2019/06/28 - 2019/07/07
4298位(同エリア6123件中)
らぱぱ代さん
8時にスプリットのホテルを出発して、約240㎞走って、途中ボスニア・ヘルチェゴビナを通過し、ドブロヴニクを目指します。ドブロヴニクの観光は、今日の半日と明日の1日です。
6月28日 成田出発、ブレッド泊。
6月29日 ブレッド湖、ポストイナ鍾乳洞、オパティヤ泊。
6月30日 イストラ半島(プーラ、ポレチュ、ロヴィニ)、オパティヤ連泊。
7月1日 トロギール、スプリット、スプリット泊。
7月2日 午後ドブロヴニク観光、チャフタット(ドブロヴニク近郊)泊。
7月3日 終日ドブロヴニクで自由行動、チャフタット連泊。
7月4日 モスタル、プリトヴィッチェ泊。
7月5日 プリトヴィッチェ国立公園、ザグレブ泊。
7月6日 午前ザグレブ自由行動、ザグレブ出発。
7月7日 成田到着。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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スプリットもドブロヴニクも同じクロアチアですが、途中、ボスニア・ヘルツェゴビナの領土が海に面して張り出しているため、一度クロアチアを出国してボスニア・ヘルツェゴビナへ入国し、またボスニア・ヘルツェゴビナ出国、クロアチア入国と、2回国境線を越えます(つまり、ドブロヴニクは飛び地)。これはドブロヴニクが、17世紀の地震の後、自国領だったネウム周辺を、ベネチアの領国侵犯を恐れオスマン帝国に割譲してベネチアとの緩衝地帯としたため、そのままオスマン帝国、オーストリア帝国へと引き継がれ、ユーゴスラビア紛争ののちも、ボスニア・ヘルツェゴビナ領のまま現在に至っているからです。
しかし、ここでの国境通過は、係官がバスの外からドライバーさんに、「どこのツアー?」ときいて「ヤパン」と答えておしまい。簡単なものでした。交通量の多いところですから、いちいちパスポート確認などしていたらたちまち大渋滞でしょう。 -
ボスニア・ヘルツェゴビナに入ってネウムの町です。ちょうど観光バスのドライバーさんの休憩時間としてよい位置にあるようで、ここはバスが何台も停まっていました。このホテルの地下のスーパーはボスニア・ヘルツェゴビナの物価がクロアチアよりも安いこともあり、お土産が安く買えると有名です。
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私はここでラキア(植物の蒸留酒)の小ビンを見つけたので買いました。1本200円弱。
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駐車場のテラスからはアドリア海が見えます。
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時間があったので、またフレッシュオレンジジュース。その場で絞ってくれます。2.6ユーロだったかな。
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ネウムのこちらのホテルで昼食です。これは道路側。階段を海へ下りていきます。
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こちらがアドリア海に面したメインエントランス。
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前菜。選択制でこれはムール貝。私はムール貝をチョイス。お飲み物。レモンビール、2.7ユーロ(ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨はマルカですが、ユーロが普通に使えました)。アルコール度数が低くてさっぱりとしたお味。暑いときにはぴったり。
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前菜のもう一つの選択肢、ハムとチーズの盛り合わせ。
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メイン。イカのグリル。前菜を食べているときからキッチンからイカを焼く香ばしい香りが漂ってきて、たまりませんでした。添えてあったローズマリーは庭でとれたものかな?
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デザート。フルーツ盛り合わせ。
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食後は少々時間があったので、ホテルの前の海へ出てみました。
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足元がクロックスなので、海にちゃぽん。とても澄んでいてきれい。
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ドブロヴニクが近づいてきました。ドブロヴニクに近いグルージュ港には大型クルーズ船が泊まっています。
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スルジ山。このロープウェイは4月の終わりから、悪天候でもなく整備不良でもなく大人の事情で運行を中止していましたが、7月1日から再開されました!と旅行途中に添乗員さんから知らされて万歳です。歩いてでも登るつもりでいましたから。
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さあ、ピレ門前でバスを下りて、憧れのドブロヴニク観光開始です。
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ピレ門の上には316年に殉教したドブロヴニクの守護聖人聖ヴラホの像がた立ちます。ヴラホはトルコのとある町の司教だった人で、313年にキリスト教が公認されたあとも弾圧が続いた地域があり、かれの殉教は316年とされています。ドブロヴニクの守護聖人となったのは972年。ドブロヴニクの聖職者の夢に聖ヴラホが現れ、ベネチアの襲撃を告げたため事前に備えることができ、街の危機を救ったと言われています。
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街は堅固な城塞に囲まれています。
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街の数カ所にある1991年のユーゴスラビア軍攻撃による被害のリストの図。たった30年前のことです。
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ピレ門から真っ直ぐ東へ伸びる道が、全長300メートルのドブロヴニクのメインストリート、プラツァ通り。プラツァ通りは本土と小島を隔てていた海峡を埋め立てて造られました。
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プラツァ通りの右手には、街の中に入るとすぐ1438年に作られたオノフリオの噴水があります。12㎞離れた源泉から水を引いているそうです。全部で16面あり、1667年の大地震でダメージを受けたものもありますが、16のうちいくつかはその口から水を噴きだしています。冷たくて暑い日差しの中、手を洗うだけでもほっとできました。私は飲みませんでしたが、ペットボトルに水を補充している人多数。
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16面のうちの1つ。水が出ていないところは人がいません。
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こちらも16面のうちの1つ。何の動物?
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左手には、救世主教会とフランシスコ修道院が並んでいます。
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正面はプラツァ通りの東端の時計塔です。みなさん、日差しを避け両側の日陰を歩くため、通りの真ん中は閑散。
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プラツァ通りの左右には、路地が伸びています。
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北側に伸びる路地は狭くて、でもテーブルや椅子をおいてレストランが営業しています。
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プラツァ通りの突き当たりの時計塔と左側にあるのはスポンザ宮殿。この前はルジャ広場と呼ばれる広場になっています。
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1516年に建てられたスポンザ宮殿は、中世ドブロヴニクの税関として貿易業務の中枢を担っていた機関。1667年の大地震で倒壊を免れた数少ない建物の一つです。3階にはやはり聖ヴラホの像が取り付けられています。
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ルジャ広場の中心に立つローラント像。ローラントはイスラム教徒のイベリア半島侵略に抗して戦った騎士とされていて、彼の像は中世ヨーロッパの都市に建てられ自由と独立の象徴とされています。ドブロヴニクのこの像は修復中。この像の右腕の肘から手までの長さ51.2㎝は「ドブロヴニクの肘」と呼ばれ、織物などの商取引の際の長さの単位として用いられていました。
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ルジャ広場にあるオノフリオの小噴水。こちらも冷たい水が出ていますよ。
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ルジャ広場に面して建つ聖ヴラホ教会。地震と火事で倒壊した教会を、1715年にバロック様式で再建。一番上は聖ヴラホ像。
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主祭壇には、ドブロヴニク旧市街の模型を手に持つ聖ヴラホの銀製の像があります。
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ルジャ広場を右に曲がると、
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左手には市庁舎。かつては大評議会の建物として使われていました。1階はカフェになっています。うぅ、日陰が恋しい。
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市庁舎の南隣は旧総督邸。ドブロヴニクの行政の中心的な建物でした。15世紀初めにゴシック様式で建てられましたが、その後ルネサンス様式で改修され美しい建物となっています。7本のコリント式の柱頭の装飾が全て違うのも何か理由があるのでしょうか。
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旧総督邸の向かいには大聖堂があります。1192年にイギリスのリチャード獅子王が創建したといれれ、18世紀に中央にドームを持つ壮麗なバロック様式で再建されました。
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大聖堂の内部の主祭壇の絵は必見ですよ~とのことでパチリ。ベネチアの巨匠ティツィアーノが15世紀に描いた「聖母被昇天」です。
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左側の身廊の祭壇。
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右側の身廊の祭壇。
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旧港にでます。アーチ型の建物はかつての造船所。今はレストランになっています。かつては各国の商船でにぎわっていましたが、今はその立場をグルージュ港に譲り、主に対岸のロクルム島やチャフタットへの連絡船、沖合を回るグラスボートが発着しています。
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旧港からプロチェ門の方へ向かったところにあるドミニコ修道院の入口。閉まっていました。
ここで城壁一周チケットが渡されて解散し、フリータイムになりました。
翌日は「選べる観光」ということで、モンテネグロの世界遺産の街コトルに行くかドブロヴニクで自由行動かを選べます。明日コトル観光を選んだ方は今日これから城壁巡りをされますが、私はドブロヴニク堪能コースにしたので、城壁は明日にまわして、旧市街をぶらぶらすることにしました。これからタクシーでスルジ山を往復して城壁を巡り、明日はコトルへ行くという超猛者もいらっしゃいましたよ。 -
ぶらぶら歩き開始。
聖ニコラ教会。青空に鳥が舞います。路地が狭いのがよくわかりますね。 -
プラツァ通りの北に、平行して伸びるプリイェコ通り。レストラン街になっています。
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プラツァ通りが水路を埋め立ててできただけあって一番低く、北側はスルジ山に向かってどんどん高くなります。北側の路地は全部これでもかの階段攻撃。防御第一、バリアフリーの概念がなかった時代の街。
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上から見下ろすと、こんな感じ。両側は個人のお宅もありますが、SOBE(民泊)やAPARTMANの看板もたくさん見かけました。旧市街の古い建物に泊まるのも素敵でしょうね。ただ、この階段をスーツケースごろごろは無理。。。
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ドブロヴニクの路地と猫と赤い屋根。
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ブジャ門を抜けて、ロープウェイ乗り場の偵察に。運行が再開されて混んでるんじゃないかと心配して見に行ったのですが、行列はゼロでした。これならスルジ山はロープウェイも有りだよな~と、心の中で。
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再びブジャ門から旧市街内へ戻り、城壁沿いにミンチェタ要塞の下まで歩きました。
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ミンチェタ要塞の下は運動場(学校がある?)になっていて、
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そこからはドブロヴニクの旧市街とロクルム島を眺めることができます。
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下から見上げたミンチェタ要塞。明日はあそこの上から眺めましょう!
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未修復の建物もありました。
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ここで休憩。ドルチェ・ヴィータでピスタチオのジェラート。路地のテーブルに陣取って。
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次は、プラツァ通りの南に平行して伸びるオドプチャ通りを歩いて、
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セルビア正教会へ。ドブロヴニクにはセルビア正教徒が古くから住んでいましたが、旧市街内に正教の教会を建てるのを共和国ドブロヴニクの時代には禁止されていたため、建てられたのは共和国消滅後の1877年です。
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内部。カトリックとは異なり聖像はありません。イコンです。
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その後、ひたすら南へ向かいますが、またもや上り階段の連続。
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目指していたのは、城壁にへばりついて海に張り出しているカフェ。
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こんな感じ。よくこんな絶壁に作ったものだと。
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ここは公共ビーチ(砂浜ではありません、断崖絶壁ですが、誰でも使用可能)になっていて、数メートルの高さから飛び込んでしました。もちろん海から上る道もあります。海がとてもきれいで気持ちよさそう。狭いですが、タオルを広げるスペースもあります。無料でアドリア海を満喫できる!
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ここでビールを、と、もくろんでいたのですが、日陰の席は全然空きがありません。ここでまったりしている人もいるし、泳いで上がってきて休憩している人もいるし。
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じゃあ、もう1カ所の方はどうかな、と行ってみると、こちらも満席。
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この2つのカフェ、実はとてもとても暑かったのです。そうですよね、南向きでおひさまはサンサンと照らすし、午後もこの時間になると、城壁そのものが熱を持っちゃっていますからね。
城壁内の日陰に戻ったとき、涼しさにほっとしました。 -
グンドリッチ広場。露店がでています。
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広場の南にある階段を上ると(やっぱり上り階段です!)、
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聖イグナチオ教会。1699年~1725年にローマの聖イグナチオ教会をモデルにバロック様式で建てられたもの。
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大理石の祭壇と後陣のドーム一面に描かれたスペイン人画家ガエタノ・ガルシアのフレスコ画が見事です。
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そろそろ集合時間です。集合場所はピレ門前。集合場所近くの入り江には、カヤックがいっぱい。時間と体力があれば、カヤックでドブロヴニクを海から眺めるツアーにも参加したいところ。入り江の向こうはボカール要塞です。
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ピレ門前からバスに乗り、10分ほどでラパット地区にある今日の夕食のレストランに到着です。
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前菜。タコのサラダ。お飲み物、ビール大30Kn。
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メイン。ピザ。シーフード、チーズ、忘れましたがあと2種類、の4種類からの選択制。私はシーフードをチョイス。ものすごい大きさのピザでびっくり。お味はGOODでした。
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デザート。プリン。
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食後、バスで、ドブロヴニクを横目でみながら通り過ぎ、チャフタット(ツァヴタットとも。ドブロヴニク空港の近くの町です)の宿泊のホテルへ向かいます。ドブロヴニクからバスで30分くらい。途中、美しいドブロヴニクの夕景を眺めることができました。
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2連泊したホテルクロアチア。大きなリゾートホテルです。
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もちろんオーシャンビュー。ただし、部屋のくじ引きの運が悪かったようで、低層の階のため、海はちょっと樹木にさえぎられました。上層階のお部屋の眺望は素晴らしかったそうです。
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わーい! バスタブ付きだ。
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この夜、ツアーに参加されていたG様ご夫妻から、スルジ山へドブロブニクの夜景を見に行きませんか、とお誘いをいただき、ご一緒させていただきました。ホテルのフロントで尋ねると、チャフタットのホテルからタクシーをチャーターして往復1台100ユーロとのことです。私は全く考えていなかった観光でしたので、たいへんラッキーでした。
21時20分にタクシーにホテルまで来てもらい(オパティヤで21時はまだまだ明るかったのでこの時間にしたのですが、ドブロヴニクはオパティヤに比べるとだいぶ東にあることを失念していました。もう少し早くてもよかったかもしれません)、スルジ山山頂着が22時。完全に夜のとばりが下りて、ドブロヴニクの夜景が目にしみます。
私のiPhoneではこの程度にしか写りませんが、 -
G様の高性能カメラではこのように。
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プラツァ通りや聖ロヴロ大聖堂、ルジャ広場もばっちり。
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昼間の眺めよりもプラツァ通りの北側の路地がくっきり見えます。
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スルジ山登山道の途中でもタクシーを停めてくれました。もう写真はG様からお譲りいただくことにして、iPhoneは取り出さず、目に焼き付けることに専念しました。G様、ありがとうございました!
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7月3日朝。恒例朝食前散歩。ホテルクロアチアは、チャフタットの町の半島にあります。ホテルのある半島をぐるっと回る遊歩道があったので、1周は時間的にできませんでしたが、海沿いの道を歩いて行けるところまで行って引き返してきました。クロックスでは辛い。スニーカーの方がよかった。
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朝食のビュッフェ。オープンテラスで。空港が近いので、上空を飛行機が飛びます。
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