2020/03/27 - 2020/03/29
30位(同エリア122件中)
群青さん
この旅行記のスケジュール
2020/03/28
-
シーパルピア女川
-
旧女川交番
-
女川町まちなか交流館
-
ダンボルギーニ
-
まぐろ屋明神丸
-
ハマテラス女川
-
ホエールタウンおしか
-
南浜つなぐ館
-
旧門脇小学校
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
みやぎの旅の2日目。
今回の旅のメインとも言うべき行程を組んでみた。
2年前のGWに旅した時に、あまり時間を取れずに残念な思いをした女川町と石巻のその後の復興のかたちを見に行くのが最大の目的。
そして初めて足を運ぶ牡鹿半島へのドライブも含んだ行程。
あの大震災から9年が経ち、それぞれの地域が数々の困難と辛苦を強いられながらも、地道に復興と街づくりを続けてきた成果がやっと、私たちの眼にも見える形で現れようとしているのを実感。
その姿に敬意と感動を覚えると同時に、自分が見てきた「今の姿」を是非、多くの方々にも知って欲しい!との気持ちを込めて、この文章を綴ることにします。
あの大震災の津波による被災地を巡る旅も、今回が5回目。
毎回かの地を訪れるたびに、様々な感情が渦巻きます。
こういう形でしか復興支援できないもどかしさを感じながらも、人間の力の偉大さや素晴らしさを再認識させられますし、東北の人たちの粘り強さから教えられることもたくさん受け取りながらの旅でした。
過去の東北の被災地を巡る旅の変遷はこちら
*2013秋・東北の旅
https://4travel.jp/travelogue_group/26833
(仙台→雫石→盛岡→宮古→陸前高田→南三陸→石巻)
*2017夏・みちのくの旅
https://4travel.jp/travelogue_group/10868
(仙台→平泉→花巻→盛岡→宮古→岩泉→田野畑→三沢→八戸)
*2018GW宮城三陸旅行
https://4travel.jp/travelogue_group/10866
(南三陸→気仙沼→陸前高田→気仙沼→女川→石巻→松島→仙台)
*平成最後の東北旅
https://4travel.jp/travelogue_group/15622
(気仙沼→釜石→北上→大船渡→気仙沼→登米→福島)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
自分は過去の教訓からあまり学ばない馬鹿なやつなんだな!
と反省させられることが2日目早々にあった。
あの大震災の被災地を巡る旅は今回で5回目だというのに、道路状況は時々刻々変化し続けているからナビを当てにしてはならん!
という原理原則を、どうしても旅先では忘れてしまうのだ。
ちゃんと過去の失敗を教訓に、事前に下調べして、行程表にも高速道路の降りるIC名まで書き記したはずなのに・・・
いざ旅先でハンドルを握っていると気分が高揚してしまい、信じちゃいけない筈のナビ情報に惑わされ、ドツボに嵌ってしまう失敗を今回もしてしまった。
しかも2度も!!
なから自己嫌悪に陥りつつも、2日目最初の目的地である女川町附近にまでやって来ると心浮き立ってしまい、3度目の道間違いをする羽目に。(汗)
ダメだこりゃ!
予定より10分近く遅れて到着したのはこちら。
シーパルピア女川。
2年ぶりの再訪。 -
前回よりも周辺が整備され、シーパルピア女川専用の駐車場までわかりやすい場所に整地されていた。
国道398号線の向こう側の海に沿ったエリアは、確か2年前は整備されず無機質なままバリケードされていたはずだったけど・・・
こんな風に海までの間の場所がしっかりと整備され、綺麗なレンガ敷きの歩きやすような空間に変わっていた。
本格的な使用開始は4月からのようで、訪れたこの日(3/28)はまだ一部のエリアは立ち入れなかったものの、それでもほぼ完成形! -
早速、海に近いエリアに向かってみた。
イチバンの驚きは、旧女川交番の場所が、すっかり整備されていたこと。
津波によって転倒・破壊してしまった交番を取り囲むように通路が設置され、壁には震災のことや女川町のこと、復興の歩みなどがわかりやすく紹介された案内板が設置され、見事なまでに震災遺構が活用されていた事実に驚かされた。 -
ちなみにこの画像は2018年のGWにこの地を訪れた際に撮影したもの。
フェンス越しにしか見ることのできなかった場所だった。 -
2年前には見ることのできなかった位置から撮影。
当時の姿を残しつつ、整備しクリーン化された震災遺構という面を考慮したとしても、それでもやはり生々しさを感じてしまう。
実際に現地に足を運び、我が眼で見て初めて感じる様相。 -
このように文字と写真とグラフを用いた案内板が、旧交番を取り囲むように敷設されているので、一つ一つ丁寧に見入ってしまう。
-
基礎の部分だって決して手抜き工事でもなんでもなく、普通に基準通りに設計されたコンクリート建築の交番を、こんな風になぎ倒してしまう自然の猛威。
何度見ても言葉を失ってしまうし、この状況下に置かれた女川の人々の当時のことに思いを馳せると、軽々に言葉を発することすら躊躇ってしまう自分がいる。 -
正直言えば、2年前、ここに来た時に僕は女川町に暮らす人たちのことのどれだけを理解していたかすら疑わしい程、無知だったと反省している。
ただただ目の前に見える表面的なことをなぞっただけで、旅行記にも記してしまったことは事実だし・・・
この町への理解度も共感力も足りてなかったのは言い逃れできない。 -
ただ、今改めてあの時何でそんな風に感じたのか?をふり返って考えてみると・・・
シーパルピア女川という施設を作りました、復興の一歩を歩み始めました!
という報道を真に受けて、物見遊山でやって来た自分の浅薄な理解度が影響していたと思うのだ。
確かに、あれだけの被害を被った地域が、震災後7年でここまで辿り着いたことへの敬意や共感は最低限持っていたのは断言できるのだけど・・・
それ以上に感じた違和感の正体は
「果たしてこの施設を作ったことで女川に暮らす人たちにどれだけの恩恵をもたらしているのか?」
という疑問と、シーパルピア女川だけが立派に誕生したものの、周囲は造成されただけで家も商店も殆ど感じられない街の姿に対してだったと思う。
生活の匂いのしない復興って、何?
みたいな疑問。
部外者の傲慢さであると指摘されたら返す言葉はない。
ずっと気になっていたあの姿が、今いったいどう変わったのか知りたかった!
ということが、今回の旅の原動力になっている。
新型コロナウイルス流行の影響で世の中すべて自粛ムード。
旅することに自分の中ですら一瞬躊躇する感情が芽生える中で、それでも予定を決行したのは、やはり僕は女川や石巻の今を見たかったから! -
見始めた時は他に誰もいなかったのに、案内板を丁寧に読みふけっている間に少しずつ観光客が増えていた。
-
他の方の姿を映さぬように、そして案内板を譲り合うように読みながら、震災後の女川の歩みをあれこれ考えながら見入ってしまった。
-
震災からの復興のかたちには正解なんてものはない。
それぞれの地域が悩み、惑い、模索しながら一歩踏み出すしかないという点は、どの、どの地域も変わならのだけれど・・・
それでも差異が出てしまう理由の一つは、もしかしたらそれぞれの街の「腹の括り方」の違いによって引き起こされているのかもしれない。
「これからも海とともに生きることを選んだ」
女川町の姿勢は、結局この一点がぶれることがなかったから・・・
時間は想定以上に要したかもしれないし、時の長さに耐えかねて街を離れていく人たちも多かったかもしれないけれど、それでも9年経った今、ひとつの形を示しているのも事実。
それともう一つ、スゴイな!と思ったこと。
新たな街づくりを協議する場に、
「還暦以上の者は口を出さない!!」
と決めたこと。
これ、簡単にできるものではないです。
そこを敢えて年長者がじっと我慢して、次代の街を担う世代(中高生を含む)に託すことで自覚と責任を促す姿勢には、驚きと感銘を受けましたし、考えさせられました。 -
展示版を読みながら、旧女川交番の遺構を見ていると、余計に恐怖が胸に迫って来る。
-
あの日、テレビの画面越しに見た太平洋沿岸の数々の街の光景。
生活の根底が一瞬にして破壊し尽くされ、たくさんの生命が失われ、生活の希望が損なわれた。
一方で、北関東の地方都市で暮らす自分は、確かに人生の中で経験したことのない震度こそ経験したし、場所によっては者が落下破壊したり住む家の一部に損傷を受けたりもしたが・・・
それでも震災当日のあの日の夜、仕事を終え家路を急ぐ帰り道に、当たり前のように電灯やネオンサインが点灯していた。
点けていたカーラジオから流れてくる情報は、耳を疑うようなニュースばかりで、そのギャップの正体はなんだ?
と戸惑いながら家に辿り着き、テレビ越しに見た被災地の光景に言葉を失ったあの日。
2011年3月11日のことを。
僕は絶対に忘れない。 -
被災地によっては、こうした遺構が残ることであの日のことを思い出すから壊してしまえ!
という感情が渦巻くことは理解できる自然なこと。
残すことを決断し、町民の合意を取り付けることすら困難な道のりだっただろうに・・・
東北の人たちの粘り強さ、人としての強さ、腹の括り方には驚きと畏敬の念を、僕は旅するたびに感じる。
是非、一人でも多くの人たちに見ていただきたい光景。
旧女川交番の震災遺構。 -
海とともに生きてきた町、女川は、土地の嵩上げにもひと工夫凝らしている。
海が見えなくなる防潮堤を築くことなく、災害から町民を守るためのゾーニングを徹底したことに、それを感じる。
階段状に土地を嵩上げし、緩やかなスロープを設けてバリアフリーにも対応。 -
新たに整備された海沿いのエリアから、シーパルピア女川方向を見る。
3月最後の土曜日。
天気は晴れ、寒くもなく春の兆しを感じられる陽射し。
なのに・・・
こんなに閑散としている光景の原因となった新型コロナウイルス流行が誠に恨めしい。 -
きぼうの鐘。
-
女川町まちなか交流館に入り、情報入手。
-
シーパルピア女川の中をフラブラと散策していると・・・
見えてきました!
「ダンボルギーニ あります」 -
これがかの有名なダンボルギーニですか!
よくぞまあ、これだけ手の込んだ作業をし尽したものだ!!
と、感銘してしまう。 -
女川駅はひっそりとしていた。
石巻線の終着駅。女川駅 駅
-
この画像は2年前のGWに旅した際に、女川駅の2階の展望デッキからシーパルピア女川を見下ろした構図。
手間はかかるかもしれないけれど、こうした季節の風物詩を織り込んだ設えを常時することで、街の華やぎ度合いは変わるんじゃないかな? -
駅前から海方向を見た構図。
コロナ禍さえなければ・・・ -
散策していたら腹が減って来たので、少し早いながらもお昼を食べることに。
まぐろ屋明神丸。 -
これは母のセレクト。
まぐろ3色丼とミニうどんのセット。 -
僕のセレクトは、とろとろ丼とミニうどんのセット。
中とろとびんちょうのトロが乗っかった丼。
美味しかったし値段もリーズナブルでした!
満足度高し!!美味し!!! -
地元市場ハマテラス。
母に存分の買い物タイムを与えた(笑)
おっさんの僕では、土産物を買い求めるにせよ大して貢献できないけれど・・・
年老いたとはいえ、女性は買い物に賭ける情熱は侮れないもの。
新鮮な魚介から、保存の利く海産物まで・・・
違う意味で感心するくらいいろんなものを買っていて、僕はと言えば自宅へ宅配してもらうための伝票のあて名書きするくらい(笑)
シーパルピア女川。
今年度中にこの場所は国土交通省から重点「道の駅」として選定されることも決まったようだ。
新型コロナウイルス流行による感染拡大が終息した暁には、是非とも多くの方々に足を運んでもらいたい!
そんな事を考えながらその場を後にした。 -
女川の街から牡鹿半島方面に向かうと現れるのは牡鹿コバルトライン。
かつては牡鹿半島の先端まで向かうための観光有料道路だったらしく、一般開放されて無料で通れる今も何かワクワクしてしまう。
半島の尾根伝いみたいな場所に作られた道路なのか?時折眺望が拓けた場所で海が見えるくらいで殆どは山の中のくねくね道。
バイク乗りの人が喜びそうな・・・?
やがて海の向こうに金華山が見えてきたら、次の目的地はもうすぐそこ。 -
おしか御番所公園。
江戸時代に仙台藩が海外からの船(主に唐船)の襲来に警戒して、見張り番所として用いていた場所なのだとか。
牡鹿半島の先端の高台という好立地からは、周囲の島も見渡せるほどの眺望。御番所公園 公園・植物園
-
早速、高台まで歩いてみましょう。
吊り橋のようなものが駐車場から高台の間に敷設されていますが、これを渡らずとも道路沿いの歩道からでも高台へは行けたりする。 -
こんな風に展望台までは歩きやすいスロープになっているから無問題。
ただし、若干、傾斜がキツイかな? -
展望棟。
さっそく上がってみましょう! -
まさに絶景やね!
芝生が緑に生えそろう季節に、海風を感じながらのんびりとベンチに腰掛け景色を眺めたり語らったりしたら、さぞ心地いいだろう。 -
金華山も一望!
-
網地島も目の前。
金華山に較べると平らかな印象がするが、その分、9年前の大震災の際には基幹産業である水産加工業の関連施設を中心に大打撃を受けたそうだ。 -
田代島も見える位置。
ネコの島としても近年、有名になった場所ですよね?! -
改めて案内板の地図を見て、随分と距離を走って来たんだな!と実感。
さて、次の目的地へそろそろ向かわないとネ!
若干、予定の時間を押しているし・・・
御番所公園の駐車場にたむろしていたバイカー3人がいつしか僕の車の背後に迫ってきて、変な圧をかけてくる。
このまんま石巻まで追われながらのドライブじゃイヤだなぁ・・・ -
と思いながら海沿いを走っていたら何か休憩施設っぽい印象の建物ハッケン!
そこに立ち寄ることで、煽りバイカーとバイバイすることができホッとする。(苦笑) -
ホエールタウンおしか。
牡鹿半島の観光拠点として整備された施設のようで、2019年10月にオープンしたて。
観光物産交流施設cottu(こっつ)とビジターセンターが既にオープンしているのだが・・・
ビジターセンターは残念ながらこの時は、新型コロナウイルス感染拡大の影響に伴う臨時休館中。 -
この地域は日本における鯨の遠洋漁業を担ってきた場所なのだとか。
石巻市に合併する前の、旧牡鹿町時代は、ここ鮎川港が鯨の街として栄えていた時代も長く、今なおクジラとの結びつきを大切にした街づくりを進めているようだ。
この4月には「おしかホエールランド」という、クジラにまつわる展示や牡鹿半島とクジラ文化を紹介する施設がオープンする予定だったそうだ。
が、今回の諸事情によりオープン延期らしい。
またこれでこの地に訪れる理由ができた!と受け止めましょ。 -
観光物産交流施設「cottu」(こっつ)。
「cottu」ってどういう意味?
調べてみたら、石巻弁で「こっち」を意味するのだとか。
食べ物屋、離島への航路の発券所などが入った施設。
特に興味深かったのは、鯨歯を用いた工芸品を展示販売しているスペース。
話を伺ったら、マッコウクジラの歯を用いているのだとか。
もう既に世界的に規制がかかっているため採取することはできない。
形は象牙のような印象なのだが、象牙よりも固いんだって!
でありながら、マッコウクジラにも虫歯という病気が存在するらしく、鯨歯を切って初めてそれがわかるのだとか。
当初は全然立ち寄る予定のない場所だったけど、現地に行ってみて初めて知る場所や土地の特色を知るのは本当に楽しいこと。
またじっくり時間を取れる機会を見つけて、再訪することにしようと思う。
食べ物屋さんも美味しそうなものが多そうだし!(笑) -
次の目的地は石巻市にある南浜つなぐ館。
館内の見学は15:00までとあったので、到着しても見られないかな?
と思いつつも、一縷の望みを繋いで向かう。
到着したのは14:55。
館内に見学客がいたので入ることができた。
ボランティアのスタッフが常駐しているみたい。 -
これは2018年GWの際の画像。
この2年ほとんど変化していませんね。 -
「がんばろう!石巻」の看板の辺りは少し変化がありました。
-
この地域への千波到達の高さを示すポール。
-
現在の看板は2代目。
2016年4月に新調されたもの。 -
看板に背後には水仙の花が咲き誇っていた。
-
一見、何の変化もないように見受けられるここの場所も、石巻南浜津波復興祈念公園としての整備が着々と進んでいる。
-
南浜つなぐ館の壁にもこうした案内パネルも展示されていて・・・
-
2年ぶりにやって来ると、こうした細かなアップデートに気づかされる。
-
ここに来るのは3度目(2013秋、2018GW)だが、津波被害を後世に伝える活動を地道に取り組んでいる方々の労苦と使命感には、本当に頭の下がる思いがする。
-
石巻自体は、特にこの地域は後世また到来するであろう津波被害を少しでも軽減するための大掛かりな街づくりを加速させていて、相変わらず周囲はダンプカーが走り回り、埃っぽい印象がするのだが・・・
でも目に見える形で復興後の片鱗が見え始めた今、石巻の人々の努力が報われる時がすぐそこに来ていることを認識した。 -
周囲に目をやると、このように以前にはなかった建物が工事中になっていたりして・・・
-
近寄って見てみることに。
-
この建物は津波復興祈念公園の中核施設になるようだ。
完成の暁には、充実した展示や休憩スポットとして活用されるのだろう。
オープンしたらまたここに来よう! -
旧門脇小学校の校舎も、幕が払われ震災後の姿そのままを現していた。
保存するか?壊すか??
喧喧囂囂の競技の末に、石巻市は震災遺構として保存することを選択したようだ。
若干の規模縮小の工事こそ今後なされるようだが、それでもかたちに残して次代へ継承していくという判断は間違っていなかった!!
と誰もが感じる時はきっと来るはず。 -
門脇小学校の隣に建つ高層住宅は市営の復興住宅。
防災減災を考慮した上で、人が住まう場所と禁止する場所を線引きして、復興のかたちがドンドン見えてきているのを実感。 -
2013年の秋に初めて東北の被災地を巡る旅をした時、おっかなびっくり・ドキドキハラハラした感情と背中合わせの旅だった。
本当に気軽に旅していいのか?
という気持ちや後ろめたさを拭い去ってくれたのは、南三陸の語り部バスに乗車した際のホテル観洋の従業員の方のガイドを聞いてから。
「どんな形であれ気軽に来て欲しいのです。
皆様が来てくれて土地の物を食べ、物を買い、宿泊することで、仕事が生まれ雇用が安定し、この場所で生活していくことができるのです。
被災地に暮らす者にとってイチバンきついのは、忘れ去られることなのです」
というあの言葉を聞かなかったら、僕はこうして何度も訪れることはなかったと確信している。
たとえ年に一度かもしれないけれど、旅を通じてこの地域をより深く知り、美味しい海の幸山の幸を頂き、土産物を買い求め、写真に光景を収め、自分なりの感想を添えて発信していく。
僕はそうした形しか取れないけれど、これから先もこのスタイルを変えることなく続けていきたい!
との思いを強くした今回の旅。
このご時世だから自粛することは大切なのは重々わかっている。
自分なりに感染拡大につながらないように細心の注意を払いつつ、思い切って出かけていったことに後悔はない。
今だからこそ見ることのできる姿を体感できたし。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2020/09/19 06:34:25
- 牡鹿半島
- 群青さん おはようございます。
私の義姉は牡鹿町の十八成浜というところに嫁入りして何十年もたちますが、東日本大震災では辛うじて家は流されずに済みました。水が玄関まで来たそうです。
震災後一度だけ訪れましたが、元の町はすっかり流されて、あの昔訪れたとき見た、燕の巣のある家も、角の店も、ありませんでした。新たにたてた電信柱だけがひっそりとありました。歩くとクックッとなる鳴り浜は地盤沈下で消えてしまいました。
群青さんの旅行記は震災のその後の様子を丁寧に描写し、解説も東北を愛する気持ちがあふれる温かいものとなっています。天の理不尽な仕打ちにやりきれない思いをもつのは誰しも同じでしょうが、いつまでも忘れずに教訓としたいですね。
よろしかったら覗いてみてください。
https://4travel.jp/travelogue/10697270
pedaru
- 群青さん からの返信 2020/09/19 16:14:20
- Re: 牡鹿半島
- pedaruさん
こんにちは。
コメントありがとうございます。
そして、pedaruさんの文章も読ませていただきました。
牡鹿町のこと、鳴き浜がかつてあったことなど、初めて知る話が多かったです。
来年の3月は、あの震災から10年なんですね。
月日によって解決できること、新たに築き上げたものも多くある一方で、歳月では押し流すことのできぬ悲しみや痛みが今なおそこにある続けることを忘れないようにしたいと思います。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2020春・みやぎの旅+α
2
59