2018/09/14 - 2018/09/27
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HOUKOUさん
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西安観光初日、あいにくの雨。
「長安通」を買って、市内バスで観光開始。
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【9月15日(土)旅行2日目】
さあ今日から本格的な観光が始まると気合を入れるが,ホテルから中庭を見ると雨が降っていて少し出鼻をくじかれた思いがする。
私の旅はほとんどそうであるが,西安も初めての街なので,様子を探りながら近場で行きやすい観光スポットから始めることにしている。
滞在しているホテルは西安駅のすぐ近く。
西安駅から南に延びる道路沿いにはバス停がいくつかあり,市内のどこにでも行けそうなのだが,どの路線がどのバス停に停まるのか最初全く分からなくて戸惑った。
西安の南北方向の中心軸であり,その下を地下鉄2号線が走る北・南大街を通るであろうバスを見つけ出してそれに乗りこむ。
駅前で買った5元の地図と,窓から見る風景とを照らし合わせ,距離感・地理感を養う。
大都市のバス路線入りの地図というのは作るのに困難が伴うと思う。
複雑で膨大な路線のすべてを一枚の地図に盛り込むのは不可能で,そこは主要路線だけに絞るなどの工夫が必要になる。
地図製作者によって出来不出来があるような気がする。
この西安地図はまあまあのできではないか。
バスの路線もびっしり書かれている。
しかしバス停名はだいぶ間引かれて記載されているようで,目安にしかならない。 -
見学候補地の永寧門が見えるところでバスが停まったので降りてみる。
こうした城壁や城門は中国で数限りなく見てきたので,新鮮味は感じない。
まして高い入場料を払ってまで城壁を登ろうとは思わない。
中国の城壁城門で私が最も感動したのは南京の城壁と中華門である。
それ以来あまり城壁に登りたいとは思わなくなった。
雨も降りやまず,見学もそこそこに付近にあった地下鉄「永寧門」駅に降りていく。 -
西安に着いたら真っ先に買おうと思っていたのが西安交通カード「長安通」である。
私はこれまでこうした中国の交通カードをいろいろ買ってきたが,リファンド(退カー=払い戻し)に成功したのは少ない。
どういうわけか,払い戻し不可だったり,払い戻し場所がわからなかったりで,使い残したままのカードを無駄に保有している。
南京,成都,北京・・などなど。
このカードもおそらく,うまく払い戻しができない予感がする。
しかし西安だけで数十回バスや地下鉄を利用することになるであろう。
仮に使い残しが出たとしても,1元札の確保に気を使うこともなく,しかも割引料金で利用できるこうした交通カードは,買うメリットがあると考える。
なにより咄嗟に来たバスに飛び乗れるのがいい。
近くにあった中国銀行のATMでHSBC香港のカードを使い5000元を引き出す。
それにしても中国のATMの引き出し限度額は気まぐれだ。
最高額が2000元のこともあるし,2500元の場合もある。
私はATM使用料を節約するため,たいていは最大額で引き出すことにしていて,このATMで最大限度であった5000元を引き出す。
しかし洛陽のホテル近くの交通銀行ではMAXが2000元になっていて,結局合計9000元を引き出すのにATMを三回使う羽目になった。 -
次に小雁塔へ向かう。
この塔は西安のシンボル大雁塔の後に建てられ,形が似ていたためこの名で呼ばれることになる。
大雁塔が玄奘や訳した仏典を納めるために建てられたものであるように,この塔は,玄奘を敬慕し,同じように西域から仏典を持ち帰った義浄が訳した仏典を納めるために建てられたものである。
地震により,縦に大きなひびが入ったが,再度の地震によりそのひびがふさがったという話も残っている。
西安郊外には華清池という温泉もあるぐらいだから,このあたり昔から地震とは無縁ではないのだろう。
この塔のデザインは,いかにも西域文明の香りがただよってきそうなものであるが,実はオリジナルはまったく違う姿だったともいう。 -
この塔の南に「西安博物館」がある。
渭河盆地はまさに歴史の宝庫であり,西安のメイン博物館であり中国有数規模の「陝西歴史博物館」だけでは間に合わないのであろう。
西安の博物館では2番手なのであるが,その展示物の豊かなこと。 -
西安郊外の長安区豊鎬出土の青銅器。
このあたりは周王朝が都を洛陽に移す(周の東遷:BC770)まで,その首都であった地だ。 -
これも洛陽遷都前の周(西周という)のもの。
連なった雲と雷を表す文様だという。
青銅器といえば饕餮紋を施したものが多いが,これは当時斬新なデザインと捉えられたことだろう。 -
これは西漢時代の玉杯。
吸い込まれるように美しい。
「西漢」というのは日本でいうところの「前漢」である。
中国で「前漢」とか「後漢」という標記は見たことがない。
これは中国式(というか母国式)に合わせられないものか。
それといつも思うのだけれど,特に「殷」という時代名称はやめてもらい。
中国では必ず「商」という。
なぜ同じ漢字文化圏で言葉をわざわざたがわせる必要があるのか。
それと難しいかもしれないが,中国の地名・人名はカタカナでもいいから原音にしてもらいたい。
「毛沢東」を「もうたくとう」なんて発音しているのは世界中で日本だけだ。
ヨーロッパでもアフリカでもほかの国では「マオツートン」であり,何とかこの発音で中国人とコミュニケートできるはずだ。
(声調があるため通じない場合もあるだろうが,「もうたくとう」と発音するよりよっぽどましである)
つまり世界中で日本人だけが,中国の固有名詞を中国人と会話のなかで(音声で)共通理解しえないのである。
これは同じ文字を持つジレンマである。
中国人とは筆談可能としても,漢字を読めない西洋人とは全く意思疎通不能である。(例えばアメリカ人と毛沢東という人物について意思疎通ができない)
始皇帝は「シーファンディー」/「しこうてい」
ノーベル賞作家・莫言に至っては「モーユエン」/「ばくげん」(笑)
でまったく話がかみ合わないであろう。
これでは,日本の少なくとも中国に関する教育は,世界に通用する知識を教えることを放棄しているといわれてもしかたがないのではないか。
いろいろ難しいことがあることは想像に難くないが,「前漢・後漢」や「殷」はすぐにでも改めてほしい。 -
これも見事な工芸品である。
剥げかけた金箔で写真ではわかりにくいが,優美な鳳凰文で全体が覆われている。
時代は「王莽至東漢早期」とある。
「新」ではなく「王莽」と標記されている。「新」ではわかりにくいためであろう。 -
北魏の武士俑。
中原の文物と較べれば,北方周辺民族の無骨さが目立つ。
しかしこの無骨な武士団から後の隋・唐を打ち立てる一族が輩出されることになるのだ。 -
唐時代の文官像。
余裕と自信あふれる表情が印象的だ。 -
これは胡人,それもソグド人と思われる。
この後さまざまな博物館へ行ったが必ずと言っていいほどこの手の焼き物を見かけた。
彼らはシルクロードを伝って長安に入り,余程街にあふれていたのだろう。 -
漢代の瓦。
右のものは「長生未央」という文字が刻されている。
劉邦も住んでいた未央宮に使われていたものなのか。 -
長安の再現模型。
スクエアーな城壁から台形に突き出したところが「大明宮」である。
唐長安の都には3つの大きな宮殿があった。
あとの二つは「太極宮」(写真中央やや右より)「興慶宮」(写真左端)である。
現在は「大明宮」は国家遺址に,「興慶宮」は市民が憩う公園に,「太極宮」はおそらく鉄道施設と市街地に埋もれている。
現在の西安城は明代に築かれたもので,城内の面積にしてこの長安城の数分の一にしかすぎない。
今の城内だけでも相当広く感じるが,当時世界最大級だったこの都市の巨大さに改めて驚かされる。
これは多くの人に記憶があると思うのだが,子供の頃歴史教科書で,唐長安城に比べて日本の平城京,平安京がかなり小さなことにがっかりしたことを思い出す。 -
さて,西安博物館の位置からすれば,次は距離的に近い「大興善寺」「陝西歴史博物館」「大雁塔」を回るのが普通考えられであろうが,博物館が続くのは避けたいという気がしたのと,近くのバス停の路線図にたまたま「興慶公園」を見つけたのでそっちへ行くことにした。
私みたいな路線バス派の観光は,「バスまかせ」になりがちだ。
ところで,雨はまだ降り続いているが大した降り方でもない。
それにもかかわらず,西安の道路はあちこちで水たまりができていて靴の中は既に水が入りこんできている。
西安の街は観光で潤っているのだろう,綺麗な街並みなのだが,道路排水は非常に悪い。
これは西安に限ったことでなく,中国で何度も(雨が降ればほとんどの場合)体験していることだ。
「興慶公園」は,言うまでもなく唐の「興慶宮」があったところだ。
今では観光地としてより地元住民の憩いの場をして利用されているようだ。
ここはもともと皇族が住まいしていた場所であるが,玄宗皇帝が宮殿として整備し,ここで政務をとっていた。
今では城外に位置しているが,先ほどの唐長安城の模型のとおり,当時は城内東端にあった。
更に東城壁に沿って外界と触れずに皇帝が大明宮や芙蓉園に移動できるよう二重の城壁になっていたという。
例にもれず,私もまた「長恨歌」の愛誦者である。
高校時代にこの詩を知って,以来何回も音読している。
ピンイン付きのテキストも持っていて,ときどきは中国語でも音読している。
最後の数行に差し掛かると,涙が滲んでくることもある。
玄宗と楊貴妃の,いわゆるロマンスの舞台とされるのは,華清池をはじめとして何箇所かが知られるが,この「興慶宮」もその一つであったはずだ。
雨に加え公園内は一部ぬかるんでいるところもあり,全体をまんべんなくまわることはできなかった。
「勤政務本楼」跡。
玄宗皇帝の政務の場であり,重要な式典もここで執り行われた。 -
-
香木で作られていたといわれる「沈香亭」。
李白の詩にも,この亭が登場する。
名花傾国両相歓
長得君王帯笑看
解釈春風無限恨
沈香亭北倚闌干
(私訳)
名花(牡丹)と傾国(楊貴妃)がお互い笑交わしている
それを見て皇帝もまた笑っている。
春風には無限の「恨」があるものだが,それを吹き払うように貴妃は沈香亭の欄干に持たれている。
花の季節でもなく雨模様なのが恨めしい。 -
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