2019/06/18 - 2019/06/18
22位(同エリア49件中)
放浪老人さん
4日目は、イスタンブールを離れて、エディルネへバスで日帰りします。
エディルネ:2世紀に、ローマ皇帝ハドリアヌスが、ドナウ前線の後方基地として建設したハドリアノポリス(ギリシャ語でアドリアノーブル)を起原とします:ビザンティン帝国になってからは、第一次ブルガリア帝国等との前線基地となっていました;1362年にはオスマンのムラト1世が占領し、コンスタンティノープルを陥落させる1453年まで、都としていました;当時のオスマンは、イスラム勢力の前線国家で、キリスト教国から奪い取ったギリシャ・ブルガリア・セリビア等のバルカン半島と小アジアの西部を勢力圏としていました;町の中心部には、宮殿等の統治に関係した当時の建物は、残っていませんが、3つのモスクがあります。
エスキ(=古い)・モスク:1414年に建設されました;4本の柱で支えられた小さいドームを3X3連ねて広い祈りのスペースを作ったモスクです;3つの中では地味な構造で、トルコ各地にあるモスクの基本形です;新しいモスクは、柱が細く長くなります。
ユチュ・シェレフェリ・モスク:ムラト2世の治世、1447年に完成しました;正方形の建物の4辺に2本づつ柱を立てて出来る八角形にドームを載せています;両横に2つ小ドームが付いて、横長の礼拝空間になっています;教会は参列者が主祭壇に向かって祈るので縦長又は扇形になりますが、参列者が、ミフラープではなくて、各々メッカを向いて祈るモスクは、正方形や横長もあります。
セリミエ・モスク:ミマール・スィナン晩年の作品で、自称最高傑作です;アヤソフィアを超えるドームを目指して1575年に完成しました;ドームを巨大化することを目指して、正方形の建物の4辺に2本づつ柱を立てて出来る、八本の柱にドームを載せています;切り取られた4隅には、3本の柱の上に小さい半ドームを設置しています;ドームの直径が31.5mで、四本の柱に乗った、アヤソフィアの主ドームの31mを上回っています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7:16 マルマライでSirkeci 駅から Yenikapı駅へ。
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7:31 Yenikapı駅で地下鉄に乗り換えてOtogar駅へ;7時50分頃到着しました。
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7:56 Otogar駅をバス会社の営業所が入ったドーナッツ状のビルが取り囲んでいます;複数あるmetro社の営業所の一つに入ると8時発の切符を売ってくれて、駅の反対側にある別の発着所に急ぐように指示されました。
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9:00 飲み物のサービス。
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10:49 エディルネ・オトガル。
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10:52 近郊バス3で市内へ;Talat Paşa通りを市の中心部に;
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11:17 街の中心のヒュリエット広場を過ぎてすぐ下車しました。
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11:23 2世紀にハドリアヌスが建設したハドリアノポリスの外壁等の遺跡が発掘されています。
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マケドニア人の塔:ビザンチン帝国が10世紀に第一次ブルガリア帝国に備えて築きました;エンジ色のレンガの使い方が、コンスタンティノーブルの城壁と似ています。
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11:24 ユチュ・シュレフェリ・モスク:右のミナーレにバルコニー(=シュレフェリ)が3箇所(=ユチュ)あるのが名前です。
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ユチュ・シュレフェリ・モスクの向かいに、ソクルメフメットパシャ浴場。
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ユチュ・シュレフェリ・モスクの中庭。
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中心は8角形にドームが乗っています;柱が短く、アーチの半径も小さいのでドームの高さも低く、開口部も狭い。
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ミフラープに対して、横側に2個づつ小ドームが付属して横長です;各々が、メッカを向いて祈るので、平等になって良いのでしょう。
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ドームには、飾りタイルが貼られています。
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北からヒュリエット広場越にエスキ・モスク。
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11:40 Mimar Sinan 通りを、セリミエ・モスクへ向かいます;手前左のツートンカラーの建物はモスク付属のバザールです。
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11:43 セリミエ・バザール。
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バザールの中にモスクへ上がる階段があります。
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南からセリミエ・モスク。
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12:00 中庭からモスク。
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巨大なドームは、広さがアヤソフィアより大きいようです。
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ドーム:飾りタイルにはカリグラフィーを組み込んだ模様が描かれています;アラビア文字が読める人には違って見えるのでしょうか?
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ミフラープ。
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スナンの隠しアイテム「逆さチューリップ」に祈りを捧げる人びと。
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北からセリミエ・モスク。
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12:10 手前に並んでいるのはオスマン時代の墓石。
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12:12 オスマン時代の墓石公園越しに博物館。
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民俗学展示:オスマン時代の衣装。
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考古学展示:ギリシャ・ローマ。
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自然史展示:マンモスの顎。
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12:33 Bizim Ciğerci:エディルネ名物タワ・ジエル(レバーの唐揚げ)の名店です。
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タワ・ジエルとサラダ:イスラムなので、アルコール飲料はありません、超残念:パンは取り放題;一度に食べ切るのは量が多いので、残りをつめてもらいました。
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13:02 エスキ・モスク。
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13:03 征服者メフメト(=メフメト2世)と射石砲(=石を飛ばす大砲)。
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13:05 エスキ・モスクの入り口。
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四本柱で支える小ドームを3X3合わせて礼拝場所を作っています;柱が低くアーチも小さいので、今まで見てきた新しいモスクに比べると、天井が低く暗い空間です;教会と違い祭壇を見上げる必要がないので、これで十分なのでしょう。
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ベテステン:エスキ・モスクに付属するバザールです;エスキ・モスクと同じで、四本柱上のドームを連ねて天井を作っています。
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アリ・パシャ市場の入り口:ゲート上の名前の隣の1565は、建設年だと思います;設計者はミマール・スィナンです。
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13:20 アリ・パシャ市場:横壁はアーチを並べて店舗の入り口を作り、天井は、ボールドやドームにせず、シンプルにアーチを連ねて作っています。
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セリミエ・モスクの巨大なドームは、下から、4角、8角、円が積み上がっているのが分かります。
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13:34 エスキ・モスクからタラトパシャ通りを南東に進むとすぐ近郊バスの停留所があります。
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3A、3Bがオトガル行きです。
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14:15 オトガルの切符売り場:左端のVolkan+METROでイスタンブールまで買いました。
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オトガルの待合所。
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14:46 15時発イスタンブール行き。
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17:20 グーグルマップの渋滞を考慮した所要時間。
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17:43 降車オトガル:デニズリから着いた時と同じ場所です;まっすぐ、乗車したオトガルを目指すと、一段上になり、上がる階段が見つかりません。
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17:45 階段を上り高架道の端を、発車オトガルの中心にある地下鉄駅へ向かいます。
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17:49 地下鉄Otogar駅。
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18:36 ガラタ橋の一階部分のサバサンド店。
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18:41 金角湾。
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19:16 夕食:昼の残りのタワ・ジエル、サバサンドとビール:ベストコンビネーション!
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この旅行記へのコメント (1)
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- jujusmdさん 2021/04/02 23:48:06
- ミマール・スィナンが旅程計画の始まり
- やはり歴史、由来を知ってると興味倍増ですね。2015年一人旅で同じ道筋、メトロバス往きました。トルコのみの旅行が夢枕獏さんの小説ミマール・スィナンを読み資料を漁ってる内にアヤソフィア、スレイマニエ・モスク、ロードス島攻略戦、スレイマン大帝のエルサレム旧市街の城壁改修などを知りイスタンブール-エルサレム-ロードス島-マルマリス-イスタンブール-エディルネ-チャナッカレ-イスタンブールと周りました。逆さチューリップも見つけました。半壊に見えるソクルメフメットパシャ浴場で初ハマム体験。午後も早い時間のため貸切状態で一人大の字に寝そべり雰囲気を満喫後寝そべつた状態で全身を洗って貰った。セミリエ・モスク前の木陰で昼飯食ってたら珍しい酔っぱらいがたかり始めた。スーツ姿で向かって来るのを見た時から察しが付いてたが怖い気がしなかった。姿が寅さんを細くし風で飛んで行く様で一緒に酒飲みに行こうと言われたが無視して飯食い続けてると多分「こらーっ、旅人にからんで困らせるんじゃー無いよう」と女性の大声。見ると黒い衣装にスカーフ姿の恰幅の良い女性その大声に飛ばされて寅さん消えました。見た瞬間葛飾柴又の高木屋の女将さんが現れた様でした。有り難うと手を揚げて返すと女将さんも手を振ってくれた。放浪老人さんの写真を見ながら楽しく思い出が蘇ってきました。有難う御座いました。
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