2019/11/25 - 2019/11/26
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旅人のくまさんさん
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恵那での定例懇親会の翌日にやってきた、同じ恵那市の岩村城下の紹介です。山城としても石垣が人気の岩村城ですが、今回は、城下町見学と買い物を主目的にやって来ました。買い物は、岩村醸造株式会社の『女城主』が一番の目的です。
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- JRローカル 自家用車
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案内して戴いた女性の方からは、最後のオーナーだった女性の方が、趣向を凝らした建屋であることを先に紹介して戴きました。その一部は、先に紹介しました。この上り口にも意匠が凝らされ、手造り風の手摺りも、その一部のようでした。
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何となく、素人細工風の樹の階段の手すりでしたから、。登る前に、ざっと、その様子を頭に入れました。手すりにつかまる必要がないように登るのが、一番の注意事項のように判断しました。左手にも、『二階に上がる方は注意』の表示がありましたし、階段の踏み幅が狭いのも注意事項と判断しました。
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イチオシ
ネット情報では、隠居部屋との書き込みがあった二階の部屋に到着しました。壁際の天井が低く、屋根裏のような室内光景ですが、これも数寄屋風の意匠の一つだったかもしれません。観光用に開放される前には、いかにも個性的な時間を過ごされていたような空間に思えました。
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部屋の隅に飾ってあった大きな杓文字のような木製の標識です。大きい方の白い文字は、『老松小屋』と読めましたが、その右手にあった小さな白い文字は、まったく判別が出来ませんでした。右上から伸びている陰刻の模様は葡萄の葉と蔓のようでした。
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同じく、隠居部屋とのネット情報もあった二階の部屋の光景です。こざっぱりとした部屋に、趣味で集められたらしい小物の置物が、台の上に並べられていました。確かではない情報ですが、最後の女性オーナーの方は、晩年に海外旅行を繰り返されていた趣味人でもあったようです。
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この目線の高さでは、ここからは1階に下りた後での撮影になるようです。恐る恐る上った手造り風の木の階段は、前の人との距離を十分に開けて、更に注意して下りてきた記憶があります。立派な松の庭木と、それと相対する楓らしい樹の紅葉光景です。
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同じく、1階の部屋から眺めた中庭の光景になるようです。中庭がよく見えるように大きなガラスが使われえ散るようでした。別の場所でお聞きした話では、特注のクリスタルガラスが、窓やシャンデリアにも使われていた時代があったようです。ただし、相当に高価な品だったようです。
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『老梅書院の床の間の壁』のタイトルがあった紹介パネルのズームアップ光景です。一番手間にある床の間の『床框(とこがま)』は、普段はカバーが掛かっていますが、案内員の方が、カバー外して、中を見せてくれました。また、壁は、普通は土壁ですが、藩主の急な来訪に備えて、和紙にされているようです。前日の連絡でも対応できたようです。
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先ほどパネルで紹介した『老梅書院』の名前は、煎茶道の成立に煎茶道の成立に大きな役割を果たした八橋売茶翁、6代目弥五八と交流があり、木村家を訪れたときに書院から眺めた老梅にちなんで『老梅書院』と命名されました。木村家当主は幅広い文化人との交流を持たれていたようです。
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床の間の中央上部に飾ってあるのは、藩主の乗保公から拝領した『鶉(うずら)』の置物です。松平乗保公(1748~1826年)は、丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として誕生し、養父の松平康福公の隠居により、岩村藩の家督を相続しました。後には、若年寄、奏者番、大坂城代や西丸老中を歴任した人です。享年78歳で現役のまま亡くなりました。
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イチオシ
現地ガイドさんからは、木村家末裔の女性の方が、趣味で描かれた屏風絵とお聞きした記憶があります。花鳥風月を題材にしているようです。左手や中央上部には芽を出したタケノコが描かれています。大きな屏風の奥に、小さな屏風もありました。ところで、屏風と衝立の違いは、折り畳めるかどうかです。衝立は折り畳めません。
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障子に立てかけられた右手の木札には、『勅使斎館』の文字が認められていました。推測になりますが、『勅使』は天皇の使いになりますが、この場合は、藩主の使いの意味で使われているかも知れません。藩主がやってくる前に詰めて、準備をした斎(いつき)館かも知れません。
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床の間の脇の光景だったようです。板戸に描かれた絵のようでしたが、画題などは分かりませんでした。敷居に桟が設けられているようですから、飾の衝立ではなく、開閉できる構造のようです。絵ではなく、板戸に浮き出た木目模様が見せどころなのかもしれません。
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イチオシ
『藍原舎』の扁額光景です。『らんげんしゃ』または『あいはらしゃ』と読む、木村家の茶室の名前になります。末尾に『85歳・一斎』の落款がありました。佐藤一斎が亡くなる3年ほど前の晩年の書です。
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『藍原舎』のタイトルがあった、説明プレートの光景です。木村家の敷地の裏手の地名が『相原』、または『合原』とされ、藍染工場があったようです。その『あいばら』の読みにかけて『藍原舎』と命名されたようです。木村家には、岩村城主も出入りし、当主は佐藤一斎とも入魂の中だったとされます。
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中庭だったでしょうか、屋外であったことは間違いないようです。ナマコ壁をバックに、お地蔵さんが置かれていました。右手に何かを持った、子供姿のお地蔵さんのようでした。先程の『藍原』の紹介ですが、藍染めのための染料は、世界各地で様々な材料が使われているようですが、日本ではではタデ科の植物から作られる蓼藍(タデアイ)が主流だったようです。
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格式を感じさせる、木村家住宅の1階の広間の光景です。見学のために見晴らしが利くよう、襖の中央が開け放たれていました。信頼できそうなネット情報猪よれば、 『母屋は18世紀末に建てられたものとみられ、その後書院が増築されたようです。屋根も板葺石置き屋根から桟瓦葺きに改めました』と紹介されていました。
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木村家住宅の中庭光景です。正面に見える建物は、外階段から登って見学した、木村家の隠居部屋があった建物かもしれませんが、確かではありません。ネット情報によれば、施設公開される前に各所に補修工事が施されたようでした。そのこともあって、2015年(平成27年)までは見学料は徴収されていなかったようです。有料になっても、僅かな金額でした。
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同じく、木村家住宅の中庭光景です。その中庭を取り囲むように、二階建ての建物が交差していました。すべて瓦で葺かれ、少し長めに見える軒下の壁面は、白漆喰で塗り固めてありました。外観からは、防火に最善を尽くした造りのようです。
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同じく、木村家住宅の中庭光景です。背の高い石灯篭が置かれ、その左手には飛び石が並んでいました。木村家住宅は、現在は個人所有ではなく、建物管理や観光客対応は、恵那市か、岩村町当たりの公的機関が関係する組織に委託されているようでした。個人で管理するには、負担が重過ぎるようです。
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名前:『サザンカ(山茶花、茶梅)』
分類:ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹
分布:日本をはじめ、台湾、中国、インドネシアなどに分布。
その他:サザンカは、サザンカ、カンツバキ(寒椿)とハルサザンカ群に大別されます。 -
木村家住宅の中庭で咲いていた花木の光景です。一見、花が終わって実った、赤い実のようでしたが、写真を拡大しましたら、やはり花でした。下向きに花茎が伸び、二枚の花弁が開いたような姿をしていました。葉は、まだ青々としていました。『マユミ(檀、真弓、檀弓)』かも知れません。ニシキギ科ニシキギ属の木本で、『ヤマニシキギ(山錦木)』の別名を持ちます。
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こちらも、木村家住宅の中庭で咲いていた草花の光景です。現地で名前をお聞きした記憶もありますが、残念ながら失念しました。中々エキゾチックな花でした。別の旅行先で目にした記憶も微かにありますが、その旅行先までは思い出せませんでした。細長い葉を持ち、蕾は赤色で、開いた花は薄いピンク色でした。
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格言風に記された3行の漢文です。これも佐藤一斎の箴言でした。『石重故不動、根深故不抜、人当知自重』は、『石重くして故に動かず、根深くして故に抜けず、人当(まさ)に自重を知るべし』などと読めるようです。最後の1行が要諦で、『他人からのおだてにも、そしりにも動揺しないように自重ということを知るべし』と教えています。木村家の玄関脇に置かれていました。
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木村家住宅の見学を終えて、もう暫くは時間の許す限り岩村の城下町の散策です。見飽きることのない魅力的な町並でしたが、建物を若い実業家の方達に貸し出して、街の活性化を図っているとの情報も耳にしました。地元のためにも、大いに地域外の若い人達の力も借りて貰いたいものです。
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老舗の店舗の看板の紹介です。中央辺りに『水野得歓堂』の文字がありましたので、これが屋号のようでした。『マルミ薬局』(現在の水野薬局)は、江戸時代からの薬種商で美濃・飛騨・三河まで手広く薬を卸していました。水野家には自由民権を主張した板垣退助が1882年(明治15年)、岐阜で暴漢に襲われる数日前に宿泊をしたというエピソードがあるようです。
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右手に見えるのが、先ほど紹介した古い看板、その左手が現在の看板の『水野薬局』の看板になるようです。岩村本通りは、平成15年(2003年)には、読売新聞主催の『遊歩百選』にも『城址と古い町並み』が選ばれました。
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黒い色の外装で統一された、岩村本通りの光景です。左端付近に『岩村城』と記された幟が見えました。紋所は『丸に二つ引』ですから、遠山景任氏になるようです。戦国時代、織田信長の叔母を夫人に迎え、東濃地方に重きをなしましたが、元亀3年(1572年)に病死しました。信長の五男御坊丸を養子として跡を継がせ、景任未亡人が後見したとも伝わる『女城主』の時代です。
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名前:『センリョウ(千両)』
分類:センリョウ科センリョウ属の小高木。
分布:東アジア~インドに分布。
その他:日本では、マンリョウ(万両)などとともに正月の縁起物とされます。 -
『女城主』の蔵元の建物光景です。岩村醸造株式会社は、1787年(天明7年)創業と伝えられる日本酒メーカーです。岩村城下町の商店街では『女城主』に因んで暖簾にお店の女将さんの名前が入っています。これは、店舗を借りて商売を始めた地域外の若い人達も見習っているようでした。
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