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+++ 思い出の中南米(1983~1988) 第二章 「はじめての出張 エクアドル共和国・クエンカ」 &amp; 「私の出張 episodeⅠ」編 +++<br /><br />『思い出の中南米(1983~1988)』第二章は、赤道直下の国・エクアドルの第三の都市・クエンカへ、着任後、はじめての出張(8日間)編です、そして、5年間の中南米における赴任生活の助言的となる、貴重な体験と出会うことになりました。<br />「私の出張 episodeⅠ」は、出張あれこれ編です。<br /><br />エクアドルの首都キトーから、代理店のあるクエンカに入る予定でしたが、入国手続きで思わぬ出来事に遭遇するのでした。新製品のサンプルを持参していたところ、検査官から「新製品のサンプルを持参して入国は出来ない、もし入国したければ、100USドルを支払わなければならない」との説明、荷物の検査を始めた際、ワイロの要求も多少覚悟(10USドル程度)していましたが、法外な額と明らかな足元を見る検査官の態度に、まだまだ血気盛んな時代の私、若気の至りなのか、売り言葉に買い言葉ではありませんが、ふざけるな(ワイロを良しとする私にも非はありますが)の思いから「空港に一時預かりにし、出国時に受けとる(保税手荷物扱い)」との啖呵をきり処理しました。<br />冷静になれば、「新製品のサンプルを預けてしまった、プレゼンができない」、まさか製品紹介をカタログでは済ませない、且つ、ここキトー空港からクエンカに向かわなければならない、万事休す状態。<br /><br />代理店政策として「一国一代理店制度」をすすめていました、当然エクアドルの代理店も国内では超優良企業(同族で財界、政界の閥を形成)です、ですから当然首都キトーにも支店があるのではと推量(初の出張のため関連情報は皆無)し、Taxiの運転手に尋ねました、幸運にも支店があることが判り、且つ、支店の責任者も在籍していました。責任者は、私から空港での顛末を聞くや否や、即座に空港の責任者に強硬な抗議のTELを入れ、私とともに空港に向かうのです、そして、あの検査官などは、歯牙にもかけず早々に「新製品のサンプル」を取り返したのでした。<br />まさに、電光石火の早業と対応に、代理店の政治力の片りんを垣間見たような出来事でした、後日談ですが、支店の責任者は、代理店オーナーの「お姉さん」とのこと、そして、代理店側からは、グアヤキル経由でクエンカに入ると思っていた、その場合であれば、この様な不手際は無かったと釈明、恐縮していました。<br /><br />出張のスケジュールも予定通り終盤をむかえ、代理店のオーナーから自宅でのパーティに招かれ、私は律儀にパーティの開始時間の少し前に到着しましたが、未だ準備の最中、当然のごとく招待客は三々五々現れ、女性は毛皮のコートorストールをまとう華やかな装いでした。パーティの準備がすすむ中、会場に楽器を持った人たちを見かけるようになり、子弟への音楽教育なのかと勝手に解釈していたのですが、パーティが開始するや否や、先ほど楽器を持っていた人たち(グループ)が会場の中二階で演奏を始めたのです、素晴らしいフォルクローレの演奏、グループのメンバーに「ライブ演奏はどこで聞けるの?」などと、楽しく過ごすことができました。<br />パーティの翌日、クエンカ最後の夜は、研修参加メンバー(30~40名)から飲み会へ招待され、ここでもサービス精神ではありませんが、エクアドルの音楽・フォルクローレを気に入っているとコメントしましたら、私に気付かれない様、何んと閉店していたレコード店を開けさせ、私が気に入りそうなレコードを調達していたのです、そして、レコードのジャケットにこの夜の参加者全員がサインをし、私へ贈ってくれました。<br /><br />ホテルに戻り、明日の帰国ための準備をしていた際、先ほどプレゼントされたレコードの表紙をあらためて見ましたら、なんと昨日の夜、パーティで演奏し、私と会話していたグループの人たちがジャケットの表紙に写っていたのです、驚きながらも、貧富の差を、まざまざと思い知らされた体験になりました。<br /><br />(本旅行記で掲載・紹介している写真は、昔の写真を直接デジカメで撮影しデータ化しています、大変見づらくご容赦願います)<br /><br />表紙写真:<br />研修出席者からプレゼントされたレコード<br />ジャケットの表紙を飾っているグループは、代理店オーナーのパーティで演奏していたメンバー達

思い出の中南米(1983~1988) 第二章 「はじめての出張 エクアドル共和国・クエンカ」 & 「私の出張 episodeⅠ」編

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1984/02/01 - 1984/02/08

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旅行記グループ 思い出の中南米(1983~1988)

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ichiro

ichiroさん

+++ 思い出の中南米(1983~1988) 第二章 「はじめての出張 エクアドル共和国・クエンカ」 & 「私の出張 episodeⅠ」編 +++

『思い出の中南米(1983~1988)』第二章は、赤道直下の国・エクアドルの第三の都市・クエンカへ、着任後、はじめての出張(8日間)編です、そして、5年間の中南米における赴任生活の助言的となる、貴重な体験と出会うことになりました。
「私の出張 episodeⅠ」は、出張あれこれ編です。

エクアドルの首都キトーから、代理店のあるクエンカに入る予定でしたが、入国手続きで思わぬ出来事に遭遇するのでした。新製品のサンプルを持参していたところ、検査官から「新製品のサンプルを持参して入国は出来ない、もし入国したければ、100USドルを支払わなければならない」との説明、荷物の検査を始めた際、ワイロの要求も多少覚悟(10USドル程度)していましたが、法外な額と明らかな足元を見る検査官の態度に、まだまだ血気盛んな時代の私、若気の至りなのか、売り言葉に買い言葉ではありませんが、ふざけるな(ワイロを良しとする私にも非はありますが)の思いから「空港に一時預かりにし、出国時に受けとる(保税手荷物扱い)」との啖呵をきり処理しました。
冷静になれば、「新製品のサンプルを預けてしまった、プレゼンができない」、まさか製品紹介をカタログでは済ませない、且つ、ここキトー空港からクエンカに向かわなければならない、万事休す状態。

代理店政策として「一国一代理店制度」をすすめていました、当然エクアドルの代理店も国内では超優良企業(同族で財界、政界の閥を形成)です、ですから当然首都キトーにも支店があるのではと推量(初の出張のため関連情報は皆無)し、Taxiの運転手に尋ねました、幸運にも支店があることが判り、且つ、支店の責任者も在籍していました。責任者は、私から空港での顛末を聞くや否や、即座に空港の責任者に強硬な抗議のTELを入れ、私とともに空港に向かうのです、そして、あの検査官などは、歯牙にもかけず早々に「新製品のサンプル」を取り返したのでした。
まさに、電光石火の早業と対応に、代理店の政治力の片りんを垣間見たような出来事でした、後日談ですが、支店の責任者は、代理店オーナーの「お姉さん」とのこと、そして、代理店側からは、グアヤキル経由でクエンカに入ると思っていた、その場合であれば、この様な不手際は無かったと釈明、恐縮していました。

出張のスケジュールも予定通り終盤をむかえ、代理店のオーナーから自宅でのパーティに招かれ、私は律儀にパーティの開始時間の少し前に到着しましたが、未だ準備の最中、当然のごとく招待客は三々五々現れ、女性は毛皮のコートorストールをまとう華やかな装いでした。パーティの準備がすすむ中、会場に楽器を持った人たちを見かけるようになり、子弟への音楽教育なのかと勝手に解釈していたのですが、パーティが開始するや否や、先ほど楽器を持っていた人たち(グループ)が会場の中二階で演奏を始めたのです、素晴らしいフォルクローレの演奏、グループのメンバーに「ライブ演奏はどこで聞けるの?」などと、楽しく過ごすことができました。
パーティの翌日、クエンカ最後の夜は、研修参加メンバー(30~40名)から飲み会へ招待され、ここでもサービス精神ではありませんが、エクアドルの音楽・フォルクローレを気に入っているとコメントしましたら、私に気付かれない様、何んと閉店していたレコード店を開けさせ、私が気に入りそうなレコードを調達していたのです、そして、レコードのジャケットにこの夜の参加者全員がサインをし、私へ贈ってくれました。

ホテルに戻り、明日の帰国ための準備をしていた際、先ほどプレゼントされたレコードの表紙をあらためて見ましたら、なんと昨日の夜、パーティで演奏し、私と会話していたグループの人たちがジャケットの表紙に写っていたのです、驚きながらも、貧富の差を、まざまざと思い知らされた体験になりました。

(本旅行記で掲載・紹介している写真は、昔の写真を直接デジカメで撮影しデータ化しています、大変見づらくご容赦願います)

表紙写真:
研修出席者からプレゼントされたレコード
ジャケットの表紙を飾っているグループは、代理店オーナーのパーティで演奏していたメンバー達

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
3.0
同行者
一人旅
交通手段
タクシー 徒歩

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  • エクアドルの首都・キトー空港<br />のんびりと記念写真を撮っていますが、心中は万事休す状態でした。

    エクアドルの首都・キトー空港
    のんびりと記念写真を撮っていますが、心中は万事休す状態でした。

  • 当時のエクアドル共和国のフラッグ・キャリア「エクアトリアナ航空(2005年廃業)」

    当時のエクアドル共和国のフラッグ・キャリア「エクアトリアナ航空(2005年廃業)」

  • クエンカは、エクアドル共和国の第三の都市、赤道直下のエリアですが、標高2500mのため、気温は平均20度前後、過ごしやすい素朴な街でした。

    クエンカは、エクアドル共和国の第三の都市、赤道直下のエリアですが、標高2500mのため、気温は平均20度前後、過ごしやすい素朴な街でした。

  • クエンカの街中

    クエンカの街中

  • 高原リゾート風のクエンカのホテル

    高原リゾート風のクエンカのホテル

  • 高原リゾート風のクエンカのホテル

    高原リゾート風のクエンカのホテル

  • 研修参加のメンバーとの記念写真、何故か、事あるごとに写真を撮っていました。

    研修参加のメンバーとの記念写真、何故か、事あるごとに写真を撮っていました。

  • のどかな研修風景

    のどかな研修風景

  • 時間があれば色々な場所に案内してくれた、純朴でフレンドリーなメンバー達でした、私を案内しながら自分たち(国内各地から参集)も楽しんでいたようです。(笑)

    時間があれば色々な場所に案内してくれた、純朴でフレンドリーなメンバー達でした、私を案内しながら自分たち(国内各地から参集)も楽しんでいたようです。(笑)

  • クエンカの街を望む丘

    クエンカの街を望む丘

  • レコードジャケットの表紙を飾っているのは、代理店オーナーの自宅で行われたパーティで、素晴らしいフォルクローレを演奏していたメンバー達でした。<br />富める者は「演奏しているメンバー(グループ)を自宅に呼び」、そうでない者は「レコードで聞く」のだと、貧富の差を目の当たりすることになりました。

    レコードジャケットの表紙を飾っているのは、代理店オーナーの自宅で行われたパーティで、素晴らしいフォルクローレを演奏していたメンバー達でした。
    富める者は「演奏しているメンバー(グループ)を自宅に呼び」、そうでない者は「レコードで聞く」のだと、貧富の差を目の当たりすることになりました。

  • 私が感激した、レコードのジャケットに記された研修参加メンバー達のサイン(一部)

    私が感激した、レコードのジャケットに記された研修参加メンバー達のサイン(一部)

  • 懐かしいエアパナマ航空

    懐かしいエアパナマ航空

  • パナマシティ郊外にある「オマール・トリホス国際空港」、2003年に「トクメン国際空港」に改称されました。<br /><br />+++ 「私の出張 episodeⅠ」 +++<br /><br />「郷に入っては郷に従え」「長いものにはまかれろ」、そして「政治」と「宗教」の話題に、むやみに触れないことが、私の第二の故郷・パナマでの教訓、処世術でした<br /><br />パナマ国内で「何らかの業務の検査・管理」を生業とする人達は、概ね、状況と相手をみて「交渉の余地の有無」を察知し、「余禄=ワイロ」の可否を判断していたと思います。<br />例えば、空港の入国荷物検査の際、新品の荷物、開封されていない食料品などがあった場合、まずは「没収」と説明し、そこから駆け引き・交渉が始まるのです、そして、搬入者が困った様子をみせながら、「10~20USドル」を手に忍ばせ、検査官を納得させるのが一般的でした。<br />(没収された場合、多分に検査官の余禄となるでしょう)<br />前出のケースでは、要求する側に元凶がありますが、渡す側にも問題がありました、なぜならば、この様な悪癖・横行を逆利用し、色々なものを持って無税で入国する輩たちです、そんな私も「郷に入っては郷に従え」を忠実に順守し、日本への出張時、家内に頼まれた「料理器具フードプロセッサー(日本で購入)」を手荷物として入国していました、勿論、多量の食料品も同様でした。余談ですが、無事に交渉が成立すると、「アミーゴ 気を付けて」と声がかかっていました。<br />また、夜の街中、信号の傍で潜んでいた警官に車を止められた場合、100%、身に覚えがない違反を指摘され、ここでも交渉が始まるのです、私の場合、裁判所への出頭日は出張のため不在、何か良い方法はないか?の問いかけに、10USドルと交換で免許証がもどされていました。<br />補足<br />中南米諸国の「ワイロ」事情は、私の経験上、パナマが最悪だったと思います、チリの代理店のメンバーに「スピード違反で捕まったら10USドル位?」と尋ねましたら、「そんな事をしたらダメ、余計に悪い」と真顔で注意されました。<br /><br />私の忌憚のない意見・感想は、当時のパナマの一般庶民の「労働賃金が非常に低く」、また、「男性の就労率は女性よりも悪く」、その為、貧困生活を余儀なくされ、故に善悪・道徳観念よりも、糧を得ることを優先しなければならないのではと、感じていました。<br />もう一点、これは文字にあらわすのに躊躇するのですが、「富める者は病めるものを助ける」精神・考え方が根底にあり、援助(搾取する)されることを当然(必然)と考えていたのではないかと・・・、<br />話が飛躍しますが、パナマでは凶悪犯罪は少なく、窃盗など軽微な犯罪が多発していました。<br />いまは、パナマの国も発展途上にあり国民性も大きく変わったことと思います。

    パナマシティ郊外にある「オマール・トリホス国際空港」、2003年に「トクメン国際空港」に改称されました。

    +++ 「私の出張 episodeⅠ」 +++

    「郷に入っては郷に従え」「長いものにはまかれろ」、そして「政治」と「宗教」の話題に、むやみに触れないことが、私の第二の故郷・パナマでの教訓、処世術でした

    パナマ国内で「何らかの業務の検査・管理」を生業とする人達は、概ね、状況と相手をみて「交渉の余地の有無」を察知し、「余禄=ワイロ」の可否を判断していたと思います。
    例えば、空港の入国荷物検査の際、新品の荷物、開封されていない食料品などがあった場合、まずは「没収」と説明し、そこから駆け引き・交渉が始まるのです、そして、搬入者が困った様子をみせながら、「10~20USドル」を手に忍ばせ、検査官を納得させるのが一般的でした。
    (没収された場合、多分に検査官の余禄となるでしょう)
    前出のケースでは、要求する側に元凶がありますが、渡す側にも問題がありました、なぜならば、この様な悪癖・横行を逆利用し、色々なものを持って無税で入国する輩たちです、そんな私も「郷に入っては郷に従え」を忠実に順守し、日本への出張時、家内に頼まれた「料理器具フードプロセッサー(日本で購入)」を手荷物として入国していました、勿論、多量の食料品も同様でした。余談ですが、無事に交渉が成立すると、「アミーゴ 気を付けて」と声がかかっていました。
    また、夜の街中、信号の傍で潜んでいた警官に車を止められた場合、100%、身に覚えがない違反を指摘され、ここでも交渉が始まるのです、私の場合、裁判所への出頭日は出張のため不在、何か良い方法はないか?の問いかけに、10USドルと交換で免許証がもどされていました。
    補足
    中南米諸国の「ワイロ」事情は、私の経験上、パナマが最悪だったと思います、チリの代理店のメンバーに「スピード違反で捕まったら10USドル位?」と尋ねましたら、「そんな事をしたらダメ、余計に悪い」と真顔で注意されました。

    私の忌憚のない意見・感想は、当時のパナマの一般庶民の「労働賃金が非常に低く」、また、「男性の就労率は女性よりも悪く」、その為、貧困生活を余儀なくされ、故に善悪・道徳観念よりも、糧を得ることを優先しなければならないのではと、感じていました。
    もう一点、これは文字にあらわすのに躊躇するのですが、「富める者は病めるものを助ける」精神・考え方が根底にあり、援助(搾取する)されることを当然(必然)と考えていたのではないかと・・・、
    話が飛躍しますが、パナマでは凶悪犯罪は少なく、窃盗など軽微な犯罪が多発していました。
    いまは、パナマの国も発展途上にあり国民性も大きく変わったことと思います。

  • 写真は、米国のゴルフ場 USAの会社の社内コンペでの一コマ<br /><br />私の信条・モットーは、「仕事は他人の120%、遊びは200%」です。<br />中南米へ赴任する際、慣例でUSAの会社に挨拶を兼ね、New Yorkのオフィスに立ち寄っていました、私も例外なくミーティング(対外的に)と称し、1週間の予定で訪れました。入社時からの先輩が駐在しており、空港の送迎、市内観光、且つ、宿泊も先輩の家でお世話になり、滞在中すべての面倒をお掛けしました、その先輩から、日本を出発する前「ゴルフシューズ、手袋」を忘れないでと、再三FAXが入っていました。(笑)<br />この教えは永く忘れることなく、「ゴルフシューズ、手袋、ティーペッグ、ボール」は、私の出張の携帯必需品となりました。

    写真は、米国のゴルフ場 USAの会社の社内コンペでの一コマ

    私の信条・モットーは、「仕事は他人の120%、遊びは200%」です。
    中南米へ赴任する際、慣例でUSAの会社に挨拶を兼ね、New Yorkのオフィスに立ち寄っていました、私も例外なくミーティング(対外的に)と称し、1週間の予定で訪れました。入社時からの先輩が駐在しており、空港の送迎、市内観光、且つ、宿泊も先輩の家でお世話になり、滞在中すべての面倒をお掛けしました、その先輩から、日本を出発する前「ゴルフシューズ、手袋」を忘れないでと、再三FAXが入っていました。(笑)
    この教えは永く忘れることなく、「ゴルフシューズ、手袋、ティーペッグ、ボール」は、私の出張の携帯必需品となりました。

  • New Yorkの先輩の自宅、野球観戦(時差ボケ? どこのチームだったか忘れました)の後、ロブスターを調達し先輩自らが調理してくれました。

    New Yorkの先輩の自宅、野球観戦(時差ボケ? どこのチームだったか忘れました)の後、ロブスターを調達し先輩自らが調理してくれました。

  • +++ オロコ・ゴルフ場 +++<br /><br />赴任地パナマには4か所のゴルフ場があり、日本人駐在員(家族含む)は、アメリカ橋を渡った米軍施設の「オロコ・ゴルフ場」(写真参照)を利用していました。グリーンフィーは、10~15USドル位だったと思いますが、駐在員は、年会員に入会(年会費600USドル/家族単位)し、家族で好きなだけプレーを楽しんでいました。(電動乗用カート代は別途、8~10USドル/回)<br />キャディは、ほぼ専属(笑)で決まっていました。(キャディフィーは、10USドル+チップ2USドル)<br /><br />写真内の後方建物がクラブハウス、レストランは、ディナー・タイムも営業しており「Tボーンステーキ」が、大人気でした。<br />

    +++ オロコ・ゴルフ場 +++

    赴任地パナマには4か所のゴルフ場があり、日本人駐在員(家族含む)は、アメリカ橋を渡った米軍施設の「オロコ・ゴルフ場」(写真参照)を利用していました。グリーンフィーは、10~15USドル位だったと思いますが、駐在員は、年会員に入会(年会費600USドル/家族単位)し、家族で好きなだけプレーを楽しんでいました。(電動乗用カート代は別途、8~10USドル/回)
    キャディは、ほぼ専属(笑)で決まっていました。(キャディフィーは、10USドル+チップ2USドル)

    写真内の後方建物がクラブハウス、レストランは、ディナー・タイムも営業しており「Tボーンステーキ」が、大人気でした。

  • 家族も会員でしたので、プレーを楽しむことができました、子供たちは、ゴルフよりも乗用カートの運転を楽しんでいました。<br />ゴルフ場の小さい川には、「ワニ」が生息し、フェアウェイには、マンゴーの木もあり、家内はよくキャディに採ってもらっていました。<br />嘘のような本当の話、「池越えのショートホールで、小遣い稼ぎに池の中のボールをとっていた時、ワニに噛まれた」と、翌日、手に包帯をしたキャディ本人から聞きました、まさに中米パナマならではの出来事でした。<br />

    家族も会員でしたので、プレーを楽しむことができました、子供たちは、ゴルフよりも乗用カートの運転を楽しんでいました。
    ゴルフ場の小さい川には、「ワニ」が生息し、フェアウェイには、マンゴーの木もあり、家内はよくキャディに採ってもらっていました。
    嘘のような本当の話、「池越えのショートホールで、小遣い稼ぎに池の中のボールをとっていた時、ワニに噛まれた」と、翌日、手に包帯をしたキャディ本人から聞きました、まさに中米パナマならではの出来事でした。

  • USAのゴルフトーナメントも開催される、パナマ唯一の会員制の「パナマ・ゴルフ場」、会社では法人会員でした。

    USAのゴルフトーナメントも開催される、パナマ唯一の会員制の「パナマ・ゴルフ場」、会社では法人会員でした。

  • コスタリカの首都サンホセのホテル併設のゴルフ場<br />

    コスタリカの首都サンホセのホテル併設のゴルフ場

  • ペルーの首都リマのゴルフ場

    ペルーの首都リマのゴルフ場

  • ボリビアの第二の都市サンタクルスのゴルフ場<br />ペルー・リマで知り合った日系の方に案内していただきました、プレー終了後、サンタクルスの日本食食堂で「日系移民」に関する色々なお話を伺い、感銘するばかりでした。

    ボリビアの第二の都市サンタクルスのゴルフ場
    ペルー・リマで知り合った日系の方に案内していただきました、プレー終了後、サンタクルスの日本食食堂で「日系移民」に関する色々なお話を伺い、感銘するばかりでした。

  • チリの首都サンティアゴのゴルフ場

    チリの首都サンティアゴのゴルフ場

  • チリの首都サンティアゴのゴルフ場 グリーンの背景はアンデス山脈が望めます。<br /><br />出張先で週末を過ごす場合、代理店から声がかかるのですが、一人で行動することを心がけていました、過ごし方の選択肢は①博物館めぐり、②ショートトリップ、或いは、③天候と体調を考慮しながら、ゴルフでした、ゴルフ場の予約等はホテルに相談・頼んでいましたが、いまでも覚えているのは、コロンビアの首都ボコタの日本食レストランで知り合った、日本人駐在員の方から「宜しければ、明日ご案内します」と声をかけていただき、軽井沢のゴルフ場を彷彿させる素晴らしいゴルフ場でプレーすることができました。<br /><br />「ゴルフシューズ、手袋、ティーペッグ、ボール」は、私の出張の携帯必需品でした。

    チリの首都サンティアゴのゴルフ場 グリーンの背景はアンデス山脈が望めます。

    出張先で週末を過ごす場合、代理店から声がかかるのですが、一人で行動することを心がけていました、過ごし方の選択肢は①博物館めぐり、②ショートトリップ、或いは、③天候と体調を考慮しながら、ゴルフでした、ゴルフ場の予約等はホテルに相談・頼んでいましたが、いまでも覚えているのは、コロンビアの首都ボコタの日本食レストランで知り合った、日本人駐在員の方から「宜しければ、明日ご案内します」と声をかけていただき、軽井沢のゴルフ場を彷彿させる素晴らしいゴルフ場でプレーすることができました。

    「ゴルフシューズ、手袋、ティーペッグ、ボール」は、私の出張の携帯必需品でした。

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