2019/07/13 - 2019/07/13
9位(同エリア385件中)
エンリケさん
この旅行記のスケジュール
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2019年夏休みのポーランド旅行記8日目。
いよいよポーランド旅行のクライマックス、クラクフの西54kmの地点にあるアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所(アウシュヴィッツ博物館)へ。
多感な中学生時代に学んだ有名すぎる施設のため、展示内容に衝撃を受けるというよりも、ここを訪れるのが初めてではないような、何だか懐かしいところに来たような不思議な感覚に。
ホロコーストの記録を巡るとともに、自分の中で時空の旅をしているような、そんな錯覚にとらわれた博物館見学となりました。
<旅程表>
2019年
7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ
7月 7日(日) ワルシャワ
7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク
7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク
→トルン
7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ
7月11日(木) クラクフ
7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ
〇7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ
強制絶滅収容所→クラクフ
7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→
7月15日(月) →羽田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
7月13日(土)
この日はクラクフから西へ54kmの地点にあるオシフィエンチム市の世界遺産、“アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所”(アウシュヴィッツ博物館)へ。
クラクフ本駅東側にあるMDAバスターミナルの待合所にて、早朝6時20分発のバスを待ちます。
*切符は前日、同ターミナルの窓口にて購入(15ズウォティ=約440円)。MDA バスターミナル (クラクフ) バス系
-
オシフィエンチム(アウシュヴィッツ博物館)行きのライコニック社(Lajkonik)のバスは、出発時間の少し前にターミナル2階の発着場に到着。
早速乗り込み、バスは時刻表どおり、6時20分に出発。バス バス系
-
バスはクラクフから西へ西へと、田舎道を進んでいきます。
雲行きがちょっと怪しいかな・・・。 -
30分ほどすると、雨が降り出しました。
今回のポーランド旅行、雨が降らなかったのは2日くらいだったかなあ・・・。
もっとも、一日中雨が降り続くということもありませんでしたが。 -
クラクフから1時間20分後の7時40分、アウシュヴィッツ博物館の入口に到着。
自家用車や観光バスで来ている人も多いようで、当日券売り場にはすでにこんな長蛇の列。
わたしは事前に以下HPからチケットを購入していたので、並ばずに済みました(6時間の英語ガイドによるStudy tourで100ズウォティ=約2,900円)。
【アウシュヴィッツ博物館HP】
http://auschwitz.org/en/
ちなみに、時間帯ごとに入場者数には限りがあり、1か月前の予約でも残人数は少なくなっていたので、アウシュヴィッツ訪問を決めている方は、早めに予約した方がよさそうです。
有名な中谷剛さんにガイドを依頼する場合は、“地球の歩き方”によると、同氏へのメール連絡が必要とのことでしたが、わたしは欧米人に混じって彼らが受けるようなツアーで回ってみようと思い、敢えて中谷さんのガイドツアーを選びませんでした。オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物
-
予約した入場時間は9時(早く来すぎてしまいました・・・)なので、それまでの間、博物館の周りを見学。
こちらの通路には、収容所から生還した被収容者たちの証言を集めた碑が建てられていました。
このほか、建物内にある売店でお土産などを物色。
アウシュヴィッツに関する日本語の解説書2種類が割引で売っていたので(25+20=45ズウォティのところ39ズウォティ=約1,200円)、寄附と思い、帰り掛けに購入させていただきました。 -
入場時間の10分ほど前に、係員の誘導に従って建物入口に並ばされ、大混雑の中、建物内の通路を進んでいきます。
そして建物のいちばん奥のところでヘッドホン(録音ガイドではなく、案内している生のガイドの声を聴き取るもの)を受け取り、建物の外に出ると、改めて強制収容所への入口が。
・・・このときちょうど雨が上がって、見学しやすくなってきました。 -
通路脇には、このようにところどころに収容所の解説版が。
このアウシュヴィッツ博物館、第一強制収容所(いわゆる“アウシュヴィッツ強制収容所”)の敷地内には30ほどの建物が復元・保存されており、そのうち28棟が被収容者を収容する“囚人棟”だったとのこと。
最大で28,000もの人々が収容されていたそうで、これら囚人棟の内部は展示室に作り変えられ、ガス室や焼却炉などとあわせて、15棟ほどが見学可能となっています。 -
少し歩くと、有名な“ARBEIT MACHT FREI”(働けば自由になる)という標語を掲げた門が見えてきました。
この門をくぐって、収容所の見学スタートです。
心なしか、見学者は皆、重そうな足取りです。 -
ちなみにこの“ARBEIT MACHT FREI”の門、“B”の文字が逆さまに見えることについて、これを製作した被収容者のささやかな抵抗と考える説もあるようですが、実際には、当時の流行の書体をかたどったものに過ぎないとのこと。
“ARBEIT MACHT FREI”という標語についても、この収容所に特別なものではなく、公共事業のスローガンなどとして、当時ドイツでよく知られていた労働標語なのだそうです。 -
収容所を取り囲むのは有刺鉄線。
まさに想像していたとおりの雰囲気です。 -
収容所内の通路を歩いていきます。
外観だけ見ると、収容所内の建物があまりにも整然としすぎていて、まるでひとつの街のようです。
アウシュヴィッツ強制収容所はもともと、1940年5月にナチス・ドイツの親衛隊(SS)がポーランド軍兵営の建物を接収して開所したものなので、建物自体は立派につくられているのでしょう。
それにしてもこのガイドツアー、いっぺんに様々な言語による複数のツアーが催行されているのですが、わたしの参加した英語ツアーは集合の合図も何もなく、自分で歩き回ってガイドを探さねばなりません・・・。 -
路傍にあったこちらは、被収容者による“オーケストラ”の写真。
これは、この収容所が“人道的に”運営されていると主張するためのカモフラージュの一環として行われたのだそう。
収容所に新たに到着した人には明るい曲、労働に向かう被収容者には行進曲を奏でたとされ、奏者は特別な待遇を受けることができたのだとか・・・。 -
見学者がぞろぞろと入っていく建物があったので、まだ自分のガイドを見つけられていないところですが、先に入っているかもしれないと思い、わたしも入ってみることにします。
-
内部はアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所の導入部分の展示室。
まずはここアウシュヴィッツ(オシフィエンチム)の位置図で、ソ連を含めれば、ちょうどヨーロッパ大陸の中心に位置し、各地から人を集めやすかったという説明。
解説板によると、1940年5月の開所(絶滅収容所になったのは1942年)から1945年1月のソビエト赤軍による解放までに、少なくとも130万人の人々がここに運ばれ、うち90%にあたる110万人がここで亡くなったという・・・。
運ばれてきた130万人の内訳は以下のとおり。
①ユダヤ人:110万人
②ポーランド人:14~15万人
③ロマ(ジプシー):2.3万人
④ソ連兵の捕虜:1.5万人
⑤その他:2.5万人
ユダヤ人110万人のうち、最大はハンガリーからで40万人。以下、ポーランド15万人、フランス6.9万人、オランダ6万人、ギリシャ5.5万人などとなっています。 -
次の部屋には、この収容所で亡くなった犠牲者に捧げる碑が。
皆、無言でじっと見つめながら、この場所を通過していきます。 -
続いて、この収容所に移送されるユダヤ人たちの写真を集めた部屋。
こちらは、ハンガリーから電車に乗せられて到着したユダヤ人を写したもの。 -
そのユダヤ人たちの行進の様子。
先ほど見た、被収容者によるオーケストラ隊の音楽が奏でられていたのでしょうか・・・。
母国でも識別されていたのか、左胸には、“ダヴィデの星”のワッペンがつけられていますね。 -
“ON THE WAY TO DEATH”と題された写真。
こんな年端も行かぬ子どもたちも犠牲に・・・。
しかし、当時の常識で考えても、いくら戦時下とはいえ、よく裁判もなしに民間人を殺せるものです。
このあたりが“戦争犯罪”と呼ばれる所以なのでしょうが。 -
続いてはアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所全体の位置図。
鉄道を挟んで右側(東側)にある小さい方がアウシュヴィッツ、左側(西側)の大きい方が第二強制収容所のビルケナウです。 -
続いて当時の遺品の展示室。
こちらは数多くの被収容者を死に追いやった、毒ガスの原料の“チクロンB”(Zykron B)。
教科書などで何度も目にしたそのまんまの展示に、恐怖よりも、“ついにこの場所へ来たなあ”という妙な感慨が湧き起こってきます・・・。 -
次の建物では被収容者の様々な遺品を展示。
(ここでようやくヘッドホンにガイドの声が入ってきて、遅れてきたグループと合流)
まずは被収容者が身に着けていた補装具。
殺害してなおその身から奪い取るのかということに対して、もはやため息しか出てこないですね・・・。 -
こちらは被収容者がいつか帰れるだろうという淡い思いを込めながら預けたと思われるカバン。
白い文字で書かれた名前がその人の思いを感じさせます・・・。 -
こちらも何度も教科書などで目にした大量の革靴の山。
何十年も昔から、世界中の人々に戦争の悲惨さを訴えるために、このままの姿をさらし続けているのですね・・・。 -
子どもの被収容者の遺品。
これにはさすがに涙が出てきます・・・。 -
1番目、2番目の棟と立て続けに見たところで10時となり、1時間が経過。
建物の外は、ここで何事もなかったかのような平和な通り道という感じ・・・。 -
しかし路傍の解説版には収容生活の様子が。
こちらの絵、毎日のロールコール(点呼)の様子で、この日課が被収容者たちを苦しめ、時に12時間に及ぶこともあったという・・・。 -
次の建物にはいります。
こちらはシャワー室での被収容者の虐待の様子を描いたもの。
この建物には被収容者たちの生活を描いたこのような絵が多数掲げられています。 -
こちらは被収容者たちの識別写真。
被収容者たちは番号をつけられ、服には、“政治犯”、“一般犯罪者”、“移民”、“同性愛者“、“ユダヤ人”といった区別がなされていました。
これは、収容所内に階層を作り、心理面において、下層の被収容者がいることで上層の者に多少の安心を与え、被収容者全体がまとまって反抗する機運を作らせない狙いがあったとのこと・・・。 -
こちらは、被収容者の体に刻まれた識別番号の写真。
焼き印のように押されたのでしょうか・・・。 -
そして廊下に出ると、壁一面に被収容者たちの顔写真が。
こういう場所があるとは、訪れる前から分かってはいましたが、何ともいたたまれない気持ちになってきます・・・。 -
こちらは被収容者の食事の模型。
朝食は、約500ccの“コーヒー”と呼ばれる濁った飲み物(コーヒー豆から抽出される本物のコーヒーではない)
昼食は、ほとんど具のないスープ
夕食は、300gほどの黒パン、3グラムのマーガリンなど
だそうで、一般成人が一日に必要とするカロリーに遠く及ばない量の食料しか与えられなかったとのこと・・・。 -
その結果、こういうふうにやせ衰えてしまうのも当然・・・。
死因としては、飢餓や栄養失調によるものもかなり多かったのではないかと推測されます・・・。 -
先に触れた、アウシュヴィッツ・ビルケナウへの130万人の移送者のうち、子どもたちは232,000人に上ったとのこと。
うち216,000人はユダヤ人、11,000人はロマ、3,000人はポーランド人、1,000人はその他スラヴ人で、大部分は労働力にならないとされ、到着後すぐにガス室行きとなったという・・・。
ここでまた子どもたちの衣服。
こういうものはさすがに泣けてしまいます・・・。 -
こちらは解放された子どもたちの写真でしょうか。
解説によると、1945年1月27日、ソビエト赤軍が650人の子どもたちを解放。
うち450人は15歳以下だったといいます。 -
次の棟には被収容者の部屋を再現したものが。
ひとつの部屋に三段組のベッドが二組あり、いかにも窮屈そうな室内。
これでもまだ、アウシュヴィッツはポーランド国軍の兵営跡を使っているだけましで、次に訪れるビルケナウではもっとひどいものを見ることになります・・・。 -
窓の外を見ると鉄条網・・・。
-
収容所のいちばん奥まったところにあるこちらは、“死の壁”(DEATH WALL)。
多くの被収容者が銃殺された場所で、両側の建物の窓には、他の被収容者が執行現場を見られないよう、目隠しがされています。
2016年にはローマ教皇フランシスコがこの場所で祈りを捧げるなど、数多くの要人もこの場所を訪れています。
【フランシスコ法王、アウシュビッツ強制収容所を訪問 ポーランド(2016年7月29日AFPBBNews)】
https://www.afpbb.com/articles/-/3095719?cx_part=search
この日も壁には鮮やかな花が添えられていました・・・。 -
次の棟には、ホロコースト前のユダヤ人の人口分布図が。
これによると、ヨーロッパと地中海世界におけるユダヤ人の総人口は10,813,540人(全世界では16,500,000人)で、主な国の人口は以下のとおり。
①ポーランド:3,250,000人(ユダヤ人率10%)
②ウクライナ(ソ連内):1,532,550人(同5%)
③ロシア(ソ連内):956,600人(同0.6%)
④ルーマニア:757,000人(同4.2%)
⑤ドイツ:524,000人(同0.8%)
⑥英委任統治領パレスチナ:445,000人(同28.6%)
⑦ハンガリー:401,000人(同4.9%)
⑧白ロシア(ソ連内):375,100人(同6.7%)
このうちヨーロッパにいた6百万人は殺害され、生き残った者の3分の2はイスラエルに移住したという・・・。 -
広場のようなところにさらっと置いてあったこちらは、ナチス・ドイツ親衛隊中佐でアウシュヴィッツ強制収容所所長、ルドルフ・ヘス(1900-47年)の絞首台。
戦後、偽名を使い北ドイツの農家で働いていたヘスは、1946年3月11日にイギリス軍に探し出されて逮捕。
ニュルンベルク裁判に弁護側証人として出廷した後は、ポーランド政府に身柄を引き渡され、クラクフ・プワシュフ強制収容所所長だったアーモン・ゲートらとともにクラクフへ移送、裁判。
1947年4月2日に死刑を宣告され、同年4月16日にここで絞首刑になったという。 -
敷地の外れにある、アウシュヴィッツ強制収容所で最後の見学となるのがこの建物。
これまでまだ見ていない部屋といえば・・・。 -
そう、こちらも何度も写真などで目にしたことのあるガス室。
天井に開いた穴からチクロンBが投げ入れられたという。
もう見学者は誰も彼も無言ですね・・・。 -
すぐ隣の部屋には焼却炉。
まったく、殺人工場とはよく言ったものです・・・。 -
こちらは大戦末期、1944年後半からソビエト赤軍が攻勢を強めていき、親衛隊はアウシュヴィッツ・ビルケナウの被収容者を、ドイツ本国に近い収容所に移送し始めたことを説明した図。
この説明によると、親衛隊は1945年1月17日から21日にかけて56,000人もの被収容者を極寒の中何十kmも歩いて移動させ、結果、被収容者の多くは移動中に亡くなったという・・・。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所がソビエト赤軍によって解放されたのは、その直後の1945年1月27日のことでした・・・。 -
・・・以上で、アウシュヴィッツ強制収容所の見学を終了。
時刻は12時。9時の見学開始から、ちょうど3時間かかったことになります。
帰り際、こうして敷地内を歩いてみても、普通の住宅街と変わらない感じなのに、何とも重い空を感じます・・・。
さて、本当は次の第二強制収容所、ビルケナウもこの旅行記であわせて書きたかったのですが、さすがに気力・体力が持ちそうにありませんので、今回はここまで。
ビルケナウは次回に続きます・・・。
(ポーランド旅行8日目後半~アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (8)
-
- mistralさん 2020/05/14 00:05:26
- 特別の場で。
- エンリケさん
ご無沙汰しております。
外出自粛制限の始まる前にランチに出かけた折の旅行記に
ご投票いただきまして、有難うございました。
今となりましたら、はるばるランチに出かけるなんて
ひんしゅくをかってしまいますが、ギリギリのタイミングでの
お出かけ?となりました。
アウシュヴィッツの旅行記、拝読させていただきました。
数年前に訪問したものでしたから、エンリケさんの感じられた
重苦しい空気感がそのまま伝わってきました。
数多くの写真を見ていましたし、既視感はあったものの、
その場に張りつめる空気は独特のものがありました。
私は中谷さんにメールをして予約をしてご案内頂いたのですが、
彼も、出来るだけ多くの人に足を運んで、現地を見学して欲しいと
おっしゃっていましたが
人間が極限状態になるとどのようになっていくのか、、、
加害する側の倫理観が失われていく恐ろしさを、現地に立つと
一層強く感じました。
感じたことを旅行記にまとめるのはかなり苦労した記憶がありますが
その後も、旅された方々が苦労しつつ旅行記にされているのを拝見しますと、
何か、責務にかられてという想いを感じてしまいます。
うまく表現できないのですが、博物館は特別の場のように思います。
今でも多くの若者が見学に訪れていることが、本当に救いになっています。
きっと多くの事を学んで帰ることと期待しています。
エンリケさんはピルケナウは別の旅行記に仕上げられましたね。
お疲れさまでした。
mistral
- エンリケさん からの返信 2020/05/17 16:11:02
- 中谷さんのガイドも聴きたかったですね。
- mistralさん
こんにちは。こちらこそご無沙汰しております。
また、アウシュヴィッツ旅行記に訪問いただき、ありがとうございます。
mistralさんは中谷さんのガイドで回られたのですね。
わたしは普通の英語ガイドだったのですが、これまで多くの日本人をガイドしてきた中谷さんの生の声も聴きたかった気がします。
このアウシュヴィッツ博物館、HPを見ると、現在のコロナ禍で少なくとも6月末までは休館が続くとのことですが、制限が解けたら、また多くの日本人にも足を運んでもらい、人類の未来のため、たくさんのことを感じ取ってもらいたいものですね。
-
- M-koku1さん 2020/05/09 21:55:07
- ずいぶん整備されましたね
- ケーニッヒシュタイン要塞の旅行記にご訪問ありがとうございました。
アウシュビッツの旅行記を拝見いたしました。
ずいぶん整備されているので 驚きました。
特に入る前のエリアが 全然違います。
かといって もう一度行きたいとは思いませんが。
エンリケさんと同様 私も英語ガイドのグループにはいって 見て回りましたが、
結構いろいろ説明されたので とても有意義ではありましたが、
予想以上の重苦しさに もくもくとガイドツアーにしたがっていた感じでした。
このところ COVID-19のおかげで TVで20世紀のフィルムを沢山再放送していました。 久しぶりに なんだかいろいろ考えさせられた G(がまん)W(ウィーク)でした。時々見直すのはいいですが、 若い人たちは 見ないんでしょうね。
あまりに目の前の普通の生活と隔絶しすぎているから。
ではまた
次はビルケナウも拝見させていただきますね。
Mより
- エンリケさん からの返信 2020/05/14 23:43:37
- このような施設でも投資で変わっていくのですね。
- M-koku1さん
こんばんは。アウシュヴィッツ旅行記にご訪問ありがとうございます。
M-koku1さんは2004年にアウシュヴィッツに行かれたのですね。
収容所の内部は、当時も現在も変わらず、時が止まったままのように見えますが、入る前のエリアはだいぶ変わったのですね。
やはりこれだけたくさんの観光客が世界中から訪れると、それなりに投資もされるのでしょう。
> このところ COVID-19のおかげで TVで20世紀のフィルムを沢山再放送していました。 久しぶりに なんだかいろいろ考えさせられた G(がまん)W(ウィーク)でした。時々見直すのはいいですが、 若い人たちは 見ないんでしょうね。
> あまりに目の前の普通の生活と隔絶しすぎているから。
確かに最近は古いVTRを見ることが多いですね。
昔のドラマは未成年者のタバコや飲酒なども演出のひとつとして放送するなど、おおらかだった気がします。
今はあれこれ規制やら自粛警察やらで、何だか息苦しい世の中になりましたね(笑)。
-
- kuritchiさん 2020/05/05 19:13:23
- アンネの日記
- エンリケさん、こんにちは、、
いよいよアウシュヴィッツですね、、
一番初めにユダヤ人の虐殺を知ったのは小学5年生になる時、、
転校する事となり、担任の先生から渡された「アンネの日記」がきっかけでした、、
何故隠れて住まなければならなかったのか、アンネが収容所に入れられ、なんであんな目に遭わなくてはならないのか、当時10歳だったkuritchi理解には出来ませんでした、、
時は経ち高校生になり、世界史の先生がユダヤ人虐殺について詳しい解説をしてくれ、あらためて「アンネの日記」を再読し、涙が止まりませんでした、、
その後も自分なりに調べたりしました、、
宗教が違う、、習慣が違う、、外見が違う、、そんなことで何であそこまで非道な事をしたのでしょうか、、
子供達までためらう事なく毒ガス室送りにしてしまう、、
なんで?と思ってしまいますが、これが「戦争」って事なのでしょうか、、
kuritchiは、、アウシュヴィッツを訪れた時に正視出来るのでしょうか、、
子供達世代に何を伝えたのでしょうか、、
淡々とコメントされている分、、逆にエンリケさんのお辛い思いが伝わってきました、、
色々と考えさせられました、、ありがとうございました、、
kuritchi
- エンリケさん からの返信 2020/05/07 00:10:00
- 今の時期こそ注意しなければなりませんね。
- kuritchiさん
こんばんは。アウシュヴィッツ旅行記にご訪問ありがとうございます。
わたしも小学校の時、アンネの日記を知り、そのときは過去の戦争の悲しいお話ぐらいにしか思っていませんでしたが、中学校の歴史の授業で、ナチスのユダヤ人大量虐殺の話を聞き、改めて、戦争や民族差別について深く考えるきっかけとなりました。
“子どもに罪はない”では済まない、特定の民族の絶滅作戦・・・。
近代以降、啓蒙思想やフランス革命などを経て、人権意識を醸成させてきたはずの人類が、なぜこのようことを行えるようになってしまったのか。
歴史は進歩するだけでなく、逆行もあるので、これからも本当に我々ひとりひとりが、おかしいことには見て見ぬふりをするのではなく、意見を言えるようにならなければいけませんね。
このコロナ禍で、世界が閉鎖的になっている今こそ、まさに注意しなければならない時期なのかもしれません・・・。
この旅行記を読んで、kuritchiさんのように、何かを感じ取ってくれる方がたくさんいるとうれしいですね。
-
- 川岸 町子さん 2020/05/03 16:30:27
- どうして?
- エンリケさん、こんにちは
そして、お疲れさまでした。
アウシュヴィッツ強制収容所でご覧になったことや感じたことをお伝えになるのは、容易ではないとお察しします。
今まで数名の方の旅行記で拝見し、負の遺産と内容を知っていながら、何度見ても重い気分になります…。
どうしてアウシュヴィッツ強制収容所が必要だったのか?
ここを建てたのは、なぜ?
窓のない列車に乗せられ、どうしてここへ連れて来られなければならなかったのか?
答えは出ません…。
映画シンドラーのリストでの印象深いシーンで、火葬の灰が空から降ってくるのを、子ども達が無邪気に手を伸ばしてつかもうとします。
お写真の中に子どもの服が展示されていますが、やり切れない思いです…。
見せて頂き、ありがとうございました。
町子
- エンリケさん からの返信 2020/05/04 22:15:41
- 子どもの頃の純粋な思い・・・。
- 川岸 町子さん
こんばんは。アウシュヴィッツ旅行記にご訪問ありがとうございます。
アウシュヴィッツのことは、子どもの頃から何度も教科書や映像などで見聞きしていたもので、新たに知ったものはそれほどなかったのですが、改めて実際の現場に立ってみると、自分の中で、あの頃の社会に対する純粋な思いなどが蘇ってくるようで、やはり訪れてよかったと思いました。
年齢を経るとともに、日々忘れていく気持ちだったりというものを思い起こさせてくれるという意味でも、旅はやはりいいものですね。
このアウシュヴィッツ博物館もコロナ禍で閉館状態が続いているようですが、世界を再び誤った方向に向かわせないためにも、一日も早く元通りになって、世界中の多くの人々がここを訪れ、過去の歴史からぜひ、希望ある未来を考えてもらいたいものですね。
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