2019/04/12 - 2019/04/12
595位(同エリア1140件中)
イロコさん
高野山をじっくり2日間かけて回るツアーに参加しました。
1日目は壇上伽藍と霊宝館、女人堂、金剛峯寺を見学しました。
その後近くの宿坊に行きいました。
こちらでは壇上伽藍と霊宝館を掲載しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
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新幹線で新大阪まで行き、そこからバスでの移動です。
途中かつらぎで休憩。
高野山は12,3年前に1回行ったことがあります。
この時は奥の院だけの見学でバスの車中からちらりと壇上伽藍を見ただけでした。 -
車窓から
大門
大門は高野山の総門です。
山上結界のシンボルです。
あら標識が写りましたね・・・・。
塔の上には「高野山」と書いてあります。
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正面。
窓が反射していますが・・・・。
高さが訳26mの国内最大の木造二重門。
朱塗りです。
現在の建物は1705年に再建されたもので左右に金剛力士像が安置されています。 -
今日の宿泊場所から大門までは歩いて13分ぐらいとのこと。
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バスは14時15分ごろ根本大塔の裏の道路で止まりました。
まず壇上伽藍から見学です。
根本大塔や金堂、御影堂など19もの堂塔が立ち並びます。 -
根本大塔側から見た金堂
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大塔の鐘
大師が発願され、第二世真燃大徳の代完成。
焼失としては3度ほど改鋳された。
現在は1547年の鋳造で直径7尺、重量1600貫(約6トン)、高野四郎の名で親しまれている。
1日5回、計108の鐘の音を響く。 -
根本大塔
高さ48.5m。
堂内に立体曼荼羅を擁します。 -
人がいなくなったのでまた写す。
伽藍の中心塔として816年高野山開創の頃より着手。
大師と真念の二代を費やして887年ころ完成。
高さ50m、四面30m中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏、周囲16本の柱には堂本印象画伯筆の十六大菩薩を配して曼荼羅を立体に顕す。
壁には画伯筆の八祖大師を描く。
現在の建物は1937(昭和12)年再建。
外壁の塗り替えは1996(平成8)年完成。 -
屋根アップ
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今誰もいませんね。
シャッターチャンス。 -
さて中に入りましょう。
当の前にある火袋は奈良の東大寺と似ているような???? -
ちょっとアップ
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内部は撮影禁止です。
ポスターに写真があありました。
お堂の中はこんな感じです。
もっとたくさんの仏様と柱などがあります。 -
御影堂の前に三鈷の松がありますが、写真ボケちゃいました・・・。
三鈷の松の説明。
松葉は3っつあるそうです。
探しましたがありませんでした・・・。
現地のガイドさんに1ついただきました。
持っていると良いことがあるとか。 -
御影堂
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御影堂
元は大師の持念仏堂であったが、ご入定後、実恵僧都が師の御影を安置する堂とした。 -
御影堂
御影は真如親王が大師の生身を写され、大師御自らのご開眼にかかる。
最も尊厳を尊ぶ御堂である。
旧暦3月21日旧正御影供の前日、御逮夜の時は年に1度だけ内排ができる。 -
斜め前から見た御影堂
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准てい堂
973年以前の創建。
本尊准てい観音、大師得度剃髪の際、自ら本尊としてお祀りされたと伝えられる。
現在の堂は1883(明治16)年の再建。
その奥が孔雀堂 -
准てい堂の前から奥の根本大塔を見る。
ちょっと暗いですが真ん中にある木が三鈷の松です。
左の建物が御影堂。
右に少し見えるのが金堂。 -
西塔
887年、光孝天皇の勅令により、当山二世真念僧正が、大師の遺された「御図記」に従って大塔に続いて建立。
現在の塔は1834年の再建。
塔前の石灯篭は医聖 花岡青洲も寄進にかかる。 -
ちょっとアップ
東塔は色がついていたので、こちらも彩色されていたんでしょうね。
現地ガイドさんと一緒に歩きますが、私は写真撮影でうろうろするのであんまり説明を聞いていません。 -
鐘楼???
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御社の方に歩いて行きます。
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御社
高野山開創に当たり、819年に大師は、結界守護の為、丹生・高野(狩場)両大名人を現在の地に勧請した。
当山の地主神である丹生・高野両大明神を祀る本殿2社など。
現在の社殿3棟は(重要文化財)、1522年の再建。 -
御社の向かいには山王院があります。
御社の拝殿で1171年以前の創建。
現在の堂は1845年の再建。 -
説明
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六角経堂
1159年、皇后であった美福門院得子が夫の後鳥羽上皇の菩提を弔うために創建。 -
棒を押して1周まわったら良いとのことで私も1周回りました。
一人では重くて回りませんが、何人かだと楽に回ります。 -
中門が見えて来ました。
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先に金堂へ。
高野山一山の総本山で、年中行事の大半がここで勤修される。
現在の堂は1932(昭和7)年再建。1934(昭和9)年落慶。 -
中門には四天王が安置してあります。
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名前は…わかりません・・・。
持国天・多聞天・増長天・広目天です。 -
中門の像
胸にトンボの飾り。 -
こちらは誰だったかな・・・。
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説明本気で聞いていないし、聞いていても忘れていますね・・・・。
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中門
伽藍の正門として南側入口に建つ。
御開創間もない819年の創建。
他の堂塔同様焼失・再建をくりかえす。
1843(天保14)年の焼失以来、礎石を残すのみであったが、2015(平成27)年の高野山開創1200年大法会を期して、172年ぶりに伝統的な様式・工法で再建された。 -
中門全景
奥に根本大塔が見えます。 -
今度は霊宝館に向かいます。
道路そばの建物。 -
霊宝館前にある地図
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霊宝館前
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霊宝館
高野山内の重要な文化遺産を保存展示する施設です。 -
さて見学に行きましょう。
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入口
国宝21件、重要文化財143件、県指定文化財16件あるそうです。
未指定品を含めると5万点以上を数える収蔵があるそうです。
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孔雀明王(快慶作)が見られます。
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中の様子
中は撮影禁止です。
大きな仏様がたくさんありました。 -
霊宝館の建物
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現在位置の霊宝館は一番下です。
これからまた壇上伽藍の方に行きます。 -
中門の近くにある善女龍王社
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説明
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橋とお社
池は蓮池と言います。 -
橋を正面から見る。
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蓮池の向こうの木々の間から根本大塔が見えます。
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逆光・・・・。
不動堂
国宝です。
1198年一心谷に行勝上人が創建。
現在の堂は14世紀初頭再建、鎌倉時代の和様建築で、平安期住宅様式を仏堂建築に応用したもの。
1908(明治41)年現在地に移された。
1996(平成8)年、解体修理が行われた。 -
こちらは愛染堂
1334年後醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るため不断会染護摩並びに長日談義を修める目的で建立された。
奥に根本大塔が見えます。 -
大会堂
1175年創建。
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何か木があります。
西行桜です。 -
三昧堂
928年創建。
元は違う場所にあったが、1177年西行法師が現在地に移建した。
堂前には西行が植えたとされる「西行桜」がある。
現在の建物は1816年再建。 -
東塔
1127年に創建。
1954(昭和59)年に再建。
西塔は彩色がありませんでしたが、こちらは昭和の建物だからか色があります。 -
東塔正面から。
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説明
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高野山の説明
蛇腹道を通り、金剛峯寺の前に行きます。 -
六時の鐘
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六時の鐘。
周りに桜の木があり、少しだけ咲いています。
いつもなら開花しているそうですが、今年は遅いそうです。
残念・・・・。
この後女人堂、金剛峯寺に行きます。
別の旅行記に掲載をします。
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