2018/09/14 - 2018/09/27
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HOUKOUさん
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咸陽から56路バスで「后衛塞」まで戻る。
地下鉄2号線「漢城路」で下車。
今度は予定では,ここから北に位置する「未央宮」遺址へバスで行く予定だった。
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地下鉄2号線「漢城路」で下車。
今度は予定では,ここから北に位置する「未央宮」遺址へバスで行く予定だった。
ところが「地球の歩き方」にある186番バスの乗り場が見つけられず(というか雨と疲れでそういう意欲がわかず),早々とあきらめてまた地下鉄に乗りこむ。
「咸陽宮」「未央宮」と2回連続の空振りであった。
それならばと,地下鉄1号線~2号線~バスと乗り継いで到達したのは「大明宮」遺址である。
唐時代の長安には3つの大きな宮殿があった。
太極宮,大明宮,興慶宮である。
高祖(李淵)が唐王朝を建てると,隋の大興城の宮殿を利用して太極宮とした。
しかし太極宮は低い土地に位置しており,湿気があり住むには不都合もあった。
高祖(李淵)が帝位を継ぐと,先帝の健康を気遣い,城壁の北側東寄りの少し高台になっている場所に突き出す形で建てられはじめられたのが大明宮である。 -
中国の遺跡は何にしてもとてつもなく広い。
広大な国土で育まれた中華民族のスケール感と,土地国有化という共産党ルールがコラボしたのだろう。
しかしその広さの割に入場口が限られている場合が多く,その遺跡のどの場所にアクセスするかは慎重に見極めなければいけない。
基本的に南側の門が正門なはずで,入場口となっている可能性が高いので,地下鉄「安遠門」駅から大明宮の南辺を走るバスに乗り,目印の「丹鳳門」らしきものが車窓から見えたところでバスを降りる。
「丹鳳門」は広大な大明宮のまさに正門。
ここから真北に龍尾道という3本の道が延びていたはずである。
門自体は中国各地で見られるスカスカの映画セット風のものであったが,「大宮殿の正門である」風の貫禄を感じる。
この史跡の見学システムが分かりづらかった。
とりあえず「丹鳳門」までは入場料もなにも要らないフリーゾーンらしい。
さて「丹鳳門」の裏は信じられないような巨大な広場になっていた。
「含元殿」の石垣らしきものがはるか遠くに望まれる。
大都市の真ん中にこんな何もない空間が広がっているとは。
中国のスケール感にはたただた圧倒されるばかりである。
公園にしても史跡にしても道路にしても,日本人の感覚とはDNAレベルでかけ離れているとしか思えない。
私はこれをひそかに「暴力的な広さ」と呼んでいる。
しかもこの広大な広場(御道広場)も大明宮の単なる一部のエリアなのだ。
「生きてこの遺跡から出られるのであろうか?」と思うぐらい歩かないといけないであろう。(笑)
「電動カートを使えばいいのではないか?」
そう思うかもしれないが,このカートが往々にして「暴力的な高さ」なのだ。(爆) -
やっと「含元殿」までたどり着いたものの,どうやって中に入ればいいのかが中々つかめない。
左手にチケット売り場を見つけ,西側入口まで更に延々と歩く。
途中で引き返そうと思うぐらい西門は遠かった。
この大明宮では,当時迎賓館として使われていた「麟徳殿」跡や皇族たちも憩ったであろう「太液池・蓬莱島」を見るのが楽しみであったが,それらは更にここから北に歩かないといけない。
還暦前の老人の足は既に棒状態である。
生きてホテルに戻るにはここら辺が限界であった。
宮殿の中心軸を目指す。
往時は様々な宮殿が立ち並んでいたはずであるが,今はその土台のみが残るのみである。
しかしさすが「国家遺址」である。
その横には精巧な復元模型がガラスケースに収められ展示されたりしている。
これは「思政殿」と呼ばれる比較的こじんまりした建物の跡とその復元模型。
小さな建物ではあるが,皇帝が重臣たちと国政について身近に語り合った重要な場であったという。 -
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「延英殿」
高宗のときに建立された。
当時から重要な建物だったが,粛宗以降宮廷の中心的場であった。
玄宗が安禄山の乱により退位を余儀なくされ帝位についたのが粛宗である。
混乱はまだ続いており,この建物の中はさぞ慌ただしかっただろう。 -
「宣政殿」
大明宮の主要3殿の一つで,規模が大きい。
政策の決定,新帝即位,皇太子冊封それに科挙の最終試験であり,皇帝自ら試験官となる「殿試」もここで行われた。 -
大明宮には地下構造の博物館が附設している。
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大明宮の四季を再現した映像。
太液池・蓬莱島が望まれる。 -
宮殿に使われていた鴟尾(しび)。
まさに「天平の甍」のオリジナルである。 -
金メッキが施された鋪首(門に取り付けられる魔除け)。
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これは玄宗皇帝が正殿「含元殿」で新年の大朝会を行っているところ。
皇太子初め文武百官,それに様々な民族衣装を着た使節たちが拝礼している。
「天宝の争長事件」はこのような場で起こったのかもしれない。
言うまでもなく,日本と新羅の席次争いがあった事件である。
そのときは日本が言い勝って席次を上げてもらったものの,両国とも中国皇帝の臣下扱いされており痛々しいエピソードである。
まさか「中国の夢」とはこんな光景の再現ではないだろう。 -
これは「麟徳殿」の超精巧な復元模型である。
ここまで精巧に作られたら,まさか大半が想像の産物(と思う)とはだれも思いもしないだろう。 -
日本からの使者をもてなす則天武后。
これは史実のようだ。
「其の大臣朝臣・粟田真人来りて方物を貢す。・・・則天(武后)は之を麟徳殿に宴し、司膳卿を授け、放ちて本国に還らしむ」(「旧唐書」) -
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この旅でいくつもの博物館を見学したのだが,必ず見かけたのは唐三彩である。
こちらはすべて女子の騎馬像である。
唐の時代は女性が活躍した時代である。
それというのも,もともと唐王朝を起こした李淵・世民親子は,北魏の流れをくむ武川鎮軍閥出身で北方系民族あるいはその血が濃かったと言われている。(このことはタブー扱いされ,同じ「李」姓の老子の末裔を標榜していた)
そうした北方民族における女性の立場の強さからかもしれない,既に儒教に染まった漢人社会よりは女性は活動しやすかったらしい。
もちろんまだ纏足の風習もなかった。
中国史上,唯一無二の女性皇帝である則天武后の誕生もこうした土壌が背景にあったとも思える。 -
大明宮は国家プロジェクトとして発掘調査が始まる前は,住居が立ち並んでいた。
ご丁寧にも当時の安普請的な住居も館内に再現されていた。 -
今回の旅行は最後の鄭州を除いてはすべて朝食なしのホテルである。
そうするとどうしてもビタミン不足になってしまう。
この旅でよく飲んだのがこのフルーツジュースである。
3~5元ぐらい。
店によって値段がちがう。
中国も自動販売機が増えて助かる。
値段が表示されていない店で値段を聞くのは,相手がどんな値段を言ってくるかという緊張感があって好きではないのだ。 -
さていよいよ大明宮のシンボルともいうべき含元殿の基壇に立つ。
含元殿は「闕(けつ)」と呼ばれる,両翼に門楼が突き出した様式をとっている。
北京の紫禁城などでは見られない宮殿様式であるが,これは春秋時代からの伝統的様式だという。
東に「翔鸞閣」西に「楼鳳閣」が突き出ており,写真は「楼鳳閣」方向である。 -
含元殿再現模型。
バックはその基壇である。 -
入場券を買った「考古探索中心」というところに戻る。
ここは古代についての体験学習の場のようであるが,展示品もいくつかあった。
ちょっと眉唾であったが,中国各時代の衣装の展示があった。
これは漢の時代のものという。
素材はたぶん化学繊維であろう。(笑)
仕立ての雑さが,かろうじて古代風を醸し出している。(笑) -
隋唐時代の「ガーゼドレス」。
かなり微妙だ(笑)。
こうした展示品で少し和んだものの,さてこれからこの広大な無料エリアの公園から外にでないといけない。
ところでこれも中国社会の特徴の一つだと思うが,中国ではなんでも柵で囲ってしまう。
建物。広場,公園など日本からみたら必要以上に柵で囲み,それだけではなく出入口を限定してしまうのだ。
入口,出口が見つからなくて中国でこれまでどれほど苦労し嘆息したことか。
この広大な公園も西側に何とか出口を見つけ出そうとしたが見つからず,結局入ってきた「丹鳳門」まで戻って,やっと出ることができた。
いったい大明宮だけで何キロ歩いたのだろう。
私は普段はデスクワークをしており,家も職場も地下鉄やバス停から近いので日常ほとんど歩くことがない。
この大歩行は体に応えた。
(それでも路線バスでホテルに戻った(笑)) -
ホテル近くに「ロウジャーモー」屋があり,「優質ロウジャーモー」をテイクアウトする。
「ロウジャーモー」は西安を代表する食べ物と言ってよいほど看板をいたるところで見かける。
その中でもこの「潼関ロウジャーモー」はよく見かけた。
「潼関」というのは,それまで南に流れていた黄河が西に流れを変える付近の地名であるが,この名称がその地方特産という意味なのかそれとも単なるブランドであるのかはよく分からない。 -
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初めて食べる「ロウジャーモー」は大変うまかった。
要するにハンバーガーではないかと思っていたが,パン生地が全然違う。
薄いあまり膨れていない生地で,酒のつまみとしても食べられる。 -
白酒第2弾も買ってきた。
地元陝西省(産地は宝鶏市)の西鳳酒。
これまでもこの酒は何回か買ったことはあったが,あまり裏切られたことはない。
味はまずまずであったが,今飲んでいる「銀剣南」よりははっきり劣る。
白酒で程よく酔ってから,街に出て夕食の食堂を当たる。 -
馬虎面?
面白そうだから店に入ってみる。
「うまとらめん1杯」と店の人に注文する必要もなさそうだ。
馬虎面しかないようなのだ。
アイコンタクトだけで馬虎面が出てきた。 -
面の下に絡みダレが潜んでいて,盛大にかき回す必要がある。
「馬虎」の由来を考えながら,ちょっとゴツイ面を食べたのだが,全然思いつかなかった。
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