2019/04/27 - 2019/05/04
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ミズ旅撮る人さん
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2019年のGWは、令和天皇即位の恩恵で、大型連休となりました。
これは遠くまで周遊旅が出来るぞということで、中国地方のSLを巡って来ました。
島根県に入り、この日は石見銀山を訪れました。
午後からは出雲大社のお膝元、出雲市でD51を訪ねました。
その場所はかつて出雲大社参拝客が利用した旧大社駅。
日本瓦のたいそう立派な駅舎です。
歴代の天皇陛下もここから出雲大社に参拝なさいました。
黒瓦の上には立派な鴟尾(しび)とたくさんの亀がいます。
ホームには「因幡(いなば)の白兎」までいます。
国の重要文化財に指定される素晴らしい日本建築に見惚れるばかりです。
次に向かったのが雲南市。C56がいます。保存会に守られてとても状態がいいです。
翌日、松江の町中にあるC56を訪ねました。
島根県は東西に長いので、結構かかります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
石見(いわみ)銀山に朝一で行くために江津(ごうつ)市に
泊まりました。
日本海沿いを走る国道9号線を北上しています。
この辺りは赤い屋根瓦が目立ちます。
石州(せきしゅう)瓦と呼ばれる石見地方特産の瓦です。
石州瓦は、石見地方の特産で、日本三大瓦(愛知県の三州瓦・
兵庫県の淡路瓦)の一つです。
凍てに強く、水を通さず、割れにくい石見焼が、出雲地方で採れる来待石から作る来待釉薬(きまちゆうやく)によって耐火度が極めて高くなり、中国地方に広く行き渡りました。 -
「温泉津温泉」と書いて何と読む?
-
石見銀山の旅行記は「石見銀山と古民家を改装した「群言堂」。
日本の生活文化を次世代に伝えるブランドです。」
で書いたので、ここで書く必要はないのですが、素晴らしい場所なので、チラッと紹介します。
銀鉱山の跡地を訪れて何が楽しいのか?とどうしても思ってしまいます。
私も鉱山跡地は余裕があれば行けばいいと思います。 -
鉱山跡地に行く手前にあるのがこの集落です。
長野県の南木曽(なぎそ)町にある妻籠(つまご)宿のような家並み。 -
そこに「群言堂」があります。
群言堂 石見銀山本店 専門店
-
1階は雑貨と衣料品のお店、それに喫茶コーナーですが、
2階はこの贅沢な空間なんです。
商品は一切置いていません。訪れた客のためにだけある空間です。
そういう贅沢を、この店はごく自然にしてくれるのです。
「群言堂」HPからの抜粋です。
「世界遺産に登録されたとき、
あまりにも多くの人が訪れた。
ながく続く観光バス。
変化の気配のなかで、
変えたくないものに気がついた。
暮らしがあるから、大森なのだ。
大森らしさを、
守らなくてはいけない。」
「ご足労はおかけしますが、
ぜひ訪れてみてください。」
中庭も素晴らしいので、是非ご覧ください。群言堂 石見銀山本店 専門店
-
さて、話は戻って国道9号線を日本海に沿って走っています。
海岸の向こうに出雲が見えて来ました。 -
出雲市にある旧大社駅です。
1912年(明治45年)、国鉄(現JR西日本)により出雲市駅から
大社駅を結ぶ7.5kmの大社線が開通しました。
駅は出雲市・出雲高松・荒茅・大社の4つだけです。
JR大社線は、1990(平成2)年3月31日に廃止され、
その後旧大社駅舎は2004(平成16)年に国の重要文化財に
指定されました。 -
この駅舎は1912(明治45)年に国鉄大社線の開通と共に
開業しました。
1924(大正13)年2月に改築され、
出雲大社の門前町らしい、純和風の木造平屋建て(441㎡)に
生まれ変わりました。
設計は当時の神戸鉄道管理局の技師・丹羽三雄です。
大社線廃止後、駅舎を調査した際に発見された上棟式の棟札から
判明しました。 -
正面には動輪マーク入りの鬼瓦が見られます。(下の鬼瓦です)
大正時代なので、動輪はスポーク形ですね。 -
「旧大社駅の概要」については、追々述べて行きますが、
その後に続く文章がこの古風な駅舎に似通った文体なので転記します。
「宮殿風造りの、この旧・駅舎は
大正13年(1924)2月13日に改築されたものです。
駅長室には貴賓室を備え、待合室を二等と三等に区別するなど、
また天井の高さ・シャンデリヤ等のゆかしさに往時を偲ぶことが
出来ますが、一歩戸外の風に立つとき、波打つ大屋根・反りの整飾美に
度肝を抜かれるのです。
かつて出雲大社大祭礼の勅使参向の玄関駅として、
その格式と風格をとどめ、全国に数多い駅舎の中でも比類稀なる
建造美を秘めています。
この旧・駅舎にたたずむとき、歴史を閉じた今も、
なぜか、動的な感にうたれるのです。」
(平成2年7月記 日本鉄道OB会) -
駅舎の中に入ります。中は広い「三等待合室」。
吹き抜けの窓から光が差し込み、駅舎内を明るく照らしています。
柱のない広々とした待合室の中央には
木製の「出札室(切符売り場)」があります。
中には、机や黒電話、回転式の切符収納棚などが
当時の制服を纏った人形と共に展示されています。 -
和風のシャンデリアや、窓口の上の破風(はふ)など、
和洋折衷の意匠が特徴となっています。 -
旧大社駅の見取り図です。
出札室を正面に右側は一・二等車の待合室と小荷物扱室、
左側は事務室や皇室からの勅使などが使用した貴賓室がありました。 -
小荷物扱室の前には、当時使われていた人力車が展示されています。
-
この駅舎は、明治・大正・昭和・平成、
そして昨日からは、令和の御代を過ごしているのです。 -
格(ごう)天井に漆喰装飾。
大正風の灯篭型の和風シャンデリアが玄関を含めて30個もあります。 -
普通旅客運賃表(1)
出雲大社の表玄関口として参拝客が多く利用し、
1951~1961年までの期間は東京・大阪・名古屋から
直通列車が運行されていました。
名古屋駅 - 大社駅間の急行「大社」や大阪駅 - 大社駅間の
急行「だいせん」などがそれです。 -
普通旅客運賃表(2)
大正建築の駅舎であろうとも、1990(平成2)年まで
利用されていたので、運賃表は意外と新しいのです。
※指定席料金・繁忙期700円
GW(4/28~5/6),夏休み(7/21~8/31)、
冬休み(12/25~1/10)、春休み(3/21~4/5)今と同じです。
閑散期300円 1/16~2月末日、6月、9月、
11/1~12/20の金・土・日・祝日・祝日の前日を除いた日
なかなか細かいです。 -
ホーム側に来ました。駅舎のデザインは正面と変わりません。
-
大社駅はどん詰まり駅です。
旧大社駅前から出雲大社までは一本道。
参道入り口までは徒歩20分程度です。
その沿道は賑やかだったことでしょう。 -
ホームから線路に降りる階段の踏板には、兎の絵。
そばにはススキ・・・と思ったのですが、ここは出雲の国。
蒲(ガマ)の穂ですね。
出雲大社のHPに「因幡の白兎」の話が載っています。
「だいこくさまはそれを聞いてそのうさぎに言いました。
かわいそうに、すぐに真水で体を洗い、
それから蒲(がま)の花を摘んできて、その上に寝転ぶといい。
そういわれたうさぎは今度は川に浸かり、
集めた蒲の花のうえに、静かに寝転びました。
そうするとうさぎのからだから毛が生えはじめ、
すっかり元のしろうさぎに戻りました。」
この神話を紹介する人によって、蒲は花だったり、穂だったり、
花粉だったりします。 -
失敗しました。実はこの駅舎には、写真の左側に珍しい石造りの改札が
ずらっと並んでいるのです。
ただ、実に味気ない風景だったので看過してしまいました。
東京からの直通急行列車「出雲」が運行され、その後も
1980年代までは「大社」や「だいせん」といった急行列車や、
参詣者用の臨時列車などが乗り入れていたため、
ホームはかなり長く作られています。
最盛期には年間300本近い臨時列車がここにやって来ました。 -
大社線廃線後は一畑電気鉄道による代替バスに転換され、
現在は一畑バスの一路線となっています。
線路跡は出雲市駅の近くから 出雲高松駅までの区間が
サイクリングロードとなっていて、出雲高松駅、荒茅駅ともに
プラットホームが残されています。
現在は、一畑電鉄の大社線が、旧大社駅と出雲大社の間に
「出雲大社前」駅を設置しています。
旧大社駅のホームの突端には、D51が保存されています。
なぜ、あんな隅っこなんでしょうね?
改札の目の前にあったら、ずごいデジャブ(既視感)なのに。 -
草に囲まれた線路の脇に、大きな千日紅が咲いていました。
-
出雲市駅に向かって機関車は停まっています。
全盛期にはSLが行き交っていた訳だから、
ここには転車台もあったんでしょうね。
今、駐車場になっている辺りかな? -
D51774の説明板。
「昭和49年11月30日に本州を最後に走ったのが、
このD51形774号機です」 -
なかなかの別嬪さんです。
-
D51774。
背後に出雲の山を背負って、絵になる機関車です。
かつて東京と出雲市の間を結んでいた寝台特急出雲のヘッドマークを
もらいたかったなあ。
赤地に白い雲と「出雲」の金文字。
きっとD51774の赤いプレートと合ったと思います。
寝台特急出雲は、2006年3月18日ダイヤ改正において
廃止されました。 -
昭和17年9月7日汽車製造。走行距離1,072,170.1km。
国府津・新鶴見・福知山・新見・浜田機関区所属。 -
これだけ状態のいいD51なんですから、もっとテンションが
上がってもいい筈なのに、なんだか微妙です。
昨日、「SLやまぐち号」として牽引するD51200を見たからかな?
動いているD51のあの重厚感。
あれを間近に感じた後で見る静態保存のD51は、静かで味気ない。
動いているD51は、200と498だけだから、
本当に貴重な遭遇でした。 -
運転室にも入れます。壁は漆喰のような白。
-
座席もクッション付きだし、清掃が行き届いていて、すごく綺麗です。
速度計は東京機器工業製。 -
観光客が、まるでこれからこの列車に乗り込むかのように歩いて来ます。
年間200万人以上が利用していた最盛期の昭和30年代は、
駅の前に観光バスがズラリと並んで待っていたんだそうです。
今は、乗用車が出雲大社の駐車場に入れなくて、
ここの駐車場に並んでいます。
私はここにも入れなくて(係員に断られた)、
随分と遠くに停める羽目になりました。 -
一等及び二等待合室は展示室になっていて、
当時の鉄道用品などが置かれています。
写真のC571は随分と大きな煙突ですね。 -
タブレット閉塞機。ここでも使われていたんですね。
単線区間での正面衝突を防ぐための装置です。 -
大社線最後の日は多くの人が見守る中、C571号機による
「JR大社駅さよなら列車」が運転されました。
なんと、「SLやまぐち号」の顔とも言えるC571が
大社線のラストを飾ったのでした。 -
「旧大社駅活用策について
大きな待合室は約100人が収容でき、
コンサートやファッションショー、
映画上映会の会場として利用されています。
駅舎の造形美を際立たせようと、2015(平成27)年から、
駅舎のライトアップが始まりました。」 -
さて、外に出てもう一度見事な駅舎の屋根を見上げて見ましょう。
「左右対称の社殿風な造りは出雲大社を意識しており、
中央屋根部分の両端には鴟尾(しび)」があしらわれています。
奈良の大仏殿の鴟尾に似ていますね(金色じゃないけど)。 -
でも、何と言ったって、ここでの一番の特徴は、この「亀」です。
いくつあるのかなあ? -
ちょっと下にもあります。
-
1匹ずつ全然違う亀なので、一生懸命探してしまいます。
-
こちらの亀は、落ちないように針金で止められています。
-
鴟尾(しび)と共に、災いから駅舎を守っているようです。
-
旧大社駅の脇にこんな車が停まっていました。
「出雲市“だんだん”ライド」です。
これは、超小型電気自動車です。
レンタルして、観光することが出来ます。
自由周遊と出雲大社観光コース、
それに夕日鑑賞コースの3つがあります。
2019年は7~11月、2時間2,500円、
3時間3,500円です。 -
ナンバープレートが豊田市なんですよね。
期間限定のトヨタからの借り物なんだろうな。 -
出雲大社の大鳥居です。
-
出雲大社の大祭令は、5月14~16日に行われるそうです。
-
出雲大社の前にあったマンホールは、意外にも灯台と海の絵柄でした。
-
雲南市の木次体育館の隣に、C56がいます。
-
砂箱の横にピンクの布が巻かれているのが気になる機関車です。
-
C56108。大きなデフが目立つ機関車です。
-
1937年三菱造船製造。1974年廃車。
-
木次(きすき)機関区OBにより、整備が行われています。
この機関車は、とっても近寄りがたくて、コメント出来ません。 -
ここも、低いけど生垣の向こう。離れて見るだけ。
-
D51が続いたからか、華奢に見える足回り。塗りが綺麗です。
-
小さな部品まで、かなりよく残っているようです。
保存会の人達が守って来たんですね。 -
ここからチラッとだけ見える運転席は、かなり計器類が残っていそう。
それにしても、ピンクの布が気になるなあ。 -
保存会の人と会えたらよかったなあ。
この機関車と親しくなれたかもしれないのに。 -
翌朝のJR松江駅です。
松江は、宍道湖と中海に挟まれた場所にあります。
両者を繋ぐ大橋川・剣先川・京橋川を次々に渡った先の
松江市総合体育館の東にある松江市北公園にC56があります。松江駅 駅
-
隣の総合体育館はとても立派な建物なのですが、
この一角は忘れられたように静かです。 -
SLの手前に変わった屋根の付いた石碑があります。
「シベリア強制抑留者慰霊之碑」です。
「碑文 悲惨を極めた第二次大戦は日本が連合国のポツダム宣言を
受諾して、昭和20年8月15日を以て終結した。
然し、終戦後にもかかわらず60余万人の将兵は酷寒の地シベリアなどに強制抑留され長期に及ぶ過酷な労働と飢え寒さ病気のため、
一割以上の方々が祖国の土を踏むことを果たせず無念の死を遂げた。
本県出身の犠牲者も500余名に達し誠に痛恨の極みである。
辛酸に耐えて生還し得た私たちは、
抑留死没者の冥福と恒久平和を祈念し、
不戦の象徴として、この碑を建立する。平成6年10月吉日
財団法人 全国強制抑留者協会島根県支部」 -
更に、「原爆慰霊碑」もあります。
「昭和20年(1945年)8月、広島・長崎に投下された原子爆弾は、
一瞬にして30万人余の生命を奪った破壊兵器でした。
被爆した私たちは、人類史上はじめて地獄の惨禍を受けました。
それから51年。放射能に怯え、後遺症に苦しみながら、
被爆者の死を見送り、今日まで生き残って来ました。
人類の敵であり、地球を守るためにも核兵器との共存は絶対にできない
という現実を全世界に宣言し続けらければなりません。
核兵器の廃絶、世界の恒久平和を実現することが
私達被爆者に課せられた使命でもあり、
被爆死した人達の霊を慰める唯一の道であると確信しております。
私達が核兵器被爆の悲劇を体験した証として、県下の被爆者が心を込めて平和祈念慰霊碑を建立いたします。
平成8年(1996年)9月 島根県原爆被爆者協議会」 -
ここにあるSLは、悲しい姿をさらしていました。
-
C56131です。1938年日立製作所製造。1975年廃車。
かつてはヘッドマークに「ちどり」と書かれていたようですが、
「ど」の文字が失われてしまっています。 -
雨ざらしのまま長期間放置されていたため、車体の損傷が激しいです。
-
この車体をここに設置した時は、新しいヘッドマークを付けるほど
歓迎されていたんだろうに。 -
尾灯もしっかり付いているし、錆を落として塗装をし直せば
なんとかなると思うのですが、松江市ではその気はないんでしょうね。 -
文字通り「危険」な物体になろうとしています。
-
徐々にこうして放置された機関車が解体されて行きます。
解体してくれるだけマシなのかなあ。 -
説明板もないので、この機関車がどこを走って、
ここに辿り着いたのかわかりません。
かつてこの車体を運転した人や整備した人は、
ここを訪れることはあるのかな?
こんな姿は見たくないでしょうね。 -
ナンバープレートの下の鉄板に穴が開いています。
「昭13日立」まだちゃんと残されているんだね。 -
車体は錆びるのが早いけれど、足回りはまだ大丈夫でした。
なんとなく緑色なのは、周囲の樹木の緑が反射しているからです。 -
右側は、広場側なので風雨が直接当たりやすいからか、
錆が出ていました。 -
もっと元気な時に会いたかったね。
-
部品などが意外に残っているから、大事にされてさえいれば、
愛された車体なのに。
さようなら。どうか安らかに。 -
松江を出発して大根島の由志園に向かいます。
旅行記は「島根県中海に浮かぶ大根島の由志園。牡丹の園へようこそ。」です。
次回はシリーズ最後、鳥取県のSLを訪ねます。
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