2019/07/28 - 2019/07/28
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たびたびさん
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国の重要無形民俗文化財に指定され、 日本三大船祭りのひとつともされている真鶴、貴船神社の貴船まつり。去年は、大型台風の襲来で中止となってしまったので、今年はそのリベンジです。ただ、今年も台風の影響で、ハイライトの船で港を渡る海上渡御は中止。本来なら渡御で使われるはずの華やかな飾り船も、無造作に港の傍らに置かれているだけでした。
では、何を見たらいいんだ?みたいな感じでしたが、駅前では、順繰りに花山車、鹿島連、神輿、東西囃子連のパーフォーマンス。赤ちゃんに福を授ける鹿島連の踊りはほのぼのとして独特のリズム。しっとりと長い歴史が詰まっているような雰囲気は印象に残りました。そして、一転して激しい神輿の練りも見応えあり。ここでも少し留飲を下げた感じになりました。
一方で、貴船まつりに絡めて、その前に東海道の6番目の宿場町、旧藤沢宿の散策。ただ、藤沢といっても藤沢市としては江の島の方のイメージが強くて、藤沢駅周辺は印象的にはパッとしない。今回、旧藤沢宿のメインストリートを確認しても、これまでのイメージは大きくは変わらなかったような気がします。
ということで、やっぱり藤沢は遊行寺ですね。正式名称は清浄光寺。一遍の開いた浄土宗の一派、時宗の総本山で、踊念仏で知られる遊行上人というのは一遍のことです。一遍は、四国の松山、湯築城に根拠を置き、河野水軍を率いた名門、河野一族の出身。
ところで、河野一族のことですが、源平合戦で源氏に味方し、鎌倉幕府の御家人となったり、足利幕府でもなんとか伊予国守護職を得ますが、細川氏や長曾我部氏の侵攻に、内紛等も重なり、結局、戦国大名にはなりきれない。最期は豊臣秀吉の四国征伐で、小早川隆景の説得を受けて降伏。57代の歴史に幕を閉じることに。瀬戸内の水軍といえば、村上水軍を思い起こす人も多いと思いますが、村上水軍は、外形的には河野氏の配下にあったという関係。あくまで、河野氏が伊予国の本流です。
豪族の出身という教祖は珍しいような気もしますが、浄土真宗の親鸞も日野富子で有名な日野一族出身。まあ、それはそれということでしょう。
そして、遊行寺には宝物館があって、以前立ち寄った際に心に残ったのは「一遍聖絵」のレプリカ。一遍が訪れた各地の風景・風俗が写実的に描かれて、世を救うべしと宣託を受けた熊野の様子などもありました。もう一つの見どころは、小栗判官・照手姫関連。小栗判官は歌舞伎の題目となったりして、あの世とこの世を舞台にし、あだ討ちや純愛、怪奇といった複雑な要素を含みます。この物語は実在の人物が背景。境内に墓があって、今回、確認することができました。
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藤沢駅から、旧宿場町のエリアを訪ねます。
旧藤沢宿は、東海道五十三次の6番目の宿場。途中途中に宿場の風景を描いた浮世絵のデザインがあったりして、それなりに宿場町だったことをアピールしています。 -
これは蒔田本陣跡。
江戸時代初期は大久保町の堀内家が藤沢宿の本陣でしたが、火事で焼けた後は、この蒔田家が本陣。総坪数約400坪の堂々たる構えだったようです。
ちなみに、藤沢宿には、享和三年(1703)当時で、本陣1軒、脇本陣2軒、旅篭46軒がありました。 -
さて、ここから、かつての宿場の名残を探します。
一角にある藤沢庚申堂。こちらは、慶安年間(1648年 - 1652年)に建てられてお堂で、旧藤沢宿でただ一つの庚申堂。それなりのお堂ですが、本尊の木造青面金剛についての説明版があって、60年に一度の御開帳。次回は2040年とありました。かなり気の長い話ですが、その分、保存状態もいいようです。 -
白山宮は、藤沢市街の小高い場所。なんでもないようなところに建つ小さな神社。境内もないことはないんですが、本当に小さな神社です。名前からして、白山信仰の神社でしょうが、説明も何もない。旧藤沢宿でいろんな人が往来して、こういう神社も建てられたんだろうくらいかなと思います。
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金砂山観世音は、藤沢橋交差点の近く。通りからは小高い山の上に続く石段が見えています。
詳しい由緒書があって、寛永年間に金井清西という人物が不思議な霊夢を感じて建立。天保年間に梶なにがしが再興したのだとか。 -
石段を上ると正面に砂山観音堂。その境内のお堂横に小さな赤い社があって、それは鼻黒稲荷大明神。独立したものではなくて、金砂山観音堂の守護神というようなことかと思います。
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少し移動して。
船玉神社は、主祭神、弟橘姫命を祀ります。
川沿いの住宅街の細い通り沿い。しかし、このなんでもないような道は鎌倉街道なんですね。鎌倉幕府3代将軍源実朝が入宋のための船の材木を切り出した場所であるともされ、当時は、江の島からこの辺りまで船が出入りしていたのだそうです。 -
そこから、遊行寺の方にぐっと近づきまして。
これは、ふじさわ宿交流館。大通りから少し脇に入った場所です。
それなりに大きな施設なのでゆったりと休憩するにはいい感じ。 -
敷地内に高札場が再現されているのも旧藤沢宿を偲べる雰囲気になっていると思います。ただ、朝早かったのでまだ開いていませんでした。
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少し裏手に回って、西富日限地蔵院は、遊行寺総門の西のエリア。なんでもない住宅地の一角。赤い屋根がちょっと特徴的ですね。
1週間とか十日とか、日数を限って願掛けすると願いがかなうという地蔵様をお祀りして、 江戸時代から藤沢宿の人々、飯盛女達からも信仰されていたという地蔵。これも藤沢の小さな歴史に関係しています。 -
遊行寺にはいくつかの塔頭があるのですが、真浄院はその筆頭。
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ここの住職は本山の役僧が務め、講中の宿泊所。歴代上人が法燈をつぐ時などはここで宿泊するのが倣いだそうです。
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本堂のデザインも薄緑の文字は屋根の色調に合わせたもの。なにげにおしゃれですね。それらしい気の配りようを感じます。
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その向かいの真徳寺も、もともとは遊行寺の塔頭だったいうこと。
見どころは、山門である朱塗りの赤門。鎌倉北条氏邸から寄付されたものだということです。 -
境内は広くはないですが、よく整備されていて廃れてはいない。緑も濃くて、潤いを感じます。
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遊行寺の境内に入ってきました。
入ってすぐにあるイチョウの大木が有名ですよね。樹齢700年といわれ、藤沢市の天然記念物ともなっています。 -
境内の地図を確認して。
いくつかの見どころをチェックします。 -
宇賀神社は、遊行寺の本堂からさらに奥に向かったところ。寂し気な一角に鳥居と小さな祠がありました。
この神社に祀られる宇賀弁財天は、徳川氏の祖とされる得川有親の守り本尊。ちなみに、有親は遊行十二代尊観上人の弟子となった人物。小さな祠ですが、よく見ると立派な意匠であることに気が付きます。 -
遊行寺の本堂裏手にある小さな塔頭は、長生院。永享元年(1429年)に建てられ、小栗堂とも。小栗判官の照手姫が晩年尼となって住んだという伝説が残るというのはちょっと驚きです。
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そして、小栗判官公並びに十勇士の墓は、その手前。普段は非公開なので、その墓に向かう入り口のところを確認しました。
ところで、小栗判官に関係する旅があるので、これも参考まで。
湯の峰温泉のつぼ湯
https://4travel.jp/travelogue/11110808
小栗判官まつり
https://4travel.jp/travelogue/11195594 -
藤沢諏訪神社は、遊行寺の境内と通りを挟んだ向かい側。山の中腹に向かってちょっと上ります。
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建武2年(1335年)、遊行寺を開く際、寺の鎮守として信州の諏訪から勧請したことが始まり。
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限られた広さの境内ですが、そこにきっちりハマるように建つ本殿。その感じが印象的です。
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続いては、感応院。こちらは、藤沢市街のもう端っこにある高野山真言宗の寺。山門までは普通なんですが、
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山門を入って境内に入ると山岳仏教の匂いが確かに漂います。
建保6年(1218年)、源実朝を開基として創建。江戸幕府から檀林所の指定や朱印地を与えられたとなれば、なかなかの名刹です。 -
常光寺は、浄土宗の寺。創建は、元亀3年(1572年)。鎌倉の光明寺二十七世の明蓮社光誉(西隠)による創建です。
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山門から境内はゆったり穏やかな雰囲気があっていい感じ。近所の人が散歩がてらぶらぶら訪れるといった風のお寺だと思います。
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その門前に店を構えるのは、パンの蔵 風土。
ちょっとした駐車場も備えた大きな蔵の店舗。 -
少し薄暗い店内にはいろんな種類の天然酵母を使った味わい深いパンが並んでいました。いただいたのは小麦の酵母を使ったハード系のパン。ナッツの入り方も程よくて、期待通りのお味でした。
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ところで、藤沢には伝義経首洗井戸という義経ゆかりの地がありますが、こちらは弁慶塚。
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主人を慕った弁慶の霊が義経を追ってこの地に飛んできた伝説から建てられた石碑。常光寺から少し離れた丘の上。常光寺で場所を確認して訪ねました。
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しかし、寂し気な一角で、訪れる人はほとんどいないような感じです。
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荘厳寺は、藤沢市街の高野山真言宗の寺。鎌倉時代の創建なので、古刹といえば古刹です。
ただ、境内はそれなりの広さがありますが、本堂からすぐに墓地が広がっていて。。言ってみれば、それだけのこと。観光の要素はほとんどないと思います。 -
少し移動して、永勝寺は、浄土真宗本願寺派の寺。
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境内は一段高い場所にあって、
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悠々とした広さも感じます。
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そして、見どころは、飯盛女の墓。山門の傍らに説明版があって、これは飯盛旅籠を営んでいた小松屋源蔵が建てたもの。藤沢には49軒の旅籠があって、飯盛り女を置いていたのはそのうち27軒。ここには、39基の墓があって、もう一つの宿場の歴史が眠っています。
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妙善寺は、藤沢市街の日蓮宗の寺。もともとは、真言宗の真蔵院という寺だったようで、流罪となった日蓮が佐渡に赴く途中、ここに立ち寄り、その後、日蓮宗に改宗されたと伝わります。
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赤い山門を入ると、きちんと整備されたした境内。
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洪水の被害にあった歴史もあるようですが、静寂な空気が漂います。桜の大木のアクセントも悪くないと思います。
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その境内の傍らには、正宗稲荷大明神。妙善寺が改宗して日蓮宗となった際に、境内に奉安されたという稲荷です。どういう意味があるのかは分かりませんが、背後に背の高い建物を控えていて、なんだか異様に立派です。
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近づくと普通の構えになるんですけどね。
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そして、これが先に触れた伝義経首洗井戸。市街地の何気ない一角。公園のような広さがあってそれなりに整備されていて、やっぱり大事にされていることが分かります。
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源義経は、奥州平泉の衣川館で自刃しますが、和田義盛と梶原景時が腰越の浜で首実検を行ったとされています。そして、首は腰越の浜に捨てられたが、この辺りに漂着。里人がその首をすくいあげ、洗い清めたのがこの井戸だということです。
頼朝は肉親だったわけですから、もう少し懇ろに弔うことをしてもよかったはずなんですが、ちょっと酷い。足利尊氏が後醍醐天皇のために天竜寺を建てたりしたことを考えるとずいぶん差があるような気がします。(まあ、足利尊氏は後醍醐天皇を弔う気持ちよりも後醍醐天皇の祟りを恐れる気持ちの方が強かったんだとは思いますが) -
白旗神社も、源義経首洗井戸や弁慶塚と並んでの源義経ゆかりの神社。
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奥州平泉の衣川館で自害した義経の首級が鎌倉へ送られ、腰越で首実検が行われた後、この神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承があります。
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境内の中にはっきりとした小山があって、本殿はその上。その地形もちょっと印象的だなと思います。
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白旗神社からついでに回ったのは花ノ木公園。ちょっとした空き地を利用した微妙な感じの都市型の公園がありました。ただ、遊具とかがちょろっと置いてあるくらいで、特にどうということはありません。
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もう少し、マイナースポットを回りましょうか。
真源寺は、県道43号線と藤沢市道652号線の交差点南側。参道である石段を上った先の小山の上。
創建は安永元年(1772年)と江戸期の中頃に創建された浄土宗の寺。境内には蓮の濃い緑の葉が美しい。よく整備されていて、きれいな寺だなと思いました。 -
伊勢山公園は、藤沢本町駅のホームからでもよく見えていて、この辺りではランドマーク的な存在。
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山の上に続く石段をがんばって上ると
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頂上に公園。
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頂上からは藤沢の市街越しに江の島が遠くに見えて、旧藤沢宿の名所のひとつであったことが実感を持って想像できました。
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藤沢駅に戻って、これは湘南フジサワコンシェルジュ。表から見ると立派な構えですが、観光案内所の部分はこじんまり。スタッフが複数いて、駅周辺の和菓子屋さんの情報を再チェックしようと思ったのですが、ちょっとマニアックだったかな。ほどほどの情報しかありませんでした。藤沢の関係はやっぱり遊行寺の関係がほとんどなのかなと思います。
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仕方がないので、せめて藤沢駅からほど近い老舗の和菓子屋さん松月を訪ねます。
しかし、せっかく訪ねたのに臨時休業?賑やかに看板が出ているうちの「遊行まんじゅう」が気になりましたが、残念でした。 -
最後に、これは葦。藤沢駅側から藤沢ルミネ店に入ってすぐの洋菓子屋さんです。
品数も豊富だし、なかなかの人気ですね。いただいたのは、シュークリーム。ちょっと柔らかめのシューにカスタードクリームが落ち着いた味わい。なるほど、悪くない仕上がりです。
ただ、結局、藤沢ではこの一軒。スイーツ巡りは不発となりました。 -
イチオシ
さて、藤沢駅から真鶴駅に移動しまして。まずは昼食かな。
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この辺りで圧倒的な人気を誇るみなと食堂に向かいます。
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ただ、真鶴駅から歩きましたが、だらだらと坂を下ってちょっと距離がありますね。
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しかし、さすが大人気の食堂。この日もけっこうな待ちになっていました。
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イチオシ
いただいたのは、一番人気の刺身定食2590円。何種類かの刺身が大皿にドーンと乗ってはいるのですが、でもこの値段なら普通かな。そして、メインのおいしい刺身はどれなのか。どれもごく普通の味わい。鮮度もやっぱり普通かなあ。
結果として、どうしてこれほどの人気がなぜあるのか。ちょっと不思議に思わざるを得ない感じ。もしかしたら、この周囲の何にもない片田舎の感じが受けているのかもしれません。 -
真鶴駅に戻る福浦の市街で、目についたのは杉崎精肉店。
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老夫婦がやっていて、揚げたてのコロッケ70円をいただきました。ちょっと甘いジャガイモの味が意外に心地よい。しっかり元気をもらったような気分になりました。
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さらに戻って、これはタカヤナイ。小さな洋菓子屋さんです。ついでに、ここにも寄って。
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いただいたのは、シュークリーム。
150円とお安めだし、味わいもそんな感じは否めない。うーん、正直、田舎の洋菓子屋さんかなと思います。 -
真鶴駅前から、真鶴港に向かうメインストリートはこちら。比較的ちゃんとした市街が続きます。
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イチオシ
これは、花山車。
お囃子をガンガン流しながら、あっという間に通り過ぎていきました。 -
こっちは、神輿のチーム。
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ただ、ひと練りして、休憩タイムかな。
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神輿を置いて、
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肉の石川で、皆さんメンチカツをつまんだりしています。
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で、私は港の方に向かいます。
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今年は、海上渡御はありませんが、飾りを付けた小早船は見れるということなんですよね。やっぱりそれを見ないと落ち着きませんよね。
あ~、あれですね。 -
なるほどー
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かなりの派手派手。
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イチオシ
船が山車の代わりになっているんでしょうが、それにしてもこの派手派手は伝統の祭りということからするとちょっと違和感がなくもないかな。
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ただ、船自体の装飾をみると
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まあ、正直、傷みはありますが、派手なだけではなくて
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精一杯の豪華さもそれなりにあるような。
じっくりの鑑賞にはややきついところもありますが、まあまあこんなものでしょう。 -
この小早船がメインのつもりでいたので、それをあっさり見てしまうと次の目標がなくなってしまったような。。
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祭りなんか気にしてないよといった風の親子連れの釣りを眺めたりして、いや、困りましたね。
これで帰るのかなあと思っていたところなんですが、地元の人から駅前でまだ見どころがあるという情報をキャッチ。それではいってみましょうか。 -
駅前で待つことしばし。
これも派手派手の花漕ぎです。 -
イチオシ
いわゆる傘鉾の類でしょうか。
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一人で担いで
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ぐるぐる回します。ふむふむ。
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続いての集団は、鹿島連。
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太鼓や鐘の鳴りものに
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いろんな小道具も携えた集団です。
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なんか白い浴衣の装束が涼し気で、独特の雰囲気がありますよ~
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駅前の広場に
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陣取って。
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この三人衆を中心にして
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盆踊りみたいに輪ができる。
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激しい感じではないんですが、
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緩いってほどでもないかな。
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そうそう、
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イチオシ
これはなんかほのぼの系ですね。
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それでも、振りにちょっとメリハリをつけて叩くのが
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ベテランの意気込み?
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単調な動きにならないように
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ホイヤ
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ホイヤ。
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と、気が付くと
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イチオシ
赤ちゃんを抱いて輪の中へ
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赤ちゃんに福を授ける踊りなんですね。
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訳が分からず、泣き出す赤ちゃんもいましたが、
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赤ちゃんに幸あれと、託す若いお母さん。
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しっかり、
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行方を見守って。
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うーん。
ますます、ほのぼのですね。 -
イチオシ
さて、続いては、本神輿。
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ちっちゃいのも来ましたね。
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とたんに賑やかな感じになってきましたよ~
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駅前広場でひとしきり練って
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練って。。
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あれれ、観光客が見ている駅舎に向かって急接近。
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イチオシ
おー、おー。
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駅舎に半分入り込んで練ってます。
ウオー。なんですかあ。 -
今度は、女性の神輿ですね。
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こっちも練って、
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練って。。
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これも駅舎へ。
こっちも本神輿に負けない迫力です。 -
駅舎内で爆発して、満足の面々。
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イチオシ
もう一つの神輿です。
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ここまでちょっとあっけにとられていた私ですが、冷静な気持ちを取り戻しましたよ。
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手を思い切り伸ばして、こんな風。
神輿の棒が天井に届きそうなくらいの勢いなんです。
今回も、海上渡御から宮入りは見れませんでしたが、まあこれで良しとしたいと思います。
お疲れさまでした。
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