2018/04/16 - 2018/04/17
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旅人のくまさんさん
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長野の百名城巡り、松代城の紹介です。海津(松代)城の築城は、『甲陽軍鑑』によれば、武田氏が北信国衆である清野氏の館を接収し、武田家足軽大将の山本勘助(1493/1500~1561年)に命じて築城させたようです。
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- 観光バス JR特急
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斑尾(まだらお)高原で泊まったのは、『ホテルタングラム』でした。窓の外の景色を眺めながら、ゆっくりと朝食を楽しむことができました。スキー場やゴルフ場が近いリゾートホテルでした。
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『ホテルタングラム』からの眺めです。ホテルの公式HPには、『ゲレンデに直結のホテルタングラムは、245の客室、各種レストラン、各種バンケットルーム、リラクゼーション施設を備え、タングラムリゾートの中核を成すホテルです』と紹介されていました。スキーシーズンは澄んだようですが、斑雪が残る高原の光景です。
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バイキング方式の朝食の紹介です。プチトマトなどの野菜もたっぷりと戴きました。昨日は3箇所の悪露巡りでしたが、今日も3箇所が予定されていました。海津城とも呼ばれる松代城を皮切りに、国宝の現存天守の松本城と、桜が楽しみな飯田の高遠城です。
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ホテル内に掲示してあった、『第93回・高田城百万人観桜会』のタイトルがあったポスターの光景です。『日本三大夜桜』の期間は、4月6日から22日の間でした。昨日見学しましたが、十分に見応えがありました。
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出発まで時間の余裕がありましたので、ホテルの周りを散策して来ました。『ホテルタングラム』の玄関先光景です。公式HPには、収容人員1000名、無料の駐車場も100台と紹介されていました。斑尾高原のリゾート開発が計画されたのは昭和42年(1967年、昭和47年(1972年)12月、ホテル1棟とペンション7軒、そして斑尾高原スキー場がオープンしました。
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振り返って眺めた、泊まったホテルの玄関方面の光景です。公式HPからのi斑尾高原の紹介です。『宿泊施設の数も大幅に増え、夏のテニスに冬のスキーという斑尾高原のイメージは定着していきました。そして、10年後の昭和57年には、世界的なビッグイベントとも言える「第1回ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾」が開催されました』
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斑尾高原が位置するのは、長野県と新潟県の県境で、長野県飯山市と新潟県妙高市にまたがっています。電車での最寄り駅は、長野県飯山市の『飯山駅』、北陸新幹線の延伸開業によって、東京駅、そして金沢駅から飯山駅までおよそ1時間半前後で結ばれました。飯山駅から斑尾高原までは、タクシーや送迎バスで30分ほどの距離です。
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公式HPからの紹介です。『昭和63年(1988年)には、フリースタイル・ワールドカップが開催され、モーグルスキーの草分け的スキー場となりました。また、多種多様なニーズに応えるべく、さまざまなアウトドアスポーツが体験できるスポーツリゾートとしての設備も整ってきました。』
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公式HPからの紹介を続けます。『15年ほど前から整備が進められてきた、総延長約50kmもの「斑尾高原トレッキングトレイル」が完成しました。3つの山頂に、3つの湿原、そして4つの池・沼と点在するブナの原生林を結ぶコースは、ペンションビレッジから全く車道を通らずに歩くことができる回遊性のあるもの』と紹介されていましたが、背後の山がその一部のようです。
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針葉樹の新緑光景です。斑尾高原紹介の締め括りです。『長野・新潟県境を歩く全長80kmロングトレイル「信越トレイル」の起点にもなっています。さらに、平成15年には、「まだらお高原 山の家」がオープンし、斑尾高原のビジターセンターとして、また、さまざまな自然体験を提供する施設』としてオープンしたようです。
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ホテル敷地内の針葉樹の並木の光景です。『カラマツ(落葉松)』かも知れません。カラマツですと、マツ科カラマツ属の落葉針葉樹で、日本の固有種です。落葉樹ではない感じもしましたので、同じマツ科の『モミ(樅)』当たりかも知れません。
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長野県側から眺めた新潟県に位置する妙高山の光景になるようです。標高は2454メートルです。北信五岳の一つであり、その中では最高峰です。日本百名山に選定されていて、妙高戸隠連山国立公園に属しています。
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ナウマンゾウの化石が出土する湖としても知られる、野尻湖の光景です。天然湖で、妙高高原、黒姫高原とともに妙高戸隠連山国立公園に指定されています。湖沼水質保全特別措置法指定の湖沼です。『芙蓉湖』の別名を持ちます。
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同じく、野尻湖の光景です。現在でも、定期的にナウマンゾウなどの発掘調査が行われているようです。ナウマンゾウは、肩高2.5~3メートルで、近縁とされる現生のアジアゾウと比べ、やや小型です。最初の標本は、明治時代初期にドイツ人のナウマン(1854~1927年)により横須賀で発見されました。東京帝大の地質学教室の初代教授でした。
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野尻湖の近くに展示してあったナウマンゾウのモニュメントです。かつて、日本に生息していたゾウの1種です。65~42万年前頃には出現していたらしく、約2万年前頃から衰退し、約1万5000年前の新生代更新世後期まで生息していたと推測されています。氷河期の寒冷な気候に適応するため、皮下脂肪が発達し、全身は体毛で覆われていたようです。
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千曲川か、その支流になるようです。雨後ではないようでしたが、満々と水を湛えた静かな流れの川でした。
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最後の車窓光景です。高架道路潜る時に、『六文銭』の表示が見えました。目的地の松代城が近付いてきたようです。『六文銭』は、真田家の家紋として有名です。『六連銭』とも呼ばれます。三途の川の渡り銭とも呼ばれ、いつ命を落とすことも覚悟した、真田武士の心得を表しているようです。
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『史跡・松代城跡・附新御殿跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。武田軍の前線基地としての海津城は、1560年には普請が完了していたとされ、上杉軍との決戦に備えていたようです。中央上部の縄張りに記された二の丸と三の丸は、1600年の関ヶ原の戦いの後、城主となった森忠政の頃に築かれたと紹介されていました。
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『松代城(海津城)跡・国史跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。松代城は、江戸時代には真田家の居城でしたが、その始まりは、戦国時代の海津城だったことなどが紹介されていました。江戸時代から水害に見舞われたお城のようです。
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右のパネルのタイトルは『太鼓門・前橋』、左のパネルは『太鼓門』でした。太鼓門は、本丸では一番大きな門で、枡形の石垣と、二層の櫓門(太鼓門)と枡形門(橋詰門)で構成されていたことが紹介されていました。発掘調査を基に再建された枡形門です。『前橋』は、4回以上の架け替えが行われたことが発掘調査で確認されています。
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イチオシ
『太鼓門・前橋』の袂から眺めた、『太鼓門』方面の虎口の光景です。前橋を渡った先に見える、少し小振りな門が『橋詰門(桝形門)』、その右後ろの二階建ての楼門が『太鼓門』です。
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『太鼓門・前橋』の袂から眺めた、左手方面の内堀と本丸石垣の光景です。今回は染井吉野がほとんど散っていましたが、満開の時期の染井吉野は、見応えがあります。
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前橋の上から眺めた、右側方面になるお堀に面した石垣と、その上に続く、下見板張りの壁の光景です。下見板張り部分には、矢狭間と鉄砲狭間が設けてありました。太鼓門の前橋付近を守る目的のようです。
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前橋の上から眺めた、左側方面になるお堀に面した石垣と、その上に続く、下見板張りの壁の光景です。石垣に段差が設けてあるのは、奥の方の石垣を守るための横矢を通すための造りのようです。
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イチオシ
前橋を渡り、『橋詰門(桝形門)』を潜った先の枡形虎口の光景です。右手の塀は外からの責めに対するもので、奥の方に石垣に登る石段が設けてありました。大規模なお城では、雁木と呼ばれる幅広の石垣が設けられることもある場所です。
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石垣で構成された枡形虎口の内側の光景です。積み直された部分もあるようでしたが、大きな石が使われた打込み接ぎの石積でした。
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同じく、石垣で構成された枡形虎口の内側の光景です。
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イチオシ
城外側から眺めた、二層の櫓門の『太鼓門』の光景です。先に紹介した、『太鼓門』の紹介パネルには、『良好に残っていた門礎石をそのまま流用し、絵図面などから栩葺(板葺)で、切妻屋根を忠実に再建したと紹介されていました。
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城内側から眺めた、二層の櫓門の『太鼓門』の光景です。説明パネルでは、『太鼓門』の名前の由来は、時を告げる太鼓が置かれていたためと紹介されていました。
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二層の櫓門の『太鼓門』を潜った後の場内光景です。中央奥に見えているのは、『東不明門(ひがしあかずもん)』と、お堀に架かる『東不明門・前橋』です。通常、この門は閉じられていて、『太鼓門』が使えなくなった時に代替として用いられたようです。
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