1984/06/01 - 1984/06/01
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思い出の中南米(1983~1988) 第三章 「パナマの休日」編
パナマの休日、我が家の典型的な余暇の過ごし方は、午前中はゴルフ、そして、午睡のあと、夕方から一週間分の買い物のため、近隣のスーパーへ訪れます、購入アイテム(野菜、肉、魚はお店が決まっていました)によっては数軒のお店をまわり、夕食から映画館のコースは子供達に大好評でした。
ゴルフ(日本人会、社内、夫婦、他社との対抗戦等の各コンペが月次で開催され、毎週何かしらのコンペがありました)以外では、近隣の海水浴場などで楽しんでいましたが、シーズン毎に日本人学校、日本人コミュニティ、他のイベントが開催され、忙しい週末を過ごしていました。
★★日本食 一口メモ★★
パナマには、日本食品店(極小規模のスーパー)が1軒、日本食レストランは3~4軒ありました。当時の換算レートは200~250円/USドルでしたが、日本食品店&日本食レストランを利用する場合、1USドル=100円の感覚でした、実レートに換算すると高すぎてバカバカしくなるので。。。
駐在員、特に家族連れに人気だったのは、イタリアン、中華、韓国料理のお店でした、週末のレストランでは、日本人家族と会うことは珍しくありませんでした、因みに、日本食以外のお店で食事をした場合、日本食レストランの約半分くらいの食事代で済みました。
表紙写真:
カジュアルな民族衣装をまとったパナマの少女たち
(世界遺産 パナマビエホ)
(当時の写真を、直接デジカメで写してデータ化しました、画像は見づらいですが雰囲気はわかると思います、一番楽な方法で費用も発生せず、良しとしています)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 徒歩 飛行機
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+++ 世界遺産 パナマビエホ +++
2003年世界遺産に登録されたパナマビエホは、市内から車で15~20分に位置し、当時(1984年)からパナマを代表する観光スポットでした。
パナマビエホで開催された民族舞踊ショーです、華やかな民族衣装「ポジェーラ」をまとって踊りが披露されています。 -
写真内の左側の建物は、世界遺産パナマビエホの象徴の「鐘楼」です、パナマビエホは、海賊ヘンリー・モーガンの襲撃と略奪によって街が壊滅(1671年)しました、後述のポルトベーロと同様。
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「鐘楼」を背景に民族衣装「ポジェーラ」をまとったパナマの民族舞踊
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パナマはクルーズ船の寄港地でした、民族舞踊のショーは、観光客の方たちにも人気だったようです。
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華やかな女性の民族衣装「ポジェーラ」に対比し、男性はとても質素な衣装です、そして、踊りも常に女性をひきたてるかのように振舞います。
★★パーティ 一口メモ★★
着任した当時(1983年)、金曜・土曜の夜はどこからともなく大音響の音楽が聞こえてきます、週末の夜のお供は、お酒(安価なラム酒ロン)、おつまみ、そして、ノリの良いラテン音楽でした、どこかの家がパーティ会場に様変わりし、夜遅くまで楽しんでいました、勿論、最初は、うるさくて近所迷惑と思いましたが、そんな無粋な人はいませんでした。
現地ではカップルで踊るのが一般的でした、男性はパートナーの女性を、まさに女王、お姫様をエスコートするかのように振舞います、ですから、女性は「私が一番・最高でしょ」と気分良く踊ることができました。
男性は、黒子に徹し目立たなければ目立たないほどカッコいいのです、ステップは控えめながらも、リズムは「肩と腰」で外していません、普段は冴えないオジサンですが、踊りが始まるや否や、年季が違いました。 -
出演者全員の踊りでフィナーレをむかえます、まさに総踊りです。
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パナマのキルト刺繍「モーラ」でおなじみのクナ族の踊りも披露されていました。
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演舞を終わった少女が、息子(次男)を優しくサポートしていました、Gracias, muy amable.
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イチオシ
声をかけましたら、快くポーズをつけていただけました、カジュアルな民族衣装をまとった、素敵なパナマの少女たちでした。
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+++ パナマ運河 ミラフローレス閘門(こうもん) +++
パナマ運河は、カリブ海と太平洋を結ぶ全長約80キロの船の通路です、運河中央部に海抜26mのガトゥン湖があり、水位(26mの差)を調整するため「閘門」を使って船舶を昇降させ、通過させます。運河の建設は紆余曲折ありましたが、1914年に米国によって開通し、長く独占運営権を保持していました、その後、1999年末にパナマへ返還されました。
ミラフローレス閘門(こうもん)は、市内からも近く、パナマの代表的観光スポットです。 -
写真内の後方の左側のさえない建物がミラフローレス閘門(こうもん)の展望台です、ちょうど船(写真内の右側)が通過中で、当時は、船の通過を間近で見学できました。
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+++ パナマ初の世界遺産 ポルトベーロ +++
ポルトベーロの街が建設されたのは16世紀末ですが、悪名高い海賊ヘンリー・モーガンによって襲撃され、街は占領と略奪の憂き目にあいました、今に残る要塞群は18世紀に修築されたものです。
パナマ市内から車で約2時間弱、カリブ海側に位置します。 -
世界遺産ポルトベーロにほど近いビーチ、写真後方の白い建物はビーチハウス(宿泊可)です、カリブの海は本当にきれいでした、パナマの海では、こことサン・ブラス諸島の海は別格(砂浜、透明度)でした。
ビーチ近辺は悪路でジャングルです、我が家だけで訪れましたが、安全面を考慮すれば複数家族、車も複数台で行くべきです。 -
+++ コンタドーラ島 +++
パナマ近郊には「タボガ島」「リオマール」、前出で紹介しました「ポルトベーロ」など日帰りで十分楽しめる多くのビーチがありました、コンタドーラ島は、パナマ市内から空路20分位(写真内後方の飛行機)に位置し、1~2泊で訪れるにはちょうど良いリゾート地でした。 -
ホテル・コンタドーラ(後方の建物)
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+++ サン・ブラス諸島 +++
同じ会社の家族と二家族計8名(大人4名、子供4名)で、写真内の後方の飛行機貸切りで、カリブ海に浮かぶサン・ブラス諸島へ訪れました、空港がある島、ホテルがある島、ビーチのある島などへは、ボートで移動します。 -
サン・ブラス諸島のホテル
各部屋の壁・仕切りはまるで「葦簀(よしず)」のようで風通しが良すぎました。(笑)写真内の左側は、天然の生け簀でした、中にいたロブスターが夕食に出ていました。 -
+++ 自衛艦やまゆき 1987年 +++
パナマ運河の出入口近くに港があり、クルーズ船、日本の遠洋漁業船などが寄港していました。
自衛艦も寄港していました、日本人学校経由で案内があり、船内を見学することができました、その際、案内していただいたお礼に、自衛官の方を市内観光、そして、我が家に招いて日本茶で休憩していただきました。 -
+++ パナマシティのカーニバル 1985年 +++
パナマ最大の行事は、カーニバルです、2月中旬に各地で開催されます、各都市によってお祭りの内容が異なりますが、着飾った人たちとモニュメントや山車のパレードがメインイベントでした、沿道からは、水をかけたり紙吹雪を飛ばしたり、一緒に楽しみます。 -
パナマ市のメイン通りでのカーニバル・パレード
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+++ 田舎のカーニバル 1984年 +++
家族の着任前、独身の私にオフィスの地元メンバーから親戚がいる地方のカーニバルへ来ませんか?の誘いがありました、田舎のカーニバルは面白いと聞いていたので即答で「OK」、移動手段の車は私が提供、宿は地元メンバーの親戚の家で一週間お世話になりました。 -
訪れた場所(都市)の名前は忘れましたが、パナマ市から往復800kmだったことは覚えています、お世話になった家には、電気、水道は無く、歓待の食事は「チキンスープ」でした、もちろん自宅で飼っていた鶏です。
珍しい経験だったのは、イグアナの卵を食したことです、親指の先位の大きさで外側の殻は柔らかく、食べると言うよりも殻を歯でちぎって中身を吸うのでした。 -
昼間のカーニバルは「水かけ祭り」です、どこから持ってきた水か判りませんが、タンクローリーから大量に放水します、参加者は水着や濡れてもよい服装です。
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ノリの良い音楽とともに夜のパレードが始まります。
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山車を牽引するのはトラクター
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レイナ(ミス・カーニバル)は、上町、下町から各々選出されていました。
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レイナ(ミス・カーニバル)は、上町、下町から各々選出されていました。
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パレードが終わると野外ディスコの開演です、カーニバル期間中は毎夜踊りあかします、遠く日本からの私をアテンド、歓待してくれた方は、前年の下町のレイナとのことでした。
着任後、現地メンバーの助言をきっかけに「ひげ」をはやしてみました、家族に不評でやめました。
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