2019/11/25 - 2019/11/26
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旅人のくまさんさん
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毎年2回開催している、秋季の恵那での定例懇親会の紹介です。懇親会の翌日は、中山道と、岩村城の城下町を散策しました。静岡での懇親会での翌日の散策は諏訪原城など、このところ、お城巡りの賛同者が増えてきました。
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1泊した、『国民宿舎恵那山荘』での朝食の紹介です。昨日、JR中央線の『恵那駅』で待ち合わせ、友達の車に便乗してやってきました。静かな山の上にあるリーズナブルな公営宿舎です。昨晩は、美味しい料理とお酒を十分に楽しむことができました。
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左上に見える料理は、固形燃料で焼き上げる朴葉味噌です。車を運転しないメンバーは、ついグラス1杯のビールを幹事さんに頼んでしまいました。申し訳ないことですが、いつものことです。
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昨晩と、今朝もお世話になった、『国民宿舎恵那山荘』の食堂光景です。1階にありました。ラジューム温泉ですから、今朝もひと風呂浴びてからの食事になりました。友達と一緒の宿としては、安くて最高です。毎度のことながら、幹事さんにも感謝、感謝です。
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泊まった二階の部屋から眺めたホテルの周りの光景です。静かな晩秋の山の光景でした。ネットで確認した情報では、岐阜県の恵那市東野にある国民宿舎でした。個人では選択しにくいプランですが、グループ旅行には最適です。
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『国民宿舎恵那山荘』から友達の車に分乗してやってきた、JR恵那駅内駐車場からの眺望です。JR恵那駅は、日本百名城巡りの、岩村城の時に乗換駅として利用しました。恵那駅からは、ローカル線の明智鉄道を利用しました。
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JR恵那駅内駐車場の屋上からの光景が続きます。恵那市は、1954年(昭和29年)4月1日、恵那郡大井町、長島町、東野村、三郷村、武並村、笠置村、中野方村、飯地村の2町6村の合併により誕生しました。市の中心部は、旧恵那市の市街地の大井町と長島町とされます。
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同じく、JR恵那駅内駐車場の屋上からの光景です。残念ながら恵那山は雲に隠れたようです。現在の恵那市は、2004年(平成16年)10月25日、旧・恵那市と恵那郡南部の『恵南けいなん)』の4町1村が合併したものです。恵南の4町1村は、山岡町・明智町・岩村町・串原村・上矢作町です。恵那市は、岐阜県の東南部に位置します。
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同じく、JR恵那駅内駐車場の屋上からの光景です。恵那市域のほとんどは美濃三河高原に位置し、平均標高は約300mとされ、山がちな地勢です。恵那市の主な山は、標高700~1,000m級の笠置山、保古山、夕立山、屏風山、焼山、三森山です。恵那山は、標高2191mの恵那山は、恵那市ではなく、隣接する中津川市と長野県阿智村の境界に位置します。
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イチオシ
見頃になってた公孫樹の黄葉です。恵那駅前から眺めた光景です。薄い黄色ではなく、濃い黄色の黄葉でした。公孫樹は、気象庁の生物季節観測の一つとしても選択され、年度数位が記録されています。発芽日、黄葉日と落葉日の観測です。
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恵那駅前から眺めた恵那市の市街光景です。南側方面の光景になります。2018年(平成30年)の岩村城見学の時には、明知線の電車の時間調整のために、駅前の喫茶店に立寄ったこともあります。
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『恵那市観光案内所』の入口光景です。最近では、岩村城見学の時、資料入手のために立寄りました。恵那市の観光地として有名なのは、恵那市と中津川市を流れる木曽川中流の渓谷の『恵那峡』です。恵那峡は、自然の造形と人工物の大井ダムとの融合によって誕生した景勝地です。
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『タウンプラザ・恵那』の石標の光景です。斜めに据え置かれていました。『恵那峡』の呼び名は、当時の地理学者、『志賀重昂(しが・しげたか:1863~1927年)』が、大井ダムの湖景と一帯に見られる奇岩の調和を称え命名したものとされます。
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『中山道』の文字が記された、まだ新しい除夜灯の外観をした案内標識の光景です。『中山道(なかせんどう)』は、江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道です。『中仙道』などの表記や、『木曾街道』などの異名を持ちます。『中山道』の呼び名は、新井白石(1657~1725年)の意見を入れた江戸幕府の通達によるものです。
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『中山道の案内』のタイトルがあった説明パネルの光景です。現在地は『大井宿(おおいじゅく)』の西端付近の阿木川に架かる大井橋の袂です。江戸時代に入り、江戸幕府は、1601年(慶長6年)から7年間で他の五街道とともに中山道を整備しました。それまでの『東山道』の街道を改良したものが主体です。
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イチオシ
『東山道』の街道を主体にしましたが、『大井宿(岐阜県恵那市)~『御嶽宿(岐阜県可児郡御嵩町)』間や、『加納宿(岐阜県岐阜市)~『赤坂宿(岐阜県大垣市)』間などは、新しく作られた街道筋です。写真は、阿木川に架かる『大井橋』の袂の光景です。欄干に中山道69次の絵が展示してありました。この後、その絵の紹介を続けます。
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『木曽海道六十九次』
『六十九次・大津宿』
歌川(安藤)広重(1797~1858年)画
(注)絵には『大津・七拾』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十八次・草津追分』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『草津追分・六拾八』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十七次・守山宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『守山・六拾八』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十六次・武佐宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『武佐・六拾六』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十五次・愛知川宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『恵智川・六十六』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十四次・高宮宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『高宮・六拾五』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十三次・鳥居本宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『鳥居本』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十二次・番場宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『番場・六拾二』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十一次・醒井宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『醒井・六拾二』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『六十次・柏原宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『柏原・六拾一』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『五十九次・今須宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『今須・六拾』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『五十八次・関ヶ原宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『関ヶ原・五拾九』と記されています。 -
『木曽海道六十九次』
『五十三次・加納宿』
歌川広重(1797~1858年)画
(注)絵には『加納・五拾四』と記されています。 -
イチオシ
『木曽街道』
『鵜沼駅従・犬山城遠望』
渓斎英泉(1791~1848年)画
(注)絵には『五十三』の朱印があります。 -
『五十四次・河渡宿』
『岐岨路の駅・長良川鵜飼船』
渓斎英泉(1791~1848年)画
(注)絵には『五十五』の朱印があります。
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