2018/09/14 - 2018/09/27
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HOUKOUさん
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【9月17日(月)旅行4日目】
今日は西安の定番観光地である兵馬俑,・始皇帝陵,華清池,驪山を一日かけて回る予定だ。
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ホテルすぐ近く,アーチ型にくり抜かれた北城壁のすぐ北がバス乗り場になっている。
「遊5路」のバスは,この定番コースにピッタリの観光路線バスだ。
利用者の数もダントツなので,このバス路線専用の行列ができている。
兵馬俑坑まで7元。 -
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始皇帝像の前で。
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兵馬俑坑は1,2,3号坑及び銅車馬博物館からなっている。
フラフラと誘われるように銅車馬博物館に入る。
というのも兵馬俑よりも何よりもここに展示されている2そろいの銅車馬を見ることが長年の夢だったからだ。
暗い照明の中,その銅車馬が輝くばかりに現れた。
一目で恐ろしいまでに精巧な作りであることがわかる。
銅車馬は数千個の青銅のパーツを組み立てられたもので,金属技巧の粋を尽くして作り上げられた。
元々は木郭に収められていたものが,押しつぶさればらばらに壊れていたものを,丹念に復元したものである。 -
4頭の馬のたくましさ。
皇帝の馬には最上のものが用意されたに違いない。
馬には様々な馬具が装着されている。
轡や手綱,その他おそらくすべてが何一つ省略されることなく,忠実に1/2スケールで再現されているのである。
手綱も6本そろっている。
この4頭馬車を御するために,当時の御者は6本の手綱を操った。
右手に右側3頭,左手に左側3頭の手綱である。
真ん中2頭を「服馬」,両側の2頭を「驂馬」という。
詩経・鄭風に「大叔于田」という4頭馬車を颯爽と駆り立てる場面の歌がある。 -
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銅車馬は2台展示されていて,もう一台は「轀輬車(おんりょうしゃ)」と呼ばれる始皇帝が地方巡察で使ったと言われている皇帝専用車である。
昔から思っていたことであるが,この「轀輬車」少し小さすぎはしないか?
車高が低く,中で立ち上がることもできず随分窮屈そうな気がする。
これだけ細部のパーツまで忠実に再現しているのだから,スケールをゆがめたとはとても思えない。
当時の道路事情などによる制約もあったかもしれないが,もしかしたら変事に際しての退避スピードを重視したのかなと思う。
始皇帝に国を滅ぼされた者や,苛烈な政策に恨みを覚えるものは少なくなかった。
実際,国(韓)を滅ぼされた恨みを持った張良に30キロもの鉄槌を投げつけられ暗殺されかかっている。
ともかくも,始皇帝は巡察中にこの狭い轀輬車で息をひきとった。
宦官趙高が李斯をそそのかし,偽の勅書を書き上げたのも,それから始皇帝の死臭をごまかすため塩漬けしたのもこの轀輬車のなかのドラマだったはすだ。 -
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轀輬車の後ろ側ははじめてみるアングルだ。
ここが始皇帝の出入り口だ。 -
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館内には,そのほか数体の兵馬俑や陶俑が展示されている。
本物の兵馬俑をしかも真近で見るのはもちろん初めてのことだ。
第1印象は,そのたくましいことである。
軍人であるから,体の鍛錬は怠らなかったのであろうか,それにしても身長が高いばかりではなく,胸が厚く肩も筋骨隆々な感じがある。
こういう体格に恵まれた戦士もいたではあろうが,全部が全部このような猛者ばかりではなかったのではないか,理想化も働いたのではないかと思う。
こんな精鋭ぞろいだと,旧帝国陸軍でも負けそうな気がする。
いかにも始皇帝と秦帝国を東方の敵から守るべく精鋭を揃えたという理念で作られたのであろう。
しかしそうした願いもむなしく,わずか数十年後劉邦により咸陽は陥落することになる。
こちらは片膝立てた弓兵。 -
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こちらは御者の像である。
兵士とくらべたらなで肩で,まだ少年のおもかげがある。
若々しい息吹が発散している。 -
こちらは文官俑。
暗い照明に浮かび上がる髭を生やしたその面影には怨念じみたものを感じる。 -
こちらの女官像もそうである。
兵馬俑の堂々たる姿に比べれば,縮尺サイズでありリアリズムも希薄だ。 -
次に2号坑に入る。
公開されているのは1,2,3号坑であるが,この2号坑道は最も地味というか,発掘当時の姿をとどめているかのようだ。
おおくの陶俑が破片のままあちこちにちらばり修復されるのを待っているような状態である。
しかし回廊のところどころには,おそらくこの坑から発掘されたと思われる俑が展示されていて,いずれも見応えがある。 -
この将軍の恰幅のよさはどうだろう。
兵馬俑の兵士たちはみな筋肉質でしまった体つきをしているが,この将軍
俑だけは,でっぷりと腹が突き出している点異質である。
かと言ってデブというほどでもなく,その顔立ちや手のしぐさには品格さえ漂い,威厳を感じる。
服装やリボン状の胸飾りなどから,かなり上級の軍人だったようだ。 -
「跪射俑」
跪射俑は銅車馬館でも見かけたが,こちらの方がすばらしい。 -
そして次に2号坑に入る。
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ここは軍隊の中枢である司令部とされているところだ。
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首がない俑が多い。
そのためでもないだろうが,なんとも言えない緊張感を感じる。
空気がピンと張りつめたような緊張感だ。
村上龍の「5分後の世界」「ヒュウガウィルス」で描かれている臨戦態勢下の緊張感みたいなものが感じられる。
軍令を下す最高指揮官,それを受け取る将校,いよいよ戦端が開かれるという緊張感が,衛兵を含めこの場の全員に伝わって行く。
そうゆう迫力を感じた。 -
そしてメインである1号坑に入る。
私はどういうわけか施設の正門ではない入口から入る癖(笑)があるが,この時も坑の後ろから入るはめになり,秦の大軍団の後姿が目に飛び込んできた。
不思議な光景であった。
兵馬俑坑といえば巨大な空間をびっしり埋め尽くした陶俑の群れであるが,
この最後尾部分は左右に大きな空間が空いている。
右側は作業場になっていて,何かの工場のような雰囲気でもある。
修復のためブランコみたいなものに吊り下げられた馬俑がキッチュだ。
回廊を正面側にゆっくり歩いて行く。
当然正面側に観客はたかっており,後ろの方は人垣の切れ目がところどころにできており,比較的ゆっくり鑑賞することができる。
「5分後の世界」の冒頭部ではないが,自分が軍列に加わっている錯覚をフト覚えたりもする。
戦争は悲劇であり悲惨なものには違いないが,兵士たちに闘争本能充足や「手柄をたてる」チャンスを前にした一種の高揚感がなかったとはだれが言えようか。 -
正面は人垣でなかなか展望が利かないが,数分待てば何とか最前列に出ることができる。
それにしても建国記念日の連休前のしかも月曜日というのに,この人の多さ。
いったいピーク時には,どれほどの人垣ができるのであろうか。
兵馬俑くんたちもたじたじではないのか。
正面から見る兵馬俑は,照明が暗く少し距離もあるので臨場感に欠けるように思える。
写真で見るのとあまり変わりない光景ともいえる。 -
よく見ると,きちっとした形ある兵馬俑というのは列の途中までで,後ろの方はばらばらの破片が積み重なった状態である。
丁度その変わり目あたりに人がいて測量などを行っている。
今後の修復計画を練っているのだろう。 -
今度は逆側(南側)回廊を歩いて出口に戻る。
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さて次は始皇帝陵である。
陵まで無料バスがあるというが,乗り場は簡単に見つけることができるのか。
有料ゾーンを出ると,そこは大規模なお土産物屋飲食店街であった。
そこを抜けると正面に赤いゲートがあり,バスはそこから出ていた。
兵馬俑坑の込み具合に比べて,こちらは閑散としている。
一般的に中国人は,それを味わうには豊かな知識と想像力を要するような,「何もない場所」への興味を持つ人が少ないように思える。
中国人をひきつけるには,巨大な再現物や蝋人形が必要かもしれない。
要するに形而上的な楽しみを解する人の割合が低いように思われる。
(日本も含めどこの国でも半分以上はそんな人たちであるが) -
この始皇帝陵も単なる小山にしかすぎず,「がっかり」する人も少なくないことは想像に難くない。
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「がっかり」しないためには,始皇帝の史上稀に見る偉業と超人的な力を理解しなければならない。
本当はあらゆる史跡見学というのは,そうした予備知識が必要なのであるが,そのことさえも理解していない人があまりにも多すぎる気がする。
始皇帝の成し遂げたこと・・戦国時代の混沌としたなか6国を攻め落としついに中国を統一し,それまでの中原の王というヘゲモニーを脱し皇帝として九州(中国全土)を束ねたことは,中国の歴史上最大の事件だったかもしれない。
度量衡や文字の統一も画期的なことであった。
なぜヨーロッパが分裂国家になり,中国がまがりなりにも概ね統一を保っていられる理由は,共通の表意文字である漢字の存在が大きいという。
言語というものは,地理的遠隔により時代とともに必ず地域差が生じる。
ヨーロッパ言語のほとんどはその源流としてインド・ヨーロッパ祖語から派生したものといわれる。
表音文字であるアルファベットを使用するヨーロッパ言語は,こうして発音ばかりではなく,その変化に沿って綴りも変化していった。
そしてその結果,ヨーロッパの言語はそれぞれお互いが全くの「外国語」になってしまったのである。
中国ではどうか。
よく知られるとおり北京語,上海語,広東語では全く発音が異なり,会話での意思疎通が不可能である。
しかし漢字については始皇帝が篆書に統一した後,書体に変化はあったにしても,中国全土で共有された。
文字も含め,言語を共有しているといことは民族のアイデンティティ保持の上で極めて重要なことである。
広東省,福建省を旅したとき,そこで使われている広東語,福建語,客家語などに人々が愛着を寄せ,その言語エリアにアイデンティティを感じているのがひしひしとして伝わった。
しかしそれはサブ的なアイデンティティであり,必ずしも中華漢字圏からの離反的感情とはいえないはずである。 -
この陵墓の造営には72万人もの囚人が動員された。
墓の内部がどうなっているかは司馬遷の史記に詳しく記されている。
有名なのは水銀がたたえられた海や川であるが,実際この陵である人工の山の水銀含有濃度は高い数値であるらしい。
もし兵馬俑の発掘がなければ,すべては「白髪三千丈」的中国の駄法螺として片づけられたかもしれない。
しかし何の記録もない兵馬俑が数千体も地中から現れたのち,誰もが「何でもアリ」と思うようになったのではないか。
「人魚の油で燃え続ける灯明」などという以外は。
その水銀濃度の高い墳丘エリアは柵で入れないようになっていた。 -
陵は三重の城壁で囲まれていたというが,その内城壁跡。
陪葬墓の何か所かあったが何れも碑があるだけであった。 -
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陵園から出ると,例によってお土産物屋が両側に並んでいる。
しかしそれは洗練された商業ベースのものではなく,地元の農家が出店しているテント張りの素朴なもので趣があった。
ここで揚げパンを買って食べながら,お土産物を物色する。
一ついい色目の玉杯を見つけたので,値切り倒して10元で買った。
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