2019/06/28 - 2019/07/07
4483位(同エリア5899件中)
らぱぱ代さん
スロヴェニアの観光を終えてクロアチアに入ります。
その2は、宿泊したオパティヤと、3日目に回ったイストラ半島の3つの町プーラ、ポレチュ、ロヴィニについて。
6月28日 成田出発、ブレッド泊。
6月29日 ブレッド湖、ポストイナ鍾乳洞、オパティヤ泊。
6月30日 イストラ半島(プーラ、ポレチュ、ロヴィニ)、オパティヤ連泊。
7月1日 トロギール、スプリット、スプリット泊。
7月2日 午後ドブロヴニク観光、チャフタット(ドブロヴニク近郊)泊。
7月3日 終日ドブロヴニクで自由行動、チャフタット連泊。
7月4日 モスタル、プリトヴィッツェ泊。
7月5日 プリトヴィッツェ国立公園、ザグレブ泊。
7月6日 午前ザグレブ自由行動、ザグレブ出発。
7月7日 成田到着。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ポストイナから宿泊地のオパティヤまではバスで1時間半くらいです。
途中、国境を越えてクロアチアへ入国。国境越えについては何も印象に残っていません。入国したあと、検問所の近くで円からクロアチアの通貨クーナに両替しました(日本ではクーナに両替することはできません)。食事の際の飲み物代とかトイレチップとか、クレジットカードが使用できない場面を考えて15,000円を両替。ほどんど使いきりました。
オパティヤは、北側に1400メートルほどの山があり、冬も寒気がさえぎられ温暖なため、オーストリア=ハンガリー帝国の時代から王侯貴族が訪れていた高級リゾート地で、クロアチアのリヴィエラとも称されているそう(リヴィエラは行ったことないけど)。 -
オパティヤの街です。
海沿いのプロムナードから。
大きなリゾートホテルがあるわけでもなく、瀟洒なホテルや別荘が並んで、ゆったり滞在を楽しむにはいい街ですね。海はとてもきれいで、砂浜ではありませんが、海水が入り込むように作られたプールもあり、のんびりできます。 -
宿泊したホテルのクリスタル。オンザビーチ。海に面しています。私は一人参加でダブルベッドルームだったので、海側ではありませんでしたが、他の皆さんは海を見ながらの滞在だったようです。
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古い建物を改装したのでしょう、ちょっと不思議な間取り。でも十分な広さ。
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フロア見取り図。上側の部屋が海に面しています。
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夕食はホテルのダイニングでビュッフェ。屋内にも席がありましたが、せっかくなので、海に面したテラスの席でいただきました。メインもデザートもいろいろな種類があり満足です。因みに外に出ていた看板によると1人前100Kn(1Kn≒17円)。日本じゃこのお値段では絶対食べられない。飲み物はビール500大、30Kn。
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恒例の朝食前お散歩。車が通る道ではなく、ホテルから直接海側に出て、海沿いのプロムナードを歩きました。オパティヤは東を向いた街なので、朝日が当たり始めました。
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少女とカモメの像。
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少女とカモメの像からもう少し歩くと、ヴィラ・アンジョリーナがあります。写真は、車道に面した入口の門ですが、プロムナードからも入れます。
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ヴィラ・アンジョリーナは、それまで小さな漁村に過ぎなかったオパティヤが現在のリゾート地になる転機となった建物です。近くの貿易港リエカの豪商だったイジニオ・スカルパによって1844年に建てられ、アンジョリーナは彼の妻の名によります。イジニオ・スカルパはこの館にヨーロッパの上流階級の人々を招いてもてなしたことから、オパティヤの名が広く知られるようになりました。
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館の周りには庭園が広がっていて、日本や中国、オーストラリアなど世界各地から集められた樹木も植えられています。
散策先としてはぴったり。ホテルからはぶらぶら歩いて20分ほど。 -
朝食のビュッフェ。爽やかな朝の空気の中でおいしくいただきましょうと、またテラスの席に座りましたが、食べているとお日さまさんがだんだん移動してきて、太陽光線攻撃にあいました(笑)。
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今日はイストラ半島の3つの町を巡ります。イストラ半島はアドリア海の北の端に三角形に突き出た半島で、その三角形の先端(つまり南端)がプーラです。オパティヤはその三角形の半島の東側にあるので、プーラへは海岸線沿いに南下するのかと思いきや、バスは半島の中央部をはしる高速道路をとばしていきました。
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プーラ到着です。プーラはローマ時代には通称の中継地として栄えた港町で、ローマ時代の遺跡が残ります。
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プーラといえば、円形劇場。1世紀に建てられたもので、プーラの象徴的存在です。
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10クーナ札にも描かれているほど。
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楕円形で、長径130m、短径100m、25,000人収容。世界で6番目に大きいそうです。一番大きいのは本家本元ローマ、次いでベローナ、3番目はチュニジアのエル・ジェム、4番目と5番目はどこだ?
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入場観光するほどでも無いということでしょうか、入場はしませんでした。確かに外から透けっすけに見えますもの。
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劇場を半周くらい回って鑑賞しました。
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これは、以前にこの円形劇場に実際に赤いネクタイを巻いた時の写真(添乗員さんがお持ちのものを撮らせていただきました)。クロアチアはネクタイ発祥の地と言われています。こういう遊び心のあるイベント大好き。見たかったなぁ。
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円形劇場を後にします。
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プーラの町の模型。円形劇場もちゃんとあります(当たり前か!)。
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旧市街に入ってきました。双子門。ローマ時代に町を取り囲んでいた城壁に作られた10の門のうちの一つです。
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ヘラクレス門。紀元前1世紀に作られた市内に残る最も古い門です。ヘラクレスの頭のレリーフがついているため、こう呼ばれています。
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ハプスブルク帝国時代に築かれ、戦時中は防空壕として使用されていた地下トンネルの入口。現在は一部が公開されているそうです。入ってみたかった。ツアーでは無理。
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セルギ門。
この近くの青空市場で、お買い物とトイレ休憩を兼ねてフリータイムとなりました。 -
青空市場。青果屋さん。
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青空市場。トリュフ屋さん。
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青空市場。ハチミツ屋さん。ツアーの中ではここがお安いですよという添乗員さんの情報で、皆さん、試食をして、重いわぁと言いながらもお買い上げになっていました。
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肉や魚は青空市場というわけにはいきませんから、すぐ横に冷房完備の市場の建物があります。アドリア海で取れたお魚がいっぱい。
そして、この市場の建物にトイレあり。有人。2Kn。私は快適に用が足せるなら有料でかまわないと思う派です。とくに中東やアフリカを旅行しているとその感覚が強くなりました。 -
さて、観光に戻ります。
セルギ門。ローマ帝国に功績のあったセルギウス家の栄誉をたたえるため紀元前27年に建てられた凱旋門です。この凱旋門は当時の城門前に建てられ、両方の門をくぐると、当時のメインストリートだったデクマヌス大通りへ続いていました。 -
門は翼のある勝利も女神ヴィクトリアやぶどう装飾などのレリーフで飾られています。
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門のアーチの天井にいるのはドラゴン?
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カフェ・ウリクス(ウリクスとはクロアチア語で「ユリシーズ」の意)のテラスには、アイルランド人作家ジェイムズ・ジョイスの銅像があります。ジョイスは小説「ユリシーズ」で有名だそうですが(読んだことないけど)、22歳のときにここプーラで英語を教えていて、このカフェは彼が英語を教えていた学校の場所とのことです。
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いかにも旧市街という感じです。
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と、現地ガイドさんが、とある洋品店に入っていきました。???と後についていくと、その店の裏庭にローマ時代のモザイクが残っていました。博物館に収められるほど大きい物ではありませんが、細かくて保存状態もよく、美品です。ローマ時代のプーラの繁栄がしのばれる品ですね。
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店先に案内表示がありましたが、お店としては通路に利用されるだけで、どんなものなのでしょうね。ありがたや。
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さらに進んでいくと、
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フォーラムに出ました。ローマ時代の公共広場フォロですね。
向かって右が市庁舎で、左がアウグストゥス神殿。 -
紀元前2年から紀元14年、ローマの初代皇帝アウグストゥスの時代に建てられたため、アウグストゥス神殿と呼ばれていますが、キリスト教の下、異教の神殿は穀物倉庫として使われたりしていました。
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本来、ここにはアウグストゥス神殿と並び「月の女神のダイアナ神殿」がありましたが現存せず、その跡地に、1296年、ロマネスク風の4つのオープンアーチのあるロッジアが建てられ、ベネチア時代には共和国政庁として、現在は市庁舎として使われています。
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市庁舎の裏側にはダイアナ神殿のものと思われる円柱がそのまま建物の一部にくっついて残っています。
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フォーラムは市民の憩いの場。カフェでくつろいでいる人がたくさん。
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フォーラムのすぐ北側には、プーラ大聖堂と鐘楼。ここもかつてはローマ神殿がありましたが、その跡地に建てられた教会がこの大聖堂の起源です。当初のバシリカ式の建物は14~15世紀に修復され、17世紀に石のファザードが取り付けられ、その後鐘楼が建てられて現在の形になりました。内部は見学せず。
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細い道を挟んで、すぐ港です。
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プーラの観光を終え次のポレチュにやってきました。プーラから北へ、ロヴィニ、ポレチュの順に並んでいますが、昼食の関係でしょうか、ポレチュが先です。
昼食で利用したレストラン。 -
前菜。
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メイン。クロアチア風ブイヤベース(魚の団子のトマトスープ煮込み)。お飲み物、ビール大35Kn。
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デザート。ベリーのゼリー。
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食事を終えて観光に入ります。
コスペ・オド・アンジェラ教会とその前のスロボダ広場。カフェがぐるっと取り囲んでいます。 -
スロボダ広場から旧市街へデクマヌス通りをまっすぐ進みます。現在はショッピングストリートになっていますが、紀元前2世紀にローマ時代の都市計画に沿って作られたメインストリートです。道畳は人々の足で磨き込まれてピッカピカ、ツルツル。年月を感じさせます。
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とある角を右に曲がると、先にエウフラシス聖堂が見えました!
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1997年世界遺産登録のエウフラシス聖堂。
ポレチュにはキリスト教がまだ禁止されていた3世紀からすでにキリスト教徒のコミュニティがあり、5世紀に建てられた教会を取り壊して、543年から554年までポレチュの司教を務めたエウフラシスがここにバシリカ式の聖堂を建て、美しいモザイクで内部を飾って神に捧げました。 -
聖堂敷地に入る門の上部のモザイクからもう目を奪われます。
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聖堂見取り図。入口は図の右側です。
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門をくぐると通路があり、
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その奥には聖堂に向かい合う形で、入口に屋根付きの四角い回廊で囲まれたパティオが残っています。回廊つきの中庭はヨーロッパの修道院ではよく見かけるものの、教会入口にあるのはとても珍しく、「アトリウム」と呼ばれる回廊で、古代末期から中世初期のバシリカにはありましたが、時代が下りキリスト教信者が増え教会が手狭になると、アトリウムを取り壊してその敷地を本堂の拡張に充てたため、現存するものは少なく、初期キリスト教時代の面影をとどめる貴重な建築物です。
アトリウムの向こうの建物は、八角形をした洗礼堂と鐘楼。日曜日ということで洗礼堂、鐘楼、博物館の見学ができなかったのが残念です。 -
聖堂の内部は大理石の柱で区切られた箱形の三廊式で、典型的な初期キリスト時代のバシリカの造りです。左の柱のアーチには植物模様などで縁取られた美しいレリーフが残っています。
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列柱が並ぶ聖堂の奥に金色に輝く荘厳な祭壇があります。この聖堂見学のハイライト、6世紀ビザンチン時代のモザイクです。祭壇の手前に「チボリウム」と呼ばれる4本の足のついた天蓋式の祭壇が置かれています。これは13世紀になってから置かれたものですが、ここにもモザイクが施されています。
モザイクならば、ベネチアのサンマルコ寺院のものが有名です。もちろん量的な規模はサンマルコ寺院に及ぶべくもありませんが、サンマルコのモザイクが早いものでも11世紀、多くはチボリウムと同じ13~15世紀以降のものという作成時期と、キリスト教普及期の作品ということも合わせて考えると、素晴らしいものであることがよくわかります。
アドリア海をはさんだイタリアのラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂にも6世紀のモザイクが残されているそう(1996年世界遺産登録。)。是非見てみたいものです。 -
同行の方からいただいた写真。カメラの性能が良いため、モザイクの神々しさがさらにアップ。
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金色に煌めく後陣(教会の一番奥の半円形のくぼみ)の天井ドームの中央には幼子キリストを抱いた聖母マリアが座り、その両脇に大天使、さらに脇には聖人が並んでいます。中央の聖母子から数えて左3人目の黒い衣の人物がこの聖堂を建てさせた司教エウフラシスです。手にこの聖堂の模型を持っています。
後陣アーチ部分のメダルのような丸い縁の中に描かれている人物は殉教した12人の聖女たち。一番上の子羊はキリストを表しています。右最上部は後ほど訪れるロヴィニゆかりの聖女エウフェミアです。
天井に近い平らな部分の壁画には、中央にキリスト、両脇に12使徒が並んでいます。キリストの左には天国の鍵を持つ一番弟子のペテロ、右はパウロです。 -
チボリウム左の受胎告知の場面。
ローマ人は床をモザイクで飾りましたが、ビザンチン時代になるとモザイクは神聖な教会の天井や壁を飾るために用いられるようになりました。毎日足で踏みつけられる床とは違い、壁や天井には壊れやすくても美しい素材を用いることができます。色ガラスの使用が可能になり、そしてガラスとガラスの間に金箔を挟んだ金色のテッセラを人物の背景に使う手法を取り入れたことで、キリストや聖人たちが神々しく浮き上がるようになりました。
ビザンチン・モザイク美術は、8世紀から9世紀前半まで続いた聖堂破壊の動きの中で本場コンスタンチノープルでは破壊されてしまったため、ほとんど残っていません。コンスタンチノープルから遙か離れた場所にあって、東方正教会の影響を受けなかったため壮麗な遺産が残ることができました。 -
右の側廊に対応する小祭室の半円形のドームには、聖人たちに月桂冠を授けるキリスト像が表現されています。
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聖堂を出たところでフリータイムになりました。ポレチュは西に突き出た半島なので、海辺にでる道を見つけて、海沿いにぐるっとお散歩。ただ、ローマ時代に城壁に囲まれた街の名残で、一度海辺に出ると旧市街に戻る入口が少なくちょっと焦りました。暑い中、速歩、早足、せっせ、せっせ。
ポレチュのバスターミナルのトイレ。コイン式、5Kn。出るときは壁のボタンを押す。(出方がわからず、混乱) -
さてまたバスに乗りロヴィニにやってきました。
旧市街はかつて島に築かれた城塞都市でした。10~13世紀には商業の発達を背景にして市民が台頭し、貴族から評議員を選ぶ自治的な町の運営をしていましたが、13~18世紀にはベネチアに支配され、近代でも1918~47年はイタリア領でした。
人口が増えたため1763年に島を隔てていた海峡が埋め立てられ、陸続きとなりましたが、島の中央の高台にある聖エウフェミヤ教会の鐘楼を中心に海からこんもりと建物が建ち並んだようすは、島だった時代の面影を残しています。 -
バスを半島の東側で降りて、北に海を眺めながら歩いていきます。
午後なので、逆光になってしまって残念。 -
埋め立てた海峡部分を歩いて、旧市街の南側に出ました。
バルビ門。1680年、ベネチア時代に建てられた旧市街への入口です。門にはベネチアの守護聖人ををあらわした「聖マルコのライオン」と町の有力者だったバルビ家の紋章が刻まれています。 -
バルビ門をくぐり、丘の上の聖エウフェミヤ教会まで上がります。小さなショップやギャラリーが軒を連ねています。
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迷路のように入り組んだ脇道が自在に延びています。
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小さな広場に面して窓がいっぱい。地中海の雰囲気を漂わせる古壁の家々がひしめいています。
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こんな中庭もあります。
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昔ながらの石畳の坂道です。写真で見るより勾配はきつい。ツルツル、ピカピカ。雨の時はすべってたいへんでしょうね。
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メインストリート以外は生活感たっぷり。洗濯物がいいお味を出しています。
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聖エウフェミヤ教会の鐘楼が見えてきました。
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高さ63メートルの鐘楼のてっぺんには聖エウフェミヤの銅像でできた風見鶏がついています。聖エウフェミヤは車輪で拷問されたため(想像不能です。。。)、シンボルとして車輪を持ち、信仰の勝利の印であるシュロの葉を掲げています。イストラ半島では最も高い鐘楼で、海のかなたからでもよく見えるそうです。海から眺めたかった。
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教会内部の祭壇。
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祭壇の後ろに、聖エウフェミヤの遺体を納めた石棺がます。あります。
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エウフェミヤは290年、コンスタンチノープルの対岸の町に生まれ、ディオクレティアヌス帝時代に迫害されて、304年9月16日、15歳のときに車輪で拷問されライオンにかみ殺され殉教したとされています。殉教日である9月16日には毎年棺の蓋が開けられ、中を拝むことができるそうです。現地ガイドさんがスマホの写真をみせてくださいました。
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教会内部には聖女殉教の場面の絵があります。ライオンは飢えて気が立っていたにもかかわらず、彼女を殺したものの、その周りを途方にくれてうろうろとまわるだけで、それ以上彼女に近づくことも食べることもできず、殉教を見にきていた観客を驚かせたというもの。
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こちらも教会内部にある絵です。
聖エウフェミヤの遺体は生まれた町にありましたが、町がペルシャ人に占領されたためコンスタンチノープルへ移されました。その後聖像破壊運動が起こったため、遺体の3番目の保管場所となったのがここロヴィニです。伝説によると、800年7月の嵐の夜、彼女の遺体を納めた石棺がコンスタンチノープルから消え、ロヴィニの沖合に現れました。村人が何頭もの牛や馬を使って石棺を岸に引き上げようとしたものの重すぎてできなかったところへ、どこからともなく幼い少年が2頭の子牛とともに現れ石棺を引き上げたそうです。力の弱い子牛がたった2頭で石棺を動かしたことに、神の意志を見たのでしょう。 -
聖エウフェミヤ教会の丘から見たアドリア海と聖カタリナ島。
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ここでフリータイムになったので、何とかしてロヴィニの順光のきれいな写真が撮れないかと、半島の南側の港をぐるっと回って対岸から撮ってみました。
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もう少し先まで行けば多少違うのでしょうけれど、ここはこれで断念。
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半島の南側に伸びる突堤にも足を伸ばしてみました。
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やっぱり、中央に聖エウフェミヤ教会の鐘楼があるロヴィニの古い建物だらけの町を、船に乗って海から見たかったなあ。
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バスでオパティヤに戻ります。昨日の夕食はホテルでのビュッフェでしたが、今晩はホテル近くのレストランで。
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前菜。サラダ。
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メイン。魚のソテー。塩味がちゃんとついていたのでおいしくいただけました。お飲み物。ビール大、30Kn。
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デザート。アイスクリーム。ごちそうさまでした。
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翌朝の朝食。同じくホテルのビュッフェですが、今日は7:50ホテル出発であまり時間がないので、テラスには出ずに室内でいただきました。
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