2019/08/04 - 2019/08/04
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kojikojiさん
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佐渡の旅も最終日です。ホテルをチェックアウトして大佐渡スカイラインを目指します。白雲台の展望台で休憩をして一路佐渡金山を目指します。バスの運転手さんは景色の良いところでバスを止めてくれるので写真も撮る事が出来ました。このバスストップがなければ「道遊の割戸」の姿を見る事が出来ませんでした。山を下った「佐渡金山」の坑内は涼しくて気持ち良かったです。ホテルの民謡ショーのMCのおばさんが坑内の人形は動くものが1体200万円、動かないものでも100万円という話が耳に残っていてどうしても人数を数えてしまいます。金山で面白かったのは「やわらぎ」という儀式で、大きな金の鉱脈が見つかった時に行なう芸能で、山の神様の気持ちが和らぎ少しでも岩が柔らかくやりますようにと願う儀式だそうです。衣装に書かれている「ムカデ」は金鉱脈がムカデに見えた事からこのようなデザインになったそうです。涼しかった坑道を出るとまた暑さがこたえます。すぐにバスへ戻って「北沢浮遊選鉱場」に向かいます。途中「佐渡奉行所跡」の前でも運転手さんがバスを止めてくださいました。「北沢浮遊選鉱場」に興味の無い母と妻はバスから降りようともしないので1人で見学しました。なかなか良かったのですが。お昼は国道沿いの「椿屋陶芸館」で蕎麦と鯛茶漬けをいただきました。存在は知っていましたが無名異焼の人間国宝の三浦小平二の作品を陶芸館で見る事が出来て良かったです。スケジュール上の「トキの森公園」は個人的にはあまり楽しめませんでした。佐渡を旅していて広大で美しい島に5万人ほどの人しか住んでいないのに朱鷺が絶滅した現実を考えると、無理に中国から譲り受けてまで繁殖させなくても良いのではないかと思いました。現在の自然でも繁殖できないものを狭いゲージの中で死ぬまで飼い続けるのは残酷だと感じます。連日の暑さでスケジュールが前倒しになり、フェリーまで時間があったので最後に「根本寺(こんぽんじ)」に参拝も出来ました。これで佐渡の旅程は全て終わり、両津港から「ときわ丸」に乗り新潟港へ向かいました。新潟駅では40分ほどの時間がありましたが、どこもお弁当は売り切れで構内を走り回ることになりました。そして新幹線で東京駅まで戻り楽しい旅も終わりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 船 タクシー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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佐渡島3日目も美しい朝焼けでした。今日も暑くなりそうです。
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洋風の料理に白ご飯と甘えびの味噌汁という朝ご飯です。
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普段は朝ご飯を食べないのですが、旅先だと美味しくいただけるのは何故でしょう。
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予定より少し早くホテルを出発して「大佐渡スカイライン」へ向かいます。今回のツアーでは佐渡島の北側半分には行かないのが残念です。特に父の古い写真に残っていた尖閣湾には行ってみたかったのですが。
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両津を出て15分も走ると山道に差し掛かり、どんどん高度が上がっていきます。
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途中に「航空自衛隊 佐渡分屯基地」を通過しました。一昨日から韓国から「経済戦争」と言われて何をされるか分からない状態ですから自衛隊の必要性を感じます。
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「大佐渡スカイライン」は金井と相川をつなぐ全長およそ30キロの展望道路です。最高地点の標高は900メートルを超え、真野湾から両津湾、国中平野や小佐渡山脈など佐渡全島を俯瞰できます。売店と展望デッキのある交流センター「白雲台」で少し休憩時間がありました。
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ここから上部が「大佐渡スカイライン」になるようです。
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右手には昨日通った真野湾が望めました。
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この方角には天気が良ければ本州の北アルプスや妙高山まで望めるというのでびっくりです。
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左手には両津と加茂湖がはっきり見渡せます。
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宿泊した「佐渡グランドホテル」は加茂湖の一番左側に位置しますが、湖の大きさに驚きます。
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佐渡島最高峰の金北山です。標高1172メートルでバスの運転手さん曰く「ひとなみにひとつたらず」と覚えるそうです。
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弾道ミサイル防衛に対応した新型警戒管制レーダー通称「ガメラレーダー」が見えました。こんなところにも防衛の要を感じられます。危険な朝鮮半島の国々はすぐ近くなのですから。
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売店で売っていた「大杉瑪瑙石」です。調べてみると真野の蛇山という山で採れた石を石磨き職人の高野さんという方が磨いているそうです。高いのか安いのかよく分かりません。
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一休みしてから「大佐渡スカイライン」を走り抜けます。
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車窓からは真野湾がどんどん近づいてきます。
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峠を越えて下りに差し掛かった途中で運転手さんがバスを停めてくれました。「道遊の割戸」という金山の露天掘りの岩山を横から眺める事が出来ました。この割戸はここでしか見ることが出来なかったのでありがたかったです。
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そして佐渡金山に到着しました。宗太夫坑の見学です。
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坑内に入った途端に涼しくなるので妻は大喜びです。
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「水上輪」と呼ばれる坑内水の汲み上げ作業の場面です。同じような仕組みは中国の張家界の水車に組み込まれていましたし、レオナルド・ダ・ヴィンチの発明にも同じようなものがありました。
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江戸時代には採掘坑を間歩(まぶ)と呼び、採掘場を敷(しき)、鉱石のことを鏈(鎖)と呼んだそうです。間歩を仕切るのが山師で、間歩の名は山師が着けることが多いそうです。この行動は宗太夫という山師が稼行したものです。
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人形が並んでいないと何だか分からないものもリアルに理解できます。
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「山留大工」は奉行所直雇の技術者で、断層の亀裂や軟弱な地盤には栗材や楢材を使って補強したそうです。
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坑道の出入り口には検問所があり、鉱石の不正持ち出しを防止し、運搬人の出入りを記録して賃金支払いの目安としたそうです。
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見学している部分と自分たちが歩いているのが坑道なのか見学路の境が分からなくなってきました。
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採掘作業は4時間ごとに交代し、金穿大工は他の坑内労働者と違い技術者として処遇が良く、食事や休憩の時間が取れて筵の上で横になることも出来たそうです。手前のおじさんは「馴染みの女に逢いてえ!」とか泣き言をほざいています。この人形の1体が200万円です。
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樋引人夫と水替人足は坑道内の排水やつるべや手桶で湧水をかいだす重労働だったそうです。
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「狸穴」と呼ばれる細い鉱脈を探す坑道です。
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坑道が狭くなると水揚機が使えずに人海戦術となり、水替人足と呼ばれる人が使われました。労働時間は隔日交代の一昼夜勤務でしたが賃金は良かったそうです。それでも人手が足りずに無宿人まで受け入れたそうです。
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金穿大工は鏨(たがね)と鎚(つち)だけで鉱石を採掘しました。
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「やわらぎ」とは大きな金の鉱脈が見つかった時に行なう芸能で、山の神様の気持ちが和らぎ、また少しでも岩が柔らかくやりますようにと願う儀式です。衣装に書かれている「ムカデ」は金鉱脈がムカデに見えた事からこのようなデザインになったそうです。
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後ろに見える白とグレーの部分が鉱脈で、確かに巨大なムカデが這っているように見えます。
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わらのむしろで作った袋を裃として、頭にむしろの烏帽子、顔には花切面を被り長い髭をつけた人が中央に座って幣束を振りながら祝歌を唄います。左右に花切面を被った坑夫が並んで、樽を叩いたりたがねで鉱石を掘る所作をします。むしろの裃には大きなムカデが描かれていますが、これは古くからムカデが金運を招くものとされたことや、その姿が金鉱脈に似ていたことから鉱山師の間では神様的存在だったとされます。
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坑道を抜けると博物館がありました。大きな奉行船の模型がありました。佐渡奉行は関ヶ原の戦いを経て佐渡が上杉氏から幕府の支配下となった慶長6年(1601年)に設置されます。当初は佐渡代官と呼ばれており、正式に佐渡奉行と名乗ったのは元和4年(1618年)からです。奉行は老中支配の布衣役で役高は1000石の他に役料1500俵で100人扶持が支給されました。慶応3年(1867年)には禄高にかかわらず3000両の役金が支給されています。
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「やわらぎ」の土人形も展示してありました。こんなの売っていたら買いたかったのですが。沖縄の琉球張り子のロードワークスにも負けないデザインです。
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佐渡金山で知った一番興味深かったのがこの「やわらぎ」でした。
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博物館には大判小判が陳列されていました。本物ではなさそうですが24カラットの鈍い輝きです。
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こうやって1両小判を造っていたのですね。
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今までただの金の塊としか見ていなかった大判が違って見えるようになりました。
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博物館の表には金山で使ったものであろう石臼が並んでいました。
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思っていたより楽しくて勉強にもなりました。
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徳川の三つ葉葵の紋が幕府の力がここまで及んでいたと感じさせます。
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北沢浮遊選鉱場へ行く道中に「佐渡奉行所跡」の前でバスを停めてもらえました。金脈の発見により佐渡は天領となり1603年に相川に「佐渡奉行所」が置かれました。奉行の住居もあった広い施設のうち「御役所」部分を復元し、「役所」や「白洲」などの司法や行政の場に加えて、金銀を精製する「寄勝場(よせせりば)」の機能を併せ持つ佐渡特有の奉行所が復元されているそうです。
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「旧鉱山事務所」を通り過ぎると「北沢浮遊選鉱場」はすぐです。
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「北沢浮遊選鉱場」に到着しました。ここは妻も母も興味が無いらしくバスから降りてきません。
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相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群が密集しています。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用して日本で初めて実用化に成功したものです。
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戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一」とうたわれました。
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現在は廃墟になってますが元々がどんな機能だったのかまではうかがい知る事は出来ません。
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もちろん中に入ることも出来ません。何となくメキシコのユカタン半島辺りの遺跡のように見えてきます。
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ジブリの映画「天空の城ラピュタ」は全く感じませんでした。
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50メートルシックナーの遺構です。直径50メートルの泥鉱濃縮装置で濁川上流にある間ノ山搗鉱場から排出された泥状の鉱石から水分を分離して対岸の「北沢浮遊選鉱場」へ送ったそうです。
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広大な敷地はもったいないですがこのまま残すしか方法は無さそうです。
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鋳造工場の跡は鉄を溶かすためのキューポラが残されていました。ここで金型をもとにいろいろな金属部品が造られたそうです。
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コンクリートが劣化して鉄筋が現れていますが、現在の建築物より配筋の細かさを感じました。
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最後のお昼は「椿屋陶芸館」でした。
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野菜やスルメイカの天麩羅にサラダとメインは鯛茶漬けです。
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そして佐渡の蕎麦粉の十割蕎麦です。つなぎには椿油を使用しているとのことでした。
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この鯛茶漬けは美味しかったです。どこの料理も期待以上だったので楽しい旅になりました。
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「無名異焼」の歴史は文政2年(1819年)に伊藤甚平が佐渡金山の坑内で産する無名異を用い楽焼を製造したのに始まり、安政4年(1857年)に伊藤富太郎がその無名異で本焼を始めました。渡金銀山中より産出する酸化鉄を含む鉱物を無名異(むみょうい)といい、それを陶土に用いて高温焼成したものです。その後初代の三浦常山は従来の質のもろい無名異焼を中国の宜興(イーシン)窯の朱紫泥と同様な堅牢な焼物にしようと努力を重ね、高火度の朱紫泥焼を完成させました。
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東京都の国立市にアトリエを構えた三浦小平二は1997年に青磁の技術で重要無形文化財保持者に認定されました。1970年代のはじめ頃に鈞窯の辰砂に行き着きます。鈞窯は藁灰釉を展開した結果としてあり藁灰を厚掛けし銅を入れて還元焼成すると辰砂になります。今まで三浦小平二は名前だけは知っていましたが、実際にこれらの作品を見て素晴らしいなと思いました。
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この柿色の釉薬と描かれた干し柿の絵が何とも言えません。欲しいなと思える作品ですがお値段を見てびっくり。
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佐渡ではずっと国道350号線の上を走っていたようです。
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わき道にそれてしばらく走ります。田んぼの中に観光バスが走る姿は傍から見たら面白いのではないかと思います。
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午前中に走ってきた佐渡の山並みが望めました。
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「トキの森公園」です。サドッキーがお出迎えしてくれますがこんな炎天下に着ぐるみなんて大丈夫なのでしょうか?
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この旅では空調ジャンパーを持って行きましたが暑い佐渡では結構役に立ちました。ファンがちょっとうるさいですがサドッキーからも同じ音が聞こえました。
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トキ資料展示館では保護増殖、野生復帰の取り組みなどの資料を多数展示していて、観察回廊からは隣接する佐渡トキ保護センターのケージにいるトキを観ることができます。
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初めて見る朱鷺のはく製です。学名はニッポニア・ニッポンですが日本では絶滅しています。
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現在保護センターにいる朱鷺は中国から譲られたものと聞きます。それが必要なことなのか疑問に感じます。
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ここのサドッキーは動かないはく製でした。
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佐渡おけさのポーズです。
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今年の春のバルト3国の旅ではどこへ行ってもコウノトリを見る事が出来ましたが、日本の朱鷺は何故絶滅してしまったのでしょう。佐渡島は思っていたよりも広大で自然もたくさん残っていたと思います。人口も55,000人ほどで絶滅に追いやった訳が分かりませんでした。調べてみると羽根を取るための乱獲が原因だったようです。
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こんなゲージがありましたが、飼育が必要なのか疑問でした。ただ調べてみると放鳥は何度か続けられ、2012年には放鳥された個体同士による野生での繁殖も確認されたそうです。2017年の環境省の調査によると92羽のヒナが誕生し、77羽が巣立ったことが確認されているそうなので必要な事業なのだと思えました。
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佐渡島では「アテビ」と呼ばれるアスナロの木がありました。青森県では「ヒバ」、秋田県では「ツガルヒノキ」と呼ばれますがその方が聞き覚えがあります。
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今年生まれたトキのヒナが水遊びしていました。
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奥には親鳥の姿も見えます。
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巨大なゲージの中ですが自然が再現されています。
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実際に佐渡の空で朱鷺の姿を見て見たくなりました。
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8月初旬だというのに稲刈りが始まっていました。理由は分かりませんが大きなオジロワシかトンビか十数羽留まっていました。田んぼに住む何かを狙っているように見えました。
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皆さんがバスに戻るのが早くて時間が出来たので「根本寺(こんぽんじ)」に立ち寄りました。日蓮宗の霊跡に数えられる名刹で日蓮聖人が他宗の僧と問答を戦わせ、「開目抄」を著した場が境内の「三昧堂」と伝わっており、「観心本尊抄」などを著した佐和田地区にある妙照寺と並び日蓮宗の霊跡となっています。
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「仁王門」は第13世日衍上人の造営で、棟札には寛永3年(1626年)と書かれているそうです。仏法の守護神とされる一対の金剛力士で寺門の左右に安置され、除厄の役をなしています。
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お寺の周囲は広大な田んぼが広がっています。
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「二天門」
宝暦元年(1751年)第27世日遙上人の創建で、慶應年間に第39世日宣上人により瓦葺に変えられています。七福神を略して四福神を安置しています。 -
山号の「塚原山」の扁額が掲げられています。山門の木組みが素晴らしいのに驚かされます。
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獏や獅子の彫刻も素晴らしいです。
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母たちはあっという間に「祖師堂」を参拝してきたようです。
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十二間九間総檜造の本堂は「寛文十二年、当山二十世日行上人の創建さる。棟札にいわく、明治三十八年日静上人瓦葺にとなす。」とありました。
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「祖師堂」天文21年(1552年)大泉坊日成上人の創業により初めて建立されます。その後70年を経て日衍上人が現在の布金壇上に再建します。
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「二天門」を内側から眺めたところです。
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日蓮上人の像が置かれてありました。佐渡流罪と決まった日蓮は、文永8年(1271年)10月10日に依智を出発し、11月1日に佐渡の塚原の墓地にある荒れ果てた三昧堂(葬送用の堂)に入りました。厳寒の気候に加えて衣類や食料も乏しい中に佐渡の念仏者などから命を狙われるという厳しい状況に置かれたそうです。
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日蓮上人は佐渡の地で多くの御書を残されていますが、重要な著作が「開目抄」と「観心本尊抄」です。文永9年(1272年)に著された「開目抄」は、日蓮大聖人こそが法華経に予言された通りに実践された末法の「法華経の行者」であるとされます。
「我れ日本の柱(はしら)とならん」
「我れ日本の眼目(がんもく)とならん」
「我れ日本の大船(たいせん)とならんそんなことを知っていると提灯の開目の意味も分かります。 -
京都に住んでいた祖父が寺町の骨董店で掛け軸を1本購入しました。後に調べてみると日蓮上人と一緒に佐渡へ流された高弟が赦免された喜びを書き記したもので、数千円で買ったものが数百万円になりました。「世の中がクラッとすると、ええもんが出て来るんや。」と笑った笑顔が思い出されます。
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これで佐渡の観光もすべて終わりました。加茂湖の脇を通って両津港に向かいます。
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フェリーターミナルでセイチョーの「もも太郎」を食べました。新潟に来たらこれを食べなければなりませんね。もも太郎だけど味はイチゴ味です。
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帰りの日曜日は「佐渡オープンウォータースイミング」が開催された日で、新潟へ戻る参加者と一緒になってしまいフェリーは大混雑でした。
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16:05発の「ときわ丸」で新潟に戻ります。
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偶然ですが「おけさ丸」と「ときわ丸」の両方に乗れてよかったです。
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「佐渡オープンウォータースイミング」大会のお別れは紙テープで賑やかでした。関係ないけど紙テープを投げさせてもらいました。思い返せば紙テープを投げたのは50年くらい前に島根の隠岐の島へ家族で旅した時以来です。
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左奥にオリンピックメダリストの松田丈志さんの姿も見えました。彼はフェリーでは無くてジェットフォイルで新潟に戻り、その後は東京で仕事だと言っていました。
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出港の時間になりました。
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両津港もシルエットになって遠く離れていきます。
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おけさ灯台に見送られて佐渡を後にします。
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さあカモメと遊びましょう。
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往路でさんざん写真を撮ったので上手く狙えるようになりました。
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かっぱえびせんを目当てに飛んでいます。
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今度来るときはお祭りの時が良いかもしれません。北側半分も見ていませんから、近い将来再訪したいものです。
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真上を飛ぶカモメは足を使ってスピードを調節しているようです。
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かっぱえびせんを落としました。新海誠監督っぽく飛行機雲を入れてみました。もしかすると飛行機の航跡では無くて北朝鮮のミサイルかもしれません。韓国のロケットはあんな高く飛びません。
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かっぱえびせんを取る瞬間も1枚。
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桜の花びらは秒速5センチですが、カモメは秒速どれくらいで飛ぶのだろうか…。
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佐渡航路に限らずフェリーに乗ったら左側にいることがおすすめです。船は右側通行だからで、新潟から佐渡へ向かうジェットフォイルが最高速で走り抜けていきました。
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そろそろ佐渡島も見えなくなっていきます。子供の頃に見た「ガンバの冒険」を思い出し、オープニングの歌が頭の中でリフレインします。佐渡島はノロイのいる島のように見えました。
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島影が見えなったので船内の探検に出ます。
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売店にあった冷凍のおけさ柿。
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佐渡汽船のオリジナルグッズも魅力的でした。
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「ときわ丸」は新しいので船内もきれいです。
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フロントもこんな感じです。しかし佐渡というと朱鷺という発想はやめたらどうかと思います。
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一昨日乗った「おけさ丸」とすれ違いました。同じ時間に新潟を出港しているので、ちょうどここが中間地点です。すれ違うタイミングは出港した1時間15分後を目安にすれば間違いないです。
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他にも大きなフェリーが通り過ぎるのが見えました。
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西の空は太陽が沈み始めました。
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夕日から逃げるようにクルーズは続きます。
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たくさんいたカモメもどこかへ行ってしまいました。
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停泊している貨物船も追い越して。
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新潟の町が見えてきました。
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ジェットフォイルがもう1艘佐渡島へ向かって走っていきました。
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新潟港のカモメが迎えにやってきました。
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すれ違いに出港していく船。
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灯台を越えれば新潟港はすぐです。
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そろそろ下船の準備が始まりました。
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周りの人は下船口に向かったっようです。
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海上保安庁の巡視船もスタンバイしています。フェリーターミナルから新潟駅まではバスが用意されていました。往路の時にタクシーだったのは長岡の花火大会でバスが出払っていたのが理由かもしれません。
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新潟駅では1時間のはずでしたが40分くらいの自由時間がありました。
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「ぽんしゅ館」へちょっと立ち寄りました。
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ここには唎酒のお酒がたくさん並び500円で最大5杯の試飲ができます。
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新潟はお酒が美味しいので酒好きにはたまらない施設です。ただ列車内で食べるようなお弁当が無いので早めに引き上げます。
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何とかスーパーでお寿司を買い、駅弁売り場でエンガワ寿司を手に入れて列車に乗り込みました。
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新潟を20:20発なので東京駅には22:28着です。家に帰ると午前様になりそうです。
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車内では缶チューハイと新潟限定ビールを楽しみながら帰路につきました。久しぶりの母を伴った楽しい3人旅でした。ただ残念なことにこの旅が最後の親孝行になってしまいました。
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