2020/03/06 - 2020/03/07
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あおしさん
学生時代以来、30年ぶりにロンドンを訪れました。
目的は大英博物館に行くことです。
この時期、コロナは中国とイタリアで大流行、さらにWHOからはイラン、韓国、日本が危険と名指しをされていたころで、いわばイギリスへコロナと花粉症から避難の気分でした。
今(3月28日)となっては、ロンドンは非常事態となっており、イギリスのチャールズ皇太子、ジョンソン首相、厚生労働相など要人の感染が報道され、あまりの急激な変化に驚くばかりです。
今回の予定はロンドンで2泊したあと、地中海の島・マルタ島へ。
帰りはマルタからローマを経由して帰国で、10日間の予定でしたが、イタリアが危なそうなので、ローマは捨てて、2日間旅程を短縮して、マルタ島から直接帰国することにしました。
マルタ滞在中にマルタ共和国政府がイタリアとの交通遮断、フライトも全面運航停止になり、危うくマルタ島で立ち往生するとこでした。
結果としてはローマを捨てたのが正解でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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3月6日金曜日。
仕事を終えたあと成田エクスプレスで成田空港へ。
成田空港発エミレーツ航空・ドバイ行 23時00分発で出発。
コロナの関係が機内は空いていて、おおむね2~3割くらいの搭乗率でしょうか。
100回以上飛行機には乗っていますが、こんなに空いている機内は初めてです。
おかげで4つの席を使って横になって眠れたのは助かりました。成田空港国際線 エミレーツ ラウンジ 空港ラウンジ
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約12時間のフライトで、現地時間朝6時にドバイに到着。
ドバイ空港は相変わらず、広大なターミナルです。
幸い今回はロンドン行の搭乗口は近くでした。
1時間40分後の7時40分、ロンドンへ出発。ドバイ国際空港 (DXB) 空港
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ドバイから約8時間でロンドン、ガトウィック空港に到着しました。
直行便なら日本から12時間のロンドンなのに、南廻りだとフライト時間だけで20時間。
遠かったなあ。ロンドン ガドウィック空港 (LGW) 空港
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ガトウィック空港からは、ロンドン・ヴィクトリア駅まで快速電車が頻発していました。
それにしても運賃の高いこと!
20ポンド、日本円でいえば約3000円!
高すぎ!ガトウィック空港駅 駅
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約30分でロンドン・ヴィクトリア駅に到着。
大英帝国・ヴィクトリア王朝時代からの駅のようで、クラシックな雰囲気を持つ広大な駅です。
日本の上野駅に何となく似ていました。ヴィクトリア駅 駅
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赤いレンガのクラシックな駅舎です。
古くからの駅舎をリフォームはしているでしょうけど、そのまま使っているのは素晴らしい。
日本は何かと言えば風情のある昔ながらの駅舎を面白みのない駅ビルに建替えてしまいますが(JR東日本は東京丸ノ内駅舎まで駅ビルにしようとしていました!)、ヨーロッパはイタリア・ミラノ、ドイツ・フランクフルト、パリ・リヨンなど古くからの駅舎を大切にしているのがいいです。 -
ロンドンの地下鉄はこれまたべらぼーに高い(初乗りなんと700円!)し、久しぶりのロンドンでもあるので、街歩きしながらホテルに向かうことにしました。
まずは駅前のヴィクトリア大通りを歩いていきます。 -
イギリス国教会のウエストミンスター寺院が見えてきました。
ロンドンを代表する建物の1つです。
今回はロンドン滞在は1日半しかないし、大英博物館をメインに考えていましたが、この建物を見てたら観光名所めぐりもいいなあ。ウェストミンスター寺院 寺院・教会
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ウェストミンスター寺院のすぐ近くに、国会議事堂。
議会の国、イギリスの政治の中心です。
ビックベンは残念ながら工事中でした。国会議事堂 (ウェストミンスター宮殿) 現代・近代建築
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国会議事堂前の公園にはイギリスの歴代首相の銅像が多く建てられていました。
一番人気はやはりチャーチル。
多くの人が銅像前で記念写真を撮っていました。パーラメント スクエア 広場・公園
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今回のホテルは大英博物館近くのホテル。
安いホテルだったのですが、意外にも立派なホテルでした。ロイヤル ナショナル ホテル ホテル
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ホテルに荷物を置いて、さっそく今回の目的地である大英博物館へ。
大英博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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大英博物館は開館以来250年、入館料無料を貫いています。
物価の高いロンドンでは観光客には実にありがたい。
なお、募金は受け付けており、募金箱がありました。 -
大英博物館の至宝と言えば、ロゼッタ・ストーン。
古代エジプトの文字、ヒエログリフ解読のきっかけとなった石板です。
30年前は触ろうと思えばいつでも触れそうな置き方でしたが、今では強化ガラスに納められていました。 -
ロゼッタ・スートンの前には古代エジプト関係の展示。
古代エジプトの中で「王の中の王」と強大な権力を持ち、今日に残る多くの建造物を建てたラムセス2世(紀元前1314年頃 - 紀元前1224年)の像がありました。
身長180センチと大柄で、在位66年、90歳という長寿だったラムセス2世は当時の人々からはまさに「神の化身」として崇められたことでしょう。 -
大英博物館は、古代エジプトと古代メソポタミアのコレクションが豊富です。
今回は古代メソポタミアのコレクションを見るのが一番の目的。
エジプトは数年前行くことができましたが、メソポタミア、現在のイラクにはとても観光で行くことはできないので、せめてここで。
「人面有翼牡牛像」(紀元前700年ごろ)。
古代メソポタミアにおいて、大帝国だったアッシリア帝国の王宮の入り口に据えられていたとされています。
さぞかし王宮を訪れた人々を威圧したことでしょう。 -
大英博物館にはアッシリア帝国の宮殿を飾っていたレリーフが多く展示されています。
アッシリア彫刻の素晴らしい作品が並びます。 -
特にアッシリア彫刻の最高傑作とされているのが、アッシュールパ二パル王の獅子狩りのレリーフです(紀元前650年ごろ)。
アッシリアの王はたびたびその力の誇示のために、獅子狩りを行いました。
アッシュールパ二パル王の獅子狩りのレリーフはその様子を描写したものです。
そのリアルな描写は本当に素晴らしい。 -
射られて斃れる獅子、血を吐く獅子など断末魔の獅子をリアルに表現しています。
2つと同じもののない様々な描写がされています。 -
獅子狩りからの帰途を描いたレリーフ。
帰途に就く人々を描いています。
中には討ち取った獅子を担いでいる人々も。 -
アッシュールナシルパル2世の石碑。
アッシュールナシルパル2世は残虐な王で知られ、その場面のレリーフも多くありました。
アッシュールナシルパル2世はアッシリアの首都をニムルドに移し、以降アッシリア帝国の最盛期をきづいた王です。 -
ハリカリナッソスのマウソロス霊廟に飾られていたとされる彫像です。
紀元前2世紀、フィロンという学者が「世界七不思議」として巨大な建造物を選びました。
①ギザの大ピラミッド、②バビロンの空中庭園、③エフェソスのアルテミス神殿
、④オリンピアのゼウス像、⑤ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、⑥ロドス島の巨像、⑦アレクサンドリアの大灯台の7つです。
残念ながら現在残っているのはギザの大ピラミッドだけですが、この2つの彫像は⑤マウソロス霊廟を偲ばせる貴重な彫像です。 -
ネレイデス・モニュメントという霊廟(紀元前400年ごろ)。
部屋の中にはひときわ大きく、どっしりと構えていました。 -
この部屋には、古代アテネの最盛期に造られたパルテノン神殿を飾っていたレリーフが展示されています(紀元前438年ごろ完成)。
イギリスがパルテノン神殿のレリーフをはがして持ってきてしまったため、現在のパルテノン神殿は残骸のようになってしまいました。
大英博物館が、別名「強盗博物館」と揶揄される展示品です。 -
パルテノン神殿の正面にか飾られていた彫像。
ならんだ彫刻の輪郭が三角形△のようになっていますが、神殿の正面の△部分に飾られていたためです。 -
美しいことを重要視した古代ギリシアでは、リアルに美しい彫像が多く作られました。
その後アテネもスパルタもローマ帝国に支配下に置かれますが、文化面ではローマ帝国は古代ギリシアを尊重し、古代ローマ時代には古代ギリシアの彫刻の模倣品が盛んに作成されました。 -
パルテノン神殿の横面にはリアルなレリーフが多く飾られました。
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古代ギリシアの神々は座った姿で描かれています。
主神ゼウス、アテナイの守護神で「聖闘士星矢」でおなじみの女神アテナ、海神ポセイドンなどが描かれていました。 -
古代オリエントやギリシアのレリーフで時間を使ってしまったので、あとは大急ぎでざっと見て行きます。
かつて現在のメキシコ一帯で栄えたアステカ王国(1428年ごろ~1521年)の装飾された骸骨、「テスカトリポカ神の仮面」。
アステカ王国では生贄(いけにえ)の儀式が多く行われました。
4人の神官が祭壇の上の生きた人間の手足を押さえて、1人の神官が生きた人間の胸を切り裂いてまだ動いている心臓を神に捧げました。
死んだ生贄の骸骨の上に装飾がされています。
歯などは本物です。 -
中世ヨーロッパ(1150年~1200年ごろ。日本でいえば1192年、源頼朝が鎌倉幕府を始めたころ)で使われたチエスの駒です。
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駒の材質はセイウチの牙で作られています。
王、女王、騎士(ナイト)などがありました。 -
神聖ローマ帝国の時計。
金で装飾された豪華絢爛な時計で、時間が来ると、船の上の兵士たちが動いてそうです。 -
神聖ローマ帝国のハプスブルグ家の皇帝や貴族たちもいました。
時計板はありますが小さい。
時計というより、装飾品として使われたのでしょう。 -
大英博物館には古代エジプトのミイラも多く展示されています。
大英博物館の自慢の品々の1つです。 -
人間だけではなく、ネコのミイラもありました。
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人類が文字を発明したのは紀元前3500年ごろ、古代メソポタミアのシュメール人による楔形文字だったとされています。
ただ、紙はまだ発明されていなかったので、その後約4000年ほど文字の記載は粘土板が用いられました。
日本人が平安時代に紙に文字を書くようになってから1000年ちょっと。
メソポタミアでははるかに長い時間、粘土板が使われていたのです。 -
世界中を驚かせた粘土板(紀元前650年ごろ)。
この粘土板には、「神は1人の男に命じて船を作らせて、その家族と動物をその船二乗せたあと、洪水を起こして人類を滅ぼした」と記されています。
聖書の「ノアの方舟」の元ネタが発見されたため、世界中を驚かせました。 -
ティグラトピレセル1世の八角柱碑文(紀元前1100年ごろ)。
1857年、4人の学者がこの碑文を別個に解読してその内容が一致したことから、この年メソポタミアの楔形文字の解読が成功したとされました。 -
古代メソポタミアの女官の装飾品(紀元前2600年ごろ)。
当時は王や女王が死ぬと、女官たちは王や女王とともに埋められました。
その際の装飾品です。 -
数年前に日本にやってきた「ウルのスタンダード」。
紀元前2600年ごろの都市国家ウルで作られたものです。
何に利用されていたかは判明していませんが、ラビスラズリを使った美しく、当時の人々を描いた精細な表現は高く評価されており、大英博物館の至宝の1つです。
ここで時間切れ。
結局3時間ほどしかいられませんでした。
明日もまた来ようかな。
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