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ポカポカ陽気のボスポラスクルーズを楽しんだ後はエミニョムの港に待っていたツアーバスに乗ってスルタンアフメット地区のスルタン・アフメット・ジャーミイ(ブルーモスク)とアヤ・ソフィアの見学に移りました。アラスタ・バザールから広場に入るとそこはものすごい人出だったので驚きました。日本もそうですがどこへ行っても外国人観光客の人数がすごいことになっていると思います。まぁ自分たちもその中に入っているわけですが。ブルーモスクに入って妻の驚く顔が見たかったのですが、中に入ってビックリ!なんと一番大きいドームの下には仮設の床が設けられ、狭苦しい空間しかありませんでした。事前に旅行会社からもガイドさんからも説明が無かったのでこれにはショックです。修復が終わったところはきれいになっていたし、メッカの方角の方向を表すキブラ壁やミフラーブを見ることは出来ましたが、なんとなくしっくりきません。そんなわけで見学時間も短くてあまり印象に残らない見学に終わりました。続くアヤ・ソフィアも一部ドーム天井近くまで工事の足場が組まれていましたが、こちらはあまり気にならない程度でした。見逃してはならないビザンチン時代の大聖堂だった頃のモザイクも見る事が出来ました。こちらは自由時間もあったので2階の回廊も含めて見学が出来たのが良かったです。ただ、この後にアヤ・ソフィアはモスクに変えられてしまったので、今後見学がどのようになるか不明です。地下宮殿も今回は時間の関係で見る事が出来なかったし、考古学博物館も見ていないので改めてイスタンブールには来なければならないなと感じました。この2つの見学が終わってしまうと残るスケジュールはガラタ橋でお昼を食べて、エジプシャンバザールでお買い物をするだけです。長かったトルコ周遊もエピローグを迎えました。

トラピックス「トルコ大周遊15日間」(30)修復中のブルーモスクを失意のうちに参拝し、アヤ・ソフィアのモザイクと久しぶりの再会を果たす。

18いいね!

2019/11/05 - 2019/11/05

1097位(同エリア4756件中)

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92

kojikoji

kojikojiさん

ポカポカ陽気のボスポラスクルーズを楽しんだ後はエミニョムの港に待っていたツアーバスに乗ってスルタンアフメット地区のスルタン・アフメット・ジャーミイ(ブルーモスク)とアヤ・ソフィアの見学に移りました。アラスタ・バザールから広場に入るとそこはものすごい人出だったので驚きました。日本もそうですがどこへ行っても外国人観光客の人数がすごいことになっていると思います。まぁ自分たちもその中に入っているわけですが。ブルーモスクに入って妻の驚く顔が見たかったのですが、中に入ってビックリ!なんと一番大きいドームの下には仮設の床が設けられ、狭苦しい空間しかありませんでした。事前に旅行会社からもガイドさんからも説明が無かったのでこれにはショックです。修復が終わったところはきれいになっていたし、メッカの方角の方向を表すキブラ壁やミフラーブを見ることは出来ましたが、なんとなくしっくりきません。そんなわけで見学時間も短くてあまり印象に残らない見学に終わりました。続くアヤ・ソフィアも一部ドーム天井近くまで工事の足場が組まれていましたが、こちらはあまり気にならない程度でした。見逃してはならないビザンチン時代の大聖堂だった頃のモザイクも見る事が出来ました。こちらは自由時間もあったので2階の回廊も含めて見学が出来たのが良かったです。ただ、この後にアヤ・ソフィアはモスクに変えられてしまったので、今後見学がどのようになるか不明です。地下宮殿も今回は時間の関係で見る事が出来なかったし、考古学博物館も見ていないので改めてイスタンブールには来なければならないなと感じました。この2つの見学が終わってしまうと残るスケジュールはガラタ橋でお昼を食べて、エジプシャンバザールでお買い物をするだけです。長かったトルコ周遊もエピローグを迎えました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
鉄道 観光バス タクシー 徒歩
航空会社
エミレーツ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 早朝のボスポラス海峡クルーズも終わってしまいました。どんどんと帰国する時間が近づいているのが感じられます。旅の終わりはいつも寂しい気分になります。

    早朝のボスポラス海峡クルーズも終わってしまいました。どんどんと帰国する時間が近づいているのが感じられます。旅の終わりはいつも寂しい気分になります。

  • 既に到着していたバスに乗り込んで、最後のイスタンブール市内観光に移ります。到着の翌日にトプカプ宮殿の観光を終えていたので、最終日は時間的に余裕がありました。

    既に到着していたバスに乗り込んで、最後のイスタンブール市内観光に移ります。到着の翌日にトプカプ宮殿の観光を終えていたので、最終日は時間的に余裕がありました。

  • トプカピ宮殿の下のケネディ通りを周って南側からスルタンアフメットに上がるようです。シルケジ地区からバクルキョイ地区へ抜けて、今は無きアタテュルク空港まで続く大通りはアメリカ大統領ジョンF.ケネディにちなんで命名されたそうです。アタチュルクの像が建つ場所はメガラのギリシャ人入植者が数千年前にビザンチウムの村を発見して上陸した地点だそうです。

    トプカピ宮殿の下のケネディ通りを周って南側からスルタンアフメットに上がるようです。シルケジ地区からバクルキョイ地区へ抜けて、今は無きアタテュルク空港まで続く大通りはアメリカ大統領ジョンF.ケネディにちなんで命名されたそうです。アタチュルクの像が建つ場所はメガラのギリシャ人入植者が数千年前にビザンチウムの村を発見して上陸した地点だそうです。

  • この辺りは遺跡や史跡のオンパレードなので、茶色い看板もスペースが足りなさそうです。初日と同じようにスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスクの南側のアラスタ・バザールの近くでバスを降りて歩くことになります。

    この辺りは遺跡や史跡のオンパレードなので、茶色い看板もスペースが足りなさそうです。初日と同じようにスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスクの南側のアラスタ・バザールの近くでバスを降りて歩くことになります。

  • 何度も近くを通りながら一度も通過できなかったアラスタバザールです。17年前の1か月の旅程の初日だけスルタンアフメットのお屋敷ホテルに予約を入れました。片道のホテルの送迎があったので予約したのですが、モスクワ経由で深夜に着いたアタチュルク空港に迎えに来たドライバーは日本語がペラペラでした。

    何度も近くを通りながら一度も通過できなかったアラスタバザールです。17年前の1か月の旅程の初日だけスルタンアフメットのお屋敷ホテルに予約を入れました。片道のホテルの送迎があったので予約したのですが、モスクワ経由で深夜に着いたアタチュルク空港に迎えに来たドライバーは日本語がペラペラでした。

  • ホテルと提携して日本人の観光客を斡旋してもらい、商売に結び付けているシステムがその頃から確立されていました。翌日の日中はすることも無かったので絨毯屋で時間潰したり、宝石屋さんでトルコ石を見たり…。一緒に駅に行って夜行列車の切符を買いに行けたのには助かりました。町中の切符売り場は全く英語が通じませんでしたから。

    ホテルと提携して日本人の観光客を斡旋してもらい、商売に結び付けているシステムがその頃から確立されていました。翌日の日中はすることも無かったので絨毯屋で時間潰したり、宝石屋さんでトルコ石を見たり…。一緒に駅に行って夜行列車の切符を買いに行けたのには助かりました。町中の切符売り場は全く英語が通じませんでしたから。

  • その人のお店がアラスタバザールの中にあるランプ屋さんだったのを思い出しましたが…。トルコ人と結婚した日本人の女性が高い旅行会社を紹介したり、絨毯屋で法外な値段で商売したり、そんな人にもこの辺りで出会ったものです。

    その人のお店がアラスタバザールの中にあるランプ屋さんだったのを思い出しましたが…。トルコ人と結婚した日本人の女性が高い旅行会社を紹介したり、絨毯屋で法外な値段で商売したり、そんな人にもこの辺りで出会ったものです。

  • この辺りで一番行きたかったのが変身写真のスタジオでした。カッパドキアの展望台にもあったのですが、時間が無くて諦めていました。民族衣装を着るのが好きなんでここには立ち寄りたかったです。タイのチェンマイのナイトバザールを歩いていて、オカマのお兄ちゃんに誘われてフルメイクでタイの王様とお妃の格好をしたのは楽しい思い出ですし、ベトナムのフエの王宮でも皇帝と妃の格好をして年賀状にしました。

    この辺りで一番行きたかったのが変身写真のスタジオでした。カッパドキアの展望台にもあったのですが、時間が無くて諦めていました。民族衣装を着るのが好きなんでここには立ち寄りたかったです。タイのチェンマイのナイトバザールを歩いていて、オカマのお兄ちゃんに誘われてフルメイクでタイの王様とお妃の格好をしたのは楽しい思い出ですし、ベトナムのフエの王宮でも皇帝と妃の格好をして年賀状にしました。

  • エジプトやトルコの町中で見掛ける靴磨き屋さんってかっこいいですね。旅行に革靴を履いていく機会が無いので磨いてもらったことは無いのですが。上海郊外の朱家角で妻が磨いてもらったら、表示してある金額は片方の値段だなんていわれたことがありました。

    エジプトやトルコの町中で見掛ける靴磨き屋さんってかっこいいですね。旅行に革靴を履いていく機会が無いので磨いてもらったことは無いのですが。上海郊外の朱家角で妻が磨いてもらったら、表示してある金額は片方の値段だなんていわれたことがありました。

  • これは一見普通のごみ箱にしか見えませんが、同じツアーの方が朝御飯の時に「昨日凄いもの見ちゃった。町中のごみ箱のゴミって箱の中から出すんじゃなくて、その下の巨大な箱ごとクレーンで抜き出すのよ。」と話されていたのですが、ここに来て「これよ。これ。」と教えてくれました。足元にペダルがあり、扉が開くとごみが捨てられますが、床の2メートル角の部分が深さ2~3メートルのゴミの集積箱で、これを全部引き抜いてゴミ収集するそうです。

    これは一見普通のごみ箱にしか見えませんが、同じツアーの方が朝御飯の時に「昨日凄いもの見ちゃった。町中のごみ箱のゴミって箱の中から出すんじゃなくて、その下の巨大な箱ごとクレーンで抜き出すのよ。」と話されていたのですが、ここに来て「これよ。これ。」と教えてくれました。足元にペダルがあり、扉が開くとごみが捨てられますが、床の2メートル角の部分が深さ2~3メートルのゴミの集積箱で、これを全部引き抜いてゴミ収集するそうです。

  • 最初はスルタン・アフメット・ジャーミイの見学ですが、公園の先にアヤ・ソフィアがきれいに見えました。個人的にはこちらの方が好きです。

    最初はスルタン・アフメット・ジャーミイの見学ですが、公園の先にアヤ・ソフィアがきれいに見えました。個人的にはこちらの方が好きです。

  • スルタン・アフメット・ジャーミイは過去に2回見学していますが、何度来てもすごいところだと思っていました。ところがこの後中に入ると修復工事中で、中央のドーム下は足場が組まれて見ることが出来ませんでした。これにはショック!それならば他のモスクでもいいのでは?と思ってしまいます。旅行会社の案内にも一言も触れてなかったし。

    スルタン・アフメット・ジャーミイは過去に2回見学していますが、何度来てもすごいところだと思っていました。ところがこの後中に入ると修復工事中で、中央のドーム下は足場が組まれて見ることが出来ませんでした。これにはショック!それならば他のモスクでもいいのでは?と思ってしまいます。旅行会社の案内にも一言も触れてなかったし。

  • スルタン・アフメット・ジャーミイはイスタンブールを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつです。オスマン帝国の第14代スルタンのアフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造され、設計はメフメト・アーで「世界で最も美しいモスク」と言われています。

    スルタン・アフメット・ジャーミイはイスタンブールを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつです。オスマン帝国の第14代スルタンのアフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造され、設計はメフメト・アーで「世界で最も美しいモスク」と言われています。

  • 礼拝する人はモスクの手前の右下にある場所で心身を清めることになります。これは日本の神社に参拝する際に手水舎を使うことと同じです。イスラム教で心身を清めることを「ウドゥー」といい、礼拝は「サラート」といいます。ウドゥーの作法ですが、日本の手水舎よりも細かく、また清める箇所が多くて回数もそれぞれ3回となっています。

    礼拝する人はモスクの手前の右下にある場所で心身を清めることになります。これは日本の神社に参拝する際に手水舎を使うことと同じです。イスラム教で心身を清めることを「ウドゥー」といい、礼拝は「サラート」といいます。ウドゥーの作法ですが、日本の手水舎よりも細かく、また清める箇所が多くて回数もそれぞれ3回となっています。

  • まず「手を洗う」「口に水を含みすすぐ」「鼻の穴に水をいれ洗う」「顔を洗う、」「手首からひじまで左右の順に洗う」「手をぬらし額からうしろの方向に髪をそろえ、る」「人差し指で耳の穴を洗う」「足を洗う」とされます。

    まず「手を洗う」「口に水を含みすすぐ」「鼻の穴に水をいれ洗う」「顔を洗う、」「手首からひじまで左右の順に洗う」「手をぬらし額からうしろの方向に髪をそろえ、る」「人差し指で耳の穴を洗う」「足を洗う」とされます。

  • 映画「アルマゲドン」のオープニングを思い出します。パリが壊滅するシーンは印象的ですが、イスタンブールではこのアングルで隕石が飛んできていました。

    映画「アルマゲドン」のオープニングを思い出します。パリが壊滅するシーンは印象的ですが、イスタンブールではこのアングルで隕石が飛んできていました。

  • 観光客用の入り口は別にあります。何となく見学していますが、ガイドさん的にはお祈りの時間を外して調整しているのだと思います。お祈りが始まる場合はアヤ・ソフィアを先に見学するのでしょう。

    観光客用の入り口は別にあります。何となく見学していますが、ガイドさん的にはお祈りの時間を外して調整しているのだと思います。お祈りが始まる場合はアヤ・ソフィアを先に見学するのでしょう。

  • 入口で靴を脱いで旅の最初にガイドさんからもらって、パムッカレでも使ったビニール袋に靴を入れます。女性はショールなどで髪の毛を隠さなければなりません。

    入口で靴を脱いで旅の最初にガイドさんからもらって、パムッカレでも使ったビニール袋に靴を入れます。女性はショールなどで髪の毛を隠さなければなりません。

  • 260以上もあるといわれる小窓からは柔らかな光がドーム内に差し込み、それはまるで幻想的な万華鏡を覗きこんでいるかのような気分にさせてくれます。 馬蹄形のアーチはスペインのコルドバやカイロのムハンマド・アリ・モスクやオールド・カタラクトホテルなどを思い出させてくれます。

    260以上もあるといわれる小窓からは柔らかな光がドーム内に差し込み、それはまるで幻想的な万華鏡を覗きこんでいるかのような気分にさせてくれます。 馬蹄形のアーチはスペインのコルドバやカイロのムハンマド・アリ・モスクやオールド・カタラクトホテルなどを思い出させてくれます。

  • モスクは現在修復中で、大理石の盆地の座や背もたれもきれいに磨き上げられると真っ白になっていました。そして壁面を隙間なく覆う幾何学模様のタイルとフレスコ画とステンドグラス。

    モスクは現在修復中で、大理石の盆地の座や背もたれもきれいに磨き上げられると真っ白になっていました。そして壁面を隙間なく覆う幾何学模様のタイルとフレスコ画とステンドグラス。

  • そしてなんと悲しいことでしょう。中央の巨大なドームの下には仮設の鉄骨とトラスで床が組まれ、その上では修復工事が行われているようです。本来ドームがある場所には写真が貼られていますが、巨大な空間の荘厳さは全く感じられなくなっています。

    そしてなんと悲しいことでしょう。中央の巨大なドームの下には仮設の鉄骨とトラスで床が組まれ、その上では修復工事が行われているようです。本来ドームがある場所には写真が貼られていますが、巨大な空間の荘厳さは全く感じられなくなっています。

  • 内部にはイスラーム教の教義に従い神や天使や預言者・聖者の像(偶像)は置かれることも描かれることも無く、装飾と呼ばれるものは幾何学模様や花くらいです。メッカの方角にはキブラ壁が設けられ、ミフラーブと呼ばれるムカルナス装飾の鍾乳石飾りの窪みがあります。

    内部にはイスラーム教の教義に従い神や天使や預言者・聖者の像(偶像)は置かれることも描かれることも無く、装飾と呼ばれるものは幾何学模様や花くらいです。メッカの方角にはキブラ壁が設けられ、ミフラーブと呼ばれるムカルナス装飾の鍾乳石飾りの窪みがあります。

  • これはコーランの規程に従ってメッカの方向に対して行わる礼拝の方向をモスクに集う人々に指し示すためのものです。その向かって右隣にはイマームと呼ばれる指導者が集団礼拝の際に説教を行う階段状の説教壇があります。

    これはコーランの規程に従ってメッカの方向に対して行わる礼拝の方向をモスクに集う人々に指し示すためのものです。その向かって右隣にはイマームと呼ばれる指導者が集団礼拝の際に説教を行う階段状の説教壇があります。

  • 最近はおしゃれにヒジャブを巻く方が多いですが、真知子巻きにしか見えません。昭和を背負って生きています。

    最近はおしゃれにヒジャブを巻く方が多いですが、真知子巻きにしか見えません。昭和を背負って生きています。

  • 妻に荘厳なドームを見せてあげたかったのですが、残念なことになってしまいました。カイロのムハンマド・アリ・モスクとはまた違った美しさがありますから。

    妻に荘厳なドームを見せてあげたかったのですが、残念なことになってしまいました。カイロのムハンマド・アリ・モスクとはまた違った美しさがありますから。

  • 上階から天井のドームにかけての花や幾何学模様も最高級のヘレケの絨毯の模様のように見えます。以前と変わらないようにも見えますが、修復工事が終わっているようです。

    上階から天井のドームにかけての花や幾何学模様も最高級のヘレケの絨毯の模様のように見えます。以前と変わらないようにも見えますが、修復工事が終わっているようです。

  • 信者以外中には入れませんが、1階部分は重厚な石造りのアーチが連なっています。黒光りする御影石のような円柱も美しいです。

    信者以外中には入れませんが、1階部分は重厚な石造りのアーチが連なっています。黒光りする御影石のような円柱も美しいです。

  • 中央の巨大なドーム以外は見渡せますが、これより高くて大きいドームが見ることが出来ません。

    中央の巨大なドーム以外は見渡せますが、これより高くて大きいドームが見ることが出来ません。

  • 周辺の小さなドームでもこの高さで広さを感じることが出来ます。

    周辺の小さなドームでもこの高さで広さを感じることが出来ます。

  • ということであまり見るところも無く見学はすぐに終わってしまいました。イスラムの教えの冊子が世界各国の言葉で書かれて自由に持ち帰れるのですが、日本語版がありませんでした。お祈りの仕方が書かれた英語版だけいただいてきました。

    ということであまり見るところも無く見学はすぐに終わってしまいました。イスラムの教えの冊子が世界各国の言葉で書かれて自由に持ち帰れるのですが、日本語版がありませんでした。お祈りの仕方が書かれた英語版だけいただいてきました。

  • スルタン・アフメット・ジャーミイの6本のミナレット(尖塔)にまつわる逸話があります。モスク建設の際に「アルトゥン(黄金)のミナレットを建てよ」と命じたアフメト1世の言葉を、建築家が「アルトゥ(6)」と聞き間違えたために、6本のミナレットが建ったというものです。

    スルタン・アフメット・ジャーミイの6本のミナレット(尖塔)にまつわる逸話があります。モスク建設の際に「アルトゥン(黄金)のミナレットを建てよ」と命じたアフメト1世の言葉を、建築家が「アルトゥ(6)」と聞き間違えたために、6本のミナレットが建ったというものです。

  • 当時6本のミナレットは最高位である聖地メッカのカーバ神殿にしかなかったため、新たにメッカに7本目となるミナレットを寄贈し、自らの謙虚さとイスラムへの信仰心の深さを示したと伝えられています。 6本のミナレットを持ったジャーミイはスルタン・アフメット・ジャーミイだけと言われていましたが、イスタンブールのアジア側とゲルポリの近くでも6本ミナレットを持ったジャーミイを見かけたので現在では変わっているようです。

    当時6本のミナレットは最高位である聖地メッカのカーバ神殿にしかなかったため、新たにメッカに7本目となるミナレットを寄贈し、自らの謙虚さとイスラムへの信仰心の深さを示したと伝えられています。 6本のミナレットを持ったジャーミイはスルタン・アフメット・ジャーミイだけと言われていましたが、イスタンブールのアジア側とゲルポリの近くでも6本ミナレットを持ったジャーミイを見かけたので現在では変わっているようです。

  • 大きな門を抜けてアヤ・ソフィアに向かいます。

    大きな門を抜けてアヤ・ソフィアに向かいます。

  • 広場の真ん中あたりで振り返って、スルタン・アフメット・ジャーミイにお別れを伝えます。修復が終わったころにもう一度イスタンブールに来たいと思います。

    広場の真ん中あたりで振り返って、スルタン・アフメット・ジャーミイにお別れを伝えます。修復が終わったころにもう一度イスタンブールに来たいと思います。

  • スルタン・アフメット・ジャーミイの入場は無料なのでスムーズに見学できましたが、アヤ・ソフィアは入場料が必要なのとセキュリティもしっかりしているので入場までに時間がかかりました。入口でガイドさんの説明があり、一通り終わると正面から堂内に入ります。

    スルタン・アフメット・ジャーミイの入場は無料なのでスムーズに見学できましたが、アヤ・ソフィアは入場料が必要なのとセキュリティもしっかりしているので入場までに時間がかかりました。入口でガイドさんの説明があり、一通り終わると正面から堂内に入ります。

  • 最初のナルテクスから本堂への中央入り口の上部には10世紀の頃のモザイクが残されています。「キリストと皇帝」のあるこの中央入り口は皇帝の典礼用にのみ使われるもので、かつては別のモザイク画があったそうです。

    最初のナルテクスから本堂への中央入り口の上部には10世紀の頃のモザイクが残されています。「キリストと皇帝」のあるこの中央入り口は皇帝の典礼用にのみ使われるもので、かつては別のモザイク画があったそうです。

  • 今日見ることのできるモザイクはキリストの左右に大天使と聖母マリアの2つのメダイヨンが配置され、キリストに礼拝を行う皇帝の姿が描かれてい描ます。この皇帝が誰であるのかということについては銘文がなく、テオフィロス帝であるという説やレオーン6世という諸説あるが定かではないそうです。

    今日見ることのできるモザイクはキリストの左右に大天使と聖母マリアの2つのメダイヨンが配置され、キリストに礼拝を行う皇帝の姿が描かれてい描ます。この皇帝が誰であるのかということについては銘文がなく、テオフィロス帝であるという説やレオーン6世という諸説あるが定かではないそうです。

  • ナルテクスと呼ばれるキリスト教聖堂の正面入口の前に設けられた広間も美しいモザイクで覆われています。皇帝の門の扉は常時開いたままになっていますが、伝説では聖書にも語られたノアの箱舟の木材から作られたとう言い伝えがあります。

    ナルテクスと呼ばれるキリスト教聖堂の正面入口の前に設けられた広間も美しいモザイクで覆われています。皇帝の門の扉は常時開いたままになっていますが、伝説では聖書にも語られたノアの箱舟の木材から作られたとう言い伝えがあります。

  • その当時の世界中から集められた貴重な多色大理石で壁面や柱は覆われています。床の大理石の1枚の大きさも信じられないほどです。ダイヤモンドカッターなどなかった時代にどうやって切り出したのでしょうか。

    その当時の世界中から集められた貴重な多色大理石で壁面や柱は覆われています。床の大理石の1枚の大きさも信じられないほどです。ダイヤモンドカッターなどなかった時代にどうやって切り出したのでしょうか。

  • アヤソフィア博物館の内装はほぼモスク時代のものを踏襲し、2階までの壁面は多色大理石と金地モザイクで、その上部は漆喰で飾られています。残念ながらアヤ・ソフィアも一部に建築用の足場が組まれています。

    アヤソフィア博物館の内装はほぼモスク時代のものを踏襲し、2階までの壁面は多色大理石と金地モザイクで、その上部は漆喰で飾られています。残念ながらアヤ・ソフィアも一部に建築用の足場が組まれています。

  • 中央にある大ドームは高さが56メートルで円の直径は約30メートルもあります。重量を軽くするために現在はギリシャ領のロードス島で特別に焼かせた軽い煉瓦を使っているそうです。それでも重量から歪みが生じ2メートルほどゆがんだ楕円になっています。中空に浮かぶ巨大なドームが放つ存在感と、それが1500年も前に造られたということに言葉を失くします。

    中央にある大ドームは高さが56メートルで円の直径は約30メートルもあります。重量を軽くするために現在はギリシャ領のロードス島で特別に焼かせた軽い煉瓦を使っているそうです。それでも重量から歪みが生じ2メートルほどゆがんだ楕円になっています。中空に浮かぶ巨大なドームが放つ存在感と、それが1500年も前に造られたということに言葉を失くします。

  • 大ドームの下の4方は曲線を描きながら下の垂直な壁へとつながります。そこに描かれているのは天使セラフィムです。正面の上部にある聖母子像のモザイク画はアヤソフィアでは最古の9世紀の作ですが、天使セラフィムは14世紀になって描かれています。セラフィムの翼は2枚ではなく6枚あります。聖母子像を守っているのかもしれませんが、見方によっては6枚の翼の力で巨大なドームを4隅から支えているようにも見えます。

    大ドームの下の4方は曲線を描きながら下の垂直な壁へとつながります。そこに描かれているのは天使セラフィムです。正面の上部にある聖母子像のモザイク画はアヤソフィアでは最古の9世紀の作ですが、天使セラフィムは14世紀になって描かれています。セラフィムの翼は2枚ではなく6枚あります。聖母子像を守っているのかもしれませんが、見方によっては6枚の翼の力で巨大なドームを4隅から支えているようにも見えます。

  • セラフィムは熾天使(してんし)とも呼ばれ、天使の9階級のうち最上とされています。3対6枚の翼を持ち、1対で頭を1対で体を隠し、残り1対の翼で羽ばたく姿で描かれます。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使と呼ばれる所以です。

    セラフィムは熾天使(してんし)とも呼ばれ、天使の9階級のうち最上とされています。3対6枚の翼を持ち、1対で頭を1対で体を隠し、残り1対の翼で羽ばたく姿で描かれます。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使と呼ばれる所以です。

  • 神の御前にいるとされるラファエルとウリエル、ミカエルとガブリエルの4大天使は9階級のうち下から2番目の階級の大天使とされますがイギリスの詩人ジョン・ミルトンの「失楽園」では熾天使として扱われています。 悪魔の王となったルシファーも堕天する以前は最上級の熾天使であったとされ、12の翼を有してなによりも美しく光輝いていたと言われます。

    神の御前にいるとされるラファエルとウリエル、ミカエルとガブリエルの4大天使は9階級のうち下から2番目の階級の大天使とされますがイギリスの詩人ジョン・ミルトンの「失楽園」では熾天使として扱われています。 悪魔の王となったルシファーも堕天する以前は最上級の熾天使であったとされ、12の翼を有してなによりも美しく光輝いていたと言われます。

  • ルシファーというとどうしても思い出してしまうのがミッキー・ロークの「エンゼル・ハート」という映画で、私立探偵ハリー・エンゼルが弁護士を通じて謎めいた紳士ルイ・サイファーから人探しを依頼されるストーリーです。最後に探していたのが自分だったと気づくのですが、依頼主のルイ・サイファーはルシファーだった知ったときは鳥肌が立ちました。

    ルシファーというとどうしても思い出してしまうのがミッキー・ロークの「エンゼル・ハート」という映画で、私立探偵ハリー・エンゼルが弁護士を通じて謎めいた紳士ルイ・サイファーから人探しを依頼されるストーリーです。最後に探していたのが自分だったと気づくのですが、依頼主のルイ・サイファーはルシファーだった知ったときは鳥肌が立ちました。

  • アヤソフィアの最も興味深い特徴の1つは床の大理石のオンファロスです。オンファロスはドームの下のホールの中央にあります。5.65メートル角の正方形の中にはさまざまな大きさの30個の円があります。1つの解釈として中心円が太陽であり、太陽系がその周りを周回しているということで、これは皇帝の絶対的な力を表していると考えられます。苦労して行ったギリシャのオシオス・ルーカス修道院のオンファロスのことも思い出してしまいます。

    アヤソフィアの最も興味深い特徴の1つは床の大理石のオンファロスです。オンファロスはドームの下のホールの中央にあります。5.65メートル角の正方形の中にはさまざまな大きさの30個の円があります。1つの解釈として中心円が太陽であり、太陽系がその周りを周回しているということで、これは皇帝の絶対的な力を表していると考えられます。苦労して行ったギリシャのオシオス・ルーカス修道院のオンファロスのことも思い出してしまいます。

  • 聖母子像のモザイク画がある建物の東部分はアプシスとよばれていて外に向けて半円形に突き出ています。このアプシスを囲む部分がキリスト教上の聖域として宗教上最も重要だった場所です。大天使ミカエルとガブリエルの姿もわずかですが残されています。

    聖母子像のモザイク画がある建物の東部分はアプシスとよばれていて外に向けて半円形に突き出ています。このアプシスを囲む部分がキリスト教上の聖域として宗教上最も重要だった場所です。大天使ミカエルとガブリエルの姿もわずかですが残されています。

  • 1階には大理石の柱に小さな穴が空いており、そこに親指を入れ360度回すことができたら願いが叶うらしいのですがすごい列だったので諦めました。1階の見学までは全員で説明を聞きましたが、自由時間が30分ほどあったので2階に上がってみます。

    1階には大理石の柱に小さな穴が空いており、そこに親指を入れ360度回すことができたら願いが叶うらしいのですがすごい列だったので諦めました。1階の見学までは全員で説明を聞きましたが、自由時間が30分ほどあったので2階に上がってみます。

  • 回廊を登りきると開けた空間に出ることができます。2階から眺めるアヤソフィアもなかなかの迫力です。大きな黒い円盤や天井の模様や壁面の細部までより間近かに見ることができます。

    回廊を登りきると開けた空間に出ることができます。2階から眺めるアヤソフィアもなかなかの迫力です。大きな黒い円盤や天井の模様や壁面の細部までより間近かに見ることができます。

  • アプシスの聖母子像の右側の円盤がアッラーの紋章で、左には預言者ムハンマドの紋章がありますが工事の囲いで見えません。

    アプシスの聖母子像の右側の円盤がアッラーの紋章で、左には預言者ムハンマドの紋章がありますが工事の囲いで見えません。

  • 2階のテラスからは巨大な木製の円盤の裏側まで見ることができます。

    2階のテラスからは巨大な木製の円盤の裏側まで見ることができます。

  • パネルには「アッラー(神)」、「預言者ムハンマド(彼に平安あれ)」と4人のカリフであるアブ・バクルとオスマン・アリと預言者ムハンマド・ハッサンとフセインを書家ムスタファ・イゼット・エフェンディの子孫がスルタン・アブドゥルメシドの治世の1847年から1849年に書いたものです。<br />

    パネルには「アッラー(神)」、「預言者ムハンマド(彼に平安あれ)」と4人のカリフであるアブ・バクルとオスマン・アリと預言者ムハンマド・ハッサンとフセインを書家ムスタファ・イゼット・エフェンディの子孫がスルタン・アブドゥルメシドの治世の1847年から1849年に書いたものです。

  • 天井から吊られたシャンデリアも美しいです。先ほど見て来た床の円形の大理石も良く見えます。

    天井から吊られたシャンデリアも美しいです。先ほど見て来た床の円形の大理石も良く見えます。

  • 2階の大理石の扉は南のギャラリーにあります。これは会議室の入り口となり参加者はこのドアから出入りしました。それぞれの側の一方は天国を表し、もう一方は地獄を表すと言われています。

    2階の大理石の扉は南のギャラリーにあります。これは会議室の入り口となり参加者はこのドアから出入りしました。それぞれの側の一方は天国を表し、もう一方は地獄を表すと言われています。

  • 元々は2階の柱廊の壁面いっぱいに画かれたものですが、下部はほとんど失われています。それまでに造られたモザイク画に比べてキリストの顔が立体的に描かれているのが特徴です。また南窓から差し込む光を効果的に利用するような工夫がなされているためにビザンチン美術の最高傑作とされます。ミカエル8世パレオロゴスがラテン帝国に奪われていたコンスタンティノープルを奪回したことを記念して造られたとする説が有力ですが文献がないため詳細は不明だそうです。

    元々は2階の柱廊の壁面いっぱいに画かれたものですが、下部はほとんど失われています。それまでに造られたモザイク画に比べてキリストの顔が立体的に描かれているのが特徴です。また南窓から差し込む光を効果的に利用するような工夫がなされているためにビザンチン美術の最高傑作とされます。ミカエル8世パレオロゴスがラテン帝国に奪われていたコンスタンティノープルを奪回したことを記念して造られたとする説が有力ですが文献がないため詳細は不明だそうです。

  • 古代より親しまれていたモザイクの技法はビザンチン時代に最盛期を迎え、この時代に作成された華やかな色ガラスや金をふんだんに使ったモザイク画は最高峰に位置付けられています。 <br />

    古代より親しまれていたモザイクの技法はビザンチン時代に最盛期を迎え、この時代に作成された華やかな色ガラスや金をふんだんに使ったモザイク画は最高峰に位置付けられています。

  • アヤソフィアの中でも2階の柱廊ギャラリーの壁に掛けられたディーシス(とりなし)は聖母マリアとともに描かれる古いモチーフで、キリストの両側に配されることが多い。東西教会の両方にみられるが特に東方教会のイコノスタシスにしばしば配置されます。

    アヤソフィアの中でも2階の柱廊ギャラリーの壁に掛けられたディーシス(とりなし)は聖母マリアとともに描かれる古いモチーフで、キリストの両側に配されることが多い。東西教会の両方にみられるが特に東方教会のイコノスタシスにしばしば配置されます。

  • 悲しげでありながら感情を感じさせない聖母マリアの表情が何とも言えません。立体的に表現されたイエスに比べると右側の洗礼者ヨハネと共に平面的に描かれています。

    悲しげでありながら感情を感じさせない聖母マリアの表情が何とも言えません。立体的に表現されたイエスに比べると右側の洗礼者ヨハネと共に平面的に描かれています。

  • 皇后のロッジの柱は緑のテッサリア石で支えられています。元々はどこか別の場所にあったものを持ってきたのかもしれません。上部のアナグラムはイタリアのブランドのバックの模様にも見えます。

    皇后のロッジの柱は緑のテッサリア石で支えられています。元々はどこか別の場所にあったものを持ってきたのかもしれません。上部のアナグラムはイタリアのブランドのバックの模様にも見えます。

  • 「聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノスと皇后エイレーネー(イリニ)」12世紀(1122年から1134年頃)に製作されたコンスタンティノープルに残る唯一のモザイク画として知られます。12世紀に東ローマ帝国領内で作成されたモザイクは今日ほとんど残っていないため貴重とされます。

    「聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノスと皇后エイレーネー(イリニ)」12世紀(1122年から1134年頃)に製作されたコンスタンティノープルに残る唯一のモザイク画として知られます。12世紀に東ローマ帝国領内で作成されたモザイクは今日ほとんど残っていないため貴重とされます。

  • 図像の配置や銘文は側にある「キリストと皇帝コンスタンティノス9世と皇后ゾエ」の影響を受けていることがわかります。すぐ横の柱側面には彼の長男アレクシオスの図像もあります。

    図像の配置や銘文は側にある「キリストと皇帝コンスタンティノス9世と皇后ゾエ」の影響を受けていることがわかります。すぐ横の柱側面には彼の長男アレクシオスの図像もあります。

  • 幼子イエスは右手の人指し指と中指を伸ばしていますが、これは人指し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマΣ)、親指と薬指とで Χ(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。

    幼子イエスは右手の人指し指と中指を伸ばしていますが、これは人指し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマΣ)、親指と薬指とで Χ(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。

  • 1118年に既に共同皇帝となっていたヨハネスは、父の死により皇帝ヨハネス2世コムネノスとして即位します。しかし即位後に姉のアンナ・コムネナが夫を帝位につけようとする簒奪未遂事件が起こります。これに対しヨハネスは、姉を殺さないという寛大な処置を取った事と、税金を安くしたことから民衆から尊敬され、「カロヨハネス」(心美しきヨハネス)と呼ばれます。姉のアンナは修道院入りして父アレクシオス1世の伝記を執筆し、世界史上でも稀な女性歴史家として名を残します。

    1118年に既に共同皇帝となっていたヨハネスは、父の死により皇帝ヨハネス2世コムネノスとして即位します。しかし即位後に姉のアンナ・コムネナが夫を帝位につけようとする簒奪未遂事件が起こります。これに対しヨハネスは、姉を殺さないという寛大な処置を取った事と、税金を安くしたことから民衆から尊敬され、「カロヨハネス」(心美しきヨハネス)と呼ばれます。姉のアンナは修道院入りして父アレクシオス1世の伝記を執筆し、世界史上でも稀な女性歴史家として名を残します。

  • 30年近く前にイタリアを縦断する旅の中でラヴェンナに2日ほど滞在したことがありました。その時に見たビザンチンのモザイクは衝撃的な印象を残し、それ以来古代ローマのモザイクも含め西はイベリア半島のポルトガルからトルコ東部のアンタクヤ(ハタイ)まで旅しています。まだまだ行けていないところは多く、チュニスのバルドー美術館も行きたいところの1つです。

    30年近く前にイタリアを縦断する旅の中でラヴェンナに2日ほど滞在したことがありました。その時に見たビザンチンのモザイクは衝撃的な印象を残し、それ以来古代ローマのモザイクも含め西はイベリア半島のポルトガルからトルコ東部のアンタクヤ(ハタイ)まで旅しています。まだまだ行けていないところは多く、チュニスのバルドー美術館も行きたいところの1つです。

  • 「キリストと皇帝コンスタンティノス9世と皇后ゾエ」(1042年から1055年頃)<br />南側2階廊に残るモザイクで、下部は失われていますが上に書かれた銘文から人物が特定できます。この図像はもともとゾエが最初に結婚したロマノス3世によって寄進されたものだと考えられますが、ゾエが後にミカエル4世とコンスタンティノス9世と2度再婚しているため、夫である皇帝の顔や銘文はその都度造り直されたようです。

    「キリストと皇帝コンスタンティノス9世と皇后ゾエ」(1042年から1055年頃)
    南側2階廊に残るモザイクで、下部は失われていますが上に書かれた銘文から人物が特定できます。この図像はもともとゾエが最初に結婚したロマノス3世によって寄進されたものだと考えられますが、ゾエが後にミカエル4世とコンスタンティノス9世と2度再婚しているため、夫である皇帝の顔や銘文はその都度造り直されたようです。

  • 顔の修復された部分は今日でもその跡がはっきりとわかります。ゾエの顔とキリストの顔にも修正された跡がありますが、なぜこの部分にまで修正を施さねばならなかったのかについては諸説あるそうです。

    顔の修復された部分は今日でもその跡がはっきりとわかります。ゾエの顔とキリストの顔にも修正された跡がありますが、なぜこの部分にまで修正を施さねばならなかったのかについては諸説あるそうです。

  • 先帝ミカエル5世は自身が親政を行なうために邪魔な存在であった皇太后ゾエを追放しようと図りますが、逆に捕らえられて盲目にされたうえで追放されます。その後ゾエが妹のテオドラとともに女帝として即位しましたが2人は仲が悪く、うまく統治できなかったためにわずか2ヵ月後で退位します。ゾエが元老院議員であったコンスタンティノス・モノマコスと結婚して彼を皇帝として即位させ、これがコンスタンティノス9世モノマコスとなります。

    先帝ミカエル5世は自身が親政を行なうために邪魔な存在であった皇太后ゾエを追放しようと図りますが、逆に捕らえられて盲目にされたうえで追放されます。その後ゾエが妹のテオドラとともに女帝として即位しましたが2人は仲が悪く、うまく統治できなかったためにわずか2ヵ月後で退位します。ゾエが元老院議員であったコンスタンティノス・モノマコスと結婚して彼を皇帝として即位させ、これがコンスタンティノス9世モノマコスとなります。

  • 父帝によりロマノス3世アルギュロスと結婚しロマノス3世が帝位についたが、子がないままロマノス3世は崩御します。その後ゾエはミカエル4世と結婚し夫を帝位につけましたがミカエル4世も修道院に引退して亡くなります。ミカエル4世の親族にあたるミカエル5世がミカエル4世とゾエの養子として迎えられて帝位を継承しました。しかしミカエル5世はゾエをペトリオン女子修道院に追放して権力を握ろうとしたため廃位させられます。コンスタンティノス9世モノマコスと結婚して夫を帝位につけますが、ゾエは3度の結婚でも継承者をもうけることができないまま亡くなります。

    父帝によりロマノス3世アルギュロスと結婚しロマノス3世が帝位についたが、子がないままロマノス3世は崩御します。その後ゾエはミカエル4世と結婚し夫を帝位につけましたがミカエル4世も修道院に引退して亡くなります。ミカエル4世の親族にあたるミカエル5世がミカエル4世とゾエの養子として迎えられて帝位を継承しました。しかしミカエル5世はゾエをペトリオン女子修道院に追放して権力を握ろうとしたため廃位させられます。コンスタンティノス9世モノマコスと結婚して夫を帝位につけますが、ゾエは3度の結婚でも継承者をもうけることができないまま亡くなります。

  • 可愛らしい顔で描かれていますが、ラヴェンナの妹のテオドラの顔はきつそうなので、似たような性格だったのだろうかと想像してしまいます。ゾエは70歳を過ぎても顔にしわが無かったという記述が残っているそうです。

    可愛らしい顔で描かれていますが、ラヴェンナの妹のテオドラの顔はきつそうなので、似たような性格だったのだろうかと想像してしまいます。ゾエは70歳を過ぎても顔にしわが無かったという記述が残っているそうです。

  • あまりに見事な大理石の1枚板の扉でした。実際は開け閉めは出来ませんが、引手や鍵まで施された技術の高さを感じます。

    あまりに見事な大理石の1枚板の扉でした。実際は開け閉めは出来ませんが、引手や鍵まで施された技術の高さを感じます。

  • 「聖母子と大天使」はアプスに残るモザイク画で5 メートル近い聖母子の座像の両脇に大天使ミハエルとガブリエルを配しますが、天使像はほとんど失われています。記録に残る銘文と876年に総主教フォティオスが行った説教から、聖像破壊運動が収束した後に描かれたと考えられます。

    「聖母子と大天使」はアプスに残るモザイク画で5 メートル近い聖母子の座像の両脇に大天使ミハエルとガブリエルを配しますが、天使像はほとんど失われています。記録に残る銘文と876年に総主教フォティオスが行った説教から、聖像破壊運動が収束した後に描かれたと考えられます。

  • フォティオスの説教がこの図像を指すものであれば新たに画かれたことを述べていると考えられますが、中期ビザンチンの「新しい(Nea)」という概念は、聖像破壊運動以前の伝統への回帰の意味が強く、聖母子と大天使の図像は元の装飾を忠実に再現したものか、漆喰に塗り込められていたものを再びクリーニングしたのかは不明です。

    フォティオスの説教がこの図像を指すものであれば新たに画かれたことを述べていると考えられますが、中期ビザンチンの「新しい(Nea)」という概念は、聖像破壊運動以前の伝統への回帰の意味が強く、聖母子と大天使の図像は元の装飾を忠実に再現したものか、漆喰に塗り込められていたものを再びクリーニングしたのかは不明です。

  • アプシスの聖母子像の下にはイスラム教最大の聖地メッカの方向を指し示す壁の窪み状の設備ミフラーブやミンバル(説教壇)が取り付けられます。宗教的には考えられない状態ですが、現在はこの建物は博物館として残されています。ところがこの旅行の後にモスクに変えられてしまいました。

    アプシスの聖母子像の下にはイスラム教最大の聖地メッカの方向を指し示す壁の窪み状の設備ミフラーブやミンバル(説教壇)が取り付けられます。宗教的には考えられない状態ですが、現在はこの建物は博物館として残されています。ところがこの旅行の後にモスクに変えられてしまいました。

  • 元々はキリスト教の聖堂だったものをモスクへと変更したため、メッカの方向を示すミフラーブは正面から少しずれているそうです。<br />

    元々はキリスト教の聖堂だったものをモスクへと変更したため、メッカの方向を示すミフラーブは正面から少しずれているそうです。

  • 帯状のカリグラフィーは17世紀のもので、扁額の文字は18世紀の書家の作品です。

    帯状のカリグラフィーは17世紀のもので、扁額の文字は18世紀の書家の作品です。

  • 金曜日の礼拝の時に使われたムラド3世の治世に造られたミンバルも役目を終えています。

    金曜日の礼拝の時に使われたムラド3世の治世に造られたミンバルも役目を終えています。

  • 見落とさないように注意してきたつもりですが、帰国してから振り返るといろいろなものが抜け落ちていました。

    見落とさないように注意してきたつもりですが、帰国してから振り返るといろいろなものが抜け落ちていました。

  • このアカンサスの葉の柱頭が乗った柱もトルコ領内のエフェソスだったかから持ってこられたと聞いたのですが詳しいことは失念しました。

    このアカンサスの葉の柱頭が乗った柱もトルコ領内のエフェソスだったかから持ってこられたと聞いたのですが詳しいことは失念しました。

  • 妻もその話を聞いてご利益にあやかろうとしていたはずです。

    妻もその話を聞いてご利益にあやかろうとしていたはずです。

  • ダン・ブラウンの「インフェルノ」ではアヤ・ソフィアの下から水の音が聞こえてきたという件(くだり)がありましたが、実際にアヤソフィアの地下は地下道で結ばれた数々の地下室があり、水が溜まっているそうです。

    ダン・ブラウンの「インフェルノ」ではアヤ・ソフィアの下から水の音が聞こえてきたという件(くだり)がありましたが、実際にアヤソフィアの地下は地下道で結ばれた数々の地下室があり、水が溜まっているそうです。

  • 映画では十字軍に帯同してコンスタンチノープルへ訪れたヴェニス総督エンリコ・ダンドーロのアヤソフィアにある墓を求めてくる場面がありました。撮影は1階ギャラリーのこの辺りに撮影用の仮に墓を造ったようですが、実際は2階のギャラリーにありました。

    映画では十字軍に帯同してコンスタンチノープルへ訪れたヴェニス総督エンリコ・ダンドーロのアヤソフィアにある墓を求めてくる場面がありました。撮影は1階ギャラリーのこの辺りに撮影用の仮に墓を造ったようですが、実際は2階のギャラリーにありました。

  • 皇后の石棺がナルテクスの脇に置かれてありました。キャプションによると出所 ゼイレク・モスク(キリストパントクラトール教会)に納められていた皇帝ヨハネス2世コムネノスの皇后エイレーネーの棺だということです。先ほど2階で見て来たモザイクの皇后です。

    皇后の石棺がナルテクスの脇に置かれてありました。キャプションによると出所 ゼイレク・モスク(キリストパントクラトール教会)に納められていた皇帝ヨハネス2世コムネノスの皇后エイレーネーの棺だということです。先ほど2階で見て来たモザイクの皇后です。

  • 集合時間前に表に出ると破壊された建築のパーツが置かれてありました。案内板には「テシオドスド聖堂の西のファサード」とありました。

    集合時間前に表に出ると破壊された建築のパーツが置かれてありました。案内板には「テシオドスド聖堂の西のファサード」とありました。

  • 404年にコンスタンティノープル大主教ヨアンネス・クリュソストモス追放に伴う争乱で最初の聖堂が焼失すると、テオドシウス2世によってすぐに再建が行われ415年に献堂されます。

    404年にコンスタンティノープル大主教ヨアンネス・クリュソストモス追放に伴う争乱で最初の聖堂が焼失すると、テオドシウス2世によってすぐに再建が行われ415年に献堂されます。

  • しかしこの聖堂も532年1月の首都市民の反乱(ニカの乱)における放火で皇帝宮殿の一部やアギア・イリニ聖堂と共に再び焼失してしまいます。

    しかしこの聖堂も532年1月の首都市民の反乱(ニカの乱)における放火で皇帝宮殿の一部やアギア・イリニ聖堂と共に再び焼失してしまいます。

  • この聖堂も現在のものとは全く違うバシリカだったそうで、その円柱と柱基や装飾された梁が転がってました。

    この聖堂も現在のものとは全く違うバシリカだったそうで、その円柱と柱基や装飾された梁が転がってました。

  • こういったものは中々間近かに近寄れる事は無いので興味深く見る事が出来ました。

    こういったものは中々間近かに近寄れる事は無いので興味深く見る事が出来ました。

  • 時代は違いますが北京の円明園にあるアロー戦争で破壊された海晏堂のようにも見えました。

    時代は違いますが北京の円明園にあるアロー戦争で破壊された海晏堂のようにも見えました。

  • アヤ・ソフィアの中には黒猫が住み着いていると言われますが、その猫には会えませんでしたが草叢にはこんな猫がいました。

    アヤ・ソフィアの中には黒猫が住み着いていると言われますが、その猫には会えませんでしたが草叢にはこんな猫がいました。

  • 美しい泉亭がモスクだった時代の名残を感じさせます。これでスルタンアフメット地区の見学は終わりました。本当は他にも見どころは多いのですが…。

    美しい泉亭がモスクだった時代の名残を感じさせます。これでスルタンアフメット地区の見学は終わりました。本当は他にも見どころは多いのですが…。

  • やっぱりイスタンブールはもう一度来なければならないなと感じました。それは妻も一緒で「イスタンブールだけもう一度来たい。」と呟いていました。

    やっぱりイスタンブールはもう一度来なければならないなと感じました。それは妻も一緒で「イスタンブールだけもう一度来たい。」と呟いていました。

  • この後はガラタ橋のレストランでお昼を食べてエジプシャン・バザールでわずかな自由時間の後は空港へ向かうだけです。

    この後はガラタ橋のレストランでお昼を食べてエジプシャン・バザールでわずかな自由時間の後は空港へ向かうだけです。

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