時代に増築され、彼の部屋があります。私たちは見学していません。
こうやってみると、私たちが見学した部分ってほんの僅かね~。
庭園はこうやって上から見ないと美しさや形状は判らないから、周らなくて正解だったわね。
強がりを言っている私とI女史。 -
フェンスの上には豪華な太陽の飾り、中には黒いプロイセンの鷲が威圧しています。
フランスのルイ14世に憧れていたという虚栄心の強かったフリードリヒ1世、自らをプロイセンの太陽王と思いたかったのでしょうか。 -
宮殿の左側の部分だけでもこれだけあります。
私たちは広いシャルロッテンブルク宮殿を後にして次へ向かいます。 -
【おまけ】
緊急事態宣言が延長された関東地方、しばらくはマスクを手放せない状況が続きそうです。
そんな中、90を過ぎた田舎の叔母から、手作りマスクが届きました。
「もう目も見えづらくなりミシンの目が曲がってしまった。恥ずかしいけど使って。」と。
嬉しくて涙が出そうになりました。何度も手洗いして使わせていただきますね。
叔母が住む町ではまだ感染者は出ていないそうですが、それでもマスク用のガーゼや耳かけ用の紐がお店から姿を消しているそうです。
いつまでこんな状況が続くのでしょうね。
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この旅行記へのコメント (7)
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- OE-343さん 2020/05/07 23:12:31
- シャルロッテンブルク宮殿のチェンバロ
- frau.himmel様
OE-343でございます。
今回のベルリンの旅も、さぞかし楽しかったのでは、とご想像いたします。
ところで、チェンバロがいくつかうつっていたかと思います。
まず、詳しく取り上げられておられたシノワズリーの白い塗装のですが、これは、ミヒャエル・ミートケが1702年から1704年の間に製作した1段鍵盤のチェンバロです。
手元の資料によりますと、音域は現在はF1/G1ーe3、オリジナルはおそらくG1/A1ーc3で、8フィート2組です。
もう1台の、ゾフィー・シャルロッテのものだというチェンバロですが、これも同じくミヒャエル・ミートケの製作の、漆塗り風シノワズリーで、こちらは2段鍵盤で、音域は先ほどのものと大体同じような感じ、2組の8フィートに追加して4フィートがあります。こちらは18世紀のうちに拡大改造されています。こちらの製造年は、1703年から13年の間だと推定されています。
どちらも、中国風の装飾を行ったのはプロイセン王宮御用達の装飾家ジェラール・ダグリーと言う人で、その取引関係及び製造様式の調査から、チェンバロの楽器としての製作者が特定されています。白いほうのシノワズリーは、漆器(当然黒系の色になる)ではなく陶器の模倣です。朱色が多いのは、柿右衛門の影響ではないか、と言われています。
この2台のうち1台を、バッハが、1719年にプロイセン王の弟ブランデンブルク辺境伯を訪ねた際に、演奏した可能性が高いとされます。
18世紀のチェンバロの中国風の塗装は、フランスのチェンバロでもかなり多く見られます。
フリードリヒ大王は、ポツダムのほうの宮殿にはザクセンの製作者ジルバーマンと言う人が制作した初期のフォルテピアノを置いていました。日本国内の製作家が作ったレプリカを見たことがありますが、モーツァルト時代のフォルテピアノとは全く違う楽器で、チェンバロより音量が小さいです。ジルバーマンは、イタリアのクリストフォリが開発した最初のピアノの設計図を入手し、改良を重ね製作したと考えられています。そのうち、市中宮殿の1台、バッハがフリードリヒ大王の前で御前演奏した楽器、は、第二次世界大戦で消失しています。
このほか、フリードリヒ大王はイギリス製のチェンバロを二台晩年に使用していたと言われます。その時は、5オクターブ半と言うチェンバロにしては非常に広い音域を持った楽器で、そのうち1台が現在はモスクワのグリンカ博物館https://music-museum.ru/collections/expomusic/klavesin-mastera-burkata-shudi (ウェブサイトの表示はブロードウッドの先生のシュディの名前で出ています)、もう一台がポツダムの宮殿にあります。また、同じ音域のブロードウッドのチェンバロを、ウィーンのマリア・テレジアと作曲家のハイドンも使用していました。
フリードリヒ大王の周辺にはバッハもいましたし、バッハの息子Carl Philipp Emanuel もいましたし、フルート奏者クヴァンツもいました。バッハの息子のCPEバッハが書いた本とクヴァンツの本は、18世紀の演奏スタイルを現在に伝える本として非常に重要です。私もCPEの本を年末から2月にかけて読みました。今度クヴァンツを読む予定です。ちょっと時代を逸して最近チェルニーを読んでいます。。。日本語訳が出ておりますのでご興味があれば。
最後に、質問をさせてください。コレルリが、ソフィー・シャルロッテのためにチェンバロの曲を作曲したと言う事ですが、私は不勉強でコレルリの曲はバイオリンが関係した曲しか存じません。もしよろしければ、どの曲なのか教えていただけますと幸いです。
ちなみに、コレッリのヴァイオリンソナタ集Op.5(第12番が有名な「ラ・フォリアの主題による変奏曲」です)初版には、シャルロッテへの献呈を表す文が書かれています。初版の再版楽譜が手に入りますが、非常に読みやすいので、現代の楽譜を使う必要はありません。
- frau.himmelさん からの返信 2020/05/08 10:41:50
- RE: シャルロッテンブルク宮殿のチェンバロ
- OE-343さん、おはようございます。
ご無沙汰しています。
私の拙い旅行記に本格的な詳細なコメントをありがとうございます。
本当にOE-343さんは古楽器にお詳しくていらっしゃるのですね。
私はあの白いチェンバロを見て、「あらかわいいわね」と思っただけですが、OE-343さんにかかると、制作者や音域、それに時代背景などご覧になっただけでお分かりになる、凄いです。
でもそういう細部まで見てくださる方がいらっしゃるということは嬉しいことです。それと共に変なことは書けないなーと肝に銘じました。
(私の場合、広く浅くの精神ですので、結構いい加減です。)
翌日フリードリヒ大王のサンスーシー宮殿を訪れましたので、ジルバーマンのフォルテピアノ!と興味を持って写真を見返しましたが、残念ながらピアノ系は1台も撮っていませんでした。例のフルートは何枚も撮っているのに・・・。(笑)。
コレッリがシャルロッテに送ったという曲ですが、OE-343さんがおっしゃっているバイオリンが関係しているものではないかと思います。
旅行記を書く際、日本語で詳細が得られない場合はドイツ語で検索するのですが(単語のみ)、今回も【corelli sophiecharlotte】で検索すると結構出てくるのですね。
その中に、この関係が数多くでてまいりました。
01. Title Page (Corelli Dedication To Princess Sophie Charlotte)
02. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Grave-allegro-adagio-
03. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Allegro-adagio
04. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Allegro
05. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Adagio
06. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Allegro
・・・・
と29まで続いています。
形は違えど、内容が同じものが多かったです。
チェンバロとあったので、コレッリがシャルロッテに送ったと書きましたが、もしかして違います?
いずれにせよ、シャルロッテとコレッリのつながりは日本語ではこれと言って検索できませんでしたけど、ドイツ語検索では結構出てきました。
哲学者・科学者ライプニッツとも対等に議論を闘わせたという女性、王妃シャルロッテは賢い女性だったのですね。
ありがとうございました。
どうかお身体ご自愛くださいませ。
himmel
- OE-343さん からの返信 2020/05/08 12:25:28
- RE: RE: シャルロッテンブルク宮殿のチェンバロ
- Frau.Himmel様
こんにちは。OE-343でございます。
そして、早速のお返事をありがとうございます。
私も、楽器に詳しいと言えば詳しいのかもしれませんが、今回のチェンバロの話は、ちょうど読んでいた本に詳しく記載があって、なかなか頭に入らないなぁと思っていたところに旅行記がありまして、ちょうど良い復讐になった、と言う感じです。ちなみに、読んでいた本は、渡邊順生氏の「チェンバロ・フォルテピアノ」です。渡邊氏は、他ならぬナネッテ・シュトライヒャー をお持ちのチェンバロ奏者の方です。
昨年以来、比較的楽器には詳しくなった私ですが、他の装飾品等の知識が全然ありませんので、広く浅くと言う方針はすばらしいと思います。どちらかというと私は楽器に一極集中なので。。。
ミートケのチェンバロは最近レプリカが数多く制作されておりまして、私も2011年に、レオンハルト(チェンバロの現代最高の演奏家です)の最後の海外ツアーの一環で訪れた札幌で、ミートケのコピーの楽器を使用した演奏家を聞きました。翌年にレオンハルトは亡くなりました。
サンスーシ宮殿で、フルートが置かれているチェンバロのようなものがありませんでした?あれがジルバーマンのフォルテピアノです。 https://images.app.goo.gl/koy6cJKAXvGjD9sE6
バロック時代のフォルテピアノは、モーツアルト時代であるとか、あるいはベートーベン時代のナネッテ・シュトライヒャーなどとは全く違った楽器です。しかし、ナネッテの父のアンドレアス・シュタインが修業したストラスブールの製作家アンドレアス・ジルバーマンにとって、サンスーシのピアノの製作者ゴットフリート・ジルバーマンは叔父にあたり、シュタインはそこでサンスーシにあるタイプのピアノの構造を知ったと思われます。それをもとに、新たなアクションのメカニズムを開発したのがシュタインで、それがモーツァルトやベートーベンが使ったピアノの製作に繋がったのです。
日本の製作者がコピーした楽器を見たことがあると申しましたが、実際のオリジナルには存在しない足踏みペダルが後付け的に装備されていたので、厳密なオリジナルのコピーとは言えない楽器でした。
コレッリのOpera Quintaというのは、Op.5のイタリア語表記です。この曲集は12曲のヴァイオリンソナタが収められています。https://youtu.be/NeLXuvyx4gs
この曲にはコレルリの弟子ジェミニアーニによるバイオリン協奏曲版があります。ジェミニアーニもヴァイオリン奏法の本を書いていて、バロック時代の演奏法を知る重要書です。
https://youtu.be/-WFSahBdA48
追記になりますが、フリードリヒ大王が使っていた二台のイギリス製大型チェンバロは、ブロードウッドとその先生、シュディの製作です。昨日の投稿わかりにくくて申し訳ございませんでした。
大きな楽器は何百、何千万円とお金が必要なので買えませんが、テーブルのようなちっちゃい楽器なら220年前のブロードウッドを一般人が買うことができます。私もちょっと考えていて、イギリスのサイトをいつもチェックして、良いものが出て来ないかいつも見張っているところです。
OE-343
> OE-343さん、おはようございます。
> ご無沙汰しています。
>
> 私の拙い旅行記に本格的な詳細なコメントをありがとうございます。
> 本当にOE-343さんは古楽器にお詳しくていらっしゃるのですね。
> 私はあの白いチェンバロを見て、「あらかわいいわね」と思っただけですが、OE-343さんにかかると、制作者や音域、それに時代背景などご覧になっただけでお分かりになる、凄いです。
>
> でもそういう細部まで見てくださる方がいらっしゃるということは嬉しいことです。それと共に変なことは書けないなーと肝に銘じました。
> (私の場合、広く浅くの精神ですので、結構いい加減です。)
>
> 翌日フリードリヒ大王のサンスーシー宮殿を訪れましたので、ジルバーマンのフォルテピアノ!と興味を持って写真を見返しましたが、残念ながらピアノ系は1台も撮っていませんでした。例のフルートは何枚も撮っているのに・・・。(笑)。
>
> コレッリがシャルロッテに送ったという曲ですが、OE-343さんがおっしゃっているバイオリンが関係しているものではないかと思います。
> 旅行記を書く際、日本語で詳細が得られない場合はドイツ語で検索するのですが(単語のみ)、今回も【corelli sophiecharlotte】で検索すると結構出てくるのですね。
>
> その中に、この関係が数多くでてまいりました。
>
> 01. Title Page (Corelli Dedication To Princess Sophie Charlotte)
> 02. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Grave-allegro-adagio-
> 03. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Allegro-adagio
> 04. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Allegro
> 05. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Adagio
> 06. Sonate A Violino E Violone O Cimbalo [...] Opera Quinta Sonata 1 In D Major Allegro
> ・・・・
> と29まで続いています。
> 形は違えど、内容が同じものが多かったです。
>
> チェンバロとあったので、コレッリがシャルロッテに送ったと書きましたが、もしかして違います?
> いずれにせよ、シャルロッテとコレッリのつながりは日本語ではこれと言って検索できませんでしたけど、ドイツ語検索では結構出てきました。
>
> 哲学者・科学者ライプニッツとも対等に議論を闘わせたという女性、王妃シャルロッテは賢い女性だったのですね。
>
> ありがとうございました。
> どうかお身体ご自愛くださいませ。
>
> himmel
- frau.himmelさん からの返信 2020/05/09 09:59:19
- RE: RE: RE: シャルロッテンブルク宮殿のチェンバロ
- OE-343さん、おはようございます。
ありました〜〜!
サンスーシー宮殿でフルートの下をよく見たら、確かにチェンバロでした。
あれがジルバーマンのチェンバロなのですね。
ジルバーマンと言えばパイプオルガンではよく名前が出てきますので、私もなんとなく知っていました。
最も鮮明なのが、7,8年前、ドイツのナウムブルクと言うところに行きまして、大聖堂に大きなパイプオルガンがありました。
その制作者がヒルデブラントで、それを鑑定したのがジルバーマンとバッハであると、私の旅行記に書いておりました。その時ジルバーマンのことを調べたことがありました。
またそれより前にベルリンの絵画館で宮廷画家メンツェルが描いた、フリドーリヒがフルートを演奏している有名な絵を見ました。
あの場所がサンスーシーで、写っているチェンバロはジルバーマン、それにチェンバロを演奏しているのはエマニュエル・バッハなのですね!
OE-343さんのお蔭で次のポツダム編は膨らみを持たせた旅行記を書くことができそうです。
ありがとうございました。
himmel
- OE-343さん からの返信 2020/05/09 10:18:52
- RE: RE: RE: RE: シャルロッテンブルク宮殿のチェンバロ
- すみません。
フルートが載ってるチェンバロは「フォルテピアノ」です。ハンマーが付いた「ピアノ」です。
それから、絵に描かれてるのがCPEバッハかどうかはわかりません。
JSバッハが伴奏してる絵もあった気がします。。。また調べてお返事いたします。
とりいそぎ
OE-343
> OE-343さん、おはようございます。
>
> ありました〜〜!
> サンスーシー宮殿でフルートの下をよく見たら、確かにチェンバロでした。
> あれがジルバーマンのチェンバロなのですね。
>
> ジルバーマンと言えばパイプオルガンではよく名前が出てきますので、私もなんとなく知っていました。
> 最も鮮明なのが、7,8年前、ドイツのナウムブルクと言うところに行きまして、大聖堂に大きなパイプオルガンがありました。
> その制作者がヒルデブラントで、それを鑑定したのがジルバーマンとバッハであると、私の旅行記に書いておりました。その時ジルバーマンのことを調べたことがありました。
>
> またそれより前にベルリンの絵画館で宮廷画家メンツェルが描いた、フリドーリヒがフルートを演奏している有名な絵を見ました。
> あの場所がサンスーシーで、写っているチェンバロはジルバーマン、それにチェンバロを演奏しているのはエマニュエル・バッハなのですね!
>
> OE-343さんのお蔭で次のポツダム編は膨らみを持たせた旅行記を書くことができそうです。
>
> ありがとうございました。
>
> himmel
-
- ぶどう畑さん 2020/05/07 20:15:49
- マスクのゴム
- himmelさん
ぶどう畑です。
叔母さまのマスク、嬉しいですね!
手仕事が苦手な私、これからの季節は不織布のマスクでは汗びっしょりになるので、知り合いに布製のマスクを作ってもらえることになりました。
家にお祭りの手ぬぐいがいくつもあったので、それで作ってくれるとのこと。
どんなマスクができあがるのか楽しみ~!
で、耳のゴムなんですが、ストッキングやタイツを2センチくらいに切って使うと、いいですよ~。
耳も痛くならず、フィット感もバッチリ!
Tシャツでもいいみたいです。
最近は布マスクをしている人も多いですね。
小池知事のマスク、注目してしまいます。
- frau.himmelさん からの返信 2020/05/08 11:06:01
- RE: マスクのゴム
- ぶどう畑さん、こんにちは。
ホント、手作りマスクとっても嬉しかったです。
夫が花粉症なもので、マスクの買い置きは結構ありましたが、それも少なくなり、シャープの通販マスクに応募しても落選続き。
これからどうしようかな〜と一念発起してマスク用の布を買ってきたのはいいけど、何年も使っていないミシンが動くのか、それどころかどこに仕舞ったのか・・・、と途方に暮れているところでした。
私のところにはまだ「アベノマスク」は届いていませんし。
ストッキングの件、布を買ったお店でも使えるわよ〜とは言っていましたが、あのストッキングをどうやって〜〜?と半信半疑でした。
ぶどう畑さんの説明で、あ〜〜なるほど、切って使うのね〜、と言うくらい無知な私。
叔母のマスクはほんとに嬉しかった。
90歳になっても遠く離れている私たちを心配してくれることに、ただただ感謝です。
ぶどう畑さんはお友達が作ってくださるとのこと、なるほどお祭り用の手ぬぐいですね。カッコいいですね。
これから、生活習慣を変えなければならないとなると、マスク着用が日常になるのですよね。
これも大変。
普通の日常を返してほしい!。
お互いにコロナに隙を見せないように頑張りましょう。
himmel
私も小池さんのマスク、気になっています。
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