2019/10/23 - 2019/10/23
438位(同エリア2860件中)
まりも母さん
軽井沢町の旧三笠ホテル
明治38年(1905)に建てられた 歴史的建造物で、国指定重要文化財となっています。
今までも 何度も補修工事が行われて来ましたが、築110年を越え、傷みはかなり進んでしまいました。
2020年より大規模保存補修工事の為、12月末から4~5年は閉館となります。
それを知って、これは即行かなくては!!と。
大規模な補修工事の前に 痛んでいる所も含め、現在の様子をじっくり見て来ました。
修復工事前最後、と 言う事で、見られる全室の画像掲載の為、100枚越えちゃいました~。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
旧三笠ホテルは、20年以上前に一度見学しています。
その頃から「洋館好き」でありましたが、今ほど、しっかり見る目も無く
もう一度見に行こう、と思っていました。
軽井沢にはここ数年中 何度も来ているのに、「いつもある重要文化財」だから
ま、次でいいか・・・と思っていたら 12月末での閉館と聞き、慌ててやって来たと言う訳です。
10月下旬 通常なら軽井沢は紅葉シーズン。
早めの出発で、混雑する時間の前に・・・と 紅葉名所の「雲場池」に寄ってみました。
ちょっと離れた(徒歩5分ほど)の無料駐車場に停めて行ってみると・・・
すでに沢山の観光客が。 -
しかし・・・あんまり紅葉進んでないね・・・。
今年はいつまでも暖かいと言うか~暑い位で、朝晩の冷え込みも少なく、紅葉は遅いとも言われています。
やっとここ数日、朝は冷えてきたかな?って位で、これじゃ~「紅葉狩り」の景色とは言えませんね。
まぁ、目的はここじゃないからいいや。ってなもんです。
中国人のカップルが何組もウエディング撮影してました。
この程度なら中国の方がきれいな景色ありそうだけど・・・。 -
と、いう事で、次は目的地の「旧三笠ホテル」へ。
三笠通りを旧三笠ホテルの先、白糸の滝方面に少し進んだ左側に見学者用の無料駐車場があります。
そこに車を停めて、歩き戻る事5分位。
(自転車の場合は、門の右側に駐輪スペースがあります)
見学は大人400円 9時~17時 年末年始休館(なので、2019年12月27日で一旦閉館) -
グッドタイミングに建物前の紅葉はきれいに色づいていました。
天気も良く 美しい外観が見られてよかった。
旧三笠ホテル 明治38年(1905)岡田時太郎設計 国指定重要文化財
木造 スレート葺
山本直良(日本郵船・明治製菓重役)直営のホテル -
建物正面から見た左側。
チョコレート色の下見板張りに白い窓枠や腕木 飾り柱の白が引き立ち 美しい外観です。
この画像では映っていませんが、左奥には多角形の張り出しと塔屋があります。
外観は完璧な洋式ホテルです。
ここより ほんの少し前に造られた宮ノ下富士屋ホテル(明治24年)や日光金谷ホテル(明治26年)が外国人客を見込んで建てられたホテルで、どちらも日本的な意匠が取り入れられていた事を考えると、
三笠ホテルの外観にはそういった外国人受けを狙った意匠はありませんね。 -
屋根は良く見えないけど、スレート葺き
避雷針なのかな?赤いかわいい金属のくるくるが見えます。 -
ここから見える建物は総二階で手前に向いて開いたコの字型をしています。
奥まった中心の所に玄関があります。 -
建物右側
正面から見ると 今の姿は左右対称に見えます。
後で知りますが、1階に3つ並んだ窓。
以前はこの真ん中の窓部分にポーチがあり、ドアのある入り口だったそうです。 -
早速玄関から入って中を見る事にします。
赤い庇の下
開かれた入口で、靴を脱ぎ、スリッパに履き替えます。 -
入口からすぐに段がありました。
そのすぐ前には階段。 -
中に入って、天井を見ると、3灯のシンプルなシャンデリア。
そして、目に入るのは天井板を区切る 竿縁と言っていいのか?縦横に張られた木が皮付きの素朴な材ではありませんか!
これはなぁ~?まりも母的には 初めて見たし、結構違和感が・・・。 -
左右に続く廊下を見ると やはり、天井には皮付きの材が張られていました。
その下に赤っぽいガラスシェードのペンダントランプ。 -
筒状のガラスシェードをアイアンのフレームで押さえた なかなかかわいいランプ。
後で、資料室で見ますが、「パイプペンダント」と呼ばれるものだそう。 -
これからホテル内をじっくり見ます。まず、館内図を先に掲載します。
一応見学順路はありましたが、旅行記を掲載するのに
入口~1階ロビー。階段で2階へ その後は2階の1号室から順番に掲載する事にします。
この案内図 赤い部分は既に失われて現存しない部分になります。 -
建物は一部 非公開のお部屋もありました。
1階奥の「居間」となっているお部屋は扉が閉まっていました。
客室より少し広いお部屋のようですが、「居間」ってなんでしょうね?
サーモンピンクのこの扉は、ロビーの扉と同じデザインでした。 -
ロビーは広い空間でした。
高い天井は玄関や廊下のような皮付きの材で飾ったものではなく、厚みのある格子が組まれた
豪華な天井でした。
柱頭飾りのある立派な柱も見えます。
そして、大きな窓から光が入りとても明るいのでした。 -
床は板張りで、暖炉前には綾に組まれた部分が見えました。
廊下も、ロビーの床も 今はリノリウム材が張られて、見学者はそこを歩くようになっています。
見学者が歩いて、元々のフローリングの床材を痛めない為に、後から貼ったリノリウムかな?と思ったのですが、
この床を見ると、境目には縁材まであって「おや?」と思いましたね。
帰宅後調べてみると、リノリウム材と言う物は案外古く1860年にイギリスで発明され
日本では東洋リノリユームが創業したのが大正8年(1919)
輸入品を使ったとしたら、この床が元々のものである可能性も。 -
窓は枠が特徴的です。
外から見たとき、この白い枠のデザインが印象的でした。
大きな窓は上がアーチ型になって、洋風なイメージに仕上がっています。
しかし、窓自体は引き戸なのですね。 -
小さな窓もデザインは同様です。
上部にはアーチ型があり幅の違いはあっても、全く違和感のないデザイン感。
ですが、細い窓の方は西洋式の上げ下げ窓でした。 -
そして、小さい方の窓の上にはカーテンボックス。
りっぱな彫刻があります。
彫刻は、三つの笠とMとHをデザインした ホテルのマークのあるオリジナル。
マークのまわりには鶴と松も飾られています。
この三笠ホテルのマークは、山本直良の義弟 有島生馬という画家がデザインしたもの。 -
窓の下にはカウチが置かれていました。
元々の品を修理復元したものだと書かれています。
>上流階級の婦人に好まれた ともあります。
カウチ、と言うのはソファーではなく、本来寝椅子の事ですから、
避暑地の リゾートホテルでは リラックスするにはうってつけのアイテムだったのでしょうね。 -
家具も色々置かれています。
全てが元々ホテル時代に使われていたものでは無いようで、
後から置かれたものもあるようです。
同じものが館内のあちこちにあったりもするので、元々どこに使われていたものなのかもはっきりしません。
が、どれも、結構古そうな造りや 彫り物があったりして、見るのも楽しいです。
(笹の葉の彫り物のあるテーブルのセット) -
カウンターの後ろにはキーボックス。
部屋の番号がついています。西洋式に部屋番号13号室がありません。
4号室や9号室はあります。
ひとつづつのボックスには 松の形に透かしも。 -
カウンターの前にはソファーセットが置かれています。
こちらも元々の品を修理・復元したと書かれていました。
肘掛、背もたれの詰め物には馬の毛が入っているそうです。 -
ソファーの下には段通が敷かれています。
こちらは複製で、図柄と色はオリジナルを基に 京都西陣で複製したそう。
来年以降の保存・修復では、昔の写真などからこのように復元されるものもある事でしょうね。 -
ロビーはカウンターの左右に観音開きのドアがあります。
現在残る館内で一番広いお部屋です。
ここは、元々食堂だったお部屋なのです。
詳しい経緯は不明らしいのですが、
この建物のおかしな点、いくつかもあわせて考えると、この建物はそもそも、
「ホテルとして」設計されたものではないのかもしれない、と言う事です。
と、言うのは、玄関を入った所に 広い空間もロビーも無く、いきなり2階への階段があるのです。
普通、ホテルであれば、入口すぐにロビーやフロントが必要なはずで、
それが無い為、食堂だった場所にロビーが置かれ
ロビーへアクセスする為に 3枚並んだ大窓の真ん中の1枚が
ホテル営業時はドアであり、その前にポーチも作られていたそうです。
(平面図では失われたポーチの記載があります)
施主の山本氏が 個人的に 外国人も沢山招く事ができる 大別荘を造るつもりだったのでしょうかね?
三笠ホテル開業にあたり 監督として関わったのは すでに開業していた万平ホテルの佐藤 万平でした。佐藤氏に勧められて、「ホテルにしちゃえ~」となったとか・・・。 -
天井から下がるシャンデリア。
こちらは、創業当時からの貴重なもの と言う事です。
何度か修理も行われたようですが、すっかり痛んでしまっていますね・・・。
今は、熱の出ないLED電球があるけど、昔の白熱球は、熱でシェードを痛めたでしょう。
右のひとつは、きっと焼けて、壊れちゃったのでしょうね・・・。
細かいアイアンワークの素敵なシャンデリア。
きっと美しく、修復されるでしょう。 -
大きなシャンデリアの他に、同じデザインの 3灯のものもいくつか。
これらのシャンデリア、創業当時はまだ電気が来ていなかったので、ガス灯でした。
大正3年(1914)まではガス灯だったそうです。
と、いう事は 最初はこの茶色のシェードではなくて、ガラスのホヤが被せてあったのだろうなぁ。 -
このロビーには2箇所にマントルピース。
軽井沢の冬は寒いので、暖炉は必須ですね。
客室にも暖炉は沢山あります。
それらも含め、基本的なデザインはほぼ同じです。
木製の彫刻のあるマントルピースに煉瓦の暖炉部分。
直接薪を置くのではなく、鉄のバスケットに入れるようになっていました。 -
暖炉の脇には古いアップライトのピアノも。
-
マントルピースの上に飾られた絵
猟の獲物を描いたもの。
解説によると ホテルが営業を終えるまで飾られていたもので、
一旦廃業時に支配人と親しかった方に譲られたものが、平成27年に寄贈され、戻って来たものでした。
しかし 作者の詳細が判らないそうです。 -
ロビーを見終え、向かいの開かずの「居間」との間の廊下を進むと、
階段がありました。
狭い真っ直ぐな階段で、裏動線的な階段です。
ロビーから建物中央の大階段まで戻らずに2階へ上がれる小階段でした。 -
かなり痛んでいますね
ラーメン柄(雷紋)の絨毯っぽい物が張り付いているけど
痛みすぎて、元が織物なのかも判らない状態に・・・。 -
玄関前の階段に戻ります。
1階から見上げるとこのように見えます。
左右に階段があり、踊り場から真ん中が2階へと続きます。
これも、まりも母には、ちょっと「あれ?」って感じ。
階段って、洋館ではかなり アイキャッチャーとしてのポイントになりますから
見た目「これだ!」って景色が玄関入った正面にあるべきでは?
しかし、ここでは、2階への階段の裏が正面に見えちまって~あれれ?な感じがするんですよ。
やっぱり、ホテルの玄関 「顔」としては変な気がするんだけど・・・。 -
手すりはまぁまぁの美しさ。
階段に赤絨毯が敷き詰められているのも ゴージャス感あります。 -
が、踊り場から2階を見上げた景色は、すばらしいですね。
三連アーチと欄間的な装飾のある所も美しく、玄関入ったらこういう景色が見えた方が良くないか??
でも・・・一見地味目の階段を半分登った所でのサプライズ!という意匠なのかもしれぬ。 -
2階階段上の飾り壁。
踊り場から見て、この壁があると無いとでは、かなりインパクトが変わると思います。
踊り場から2階を見る景色は、三笠ホテルの意匠的見せ場の重要ポイントでした。 -
階段室の天井は、皮付き棒。ここのは、ほぼ丸太を使ったもの。
この皮付きの丸太もしくは半分に切った材を使うのは、軽井沢と言う避暑地、リゾート そう言った非日常空間の「田舎家」みたいな演出なのかなぁ?
ラスティックスタイル、と言えるのかもしれないが、上流階級のお客様にこれが受けたとは思えないのだが・・・。
私だったら(って~相当勝手な言い分だけど)名栗仕上げの材を採用したい。 -
踊り場には不思議な事にドアがあります。その上には窓。
この扉、今はどこにも通じていません。
かつては、このドアの先に渡り廊下があり、中庭の先のバスハウスという浴室棟に続く廊下があったのです。
平面図を見ると判ります。8室のバスルームが並んでいます。お風呂のあるお部屋はほとんど無く、
宿泊客は、バスハウスへ移動して入浴していたのです。 -
2階へあがった正面の窓は、色づいた紅葉でまっかに。
明治の窓から見えるすばらしい紅葉景色。 -
さて、ここからは、客室見物。
実際は、部屋番号バラバラに見ましたが、旅行記では部屋番号順に掲載します。
まずは、ロビー上になる1号室から。
客室はかなり小さいワンルームです。角に暖炉があります。
天井は、皮付きの材が使われていて、金魚鉢を逆さまにしたようなかわいいガラスシェードのペンダントが1灯。
窓の横に鏡があります。この部屋は洗面台がありませんね。 -
天井にある排気口。透かしのデザインがかわいいです。
どの部屋も同じデザインの排気口がありました。 -
軽井沢彫りなのでしょう。彫刻のあるクローゼットが置かれています。
が、家具類は、必ずしもホテル時代に使われていたものとは限らないようで、これが元々あったものかどうかは不明です。 -
部屋の入口にフローリングが見えます。
結構 擦り傷だらけになっていますね。
廊下も、室内も真ん中あたりはリノリウムが敷かれています。
それが、元々のものなのか?後から保護の為に設置されたものなのか?は判りません。 -
2号室
ロビーの上、2階部分には4部屋が田の字に並び、真ん中に廊下があります。
並んだ2部屋の間にはドアがあり、1号室と2号室は行き来ができます。
コネクティングドアですね。場合により2部屋を一緒に使う事ができる、と言う事です。
暖炉は1号室の暖炉と背あわせになるコーナーに設置され、同じ煙突を使うようになっています。 -
2号室は、テラスのようなガラス窓の多い部屋が付属しています。
外観を見たとき見える窓の部分です。
テラス風小部屋への入り口は2箇所なのですよね。
構造的な理由かもしれませんが。 -
テラス室のあるこの2号室は、テラスの端に洗面台がありました。
お部屋の脇に縁側っぽいスペースがあり、その端に洗面台がある、っていうのは
ちょっと昔の旅館の和室でも良く見かけました。
洗面台には蛇口がふたつあります。
お湯と水の出る蛇口だったのでしょうか??
まさか、創業時からお部屋の洗面台でお湯が出たとは思えないのですが・・・。 -
3号室
2号室と左右対称になった造り。
洗面台の場所だけは違って 窓の並びでした。 -
このお部屋には軽井沢彫りの家具が色々展示されています。
「一彫堂」「SHIBAZAKI」などお店提供らしく、サイズや製作年代(昭和の物)が表示されていました。 -
軽井沢彫りの家具自体、別荘に置く家具を 外国人が求めたのが始まりですから
軽井沢の避暑地としての歴史と軽井沢彫りは関わりが深いですね。
図柄も外国人に好まれた「桜」はデザインに多く使われます。 -
4号室
3号室とドアで通じる部屋です。
1号室と対称の配置。廊下側で テラスの無いこのタイプのお部屋は、ホテルで一番小さなお部屋になります。 -
暖炉はどのお部屋のものも基本的に同じです。
違いがあるのは下に敷かれたタイルの色位です。
ロビーの暖炉はこれの少し大きいタイプでした。
部屋のコーナーに設置されているのは
隣りあった部屋の暖炉と同じ煙突を利用する為のようです。 -
2号室と3号室の間 廊下の突き当りにもテラスコーナー。
アーチの垂れ壁の先、明るい居心地の良さそうなスペース。 -
中央の廊下から見るとこんな様子。
1~4号室のドアが見えます。 -
7号室
1階居間の上にあたる5号室・6号室は非公開でした。
7号室はちょっと広めのお部屋。
今度は横方向のお部屋とコネクトするドアがあります。 -
このお部屋にはアーチ壁のコーナーがあります。
これは、1階で見た狭い小階段の上にあたる部分でした。 -
他のお部屋でも見た逆さま金魚鉢のようなフリルのシェード。
パイプペンダントもこちらも、色のついたガラスのシェードは赤っぽいものが使われていました。 -
8号室
廊下側角に暖炉 左隣の7号室にも壁を挟んで角に暖炉がありました。
三笠ホテルの客室暖炉は 皆 隣りあった部屋と背あわせのような角の位置に置かれているのでした。 -
客室の天井 廊下や階段室同様 皮付きの自然木を使った板張り。
照明器具は一部屋に1灯づつ。 -
廊下と反対側にテラスコーナー。
洗面台も残っています。
洗面台、なぜか全ての洗面台からカランのハンドルが外されていました。 -
2階7号室前から 階段ホール、その先の廊下の景色。
廊下の窓にも木製カーテンレールが設置されカーテンがかけられていました。
冬は寒い場所なので、保温のカーテンは廊下にも必要だったでしょう。 -
このドアは、廊下端の1号室と5号室の前にあります。
このドアの向うは、現在は何もなく、開けたら下に落ちるだけ・・・です。
昔は、食堂や酒場(バー)の入った建物がありました。
昭和48年(1973)に移築した際 解体され失われた部分になります。
が、食堂の部分は平屋で、2階はありませんでした。
と、いう事で、このドアはどこに出られるものだったのか??
後で、資料室の建物模型から推測すると 食堂の建物の屋根裏ではないかと。
屋根裏に倉庫的なスペースがあったのかもしれませんね。 -
9号室
9~11号室 同じ造りの部屋が三つ並びます。
手前に部屋があり、奥にテラス的な窓のある小部屋。
隣の部屋とはコネクティングルームになっています。 -
現在このテラスは北側に向いた窓の為ちょっと暗い感じがします。
三笠ホテルは、昭和48,49年(1973、1974)に移築保存修理が行われています。
その際、客室やロビーのある本体以外は解体されています。
また、創業時建てられていた元の場所から、曳き屋され、現在の場所へ移動しているのです。
ホテルの敷地はかなり広かったそうです。
元の建物が今と同じ南向きに建っていたのかは、判りません。(資料室に展示があったかも?) -
10号室
造りは9号室と同じです。隣の部屋に通じるドアは、この部屋は左右に2つです。 -
コネクトするドアから隣、更にその先の12号室まで通じているのが見えます。
ところで、後で判りますが、並びの4部屋9~12号室には暖炉が無いのです。
平面図で確認すると2階のこの並び4部屋と非公開だった5,6号室にも暖炉がありません。
9~12号室下の1階部分の客室にも暖炉が無いので、
部屋の大きさ(テラスの有無) 暖炉の有無と 微妙にお部屋のグレードが異なっているようです。 -
11号室
並びの9,10号室と同じ造りで暖炉の無いお部屋。
館内ではシンプルなお部屋なのです。
が、この11号室はあの渋沢栄一が宿泊したお部屋だと記録されています。
今はテーブルと椅子、クローゼットがありますが、元々はベッドが入っていたそう。
もしかしたら、隣の部屋もコネクティングルームとして使ったのかもしれないけど、
この一部屋だけだとしたら、質素すぎるように思えてしまいます。 -
あと、なぜか10,11号室は天井に皮付きの材は使われていません。
洋館らしい格天井になっています。 -
12号室 2階端の部屋。
このお部屋も7号室と同じ 廊下には小階段がありますので、その階段上部分がアーチのコーナーになって少し広くなっています。
ベビーベッドがありますね。これは、赤ちゃん連れのお客様の時使った物でしょう。
私も、数十年前ですが、日光金谷ホテルに赤ん坊の娘を連れて行った時、
これとそっくりなベビーベッドをお部屋に入れてもらった事がありました。 -
12号室の天井はまた皮付きに戻っていました。
あと、窓の方に仕切りの壁が無いので広く感じるお部屋でした。 -
2階(現在は西側)端の小階段。2階から見下ろした所です。
絨毯や手すりは東側の階段と同じです。 -
外から見て、西側(現在の)にあった多角形の塔屋のある張り出し部分はトイレでした。
男女別の2部屋に分かれ、男性用には個室が2つ -
窓の間に小便器がひとつ。(ひとつは少ないような・・・)
左右窓のやけに開放的なトイレですな。
タイルや便器は輸入品です。
考えてみると、この時代、男性用小便器なんて国内には無かったでしょうね。 -
女性用も個室が2つ。ここまで見た客室でトイレがあったお部屋はありませんでした。
共同トイレだったのですね。
が、驚くべき事は、このトイレが水洗トイレだという事です!
トイレの上にタンクがあって、紐を(チェーンでしたが)引くと水が上から流れる形式。
しかも、2階にまで水洗トイレがあるのですから、最先端ですね。 -
トイレ室にある照明は、他とはちがっていました。
和のイメージのあるシェード。雪洞みたいなデザインだと思います。
天井はここも皮付き丸太採用です。 -
白いタイルは英国製。
明るいトイレは、それまでの日本のトイレ「雪隠」の暗いイメージとは正反対だったでしょうね。 -
トイレの脇、北側にドア。
これは謎のドアです。バスハウスへ通じるドアはこの下1階部分にあったようです。
が、模型を見るとこのドアは出たところ、どこにも通じていません。
外に 非常階段でもあったのかな? -
2階の窓から外壁を見ます。
軒下の腕木のデザインが良いです。 -
14号室
2階の南面左のお部屋を見ます。
廊下側の2部屋はテラスの無いお部屋です。造りは1~4号室と同じ。 -
しかし こちらは、皮付き・・・ではなくて、洋風天井です。
西側(現在の)張り出しの4部屋は皆 そうでした。
何故、ラスティック調の皮付き材を使ったお部屋と 普通考えられる 洋風天井のお部屋の両方があるのかは謎です。 -
クロスに組まれた格天井の隅にきっちり収まったスカシの排気口。
私は、この天井でベスト だと思うのです。
多分、当初は全室この天井の設計だったのではないのかなぁ?
何かの都合で、途中変更になったのでは?と想像してしまいます。
この天井がきっちりした「格式」のあるものだとすると、あの皮付き丸太を切ったような竿縁使いは、
遊び心と言うか・・・
もしかしたら、ロビーなど「格式」のあるお部屋にこの天井。
リラックスしたお部屋には皮付き材、と
和館の「書院造り」と「数奇屋造り」みたいな表現の違いだったりするのでしょうかね?? -
暖炉が背あわせで設置されているのも他と同じ。
-
ここのマントルピース下部はタイルが緑色でした。
このタイルも輸入品でしょうね。 -
15号室
テラスのあるお部屋 -
暖炉のタイルが緑と黄色の市松模様に。
-
お部屋は洋風天井でもテラス部分は皮付き丸太でした。
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4部屋の間 廊下の先にはこちらも共有のテラス。
レトロな籐椅子が置いてありました。 -
16号室
このお部屋にも軽井沢彫りの家具が展示されていました。
このお部屋の家具は現代物で、お店に行けば同様の品が買えるのかも。
スツール位ならお土産に買えそうな気もしますが・・・
スツールや花台でも10万円はするわ~~。手作り品ですからねぇ。 -
16号室の窓からは 紅葉まっさかりの玄関前のもみじが見えます。
良い眺めです。 -
17号室
壁の漆喰は汚れていますね。
三笠ホテルの周りは別荘の多い場所で、木立に囲まれた木造の別荘建物の中には、湿気で痛んだ建物も多く見受けられました。
この建物 南向きで天気が良ければ日当たりも良く、状態は樹木の中の建物よりは条件は良さそうです。
しかし、100年越え。そろそろ、大規模な修繕が必要な時期ではありますね。 -
2階のお部屋は見終えました。1階へ戻ります。
階段脇に手すりにあわせた斜めの窓があります。
めずらしいですね。
オール日本人の職人さんが作った洋館 「この窓は階段の傾斜にあわせないと変だろう」と、
こうしたのかな?なんとなく、日本人の律儀さを感じてしまった。 -
平行四辺形の窓の下に軽井沢の地形図模型。
模型が入れられている木製のケースも古そうなものでした。
こうした模型を展示するっていうのは、軽井沢あたりは 火山である浅間山の作った地形だと紹介したいからなのかな? -
1階の客室を見ます。部屋番号順に 18号室
18号室はホテルで一番良いお部屋で、スイートルームにあたるお部屋です。
元々2間続き 廊下側の小部屋とテラス付きのお部屋全部で18号室。 -
暖炉は2階同様 背中合わせで2部屋にあるので、この18号室には2基ある事になります。
-
テラス風小部屋の端には洗面台があります。
-
しかし、廊下側の小部屋の方、ドアの脇にも洗面台があるのです。
この18号室 元々は別々の部屋として造られたものを スイートルームにするため
2部屋でひとつ、と 改築か 設計変更されたのでしょうね。
このホテル、宿泊料金は 現代換算で10万~20万円だったとも聞きます。
かなりの高級ホテルだったのですね。
その一番高級なお部屋が、こちら、と言う事ですね。 -
その廊下側の小部屋の方にはバスルームまであるのでした!
洋式の猫足バスタブにトイレまでが。
猫足バスタブはキズもあって、ちょっとホラー感出ちゃってましたが・・・。 -
そのバスルームの照明器具がこちらです。
あらら・・・おもいっきり 和風だわ。
昭和の住宅にありそうなデザインのシェード・・・。これは違和感あるなぁ。 -
で、その廊下側の小部屋の方をじっくり見ますと、天井がこうなっています。
暖炉と洗面台のあるお部屋のピンクのランプは いかにも2部屋の真ん中に下がってる・・・。
バスルームのドアはあるけど、天井の皮付き棹縁の材は 左右のお部屋でつながってるっぽい。
つまり、バスルーム部分は普通のお部屋として造られた後に 追加されたんじゃないでしょうか?
バスルームなのに排気口が無いってのも おかしな感じですしね。 -
19号室
テラス部屋のある方の造り。
豪華な椅子があります。この椅子はここでロケ撮影された時の小道具がそのまま寄贈されたもののようです。
同じデザインの2人掛けソファーがロビーにあり、それだけは、「座って良い」と書かれていましたので。 -
19号室のテラス部分。
天気の良い日は明るくて 本当に居心地良さそうですね。
ところで、今はこの「本館メイン部分」しかありませんが、
明治40年(1907)には和館の「日本館」
大正10年(1921)には洋風の別館も建てられているのです。
日本館は完成後3年で山津波で流失し
別館も進駐軍に接収されている間に焼失しています。 -
窓の鍵部分。
懐かしいネジ式の鍵。
こうした細かい箇所も昔のままに残っているのがすばらしいです。
ホテルを廃業したのが昭和45年(1970)ですからね。
まだサッシが世の中に出回っていなかった頃。
営業がもう少し長かったら、窓は 機密性の高いサッシに替えられてしまっていたかも。
ホテルとしての営業は64年間。案外短いとも思えます。 -
20号室
2階の14号室と造りは同じ。天井の棹縁が違うだけ。 -
このお部屋では、床材が良く見えました。
やっぱり、リノリウムは後年、保全の為に張ったのかなぁ?
床材は、杉か赤松か??どちらにしろ、軽井沢近郊で入手し易い材っぽいですね。
建物建設を請け負ったのは 地元の大工棟梁小林代造
彼は、A・C ショーの別荘を皮切りに教会や万平ホテルなど 多くの洋館建設に関わります
三笠ホテルを建設した頃には、地元の材料を使った洋館建設は、もう手馴れた頃だったでしょう。
他の建物と見比べるのもおもしろそうですね。 -
部屋番号順で21号室
1階端の部屋。
小階段の脇になる部屋ですが、2階の部屋と違ってアーチ壁のコーナーがありませんでした。
テラス部屋のある普通の造りで、北西側(現在の)暖炉がないお部屋でした。 -
鏡のついた大きなクローゼット。
彫刻のあるりっぱなものです。ただし、ホテルにオリジナルで置かれていたものはどうかは不明。 -
お隣22号室
21号室との間にはやはりドアがありました。
この22号室、上皇后美知子様が、正田美知子様として ご結婚前にご家族で宿泊された際お泊りになられたお部屋だそう。
レジスターブックにもお名前が記載されています。
2間続きで ご家族で使われたそうです。 -
壁につけられたスイッチ。
ホテル創業時はまだ電気が来ていなかった訳ですから、当然電気の配線は無かったはず。
電化された後配線がされ、スイッチ類もこうして壁に設置されたのですね。 -
22号室のテラスには三笠ホテルオリジナルのクローゼットが置いてありました。
そして、窓の右上、壁に穴が見えます。
暖炉の無いお部屋になります。冬はやはり暖房なしでは無理でしょう。
薪か石炭のストーブがあって、その煙突用なのではないでしょうかね。 -
最後の客室23号室
このお部屋も一応、スイートルームになるお部屋です。
このお部屋はテラス室の区切り壁がなく、ワンルームです。 -
お部屋の端っこにドアがあります。
場所的に言うと、階段下になるはず。
階段下の物入れのドア?それとも非常口??
じっくり見ると、このホテル色々不思議な所がありますね。 -
廊下からのドアの脇に洗面台。
鏡の上のブラケットランプも残っています。 -
洗面台の脇にチラッと見えた隣は、バスルーム。
18号室同様に 猫足のバスタブとトイレがありました。
しかし、廊下側にある低いドア・・・これは何??と思ったら~
当時は、お湯をお部屋のバスタブに直接供給する事が出来なかった為
この小さなドアから、ボーイさんがバスタブにお湯を満たしていたのだそう。
バスタブにお湯を運ぶのは、大変だったでしょうねぇ。
18号室にはそのようなドアはありませんでしたけどね。 -
いくつかのお部屋に残っているホテルオリジナルのクローゼット。
地元の軽井沢彫りの家具で、ホテルのマークが彫られています。 -
ロビーのカーテンボックスにあったのと同じ 三つの笠にMとHのアルファベットをデザインしたマーク。
-
客室は全部見ました。1階のトイレの方へ行ってみます。
と、廊下に面してアーチ壁があり、その中に洗面台がありました。
共用の洗面台のようですね。 -
洗面台のあるアーチ壁はやはり小階段の下になる場所でした。
先ほど見た21号室に アーチ壁のコーナーが無かったのは、こういう事だったのです。 -
洗面所の向かいは2階と同じ、男女別のトイレでした。
1階のトイレは個室が3づつありました。(男性用小便器はやっぱりひとつだけ) -
男性用トイレの個室扉。
ドアの内側にフックが2個づつ付けられていますね。
女性用にはフック無かった・・・。
女性の方がハンドバックとか下げるのに使いそうなのにね。 -
トイレの手洗い場。
このボウルも輸入品ですね。蛇口が2つあります。
まさか、トイレの手洗いにお湯まで出たのでしょうか?? -
トイレ脇の廊下突き当たりには観音開きのドア。
これは、バスハウスへの渡り廊下に繋がるドアです。
中庭を挟んで、ここと、階段踊り場の2箇所からバスハウスへ行かれるようになっていました。 -
最後に玄関脇 旧ライブラリー 現 資料室となっているお部屋を見ます。
ロビーと全く同じ大き目の暖炉。
マントルピースが黒く煤けてしまっています。
金属のバスケットに薪を入れるので、はみ出しちゃったのかしらね?
火災予防的には不安な造りの感じもしちゃうなぁ。
そういう所含めて、日本人だけで造った純西洋式木造ホテルは
設備的にも 長く営業できなかった理由かもしれませんね。 -
展示ケースの中に「重要文化財指定書」がありました。
そういえば、登録有形文化財は 文化庁から鋳物の「登録有形文化財標識」が頂けるので、良く見かけますね。
重要文化財にはそういう 看板は無いのかな?バナー的なそういうものは見ないですね。 -
パイプペンダントのシェードの展示
一見全部同じシェードかと思ったら、良く見るとガラスの表面模様が違うのですね。
手作りだからの差かもしれないが。 -
資料室の天井。
やっぱり皮付きの丸太が使われています。
わざわざ菱型もデザインされて。
下がったランプは、パイプペンダントのようなオリジナルではなく、大正~昭和あたりに数多く作られた量産品でした。 -
玄関のドアが閉まった図の写真がありました。
見学できる開館時は 扉は開け放してあるので、この状態は見られません。
洋館なのに引き戸っていうのもちょっと不思議ですし
ドアにつけられた丸窓はなんだか、寺院建築を感じます。
又、現在は残っていませんが、この玄関前には車寄せ部分があったのです。 -
建物模型は往年の姿をはっきり教えてくれます。
玄関前に車寄せ。上はバルコニーになっていて、階段を上がった2階正面のドアから出られるようになっていたのですね。
ロビーの右には広い、食堂・酒場棟 -
模型裏側から。
バスハウスの建物が中庭の先にあります。
平面図と比べると、階段踊り場からの渡り廊下が ちょっと位置がおかしいな、とかありますけど
まぁ概ね こうして模型で見られ参考になりました。
ライブラリーの奥には多角形のサンルームもあったようですねぇ。
これは、残っていて欲しかった。 -
館内を見終え、外観を再び。
単なるガラスの枠でなく、建物を大きく印象付けるクロスと四角の窓枠。 -
上下にはクロスの枠があるのに 真ん中には無いのは、
窓辺に立った人の視界を遮らないように、という意図でしょうか? -
軒下の腕木も窓アーチに上につけられたキーストーンっぽいデザインも素敵です。
下見板張りの外に更に装飾柱をつける「 スティックスタイル」というものになるのだそうです。 -
1階2階それぞれ4基づつの暖炉の煙突をまとめた部分。
(画像はロビー側なので、これは3基分) -
木造の建物 すでに傷みが進んでしまった箇所もあちこち見受けられました。
数年かかる補修工事 同時に調査も行われ、新たな発見もある事でしょう。 -
建物基礎は石積みでした。床下の排気口には素敵な唐草模様のカバー。
-
最後に、西側張り出しと塔屋を見ます。
来よう、来ようと思いながら数年経っていました。
大規模保存補修工事の前に 来られてよかったです。
工事が完了するのは5年後?
きれいになったらまた来てみようと思います。 -
まだ、昼前の時間なので、ついでに紅葉見物に。
「白糸の滝」方面へ向かいます。
白糸ハイランドウェイにはまぁまぁ紅葉した木々が見えました。
今年の紅葉はどうも、「赤」が鮮やかではないですね。
黄色も茶色くなった部分が多いし・・・。 -
「白糸の滝」には外国人(特に中国の方)が多く来られていました。
滝上の紅葉は・・・ダメじゃん。 -
滝手前の斜面はがっつり崩れていました~。台風19号の大雨のせいだと張り紙がありました。
大木が根こそぎ倒れていましたよ。 -
浅間山の方なら紅葉見えるかな?と、更に鬼押しハイウェイにも行ってみる~~。
う~~ん唐松黄色くないですな。 -
浅間火山博物館前からの景色。
ここも紅葉はまだまだです。 -
山裾の紅葉より、軽井沢に近いあたりの方が、紅葉した木がありましたね。
今日の目的は「旧三笠ホテル」だったので、おまけの紅葉はダメでもいいけど、
こう毎年、異常気象みたいな天候だと、「きれいな紅葉」なんて見られなくなるんじゃないかと思っちゃいますよ~。
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