2019/06/17 - 2019/06/17
842位(同エリア4378件中)
放浪老人さん
イスタンブール3日目、朝、旧市街の中心部のホテルに移り、本格的に観光を開始します。
地下宮殿:ビザンティン時代の地下貯水池です;水が抜かれた後のコリント式の石柱が整然と並ぶ様子から宮殿ともよばれています;「007ロシアより愛を込めて」で見て以来、半世紀近く経ちました。
アヤソフィア:コンスタンティウス2世が360年に建てた聖堂を起原としますが、何回も大きく建て直され、537年に作られた構造を再建・補強して現在に至っています;正方形の4隅の柱にのせたアーチとペンデンディブでドームを支えています;この建築方式はこの聖堂が初めてで(?)、世界中の教会・モスクに用いられています;ビザンティン帝国では世界最大の教会建物でギリシャ正教の総本山;オスマン帝国では、壁の装飾を塗りつぶし、アラブ風の改造を加えて、皇帝のモスクとなりました;最後に、トルコ共和国では、塗りつぶしを剥ぎ取ってビザンティン時代の装飾を表に出し、キリスト教とイスラム教の両方の施設が混在する、但しどちらの宗教の施設でもない、博物館となりました。建物建築の歴史的価値・建物を舞台に繰り広げられた歴史・2宗教が混在する博物館、の全てで、世界に類を見ない施設です。
ー私の帰国後、新たな変化があり、最近、モスクとして利用することを認める大統領令が発布されました;モスクで礼拝するときのみ、キリスト教の装飾を覆うそうです;世界で類を見ない歴史と構造を持つこの博物館が、全人類のものであり続けることを祈ります。
ボスボラス海峡:アジアとヨーロッパを結ぶ連絡船が何種類もの航路で横断しているのに加えて、両岸の景観を楽しむ観光船が海峡に沿って数多く運航されています。
スュレイマン・モスク:大帝とも呼ばれるスュレイマン1世が、彼の権威・成果を象徴する、モスクを中心とする宗教集合体の建築を、ミマール・スィナンに命じ、1557年に完成しました;敷地内に、スュレイマン1世の廟もあります。
ガラタ塔:金角湾対岸のカラキョイ地区にコンスタンチィノープル時代から立つ監視塔です;アジアとヨーロッパ、旧市街・新市街、ボスポラス海峡・金角湾、さらにマルマラ海、3つの海を盛んに行き来する船舶群、を遮るものなく眺望できます;塔マニア兼展望台フリークの私のランキングで3位以内に入る絶景ポイントです。
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07:32 朝食:1ケース全てチーズです。
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09:00 マルマライのZeytinburnu駅。
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09:24 マルマライのSirkeci駅西口。
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09:36 OrientExpress Hotel:朝ですが、部屋に入れてくれました;建物やレセプションはクラシックですが、部屋は新しくなっています;残念なのは、窓の防音が不十分で、道路側のこの部屋はトラムの通過音に悩まされます。
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09:44 トラムが走るHüdavendigar通りを登っていきます;1日目には左の城壁に入りました。
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09:47 アヤソフィア前の広場の反対側が、地下宮殿の入り口です;ビザンティン時代の地下貯水池です;水が抜かれた後のコリント式の石柱が整然と並ぶ様子から宮殿ともよばれています;「007」ーロシアより愛を込めてーで見て以来、半世紀近くの課題でした。
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09:49 イスタンブール博物館カードもCCもだめで、トルコリラ現金しか受け付けません。
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宮殿(貯水池)の天井は、レンガを積み上げた交差ボールドで、コリント式の石柱で支えています。
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階段を降りた下には、コスプレで記念撮影のコーナーがあります。
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09:53 上部を見るとコリント式の柱頭と交差ボールトが等間隔で並んでいます;照明の効果で、地下宮殿と呼ばれるにふさわしい佇まいです;下部をよく見ると、柱の長さにはばらつきがあり、別の古い施設の柱を再利用していることがわかります。
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見学用の通路が奥まで設置されています。
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10:03 通路の最深部にあるのが、貯水池の柱に踏みつけられた2つのメドゥーサの頭部、横向きと上下逆にされています:イオニア地方のギリシャ・ローマ遺跡では、メドゥーサは、神殿のメトープ等に飾られ、魔物より守護神のような扱いでしたが、ここは違うようです。キリスト教化したビザンティンでは、ギリシャ・ローマの神殿の柱や守り神は、単なる建築資材になったのでしょうか?
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イチオシ
10:14 天井のボールドは金属の支柱を渡して入れて補強されています。
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10:15 出口の階段。
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出口は、来るときに通り過ぎた、Hüdavendigar通りの途中にあります;地下貯水池は、道路や一般の建物の下に広がっているようです。
再び、アヤソフィアの方向に戻ります。 -
10:17 30分の違いで、地下宮殿を待つ人の列が出来ています。
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10:18 アヤソフィヤの入り口:左はチケット売り場の列、博物館カードがあるので、右の通路から前に進みます。
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10:19 チケット入場口:博物館カードがあると待ち時間はありません。
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10:20 アヤソフィア入口:;中央部のドームを支える主壁が外側に崩れるのを防ぐために、長いバットレス(補助壁)が追加されています。
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入口から、ナルテックス越しに、一番奥のアプスまで見通せます;ナルテックスの上部にモザイク「キリストと皇帝」(10世紀)。
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10:30 ナルテックスの天井は2階を支えるために交差ボールドです。
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ナルテックスの端にある上層階への入口。
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10:32 階段を登り、ナルテックスの2階部分に出ます。
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ナルテックスの2階部分は蒲鉾型のアーチ天井;左側面のアーチからは身廊が見下ろせます。
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身廊全景:東には、ハーフドームがついて、その奥にアプス兼ミフラープが作られています、左は身廊の北面を修復している骨組み;中央ドームとハーフドームの表面はオスマン形式です;中央のドームは、4隅の柱とペンデンディブ(アーチの間の3角形)で支えられています;アヤイリニと同じ形式です。
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10:38 貴賓室を区切る大理石の扉:この先、2階の西側にモザイクが残っています。
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エンリコ・ダンドロの墓碑(1205年):第4回十字軍を指揮してコンスタンティノープルを占領し、ラテン帝国(1204~1261年)を建国しました;モスクへ改修したときに取り除かれた後、19世紀に再度設置されたようです;ラテン帝国の時代は、アヤソフィアはカソリックの聖堂でした。
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「テイシス」=キリスト像:13世紀に、ビザンティン帝国が、ラテン帝国からコンスタンティノープルを奪還した後に作成されました。
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「聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻」、12世紀。
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『キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻』、11世紀。
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両側のバットレスと、同じ敷地内に隣接するオスマン皇帝達の廟;1日目に入りました。
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10:48 左がナルテックスの天井で、右が身廊のドームです;どちらもオスマン様式です。
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アプスの上部に「聖母子と大天使」のモザイク、9世紀。
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アプス側から身廊:東方向と同じように、西方向にはハーフドームがついて、身廊が長くなっています;黒い円盤にはカリグラフィーでムハンマドなどの名前が書かれています。
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10:53 身廊を見下ろせる2階の東側ギャラリー。
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下りはスロープ。
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10:57 アヤソフィアの平面図:東西方向に立てられたギリシャ正教のアヤソフィアとメッカを向いて少し傾いたモスクのミフラープ等;右の霊廟群も傾いています。
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10:59 ムスリムとギリシャ正教の混在する身廊内部:博物館とされた後、ギリシャ正教・ムスリムどちらの宗教施設として利用することも禁止されていました。
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11:01 アプスの中のミフラープ:東を向いた中央の窓と微妙にずれた、メッカの方向を向いています。
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左はミフラープ前の床、右は祈り時刻の告知係の待機所;どちらもミフラープと同じでメッカの方向にずれています。
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11:08 身廊の西端からアプス方向。
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大理石の瓶、BC4~3世紀:ペルガモン遺跡からムラド3世が運び込みました。
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11:19 アヤソフィアの西面:ドームの崩壊を防ぐために、巨大なバットレスが沢山つけられています。
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11:21 イスラム泉水、18世期:参拝者に飲料水を提供しました。
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11:22 「聖母子とユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世]、10世紀:南西出入り口通路の天井の模様の中に、白モルタルの下からモザイクが姿を表しています;二人の皇帝は、コンスタンティノープルとアヤソフィアを捧げています。
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コンスタンティノープルの古地図:街の下端に、今も残る、アヤイリニ、アヤソフィア、キュチュック・アヤソフィアとヒッポドームが並んでいます;右の水路=金角湾の向こうに離れているのがガラタ地区;湾口の鎖で敵船が湾内に侵入するのを阻止していました;軍事博物館には、この鎖(と称する)が展示されています。
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11:25 アヤソフィア出口:スルタンアフメト・モスクが正面に見えます;右に回り、Hüdavendigar通りを戻って、港に向かいます。
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12:30 Eminonu埠頭に来ました:アジア側各地への連絡船・高速船や、ボスポラス海峡のクルーズの桟橋が並んでいます。
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12:33 金角湾の対岸はガラタ塔が立つKaraköy地区:ガラタ塔は目立つ高さはありませんが、塔の上からは期待を超える絶景を見ることが出来ます。
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12:48 いくつかあるクルーズから、次が13時発のFatih Sultan Mehmet大橋まで行くショートクルーズを選びました。
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13:04 クルーズ船が並ぶ桟橋に並ぶガラタ橋より奥のEminonu埠頭;左のドームを載せたアラブ風の船は、停泊したままのサバサンド船です。
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13:20 ボスポラス海峡ヨーロッパ側のドルマバフチェ宮殿:1856年から、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されました;後日訪ねた、閉鎖性の強い、アラブ的なトプカプ宮殿とは、大きく違い、開放的なヨーロッパ風に見えます;ハレムはどうなっていたのでしょう。
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13:20 アジア側のÜsküdar埠頭に向かいます;左舷に見えているのはボスポラス大橋です。
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13:26 Üsküdar埠頭に着岸中。
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13:34 チュラーン宮殿:火災で消失後、20世紀末に再建されホテルになっています。
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13:38 オルタキョイ・モスクとボスポラス大橋:
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13:40 多種のクルーズ船が海峡を航行しています。
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13:54 ヨーロッパ側は、邸宅や高級そうなコンドミニアムが連なり、海岸には、プライベートボートが並んでいます。
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13:56 ルメリ・ヒサル(ヒサル=砦):メフメット2世が、ボスボラス海峡制圧のヨーロッパ側の要塞及び、コンスタンティノープル攻撃の拠点として、1452年に築きました。
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13:59 ファティ・スルタン・メフメット(=メフメット大帝=メフメット2世)大橋。
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14:01 ボスボラス海峡北方向:デニズリから来る時に渡ったヤヴズ・スルタン・ セリム橋があり、15km程度行くと黒海に出ます。
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14:05 アナドル・ヒサル:メフメット2世が、アジア側の拠点として、1452年に築きました。ルメリ・ヒサルと連携して、ボスポラス海峡の通行を支配しました。
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ルメリ・ヒサルとファティ・スルタン・メフメット大橋。
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船の中央部の座席では、かなり視角が制限されます。
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14:20 アジア側のベイルベイ宮殿。
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14:32 Üsküdar埠頭。
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14:33 マルマラ海方向:海峡の中に;
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乙女の塔が見えます。
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14:39 旧市街の東端、岬の先端部。
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14:40 トプカプ宮殿。
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14:45 Eminonu埠頭帰着。
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14:54 グランドバザールに続く商業地区の端をかすめて丘の上のスレイマン・モスクへ向かいます。
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15:04 右に曲がって、Prof. Sıddık Sami Onar通り:左の歴史がありそうな石壁の上は、今は、大学があります。
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15:27 スレイマン・モスクを中心とする複合施設の入り口:右側はスレイマン廟、奥に進むとスレイマン・モスクの側面に出ます。
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15:07 モスクの側面に並んだお清め用の洗い場。
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礼拝堂の横を通り過ぎると、回廊の入り口があります。
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15:22 四本柱の小ドームを連ねた回廊に囲まれた中庭:回廊の周りに4本のミナレットが立ってます。
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礼拝堂:今回2つ目のミナン作のモスクです。
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主ドームの両脇に半ドームがついた基本構造は、アヤソフィアと同じです。
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4隅の柱とペンデンディブで支える主ドーム。
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15:11 振り返ってみた、スレイマニエ広場泉水:右壁の大学に沿ってSüleymaniye通りを西に進みます。
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15:32 Süleymaniye通りから16 Mart Şehitleri通りへ:道路の上を跨いでいるのはヴァレンス水道橋につながっているヴァレンス水道です。
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15:34 Vezneciler駅:地下鉄で金角湾を渡ってガラタ塔に向かいます。
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15:42 鉄道専用橋。
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15:45 Şişhane駅:ガラタの丘の地下深くから長いエスカレーターで丘の上に出ます。
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15:52 Galip Dede通りを進みます。
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15:54 ガラタ塔;コンスタンティノープル陥落前から立っています;周りに高い建物のない丘の上に立っているので、塔の高さから想像したよりは、遥かに素晴らしい眺めが楽しめます。
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15:57 ガラタ塔のエレベータを待つ列:女性の装いからモスレムでない、観光客が並んでいるのが分かります。
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16:22 エレベーター2台で登ります。
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16:28 エレーベータを降りて、螺旋階段を登ると、最上階はレストランです;周りのテラスには自由に出ることができます。
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16:29 金角湾の奥方向:右端に前日行ったピエール・ロティ付近の墓地の緑が見えます。
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北方向には、新市街の高層ビル群。
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16:32 ボスボラス海峡と対岸のアジア:遊覧船は右手前から左奥まで往復しました。
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16:35 左はボスボラス海峡と対岸のアジア;右は金角湾と対岸の旧市街の先端、緑の中にトプカピ宮殿が見えます。
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金角湾を右端のガラタ橋まで、旧市街にはトプカピ宮殿に続き、アヤソフィアやスルタン・アフメット・モスク、ヌールオスマニィエ・モスクまで見えます;水平線はマルマラ海です。
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旧市街中心部:トプカピ宮殿、アヤソフィアやスルタンアフメットモスクの拡大。
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16:40 ガラタ橋:橋の両脇の人影の多くは、通行者ではなくて釣り人です。
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16:44 左のガラタ橋と、右の渡って来た地下鉄専用橋;正面はスユレイマン・モスク;グランドバザールやヴァレンス水道橋も見えています。
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16:57 ガラタ塔入場を待つ列は、来たときよりやや長くなっています。
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17:01 石段を下って、ガラタ橋へ向かいます。
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17:10 ガラタ橋を渡って旧市街側に戻ります。
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17:17 名物サバサンド:旧市街側のガラタ橋の周辺では、サバサンド屋が集まって、テイクアウトもイートインも可能です;私としては鯖がやや貧弱に感じます。
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17:26 Sirkeci駅:1890年に完成した、オリエント急行の終点(起点)駅です;ホテルは駅の裏になります。
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19:11 夕食:ワンプレートで食事が完結します;トルコはこのようなメニューが多く、一人旅には都合が良い。
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サービスで出てきたデザート:一言でいうと衣をかぶった砂糖です:基本的にトルコ料理は口にあっていますが、デザートは甘すぎて無理です。
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20:12 Viva Restaurant:周辺は、Sirkeci駅裏のホテル・レストラン街です。
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20:34 Eminonu埠頭。
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