2019/09/14 - 2019/09/27
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HOUKOUさん
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長蛇の列に辛抱強く並び、「陝西歴史博物館」を見学。
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【9月18日(火)旅行5日目】
今朝も「油溌面」,それと野菜不足にならないようにカウンター側の惣菜ケースからにんにくの芽炒めを選ぶ。 -
今日は西安本格観光の最終日だ。
まずは絶対はずせない「陝西歴史博物館」に行く。
実は2日前だったか,この博物館の行列に並んだのである。
ところが長大な行列はほとんど動く気配もなく,恐れをなして退散したのだった。
今日は平日,しかも朝早いうちに行けばさほど待ち時間もなく入館できると思っていた。
しかしこれは甘かった。
まだ開館時間前に行ったのだが,前回よりは短いとはいえ既に長蛇の列。
おそるべし「陝西歴史博物館」というより,独裁国家。
民主的機能が働いている国家では,公共機関で常態的にこのような長蛇の列ができれば,きっと猛烈な批判に曝され何らかの改善策を施さざるを得ないであろう。
行列を整理したり,待ち時間をアナウンスしたりする配慮も全くない。
それでも辛抱強く何の文句もなく中国人がおとなしく行列を作っている。
私が日本で感じるあきれることの一つが「ステレオタイプな中国観」である。
教養のなさに比例してこうした傾向が強いようだが,口を開けば「中国人はマナーを知らない」「行列に並ばない」「新幹線を埋めてしまう」という一面的な見方しかできない。
全く的外れとは言わないが,中国人も作るべき時はこのようにちゃんと行列を作る。
違うのは,日本人の場合「恥をかくのが怖いために」であるが,中国人の場合「権力には逆らえないため」である。
それにしても行列はなかなか進まない。
北京の「国家博物院」に次ぐ待ち時間であった。
中国有数の観光都市であり,高額入場料目白押しの西安において,この博物館はどの階層にとっても必須見学スポットなのでこんなに人が押し掛けるのであろう。
30元程度の入場料ぐらい徴収すればいいのにと思うが,中国の公的な博物館は無料というのが共産党の指導なのであろう。 -
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エントランスホールに置かれた圧巻の獅子像。
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「藍田人」
115万年前の知られている限り北部アジアで最古の直立した原人だといわれている。
「藍田」というのは,西安の近郊で玉の産地としても有名。
また,杜甫の「九日藍田崔氏莊」に
「藍水は遠く千澗より落ち,玉山は高く両峰と並んで寒し」と詠われているように風光明媚の地であるらしい。
100万年前から住み心地のいい場所であったのかもしれない。 -
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六千数百年前の集落「姜塞遺跡」の復元模型。
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「獣面紋壺」
新石器時代、臨潼(華清池付近)出土のもの。 -
陝西省各地で出土した新石器時代の土器。
中国特有の3本足、鼎の様式がすでに確立されているのがわかる。 -
殷(商)の発祥地が現在の河南省だとしたら,それを滅ぼした周こそは地元陝西省がその発祥である。
後に周王朝を打ち立て,西安付近を都としたが,元々は渭河のもっと上流の今の宝鶏付近がその根拠地であり,その地を「周原」という。
これはその時代の宮殿の復元模型。 -
こちらは殷(商)時代の鼎。
立体的な文様が印象的だ。 -
時代が殷から周に変わり,形や文様がすっきりしていったようだ。
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周王朝初期の鼎。
宝鶏付近で出土したもの。 -
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非常に特徴的な酒器。
これも宝鶏市出土のもの。 -
やはり宝鶏出土の西周時代の水差し。
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「弩(ど)」である。
弩は戦国時代に登場したといわれている。
解説パネルの地図からは、この兵器が秦の天下統一に貢献したことが読み取れる。 -
石で作った鎧である。
始皇帝陵の陪葬坑から出土したもの。
いったい何十キロあるのだろう。
はたして実践に使われることはあったのであろうか。
仮に兵士が装着できたとしても,ほとんど動けなかったのではないか。 -
人形俑もいくつか兵馬俑坑から持ってこられているようだ。
彩色された兵馬俑も多数見つかっているが,これは顔料の成分なども綿密に調査した結果の色彩復元姿であろう。 -
漢代によく見られる鳥型の燭台。
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さすがに省博物館だけあって,中原辺縁に関する展示コーナーもある。
これは古代中国を北辺から悩まし続けた匈奴の黄金製の飾り物。
トナカイがモデルと思われるが,グリフィンのようなクチバシ,角と思われたものにも鳥の頭が現れていて妖気あふれている。 -
これは匈奴など北方部族を蹴散らすシンボリックな石像であろうか。
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北朝時代の武ばった人物像。
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南北朝時代,最後の北朝であった北周時代の金箔が施された墓壁。
北魏時代には,孝文帝などの政策により漢化されていった北朝であるが,この北周時代には言葉を鮮卑語に戻すなど,脱漢化を図ったようだ。
この石槨に見られる図柄も,中国的な堅苦しさから脱し非常にのびやかで開放的である。 -
唐時代のきらびやかに着飾った踊り子。
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唐長安城・含光門遺跡も模型。
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3日前見学した「興慶宮」で見つかった蓮華を象った礎石。
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最も印象深かったものがこれだ。
2匹の大蛇が絡まるようにして地を這っている。
5角形の力強い断面やその相貌は実に不気味だ。
これは蛇ではなくて龍だという。
時代的には,秦の六国統一前後のものらしい。
ある学者によれば巨大な楽器の架台ではなかったかとも。 -
中国で金属の貨幣が使われ始められたのは春秋時代のことである。
その形は,鋤や刀を象ったもので各国でばらばらであった。
それを「半両銭」という円形方孔の通貨に統一したのは,やはり秦の始皇帝である。
写真左が「半両銭」。 -
大量の金の塊。
漢の時代のもので,宮殿から数キロ離れた場所に埋蔵されていた。
王朝末期の混乱に際して宮殿から持ち出され隠匿されていたものではないかと推測されている。
さすがに省博物館だけあって,中原辺縁に関する展示コーナーもある。 -
長い時間をかけて常設展の無料入場券を受け取ったとき,特設展「大唐遺宝展」の入場券も購入していた。
このコーナーは1970年に西安市内「何家村」で偶然発見された唐時代の宝物が目玉として展示されている。
その質の高さから唐代の皇族などの高い身分の遺品であったようだ。
一説には,安史の乱のとき,四川へ逃げて行った玄宗皇帝が隠したものともいう。
細密な細工が施された金椀。
黄金もここまで微細な文様で覆われると,極めて重厚な輝きを発している。 -
メノウで作られた牡牛を象った杯。
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