2018/09/14 - 2018/09/27
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HOUKOUさん
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興慶公園から「半披遺跡」「大雁塔」へバス・地下鉄で移動。
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公園を出て次に行く場所を地図と相談する。
この公園から北に向かえば,地下鉄1号線の「康復路」に行きあたるようで,北方向へ向かうバスで駅近くまで行き地下鉄に乗り換え「半披」へ行くことにする。
名前のとおり「半披遺跡」の地である。 -
途中,カフェテリア式の食堂で昼食。
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半披遺跡は今から約6000年前の新石器時代の住居群跡である。
夏王朝が紀元前2000年ほどだとすると,さらにそれから2000年もさかのぼる。
その時代,既にこの地では文明・文化といってもよい陶芸品などが制作されていたのだ。
夏王朝については,特に中国以外の学者から,その実在を疑問視する声もあるが,この「半披文明」から2000年もたっているのである。
高度な国家統治機構が出来上がっていても不思議はないと,何の根拠もなく思ってしまう。 -
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「指甲紋」と呼ばれる模様の陶器の一群。
解説によると,本当に人の爪でつけられたものという。
定規で引いたようにきちんと紋様が並んでいるわけではないが,それでもなるべく目が整うように爪痕が残るように,ゆっくりゆっくり丁寧に作業している様が目に浮かぶようではないか。 -
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デザイン化された魚が描かれた土器。
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こちらは,かなりミステリアスな図案。
人の腕の部分が魚になっている。
まわりを取り囲む点々はいったい何を表しているのだろう。
水しぶきであろうか。
ともかくも魚は大切な資源であり,神格化に値するものだったのであろう。 -
尖底土器は古代文明に世界幅広くみられるものである。
前から不思議に思っていたのだが,なぜこのように底が尖っていなければならないだろう。
煮炊きするとき熱効率が良い・・ということを聞いたことがあるが本当だろうか。
では何故古代文明の初期段階でこうした器が消えてしまったのか。
でこぼこだらけの住居まわりでは,かえって直立させやすかったのであろうか。 -
さて遺跡ゾーンに足を踏み入れる。
照明はかなり暗くしてあり,古代文明を偲ぶにはいい雰囲気である。
そのままでは意味不明な謎めいた穴や段差がそこら一面に広がっている。
どこにどういう構造物があったのか,なかなか想像することができない。
かろうじて甕などが置いてあるところが貯蔵庫かとわかる程度である。
しかしそれがかえって神秘性を感じる所以かもしれない。 -
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遺跡を取り囲む回廊の所々には,主に埋葬された遺骨などが展示されている。
二次葬
沖縄でも近代まで残っていた改葬の風習があったらしい。 -
合同葬
4人の女性,2人の男性の合葬が見つかっている。
異性の合葬は見つかっていないため,当時まだ現代のような夫婦関係というものはなかったとも考えられている。 -
一部崖みたいな地形も見られた。
濠の跡か。 -
この丸い形はさすがに住居の跡であろう。
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ちなみにこちらが当時の住居を再現したもの。
おそらく原始共産制に近い社会だったのだろうが,墓にも若干の身分さらしきものも見えるように「階級」というものも少しずつ発生してきたのだろう。 -
こちらは比較的近年発見されたもので,祭祀の場ではなかったとされるものである。
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半披遺跡を後にし,地下鉄1号線から2号線に乗り換え,結局「大雁塔」にやってきた。「大雁塔」自体は既に望めるものも,入場口がなかなかわからなくて苦労した。
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ここが敬慕する三蔵法師ゆかりの大雁塔である。
私は「冒険」が好きだ。
私は矮小な臆病者で,私自身が「冒険」するのを避けてきた。
しかし人一倍冒険に対するあこがれがある。
人間の生きる意味というのは「冒険」にあるのではないかとまで考えている。
「冒険」することによる,次々と現れ出でる様々な困難,そしてそれに対して自分の持つ生命力や秘められていた力の湧出に自分自身驚きながらも,またどんな無神論者でも「超自然的な力」の存在を感じざる得ない場面もさしはさみながらも,何とかそれを克服,突破するプロセス。
それが生きる意味自体と思ったりするのである。
従って私は「冒険者」というものを最大限尊敬する。
玄奘を「冒険者」という者はいないだろうし,そんな言葉は冒涜と言われると思うが,彼もまたこのプロセスの連続であった極限の旅をした者であった。
まさに小雁塔と相似形と言っていいほどそっくりなエキゾチックな姿である。
上がすぼまって行く塔の形や,各面に一個だけついている異様に小さい窓は何かそこから異国の音楽が聞こえてきそうで,非常にエキゾチックである。
唐の長安では高い建物はほとんどなく,往時はランドマーク的存在だったという。
展示室もあるが,もとより三蔵法師の時代の遺物は期待できない。 -
主な展示は,三蔵法師のまつわる物語のレリーフや絵画であった。
これは西域の旅から戻った法師を太宗(唐2代皇帝,李世民)が出迎える図であろう。
この時皇帝は「なぜ無断で国を出られたのか」と問うた。
法師「再三出国のゆるしを申し出たが許されず,法の真理を慕うあまり許可なく国を出ました。お許しください。」
太宗「師は出家の身。俗人とは別である。命をかけて法を得ようとした。何も愧ずることはない。」と慰撫し,その偉業をたたえた。
その西域で得た知識や見識を見込んで,帝は法師に還俗して政務を補佐してくれるよう願ったが断られる。
法師としては,持ち帰った仏典の翻訳を自分の使命と考えていたのだ。
そして持ち帰った梵語仏典やそれを翻訳したものを火災などから守るために建てられたのが大雁塔である。
塔の建立に当っては法師自らモッコを担いで煉瓦を運んだという。 -
三蔵法師と大雁塔。
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