2019/09/27 - 2019/09/29
113位(同エリア840件中)
Pixyさん
今年4月以来の沖縄訪問となります、前回慶良間諸島への渡航を計画したもの降雨のため断念。
今回はそのリベンジが主目的で、せんべろ巡りはコザまで足を延ばしました。
あまりにも海が美しくて、たくさんの熱帯魚に感動した旅でした。
まずは世界遺産、戦争遺産を訪問して、コザでべろべろになる編です。
■旅程
9/27(金) GK383 11:55-14:15 NGO→OKA
9/28(土) 座間味村営フェリー 那覇⇔阿嘉島
9/29(日) GK380 10:35-12:45 OKA→NGO
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回もプロモーションに乗っかりフライトはJetstar。
セントレアにLCC専用の第2ターミナルがオープンし、そちらへ行けとの案内。 -
カードラウンジに入ってからの移動。1kmほど有り。
-
綺麗な海がよく見える。
到着後、レンタカーを予約しているオリックス美栄橋店へゆいレールで移動。 -
レンタカーを借りる前に遅めの昼食を。
以前から前を何回も通り過ぎて気になっていた「大福」さんへ。大福そば グルメ・レストラン
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メニュー。
気になった「中味汁そば」「山羊汁そば」は取り消し線が、、、。 -
無難に沖縄そば。
このときは大将が1人だけで回してました。
客も私1人でした。 -
琉球新報の1面。
首里駅以降の延長直前の時期だったのですが、色々と課題があるようです。
確かにいちいち切符を買うのが面倒で、2両しかないのにデカいスーツケースを持った観光客であるふれている。
でも、利用者がいない事が課題になるよりはいいはず。
しっかり対策して頂ければと思います。 -
まず、レンタカーでの目的地は世界遺産の座喜味城跡。
座喜味城跡 名所・史跡
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2000年にユネスコの世界遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、首里城跡、今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡の5つのグスク(城跡)あります。
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今回のここへの訪問で4つ目となり、あとは今帰仁城跡を残すのみとなった。
ここは入場料無料です。 -
城壁がきれいに整備され、海がよく見える眺望が良い。
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ただ、このように立ち入りは制限されており、自由に城壁のうえを歩き回ることは出来ない。
危険性はないと思うのだが、、、きっと落っこちる人がいるんだろうな。 -
駐車場前のベストポジションにある「鶴亀堂ぜんざい」。
ぜんざいの専門店?と気になってしまう。鶴亀堂ぜんざい グルメ・レストラン
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中は喫茶店のような感じでした。
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あまりゆっくりする時間はないので、アイスクリームを購入。
一応、BLUE SEALのアイスです。 -
ここからは戦争遺産を回ります。
事前に調べたわけでなく、Google Mapでヒットした場所を適当に巡ります。
まずは、忠魂碑。忠魂碑 名所・史跡
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勤労者体育センターの横にあるテニスコートそばに建っています。
学生がテニスをやってます。
【ご参考】
忠魂碑は読谷山国民学校(読谷山尋常高等小学校)敷地内に1935年(昭和10)月頃に建立されました。
その後、1978年(昭和53)に同敷地に読谷村運動広場が建設されるに伴い、現在の場所に移されました。
忠魂碑は当時、天皇と国家のために死んだ軍人や軍属の忠義の魂を顕彰するためのもので、国民全員に同じ忠誠をたたき込むことに利用され、その結果、多くの若者が死地においやられたあげく、敗戦の憂き目にも遭いました。
現在、碑文は何者かによって削られ、説明版も持ち去られており、わずかに揮毫者の陸軍大将鈴木壮六の名前が見えるだけです。
忠魂碑は日本の侵略戦争を美化する象徴として使われ、日本の歴史の負の遺産ですが、戦時中の風潮を今に伝える証人であり、今後の戒めとして村では2009年(平成21)1月に史跡に指定しました。
読谷村教育委員会 文化振興課 -
さとうきび畑のなかにあり場所が非常に分かりずらく迷いながら辿り着いた「掩体壕」。
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横に義烈空挺隊玉砕の地碑があります。
【ご参考】
1943(昭和18)年、旧日本軍によって沖縄北飛行場建設が計画・実施された。その翌年、軍用機を攻撃から保護する施設として建設されたのが掩体壕である。
証言によると、ドラム缶を積み上げ、その上に土を盛って叩き固め、半円状の原型を造り、セメント袋をかぶせてコンクリートを流し込み、十分に乾燥したところで中のドラム缶や土を取り出すという方法で造られたと言われている。
飛行場跡一帯には、1978(昭和53)年頃まで7基の掩体壕が残っていたが、現在はこの1基のみとなっている。
掩体壕は、この地が旧日本軍の飛行場であったという史実と、沖縄戦を伝える生き証人として、2009(平成21)年1月22日に村指定史跡(沖縄戦に関する史跡)に指定された。読谷村掩体壕 名所・史跡
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維持管理大変だと思いますが後世に残してください。
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「シムクガマ」と「チビチリガマ」へ。
この2つは戦時中に読谷村民の避難壕となったところですが、対照的な結果になってしまいました。
まずは「シムクガマ」でですが細い路地の住宅街にあり、ここも迷いまくりました。
目印はこの小さな看板。
住宅地のはずれにひっそりとあります。 -
このような道を進み、ハブに注意との看板を見ながら下に降りていきます。
このあたりはいいですが、ガマ近くはけっこう険しいです。 -
これが洞窟の入り口。
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洞窟の中から眺め。
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こちらは米軍に投降したほうのガマ。
【ご参考】
1945年(昭和20)3月、アメリカ軍の空襲は日を追って激しくなり、やがて艦砲射撃も始まるようになると、波平では約1千人の字民がこの洞窟に避難するようになりました。
やがてアメリカ軍の沖縄本島上陸の日、激しい砲爆撃の後、シムクガマに迫って来ました。
アメリカ兵が銃を構えて洞窟入口に向かってくると、人々は恐怖の余りうろたえ、洞窟内は大混乱に陥りました。いよいよ殺されるのだと、洞窟の奥へ逃げ込もうとしますが、足の踏み場もありません。
その時、ハワイからの帰国者、比嘉平治(当時72歳)と比嘉平三(当時63歳)の2人が、「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して、ついに投降へと導き、1千人前後の避難民の命が助かったということです。
この事実に基づいて波平区では、命を救った二人の先輩に感謝の意をこめて洞窟内に記念碑を建立しております。 -
あまりにもせまい路地なので、アシビナーのガジュルマがあるところから歩きました。
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次は「チビチリガマ」へ。
ここは駐車スペースがあり、戦争の悲惨さを伝える場となっている。チビチリガマ 名所・史跡
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ここがガマへの入り口ですが中には入れません。
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その理由です。
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「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」です。
ここは心が締め付けられます。 -
【ご参考】
チビチリガマは、アメリカ軍の沖縄本島上陸の翌日1945年(昭和20)4月2日、鬼畜(きちく)と教えられたアメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れて、肉親相互が殺しあうという凄惨(せいさん)な地獄絵図を現出したといわれる「集団自決」が行なわれた所なのです。 証言では、「アメリカ軍上陸直後に、壕の中から男女3人が竹やりを持って出て行き、男2人が壕の前でバタッと倒れた。すると壕内の住民は絶望感でパニックに陥り、集団死が始まる」とあります。
別の証言では、「火を燃やして窒息死を図ったり、毒薬注射をして死にいたらしめ、注射液が尽きると、鎌や包丁などの刃物で肉親相互が殺し合うという惨劇(さんげき)が繰り広げられた」ということです。
こうして、この洞窟への避難者約140人の内、無辜(むこ)の住民83人が非業(ひごう)の最期(さいご)を遂げたということです。
後に人々は犠牲者の死を悼み、永久平和を祈念して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を建立しました。 -
宿泊は沖縄市(コザ)のOKINAWA CITY HOTEL。
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これから飲み歩き寝るだけなので気にすることではないが設備は古い。
シャワーは壁のスイッチを入れないとお湯が出ない仕組み。Okinawa City Hotel 宿・ホテル
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飲みに行きます。
ここが入り口。 -
1軒目は串カツチャンピオンから。
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せんべろメニューでは串カツでなく、牛すじ煮込み。
味が薄くて、パサパサしている。残念。串カツ チャンピオン グルメ・レストラン
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串カツを3本追加。
飲み物は
オリオンビール、菊の露のソーダ割、シークワーサー割。 -
次に行く前に米軍兵が飲みに来る地帯(ゲート通り)を散策してみる。
おー英語でドル表記だ。 -
バーとかライブハウス的なお店が並んでいるが、「せんべろ」はないな。
また観光客が1人で入れる感じもない、、、。 -
ここは、、、ジェントルマンズクラブ。
アメリカでは、、、。 -
戻ります。
2軒目はこの看板のお店へ。 -
システムの説明。
マスターとバイトの女性だけで回しているお店でした。 -
お通しの「ひじき」。
酒バル RAKU グルメ・レストラン
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モルツ×2杯と
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レモンサワー。
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それにしても金曜日の夜なのに人通りがない一番街。
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移動中に面白いものを発見。
沖縄ならではのカードローンですね、担保力があるのは確か。 -
那覇ではモーニング営業やっている足立屋。
大盛況で入れない。大衆劇場 足立屋 グルメ・レストラン
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最後は最初に通り過ぎて気になったお店へ。
「本気酒場 でんすけ商店 コザ」です。
ここも満席状態でしたが、1人ならということでなんとか入店。 -
まぐろの解体ショーやって、そのあと1艦50円で提供。
非常に美味しかったので計5艦頂きました。
ここの特徴は大瓶ビールもセンベロOK。
でも、あまり冷えていなかった、、、。でんすけ商店 コザ グルメ・レストラン
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こぼれグラスワイン。
日本酒方式で並々注がれるワイン、面白い!
お客の入りが表している通り、ここが最高でした! -
ディープな街コザの夜を満喫しました。
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