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 京急の車窓から株式会社 総合車両製作所(前東急車輛製造株式会社)の正門前に「団子鼻」で知られる0系新幹線車両が見える。北久里浜駅まで乗車していた京急の電気系の整備担当職員に聞いたところ、「京急に乗っていると見える。」という。「「団子鼻」の0系新幹線車両ですよ。」「ええ。」「どうして?」「あの会社で製造したからです。」<br /> 帰りにこの工場に寄ってみた。東急車輛なら知っているが、今の総合車両製作所は覚えられない。写真を撮ったので会社名が分かった。この工場では「構内撮影禁止」の看板が至るところにある。正門の守衛さんに尋ねると、「会社側から構内の撮影禁止と指示されている。0系新幹線車両も撮影禁止になっている。」「会社からの許可があれば撮影できる。」「会社とは、どこの部署ですか?」「庶務課となっています。」「新幹線車両の写真を撮らせてくださいという人はいませんか?」「そういう人はまだいません。」とのことだ。<br /> 金沢文庫駅側に労働組合があったので、訪ねてみた。事務所には委員長と若い専従者、事務の女性の3人がいる。委員長は「組合は組合費を払っている組合員のために活動している。社員とその家族には毎年あの新幹線車両を公開しているが、組合員以外が見たいといっても、その人は組合費を払ってはいない。組合ではなく、会社に言ってほしい。」「一般公開したら人が集まって大変なことになる。」「組合側は会社の社会貢献などには口出ししないのですか?」「そうした意見があったことを会社側に伝えておきます。」ということだ。粉飾決算で分解したあの東芝でさえも「東芝未来科学館」を公開し、子供の科学教育施設として社会貢献している。しかし、一般消費者とは直接関係はなく、鉄道会社しか付き合いがない車両メーカーでは社会貢献などを考える理由が思い付かないのだろう。しかし、公開しないのであれば誰の目にも触れるような場所には保管しないのが普通であろう。<br /> Webで調べると、前東急車輛製造株式会社では0系新幹線車両が歴史的な産業遺産として平成22年(2010年)8月から正門前に置いている。しかし、この先頭車両は昭和60年(1985年)1月に東急車輛で製造されたものであり、昭和39年(1964年)10月の新幹線開業までに製造されたものではない。また、広報に掲載されている写真を見ると1車両丸々ではなく、切断されて先頭部分だけのようだ。歴史的な産業遺産としては大いに価値が疑われるものである。私が考えていた重要文化財になり得るような物件ではなかったのだ。今日はたまたまYRP野比駅に停車した際に、後ろの席に座っていた2人のおばあさんたちが「何か変な駅名。」と話していたので、そういえば、およそ40年前に私たち3人が設計して開発した(TZ-803)ディジタル自動車電話の1号試作機をかつての電電公社横須賀通信研究所に納めたので、それが残っているはずだが、そうした部類のものかと誤解していた。もし、ディジタル自動車電話の1号試作機は残っていればケータイの端緒を開いた装置として重要文化財になるであろうが、量産化された製品末期のものがそうした価値があることはあるまい。<br /> 幾ら一般人を商売の対象とはしていないとは言え、新幹線の初期の0系車両が誰の目にも留まる場所に保管しているのであるから、公開することはこの会社の社会貢献に寄与することは明らかだ。車両の歴史的価値は格段に落ちるにせよ公開は必須のマターであるはずだ。<br />(表紙写真は「株式会社 総合車両製作所」の表札)

車両製造メーカーの正門前に0系新幹線車両

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2020/02/17 - 2020/02/17

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 京急の車窓から株式会社 総合車両製作所(前東急車輛製造株式会社)の正門前に「団子鼻」で知られる0系新幹線車両が見える。北久里浜駅まで乗車していた京急の電気系の整備担当職員に聞いたところ、「京急に乗っていると見える。」という。「「団子鼻」の0系新幹線車両ですよ。」「ええ。」「どうして?」「あの会社で製造したからです。」
 帰りにこの工場に寄ってみた。東急車輛なら知っているが、今の総合車両製作所は覚えられない。写真を撮ったので会社名が分かった。この工場では「構内撮影禁止」の看板が至るところにある。正門の守衛さんに尋ねると、「会社側から構内の撮影禁止と指示されている。0系新幹線車両も撮影禁止になっている。」「会社からの許可があれば撮影できる。」「会社とは、どこの部署ですか?」「庶務課となっています。」「新幹線車両の写真を撮らせてくださいという人はいませんか?」「そういう人はまだいません。」とのことだ。
 金沢文庫駅側に労働組合があったので、訪ねてみた。事務所には委員長と若い専従者、事務の女性の3人がいる。委員長は「組合は組合費を払っている組合員のために活動している。社員とその家族には毎年あの新幹線車両を公開しているが、組合員以外が見たいといっても、その人は組合費を払ってはいない。組合ではなく、会社に言ってほしい。」「一般公開したら人が集まって大変なことになる。」「組合側は会社の社会貢献などには口出ししないのですか?」「そうした意見があったことを会社側に伝えておきます。」ということだ。粉飾決算で分解したあの東芝でさえも「東芝未来科学館」を公開し、子供の科学教育施設として社会貢献している。しかし、一般消費者とは直接関係はなく、鉄道会社しか付き合いがない車両メーカーでは社会貢献などを考える理由が思い付かないのだろう。しかし、公開しないのであれば誰の目にも触れるような場所には保管しないのが普通であろう。
 Webで調べると、前東急車輛製造株式会社では0系新幹線車両が歴史的な産業遺産として平成22年(2010年)8月から正門前に置いている。しかし、この先頭車両は昭和60年(1985年)1月に東急車輛で製造されたものであり、昭和39年(1964年)10月の新幹線開業までに製造されたものではない。また、広報に掲載されている写真を見ると1車両丸々ではなく、切断されて先頭部分だけのようだ。歴史的な産業遺産としては大いに価値が疑われるものである。私が考えていた重要文化財になり得るような物件ではなかったのだ。今日はたまたまYRP野比駅に停車した際に、後ろの席に座っていた2人のおばあさんたちが「何か変な駅名。」と話していたので、そういえば、およそ40年前に私たち3人が設計して開発した(TZ-803)ディジタル自動車電話の1号試作機をかつての電電公社横須賀通信研究所に納めたので、それが残っているはずだが、そうした部類のものかと誤解していた。もし、ディジタル自動車電話の1号試作機は残っていればケータイの端緒を開いた装置として重要文化財になるであろうが、量産化された製品末期のものがそうした価値があることはあるまい。
 幾ら一般人を商売の対象とはしていないとは言え、新幹線の初期の0系車両が誰の目にも留まる場所に保管しているのであるから、公開することはこの会社の社会貢献に寄与することは明らかだ。車両の歴史的価値は格段に落ちるにせよ公開は必須のマターであるはずだ。
(表紙写真は「株式会社 総合車両製作所」の表札)

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  • 狭軌と標準軌の3本のレールが敷かれた踏切。

    狭軌と標準軌の3本のレールが敷かれた踏切。

  • 狭軌と標準軌の3本のレールが工場に伸びる。

    狭軌と標準軌の3本のレールが工場に伸びる。

  • 「株式会社 総合車両製作所」の表札。

    「株式会社 総合車両製作所」の表札。

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