2019/08/04 - 2019/08/04
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たびたびさん
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石取祭の名前は、祭りの起源である春日神社の流鏑馬神事の馬場修理のため、町屋川から石を運んだところから。気が付くと、確かに、本殿の前には、奉納された清らかな石が置かれていました。
ただ、石取祭が有名なのは、日本一やかましい祭りだから。威勢のいい大太鼓のバックでは、たらいほどもあろうかという大きな鉦(かね)がガランガランと響き渡って、確かにえらいことになってます。鉦は大きいだけに、そんなに力を入れなくても大きな音が出る感じ。力いっぱいバチを打ち込む大太鼓に対して、鉦の叩き手は涼しい顔をして大きな音を出す。その対比もちょっと面白いなと感じました。これなら、子供や女性でも十分うるさくできますよね。
そして、田町交差点から桑名宗社前の渡祭に向かう最後の辺りが大きな見どころ。昼間はどこかで休養していた青年団のマジな本番パーフォーマンス。ドーン、ドーン。ガンガラガンガラのド迫力は、昼間にさんざん見てきていたはずなのに、それまで自分は何を見ていたんだろうというくらい、まったくの別次元。全身のばねを使って鉦を引っ張ったり、早鐘みたいなリズム感。全身全霊のパーフォーマンスには、ちょっと鳥肌が立ちました。
ほか、昼間の祭車総数43台の山車が一堂に整列する曳き揃え。御所車風の祭車は比較的小ぶりですが、漆塗りの地に金・銀・真鍮などの金具、蒔絵や彫刻。加えて、上部には提燈や人形などを飾ったり、華麗な天幕も備えての可憐な美しさ。夜には車輪にゆらゆらと大ろうそくも揺らめいて、妖艶な雰囲気があるのもまた意外な見どころでしょう。
さて、ここで、桑名のこと。桑名のハマグリで知られる桑名宿は、東海道五十三次の42番目の宿場。ひとつ前の宮宿とは、東海道で唯一の海上路である七里の渡しで結ばれ、伊勢国の玄関口ともなっています。そういうことで、七里の渡し跡に建つ鳥居は、伊勢の国の一の鳥居なんですよね。
そして、徳川四天王の本多家の桑名藩の城下町とくれば、誇り高き歴史であることは想像に難くないと思います。
また、その桑名で、忘れてはならないのは、幕末のこと。
まずは、尾張藩の支藩であった美濃高須藩。第10代藩主松平義建には子が多く、次男は尾張藩第14代藩主徳川慶勝、五男は尾張藩第15代藩主から一橋家当主徳川茂栄。七男が会津藩主松平容保で、九男が桑名藩主松平定敬。これがいわゆる高須四兄弟。幕末の激動期、それぞれ苦難の道を歩みます。
桑名藩主の松平定敬は、会津藩主松平容保とともに、徳川幕府の先鋒。松平容保が京都守護職に任ぜられると、並んで京都所司代に任命され、連携して事にあたります。しかし、武運拙く、鳥羽伏見の戦いに敗れると、一時は慶喜に従い江戸で謹慎しますが、その後、桑名藩の飛び地、柏崎から会津に入り、容保と再会。会津から仙台経由、函館への転戦。戊辰戦争では徹底抗戦の道を歩む。戊辰戦争が終結すると再び謹慎の身でしたが、明治5年には謹慎を解かれ、明治41年までの後世を送ります。戊辰戦争では、会津と並ぶ朝敵とされ、精神的にも苦難の日々だったのかなと思います。
で、高須四兄弟の中で少し複雑なのが、尾張徳川家の最後の殿様となった徳川慶勝。徳川幕府からおしきせ養子を受け入れ続けた尾張徳川家の時代から、分家から入ったとはいえ、久々に登場した尾張家のプロパー当主。安政の大獄では謹慎を受けますが、その後、復活。第一次長州征伐では征討軍総督となり外交的に勝利。幕府の面目を保ちます。第二次長州征討では、これに反対。御所警衛の任に就くに留めます。しかし、これ以降も佐幕と勤王のはざまで苦渋の選択の連続。大政奉還後、新政府の議定に任ぜられると、徳川慶喜に辞官納地を通告する役回り。鳥羽・伏見の戦いの後は、尾張から江戸までの間の譜代親藩を含む大名に使者を送って新政府側に付くよう説得。新政府に都合のいいように使われた感もなくはないのですが、かたや、戊辰戦争の終結後は、松平容保、定敬の助命嘆願も行い、手を差し伸べています。
ちなみに、伊勢にあって、その対極なのが津の藤堂藩27万石。鳥羽伏見の戦いの橋本の戦い。山崎関門の守衛を行い、始めは「薩長と会桑の私闘にくみしない」と中立の姿勢だったのですが、新政府の勅使が敗退した旧幕府軍への追撃を命じると寝返り。対岸の幕軍砲台を砲撃したことで桑名・会津藩勢も加わっていた幕府軍は総崩れとなるのです。江戸時代は、藤堂家は外様とはいえ、東西を結ぶ要地に封ぜられ、いかに家康から信頼を得ていたのかが自慢だったはず。それを思えば、なんという体たらくかと呆れる行動。これは、後に「藤堂の犬侍」とそしられることになるのですが、当然といえば当然かな。ある地元の人の話ですが、これは津の人にとっては触れられたくない歴史となっていて、津城の整備が進まないことなども含めて、現在の三重における津市の存在の薄さにももしかしたらつながっているのではないかということでした。なるほど、矜持を失った津藩なんて地元のアイデンティティになれるはずもない。さもありなんという気もします。
で、祭りから離れて長くなってしまいますが、最後にもう一つは本多家のこと。徳川四天王の一人で、桑名10万石に封ぜられた本多忠勝。しかし、元和3年(1617年)には早くも西の抑えとして播磨国姫路藩に移封。その後、大和国郡山藩、陸奥国福島藩、播磨国姫路藩、越後国村上藩、三河国刈谷藩、下総国古河藩、石見国浜田藩、最後は三河国岡崎藩と頻繁に移封を繰り返しています。ちなみに、最後の三河国岡崎藩は5万石。例えば、幕末の四天王の働きですが、第二次長州征伐ではその正面ともいえる芸州口に配されたのは井伊の彦根藩と榊原の高田藩。井伊が緒戦で脆くも敗走するとこれを見た榊原も戦わずして敗走。装備が旧式でまったく弱い。これに対して酒井の庄内藩は、会津藩とともに列藩同盟をもって、新政府軍に抵抗。最後は降伏しますが、列藩同盟にあっては最後まで抵抗をし、わずかな面目を施しています。そして、本多の岡崎藩。なんとこっちは、尾張藩の陰に隠れてなんにもしてないんですね。
余談ですが、岡崎には、旧岡崎藩主本多家の末裔にあたる本多忠次が昭和7年、世田谷に建てた邸宅というのが移築されていましたが、なんか釈然としない。正直、建物にはセンスの悪さも感じて、私は最後の本多家にはあまりいい印象がありません。
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石取祭りは、今日が本楽。でも、昼頃からなので、その前に桑名市内を散策します。以前にもそれなりに細かく回っていますが、やっぱり、一回で十分ということはないはずですよね。
朝一番は、HORI COFFEE 本店は、桑名の名物カフェ。モーニングも人気なので、地元の人や観光客などで朝から大盛況です。 -
従業員の「HORIへようこそ!」の声に迎えられて、カウンターの席へ。ハムエッグとジャムのモーニングを注文。何気にピンクのトーストなんですが、訪ねると紅麹を使ってますとか。なるほど、女性にも人気の理由がよくわかるなと感心しました。
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ここから、スイーツチェックも交えます。
栄昌堂は、HORI COFFEEから。ただ、ここも、桑名の中心部からは少し外れかな。大きな通りに面しているんですが、道路が橋につながって高くなる辺りなのでちょっと隠れるような感じです。 -
桑名名物の都饅頭というのがありまして。
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ちょっと紫色っぽいこし餡に表面のごまというお決まりのスタイル。
一方で、焼き菓子の香ばしさが特徴かな。少しシナモンっぽい香りもあるような気がしました。 -
桑名市街中心部に戻って、これは明月堂。
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少しカーブした通りに面した老舗和菓子屋さんです。
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こちらでも、桑名の名物、都饅頭。都饅頭は、桑名市内のお店だとあちこちで置いてあるので、是非食べ比べてみてくださいと明るいご主人。都は東海道の宿で京都に思いを馳せるという意味なんだそう。そんな話もしてくれました。
ちょっと紫がかった小倉餡が上品な甘さ。ゴマの香りが添えられて、こちらも香りのいい焼き味が特徴です。 -
桑名別院本統寺は、浄土真宗大谷派の寺で、通称は「桑名御坊」。
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商店街の方に山門があって、身近な感じがありますが、
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やっぱり境内入ると威厳のある構えはさすが。織田信長の大坂石山本願寺攻めの時、本願寺支援のために尾張、美濃、伊勢の一向宗の評義所として設けられたというのが由緒です。
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改めて、寺町通り商店街へ。
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保々屋は、その寺町商店街の中ほどにある老舗の和菓子屋さん。
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イートインではかき氷なんかもやっていて、大きな構えの店舗です。
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いただいたのは、桑名名物の都饅頭。ここの都饅頭もちょっと紫色っぽいこし餡に表面のごまは同じスタイルですが、焼き菓子なのに皮がちょっとしっとり系。それでぐっと落ち着きが出ているような気がします。なるほど、なるほど。
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ここから、桑名城の方に歩きます。
市内を流れる川を越えて、 -
お堀は、もう九華公園ですね。桑名城跡を公園として整備したもの。
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ちなみに、桑名城の通称は扇城。中国には九華扇という扇があること、九華は「くはな→くわな」と読むことができることから、九華公園だそうです。
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ところで。桑名は、織田信長がこの地を征服すると、滝川一益が入りますが、長くは続かず、関ヶ原の戦い後は、徳川四天王の本多忠勝が10万石で入封。
公園のほとんどは堀や池。ちなみに、幕末の桑名藩は、松平容保の実弟である松平定敬が藩主。藩主がいない間に無血開城しますが、明治政府軍に焼き払われてしまいました。
そして、いわゆる高須四兄弟のことですが、それは冒頭述べた通りです。 -
吉之丸コミュニティーパークは、桑名城の三の丸跡に造られた芝生広場。
桑名のシンボル、本多忠勝の銅像が入り口にあって、その奥です。 -
ただ、芝生の公園自体は、特に積極的な魅力があるわけではない。空いたスペースが芝生になっているだけという印象。
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脇にお堀みたいな場所もあって、住吉浦の方につながる場所です。
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そして、これが蟠龍櫓。この七里の渡に面して建てられた漆喰の白さが印象的な櫓は、かつて桑名を描いた浮世絵なんかでも描かれたことで桑名のシンボルとして知られていますが、建物としての櫓とみると大きさもさほどではないし、どうなんでしょうね。
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二階がちょっとした展示室になっていて、本田忠勝関係の資料が少し。係の人もいて、丁寧に説明してくれます。
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少し進んで、住吉浦の雰囲気が濃くなってきましたね。
揖斐川の河口に位置する住吉浦は廻船の舟溜りで、全国から廻船業者が集まっていた場所なんです。 -
ちなみに、七里の渡しは、東海道における唯一の海上路。所要時間は約4時間で、熱田・宮の宮宿とこの桑名宿までを船で結びましたが、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つだったようです。ちなみに、七里の渡しの名前は、この間の距離が七里だったため。桑名は、東海道の42番目の宿場町で、この大鳥居は、「伊勢国一の鳥居」。これより伊勢路に入るという印で、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。
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そこから、住吉神社もすぐ。
航海の安全を祈るこの神社は、桑名の雰囲気を色濃く残す一帯のシンボルの一つです。 -
さらに、六華苑まで川沿いの堤防脇の遊歩道を歩きます。
そこから見えるのが、この長良川河口堰。手前の川は揖斐川で、長良川とここらで合流するのですが、その直前にある河口堰です。堤頂長は661m、高さ8.2m、建設費は1,500億円。海の塩水の遡上を防止する、あるいは水道用水、工業用水を取水するための機能もあるようです。愛知県と三重県の境を流れる木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を流れ、複雑に合流・分流を繰り返す地形。一見のどかに見えますが、しばしば洪水が発生して、厳しい治水の歴史がある場所でもあります。 -
さて、六華苑に到着。
こちらは、実業家二代目諸戸清六の新居として、明治から大正期に作られた邸宅。国の重要文化財・名勝です。 -
お客を迎える洋館と家族が暮らす和館がセットになった、このころの典型的な建築様式。東京の旧岩崎邸と同じです。
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イチオシ
総面積は18,000平方メートル余り。洋館は、鹿鳴館の設計で知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによるもので、木造2階建て。ヴィクトリア朝住宅の様式を基調としています。特に、外観の4階建塔屋が秀逸。いい天気で日を受けて、美しく輝いていました。
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先に庭の方を回ります。
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芝生と濃い松の緑がとても美しい。
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邸宅側から見るこの眺めも最高です。
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池を挟んで、邸宅を眺めると今度はこんな感じです。
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建物に入って。
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落ち着いた
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シックな雰囲気。
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派手な外観のイメージとは一線を画してます。
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内部のサンルームも明るくて過ごしやすそうです。
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住まいだった和館は、諸戸家お抱え大工の作。
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木造平屋造りで、
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暮らしやすさがうかがえます。
私は、今回二回目でしたが、また改めて、建物のすばらしさを実感しました。 -
続いては。。
桑名城城壁は桑名城の至るところにあるのですが、ここでいう桑名城城壁は、歴史を語る公園の入り口辺り。正面に堀川東岸の城壁を望む川口樋門から南大手橋に至る延長約500m。 -
城壁の傍らで廻船が賑わった雰囲気がしっかりと残っていて、もしかしたら桑名では一番風情がある場所かもしれません。
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そして、これが歴史を語る公園。しかし、この名前。地元では全然浸透していなくて、誰に聞いても分かる人はいませんでした。
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東海道の宿場町、桑名にあって、日本橋から京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られた、ミニチュアの公園。意図はわかりますが、ただ、ちょっと取ってつけた感がなくもない。やっぱり、微妙な公園です。
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さて、そろそろ祭りの方が気になってきました。
桑名宗社に戻ります。石取祭りは、この神社のお祭りです。神社は、桑名市本町にある桑名の総鎮守社。春日神社が通称です。 -
観覧席が設置されていて、すっかり祭りのモードですね。
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石取りの名前は、神社の祭場へ近くを流れる町屋川の石を取って奉納した起源があるためといいましたが、
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イチオシ
その奉納された石がこちら。本殿の前に並んでいました。
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なるほど、なるほど。
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イチオシ
そうこうしているうちに
祭りの準備が整い、皆さん、記念撮影ですね。 -
ちょっと落ち着いたところで。。
白酒屋 茂三郎は、桑名宗社の隣りにあるかき氷の有名店。 -
石取祭りの暑い日は、ここのカキ氷を食べるのが桑名っ子の定番なんだそうです。
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イチオシ
いただいたのは、今がお勧めという完熟パイン。瑞々しいおいしさがたまりませんね。練乳にアイスの素直な味わいも群を抜いていると思います。
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もうひとつのとらや饅頭も、桑名宗社の門前。
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看板商品のとらや饅頭ですが、ぼてっとした餡子の塊りを蒸した米麹の皮が包む生菓子風のおまんじゅう。餡子の存在感ある甘さを皮がほどよく和らげます。さすが桑名の名物です。
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ここからは、しばらく市内練りを拝見します。
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太鼓と鉦(かね)を取り付けた祭車は、43台。
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それぞれの組毎に
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そぞろ歩きみたいなペースで進みます。
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日差しはきついですが、皆さん、涼し気ないでたちですね。
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祭車は、やや小ぶりだし、
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二輪なので操作しやすい。
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引手の人数も限られていて、
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なかなか軽快です。
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その分、太鼓と鉦に集中できる。
やっぱり、こちらが主役です。 -
あ~、
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次々とやってきますね。
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お母さんと子供の鉦ものどかです。
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これは、八間通り。
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祭車曳き揃えの前に、ここで43台が並べられる。これは、祭り車の停まる場所を示す印。街の名前が記されています。
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イチオシ
桑名宗社の脇の道です。
この祭山は、職人町 -
なんかゆらりゆらり。
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大通りに出て、方向転換。
黒い漆がシックです。 -
今度は、田町
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そして、南魚町
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イチオシ
型は同じような祭山ですが、やっぱりデザインはそれぞれ違いますね。
車の赤いストライプがいいですよ~ -
イチオシ
女性陣が跡を追って、風情もありますね。
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さて、まだ、一日は長い。ここらへんで、昼飯といきましょう。
魚重楼は、創業明治34年。 -
桑名を代表する老舗料亭です。
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午前中に電話で空きを確認して、予約を入れておいたんです。
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イチオシ
頼んでおいたのは、ハマグリ尽くしの懐石です。
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通された中規模の部屋には、私一人。
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専用の仲居さんが順番に運んでくれるんです。
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ハマグリの南蛮付けとか
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お造りに、
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陶板焼き、
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茶碗蒸し、
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鍋、
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天ぷら、
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時雨煮の
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茶漬けなど。
それなりに堪能しましたが、やっぱりハマグリは繊細な味。ただ、敢えて言えば出汁がはっきり出るというものではないので、今の時代だとお客にアピールするには少し限界があるのかな。 -
せっかちになった現代。
気持ちに余裕もなければ、やっぱりおいしいものを感じることはできません。 -
さて、八間通りでは、そろそろ祭車が揃っているはずなんですが。。
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今片町
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宝町
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傅馬町
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鍜冶町
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上野町
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イチオシ
堤原
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だんだん、揃ってますね。
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京町
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馬道
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職人町
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東常盤町
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吉津屋町
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萱町
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西馬道
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羽衣
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新町
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上本町
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三崎通
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春日町
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東鍋屋町
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東矢田町
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次々、所定の場所に収まります。
なかなか華やかなもんですねえ。 -
ここで再び戦線離脱して、桑名市博物館へ。
幕末の桑名藩史を拝見。戊辰戦争を戦った松平定敬は、最後の桑名藩主。尾張徳川慶勝、一橋茂栄、会津松平容保、松平定敬は高須四兄弟。戊辰戦争ではそれぞれの道を歩むことになりましたが、松平定敬は会津松平容保とともに一番苦難の道を歩む。鳥羽伏見の戦い以降の行軍の地図と解説は興味が引かれる内容です。詳しくは、冒頭触れたとおりです。 -
その他、「桑名の千羽鶴」もちょっと面白い。
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ここまで複雑な折り方ができるのかという究極の折鶴です。
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お見事!
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博物館の並びにあるのは花乃舎。
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桑名を代表する老舗和菓子店の一つですが、店舗も大きなビルでなかなかの重厚感がありますね。
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この時期は、抹茶のカキ氷が有名。白玉と小倉餡が添えられて、ちょっと高級なかき氷です。黒い粒々は抹茶の粒なんでしょうか?抹茶の香りがとってもいいですね。店内はゆったりしているし、ここならグループでも寛げます。
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そこから寺町商店街に移って。
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大黒屋は、商店街の中ほど。名物のみたらしだんごをいただきます。醤油味のみたらしだんごは、うるち米で作っただんごなんですが、このもっちり感はちょっとないかも。もち米が少し入っているのかあというくらいの弾力です。少し焦げた香ばしさも悪くないと思います。
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それと忘れてはいけないのが安永餅本舗 柏屋。桑名駅から歩いて数分。
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桑名の名物、安永餅のお店です。
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つぶ餡の入った細長く平らな焼餅は香ばしいお餅と甘い餡子の組み合わせで、なんというかホッとするようなおいしさがありますね。一個からでも販売してくれるので、それもありがたいです。
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ちなみに、桑名の名物、安永餅を扱うお店は二軒あって、安永餅本舗 柏屋と八間通の交差点のところにお店を構えるこちらの永餅屋老舗 本店。安永餅の焼き餅の香ばしさとかやっぱりよく似ています。ただ、こちらのお店の方は、オープンな感じがもう少しあった方が気軽に入りやすいかな。そこが少し気になります。
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再び、八間通り。
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それぞれに、太鼓と鉦。
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全開という感じではないんですが、それぞれだらだらとやってます。
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と、祭山は、豪華な天幕を上げてますよ~
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神社の前で鉦や太鼓を打ち鳴らす「渡祭(とさい)」の場で揚げられるのですが、
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ここでも試し?なんでしょうか。
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それぞれ、子供たちも含めて
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鉦や太鼓は続いています。
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春日神社の方に移動して、最後の見どころの渡祭順1番祭車を待つことに。
あ~、やってきましたね。 -
ガラン、ガラン。ゆっくりこっちに向かってきます。
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ちなみに、石取祭本楽渡祭
先頭の花車はあらかじめ抽選で決まります。これはうちわに書かれた渡祭の順番表です。 -
神社の前で始まったのは、斎火受渡・渡祭始式。
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二つの組が向かい合って、
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なんか、引継ぎ式みたいな感じ。
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去年の花車から
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今年の花車へって感じかな。
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よくわかりませんが、
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そんな感じですよね。
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さて、それが終わると花車が広場に入ってきました。
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この広場は滑らかな石畳。広さもあるし、山車を引き回すにはまさにぴったりです。
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さて、花車に選ばれた名誉もあって、やる気満々。
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演技が始まりましたが、
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ドンドン
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ガランガラン。
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ドンドン、ガランガラン。
思い切りはじけます。 -
しかし、間近に見ているんですが、全体が写真にうまく収まらない。これ以上の場所はないんですけどね。何時間も待って、この場所を確保したんですけど。。
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そうこうしているうちに、花車のパーフォーマンスは終了。
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花車は広場を出て行きました。
ここで待っていると次々山車がやって来るんでしょうが、ちょっとね。
場所を変えてみましょうか。 -
ここは、田町交差点です。
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ドンドン、ガランガラン。
あれれ?
このド迫力はなんですか。お昼に見ていたのとは雲泥の差。体全体をバネのように使ってのパーフォーマンス。 -
イチオシ
ドンドンドンドン、ガランガラン。
私はこれまで何を見ていたんでしょうか。この腰を落として、体中の力を集中した叩き込み。すごいすごい。 -
子供や女性でも、それなりにうるさくできるって感心していましたが、これを見るとまったく目が覚めるような感じ。血が沸き踊るような感覚です。
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ドンドンドンドン、ガランガラン。
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ドンドンドンドン、ガランガラン。
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しばし、うっとりと眺めます。
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最後の最後に、本当にいいものを見せてもらったって感じですね。
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ここから、八軒通りを桑名駅の方に戻ります。
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今日は一日、十分楽しませてもらいました。
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これでいいでしょう。
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とはいえ、東京までの終電には、まだ時間に余裕があるので。例によって、もう少し粘ります。
モナミ洋菓子店は、桑名駅からのほど近くのおしゃれな洋菓子店。広い敷地にゆったりと構えた店舗です。 -
いただいたのはエクレア。別に期待はしていなかったのですが、なんですかあ。とっても柔らかいシューにチョコと甘あいクリームのコラボがとってもグー。もしかして、過去最高のエクレアかも。こんなところで、なにげにすごいものに出会ってしまいました。
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そして、晩飯は歌行燈。
少し駅から離れますが、桑名駅前店の方にお邪魔しました。 -
うどん屋さんと言っても、セットものとかちょっと豪華なメニューがずらり。店内も悠々だし、地元を代表するお店でしょう。ちなみに、歌行燈は、泉鏡花の小説から。店内に泉鏡花の桑名を描写した一節が紹介されていて、それも心がときめきました。泉鏡花は、金沢出身の小説家なんですが、桑名でも大事にされているんですね。独特の耽美な世界観があって、私もおおいに魅力を感じる一人です。
さて、これで二日間の旅はおしまい。お疲れさまでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- よっちゃんさん 2020/04/17 15:45:54
- 楽しく読ませていただきました
- 初めまして。熊本のよっちゃんです。
今までにも何回も私のつたない旅行記を読んでいただいてありがとうございます。たびたびさんの桑名の旅行記を読んですごいなあと思っています。
実は私の息子が桑名に5年くらい住んでいましたので(今年熊本に帰りました)、孫たちに会いに行くことがありました。そのたびに伊勢神宮や養老の滝、などを訪ねました。また石取祭のことも聞いていましたので知っていました。
しかし、たびたびさんのようには詳しくは知りませんでした。
桑名の街のことも良く調べられており改めて勉強になりました。実は今年の2月にも桑名に行って桑名市内をいろいろ歩いて回ったのですが、まだ見てないところがあるんだなあと思いました。東海道五十三次の道をたどって国道1号線のところから歩いたんですが、途中で道を間違えてしまい、桑名博物館を見つけてそちらを見ました。九華公園は桜の季節に行ったことがあります。また七里の渡しは何回も、今年はまだ中に入っていなかった六華苑に行きました。ボランティアの人が丁寧に説明してくれてよくわかりました。また店もいろいろご存じですね。私は桑名駅前の安永餅がお気に入りで土産に買っていました。ただ日持ちが悪いんであんまり大量には買えませんが。
長々と書いてしまいました。大変感心したものですから書かせてもらいました。参考になりました。
私も桑名五十三次ぶらぶら旅を書いてみたいと思います。
- たびたびさん からの返信 2020/04/18 19:49:45
- RE: 楽しく読ませていただきました
- 桑名は名古屋にも近いし、完全に名古屋の通勤圏。名古屋の通勤圏は、たぶん、四日市くらいまでかなど思いますけど、桑名でも、やっぱり、三重県としての意識はちゃんと高い。しかし、三重県は伊勢、伊勢と言えば伊勢神宮みたいなことで、それがあまりにも圧倒的な存在なので、江戸時代の幕藩体制のアイデンティティが意外に希薄なんですよね。紹介した本多家、藤堂家のほか、松阪の基礎を築いた蒲生氏郷も含めて、三重県としてみるとちょっと影が薄い。やっぱり、本居宣長の方がしっくりするんじゃないかなと思います。
三重県は、引き続き、追いかけるべきテーマがあって、続編も手持ちしているところ。また、アップした際は、よろしくお願いします。
たびたび
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