2019/05/01 - 2019/05/05
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mistralさん
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福江島からいくつかの島巡りを検討してみたが、島を移動して
更に島の内部でも移動を考えると、益々大変そうになる事が想像できた。
又、教会によっては事前の申し込みも必要そうだった。
そんな折、観光協会が主催しているツアーを見つけ申し込みをした。
電話にて伺うと当日の4日、午前のツアーは既に満席。
午後はまだ申し込み可能との事だった。
午後といっても集合は11時45分、船で移動した後に久賀島での
ランチも付いていて、島間の移動は海上タクシーで、と何やら楽しそう。
長崎、そとめを巡るツアーも充実していたので、期待して参加した。
(表紙写真は久賀島で迎えにきてくれた海上タクシー)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5月4日、
Goto Isandsのホテルの方に
当日の宿泊先ホテル、コンネホテルまで送っていただき
荷物を預け
福江港ターミナルまでは徒歩でやってきた。 -
当日もツアーの申し込みをしていた。
五島市観光協会 が主催する
「五島列島キリシタン物語~久賀島・奈留島編~」
というツアーで
ターミナル内にある五島市観光協会売店前。
11:45集合となっていた。(解散予定は17:10)
(参加費は一人12,000円)
当日の午前出発のツアーは満席とかで午後のツアー
となった。 -
ツアーでは
福江港から久賀島までは 定期船(シーガル)で、
久賀島内の移動はタクシーに分乗(当日は2台だった)、
久賀島最後の見学地、旧五輪教会堂からは 海上タクシーで
奈留島まで、
奈留島内はタクシーで移動、
奈留港から福江港までは 海上タクシーで、
と不便な島巡り、島内の移動、などの心配がなく
ガイドさんもお二人、同行してくださる。
写真は福江島ターミナル桟橋からシーガルに乗船するところ。
この船は定期船のようで、他のお客さんも乗っていた。 -
当日のコースです。
-
福江港 12:05発
久賀島 田ノ浦港 12:25着
島に近づくにつれ、最初の見学予定の
浜脇教会が丘の中腹に見えてきていた。 -
港に入る折、
使われなくなった小学校をアトリエに使っているという
(写真中央の建物)
松井守男画伯についての説明があった。
フランス、コルシカ島在住の画家で
芸術文化勲章、さらに
レジオンドヌール勲章も受賞されているそうだ。 -
船を降りて
タクシーに分乗。
浜脇教会堂へ向かった。 -
禁教の高札が1881年に撤去された後、
この後で訪れる旧五輪教会堂を信徒たちは建立したが
増え続ける信徒数に対応する為
また旧五輪教会堂の痛みが激しくなってきたため
1931年、五島初の鉄筋コンクリート造りで
浜脇教会堂が建設された。 -
島に近づいてきた折
遠くからでも白い教会堂はハッキリと見えていたが
第二次世界大戦時には空襲の標的になることを
避ける為に、黒く塗りつぶされていたそうだ。 -
続いて昼食をいただくために立ち寄ったのは
久賀島観光交流拠点センター。
石垣の上に積み上げられた丸い石は
侵入者があると崩れるようにわざと置かれていた
そうだ。(今では崩れないように固定されている
かも?) -
久賀島のマップ
-
2018年7月に登録された世界文化遺産
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と、
久賀島の文化的景観にかんする情報発信拠点となる
施設。 -
パネル展示や、写真などを用いて観光スポットを
紹介している。
又予約すれば食事もいただける。 -
-
昼食をいただいたお部屋の様子。
障子を明け放すと、広縁がお座敷をぐるりと
取り囲んでいて
お庭を眺めながらゆったりと食事ができる。
久賀島の食材を使って提供されているようだ。 -
上部には立派な神棚が。
-
障子の桟が見事。
-
欄間の繊細な彫刻。
-
縁側からのどかな景色を眺めて。
-
当日の昼食。
五島うどんだった? -
黒光りした立派な梁。
-
食事後、タクシーで狭い道を走り
牢屋の窄(さこ)殉教記念教会へ
やってきた。 -
1868年、江戸幕府からキリスト教禁教政策を
引き継いだ明治政府によって、島内の信徒たちが
捕らえられ、この場にあった牢で数々の拷問を
受けた。
教会内部には実際の広さが示されているが
12畳ほどの狭い牢に200名が押し込められていた。
畳1枚あたり17人という狭さだったそうだ。 -
信徒たちは8か月にわたって、狭い牢に閉じ込められ
棄教を迫られたが、39名が拷問の為死亡、
出牢後3名が死亡。
その中には数名の幼い子供も含まれていたという。
五島列島各地で行われた潜伏キリシタンへの迫害は
のちに「五島崩れ」と呼ばれる。
そんな状況は外国使節団の知るところとなり
明治新政府の外交問題に発展、ついに太政官布告によって
明治6年、キリシタン禁制の高札が下ろされた。
五島崩れから100年たった1969年、もと発電所だった
施設を利用して殉教記念聖堂が建立。その後の老朽化が
進んだため、1984年に現在の教会堂が建て替えられた。 -
教会堂のそばにあるのは信仰の碑。
後ろの石碑には殉教した信徒たちの年齢と名前が
刻まれている。 -
タクシーに戻る為、石段を降りる際
入り組んだ久賀海の対岸に
昼食をとった観光交流センターが見える。 -
鯉のぼりが泳いでいるあたりが
交流センター。 -
湾内で養殖(エビだった?)をしている
ようだ。 -
記念教会からはタクシーでしばらく走り
五輪駐車場で下車。(14:25ごろ)
そこからは徒歩で山道を20~30分ほど歩いた。
途中、五輪真弓さんのおじい様が住んでおられた
という土地近くを通り、
(後述する教会で、おじい様はオルガンを弾いておられた
そうだ。) -
クレソンが茂っている一帯を歩き
(ド・ロ神父が故郷からクレソンの種を取り寄せ
栄養のある野菜として住民に栽培を勧めたそうなので、
そんな折に五島列島にも種がやって来たのかも?) -
このあたりはツワブキ?
だんだんに海辺に向かっての道となったようだ。 -
前方に旧五輪教会堂(左手)と
五輪教会(右手)が見えてきた。
この五輪集落のほとんどの人が五輪姓を
名のり、本家が「ごりん」それ以外は「いつわ」
と読むそうだ。 -
案内書などで良く見ていた写真は、もっと水面が
岸辺近くまで迫っていたようだが
当日は引き潮時だったのかもしれない。 -
新しい五輪教会。
-
ガイドさんが指で示されているのが
当日船から降りて最初に見学をした
浜崎教会。
そこから右手にずっと回ってきた。 -
旧五輪教会の外観は木造平屋建ての和風建築。
重要文化財。
1931年、浜脇教会堂が建て替えされる際、
1881年からあった最初の教会堂は解体されようとしたが
五輪地区の信徒たちの強い要望があって
五輪教会堂として移築されることになった。
移築は信徒たちが自ら筏を組み、海の中を運搬してきたそうだ。 -
苦労して移築した教会堂も
半世紀が経つと老朽化が進み、
新しい教会堂を建設するため解体する
話しが進んでいったが
その直前に価値が見直され
新しい教会堂は近くに建設されることになった。 -
内部に入る。
この教会堂は現在は使用されていないため
撮影が許されている。 -
聖体ランプが赤く灯っている際には、神さまがおられる
目印となるが、現在は灯っていない。
つまり使用されていないので、撮影可ということがわかる。
幼子イエスを抱く聖ヨゼフ像。
大工だったヨゼフは、聖霊によって突然身ごもった婚約者
マリアを支え、イエスに深い愛情を注ぐが
そんな誠実なヨゼフの姿を、ここ五島列島の住人たちは
自らの姿と重ね合わせ、守護聖人にしたのではないかと
ある神父様が仰ったという話を聞いて、なるほどなあと
思った。 -
マリア像
-
ザビエル像だった?
-
解体して海上を運ぶ為、組み上げる際の目印として
数字が書かれているのがうっすらと見えた。 -
入り口上部にあるステンドグラス。
色彩が感じられるのはここだけ。 -
窓の外には海が広がり
この教会堂へは船での往き来が主なことが
よくわかる。 -
IHS (イエズス会) のシンボルが
施された内陣への柵。 -
内部のリブ・ヴォールト天井。
元は船大工だった棟梁が、ほかの教会を見学して
見よう見まねで作ったようだ。 -
アーチ型の窓がなければ
外観は和風建築に見えるだろう。 -
-
-
裏側から教会全体を見ている。
-
すぐそばで
網を繕う女性の方が。 -
教会堂近くにある岸壁から
やってきた海上タクシーに乗船するところ。
(旧五輪教会堂へは、陸上から車に乗っては
やって来れない。途中車を留めてそこからは
山の中を歩くしかない。) -
全員が船の舳先から海上タクシーに乗り移った。
-
海上タクシーで奈留島へ移動。
島に到着後、タクシーの車中で興味深い話を聞いた。
ユーミンの出ている深夜番組に、奈留高校生から校歌を作って欲しい
との依頼があったそうだ。
ユーミンはその依頼に応えてあの有名な曲「瞳を閉じて」を作って
プレゼントしたとのこと。
曲の内容から校歌にはならなかったが、今でも島の人全員が口ずさむ
愛唱歌となっているとのこと。
ユーミンも一度島を訪問したようだ。
島の西部にある
江上天主堂へやって来た。 -
外海から移住してきた4家族に始まる
島の西部の江上集落では
1881年に全員がカトリックに復帰。
1918年、現在の天主堂が建てられた。
設計・施工は鉄川與助。
40~50戸の信徒たちがキビナゴ漁で資金を貯め、
自分たちで山を造成したそうだ。
軒天に設けられた換気口が可愛らしい。 -
木造下見板張り
-
湿気を防ぐ為
床組は日本式の床束を使用している。
木材は五島産の椿を使用。
重要文化財。 -
内部の様子。
柱の木目、窓ガラスの花の絵などは
信徒の手書きによる。 -
木立の中で軽快な色合いだけど
堂々とした佇まい。 -
奈留港からは
海上タクシーに乗船して
福江島まで帰ってきた。
当日の夜は寿司仙というお店で、
地元の新鮮な魚のおつくり、お寿司、鯵のつくねなど
お酒とともに堪能。
カウンター席で、旅行者どうし、それぞれの旅の話など
しながら、美味しくいただいた。 -
この旅行記の最後は、指揮者の西本智実さんについてです。
バチカン国際音楽祭の一環として、サン・ピエトロ大聖堂での
ローマ教皇代理ミサの折りに、西本さん率いるイルミナートフィル
ハーモニーオーケストラと合唱団が、2018年も招聘されることが
決まっていて、そのお披露目をかねてのコンサートに出向いたことを
思い出したので追記します。
遡れば最初のバチカンからのオファーは2013年だったそうだ。
演奏したいミサ曲があるかどうか聞かれた西本さんは、平戸の
生月(いきつき)島に伝承されるオラショが3曲あり、その演奏
が可能かどうかを問い合わせたという。
バチカンとしては、ヨーロッパに存在しない聖歌が、日本に残って
いることなど、すぐには信じがたいことだったようだが、
調査の結果、オラショの原曲は確かにグレゴリオ聖歌であることが
認められ、ミサでの演奏の依頼があったそうだ。
西本さんの曾祖母にあたる方は、平戸の生月島、壱部という集落
のご出身の隠れキリシタンの末裔だったことを、お祖父さまから
聞かれていて、その折り、オラショの話も聞いていたそうだ。
お祖父さまご自身、お母さまが20代で亡くなられた折りには
まだお小さくて、記憶もあまり鮮明には残っておられないことも
あった。
なによりも西本さんにとって、当時はその原曲がグレゴリオ聖歌
とは思いもしなかったようだ。
オラショのうち「オー・グロリオーザ」は、音楽史家の皆川達夫氏が
16世紀にイベリア半島で歌われていたグレゴリオ聖歌であることを
苦労して突き止められている。
そのタイミングと、バチカンからの招聘状が来たタイミングとの一致は
まさに時が熟したかのようだったそうだ。
「オラショは、口伝だけで450年続いてきた。それが、発祥の地
バチカンに帰って、蘇った。私の歩んできた音楽の道には、果たすべき
役割があったんだなあと感無量でした。そこには、名もなき継承者が
450年もの間、存在したということ、一人でも欠けていたら、実現し
なかったことです。自分たちも長い歴史の一人なんです。やはり神様
はいるんだと痛感しました。」 西本氏のコメントより
(写真は世界遺産登録記念コンサートのチラシより拝借しました。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- yunさん 2019/06/05 00:13:27
- 瓦屋根の教会
- mistralさん こんばんは
ホテル探しピンチを切り抜けて、実行に至った長崎~五島列島のGW旅。
ある意味、海外より難しい手配でしたね。
映画「沈黙」はWOWOWで鑑賞した事がありますが
題材の重さから見るのが辛くなり、途中でTV消してしまったyunです。
史実を把握していなかった事もありますが、俳優陣の演技が凄すぎてたじたじになった覚えがあります。
エキストラの方も多かったように思いますが、地元での撮影もあったのかしら?
五島列島は、海の静けさ…というイメージがあり訪れてみたい場所なのですが
歴史背景の勉強抜きで行ってはいけないな~と思うと、慎重になってしまう。
五輪真弓さんの故郷であること、西本智実さんのことも知りませんでした。
全く不勉強の至りです。
船大工さんの建てた教会…、見よう見まねで上手になさるものですね。
船底のカーブが教会の天井、なるほど!
瓦ぶきの教会というのも趣がありますね。
我が家のアカンサスが花穂を開かせました。きっとmistralさんのお家でも。
聖書ゆかりの花…ですね。
パリノートルダムのガーゴイル達は元気かな~なんて思うこの頃です。
yun
- mistralさん からの返信 2019/06/05 09:14:45
- Re: 瓦屋根の教会
- yunさん
おはようございます。
メッセージをありがとうございます。
私もアーカンサスを見ると、yunさんのこと思い出します。
我が家の花穂は、まさに開こうとしている時です。
酷暑、厳寒、過酷な気候を通り過ぎると、必ず蘇りますね。
サイレンス、私も予習にとビデオで見始めたのですが
あまりに残酷なシーンなどが多く、途中で止めてしまいました。
そして若い折に、一応読み終えただけだった本を再読しました。
帰ってから、遠藤さんの「深い河」など読みました。
いつも後追いばかり。
カクレキリシタンの方の存在などもそう。
西本さんのコンサートに行った折には、何故オラショをとりあげられるのか?疑問に思いつつそのままでした。
でも、あとになって、いろいろな??に対する応えが
どこかに用意されて?いる。
にわか勉強で書き上げた旅行記です。
なんだか舌足らず感は否めません。
遠藤周作さんが仰っている?キリスト教は日本に真に根づいたのか?などなどのテーマ、
自分自身のことを考えたら、多分、難しいことだろうなあと
思ってしまうのです。
いろいろな事は別として、素敵な地でした。
海の碧さ、お魚、お肉も野菜も、お米も美味しい!
人があたたかい。
リフレッシュして帰りました。
mistral
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